第8話 暁天最大の危機

 招聘の詔をもって大将軍府を訪れた文官に、辰馬は何とも言えない微妙な顔を浮かべた。いまは内政を充実させるべき時であり、きっちりとこの国を富ませてもとの趙家に返すという本懐がある辰馬としてはいま本国に戻るなど考えたくもない。


「ついでにいうと、うっかり戻ると命狙われかねんからな、いま……」

 ボソッと本音をいうと、文官は心外とばかり口上を述べ立てる。永安帝陛下の聖恩にを蒙るアカツキに、暗殺者などいようはずがない、新羅公におかれては疾く参内されよ、さもなくば反逆の徒として誅罰されますぞ……暗殺者が実のところうようよしているのは穣や美咲の情報網で辰馬のよく知るところだし、結局のところお前の言ってることって脅しじゃんとは思ったが。なんにせよ参内しないわけにはいかないらしい。まさかアカツキという国そのものを敵に回すわけにはいかないのだから。


……

…………

………………

「ってわけで」

「ひさしぶりにたぁくんとふたりっきりー♡ 護衛官の役得だよねぇ~♪」

「そーだな。つーか声でかい。ちったあ静かにしてくれしず姉」

 辰馬は西都の統治を北嶺院文に委任して、牢城雫と駕車の上にいた。帰って来いというなら交通手段は? と聞いたらあっさり「これを」と提供された代物。本来皇帝の御座である駕車、あるいは奉車は元帥級の戦功を認められて初めて認められる特権。心底はともかく、アカツキ上層部は表面的には新羅辰馬を「積年の仇敵、桃華帝国殲滅の英雄」と認めているらしい。実のところ辰馬は桃華帝国皇帝と上皇を本国に護送せず旧来の土地で共同統治者として遇しているうえ、本国から命じられた施政方針を無視して現地民を優先しているし、さらには呂燦、戚凌雲はじめとした桃華の将帥たちを処断せず自分の配下に(国には無断で)組み入れているしで、本国が無条件にいい顔をするはずがないのだが。


「んふふ~、久しぶりにおねーちゃんのお弁当だよー♡ 食べろ食べろー♡」

「んぐ……んむ……うん、うまい。けどなぁ、やっぱ気乗りしねーわなぁ。そもそも駕車ってパレード用の車だろ。こんな、国境またぐ旅行に使うかよ。この狭い場所だと動きも制限されるし、今襲われると面倒……」

 と、辰馬が国境地帯でつぶやいた時だった。


 黒衣の男たちが、ザザッと駕車を囲む。

「やっぱりなー……国境での事故となれば責任はあいまいだし、このまま桃華に罪をなすりつけて今度こそ滅ぼすってハラかな」

「あの服装って軒猿(のきざる)さんかな? やっぱ井伊家のお抱えかー」

 雫が、男たちの服装からその出自を推察する。軒猿衆というのは征北元帥・井伊正直(いい・まさなお)直属の忍び衆で、諜報や破壊工作のほか、動物を使った工作を得意とすることでも知られる。


 駕車をひく馬と馭者がまずまっさきに狙われ、場は大混乱になるかと思われたが。


「輪転聖王」

 辰馬は無造作に右腕を上げ、金銀黒白、天を貫く大衝撃波をぶっ放す。耳をつんざく音響と圧倒的な視覚的威力、その二つで周囲のすべての存在は肝をつぶされ、身動きできない。うっかり力を使うと殺してしまうからめったな使い方はできない辰馬だが、周囲を囲まれたこの状況、示威のための一撃としてなら輪転聖王はこの上もない。


「しず姉、2、3人とっ捕まえて」

「はーいOK♪ そんじゃ、やっちゃうよ~!」

 銘刀・白露を鞘から抜くこともなく、駕車を降りた雫はまだ恐怖に硬直している軒猿衆に躍りかかった。


……

…………

………………

その数日後、アカツキ京師太宰。

ここのところ陰鬱な表情が目立った元帥・井伊正直だが、今日は妙に明るい。長年心を苦しめてきた悩みが氷解したような様子の井伊は、軒猿の頭領に確認を取って大いに笑った。

「死んでくれたか新羅辰馬! おっと、惜しい将帥をなくしたのだった、悲しい悲しい……くくくっ」

井伊は辰馬がこの世界最強の盈力使いであることなど知る由もない。実のところ辰馬の顔すら知らない。確認が必要であるのにもかかわらず、完全に国境で始末が付いたと思い込んでいた。

なので急遽、息子を北面総司令官……旧桃華帝国南方の支配者に置くことを言上すべく参内した井伊は。


「遅かったな、正直」

 鷹揚に黄袍を揺らす、恰幅のいい初老……永安帝の前にあぐらをかく、やたらと美しい戎装(軍装)の銀髪少女に目を瞠る。一瞬でこの少女が欲しいという衝動に駆られたが、おそらく少女は永安帝の所有物。うっかり求めては首が飛ぶと自制した。


 もちろん、井伊が少女だと誤認したのは新羅辰馬そのひとであって、別段女装しているわけでも髪をほどいてすらいないのだが、井伊は勝手に勘違いした。辰馬の側としては自分を殺そうとした男が今度は自分に欲情しているのを見て取って、さすがに辟易するだけでは済まない気分になる。チッと行儀悪く舌打ちした。


「おい、オッサン」

「オッサ……!? おぉっ!?」

 ガラの悪い口を利く少女に驚いたその一刹那、井伊は手首を取られてなすすべもなく頭から畳に叩きつけられる。井伊が在場戦陣の心構えを思い出して身を跳ね上げようとするのを、少女……辰馬は軽く先んじて組み伏せた。


「テメーの横やりで大概、苦戦することになったからな! ぶっ殺すぞばかたれぇ!」

「ということだが。真実か、正直?」

 永安帝は面白い見世物を見る態度で、弄うように井伊に問う。ここにおいて井伊も相手が可憐な少女などではないことに気づいた。これが新羅辰馬かとわかったときにはもう遅い。過激な言葉のわりに辰馬に井伊を殺すつもりはなさそうだが、極めた腕一本ぐらいは延ばして折って二度と使えなくするくらいの覚悟が伝わってくる。赤備えの部隊を率いて「赤鬼」の異名で知られる井伊正直は、称号を改めざるを得ないくらいに青ざめた。


……

…………

………………

というわけで。

 辰馬が持ち込んだ妨害の証拠により、永安帝は処断を下した。元帥井伊正直は兵卒に落とし、貴族の列から脱爵。かわって元帥位を辰馬に与えようとする。


「元帥ねぇ……」

 ここのところのスピード出世に、辰馬はどうにもついていけていない。自分はまだそんな器量ではないと思うと同時に、しかし桃華帝国当地の途中でまたろくでもない上官の横やりを入れられるくらいなら、自分が最上位官につくべきでもあるかと考え直す。しばらく逡巡したうえ、辰馬は元帥就任を受け入れた。その場で井伊から没収の元帥杖を渡され、城内の文官武官を集めて略式の就任式が行われる。


「で、この件はこれでいーとして。要件なんよ?」

「あのなお前……わしは皇帝じゃぞ? 少しは敬意を払わんか」

「知ったことか。偉そうにしたかったらつまらん横やりとか暗殺計画とか、ちゃんと管理して止めさせろ、ジジイ」

「ぬう……」

 それを言われると永安帝にはぐうの音もない。有能だが横柄不羈な若き元帥を、永安帝は憎たらしげににらみつけた。


「まあ、良いわ。……ラース・イラが動く。将帥は第一騎士団長ガラハド。お前は帝都の防衛指揮を取れ」

「ガラハド……そっか」

 世界最強の騎士ガラハド・ガラドリエル・ガラティーン。かつてヒノミヤ事変でかかわってからすでに10年が経過したが、彼ほどの強敵を前にした経験は少ない。それが1個人としてではなく、今回は本領の軍団指揮官としてかかってくるというのだから辰馬は懐かしいのと同時に戦慄を覚える。


ウチの軍団を呼び戻している時間は……ないな。つーか今西都からあの連中抜いたら空中分解しかねんし。当面こっちはおれとしず姉でしのぐしかないか……。


 辰馬がそうしてラース・イラの攻勢に備えた時。


………………

「ハァ! 駆けよ馳せよ、疾く駆けよ!」

 ラース・イラ第一騎士団長ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンはラース・イラから南下するのではなく、東……桃華帝国西都に向かって馬をかけさせていた。率いるは精鋭の騎兵14万、歩卒(銃士含む)8万、砲兵3万2千。


先ぶれの将として桃華帝国の鎮西将軍・岳淮が先陣を務め、失地回復に燃える。彼は西都陥落の際、民衆を棄てて単身、真っ先にラース・イラに亡命したが、いったん西都の動乱が落ち着いたのを見ると失った果実の甘さが忘れられなくなった。騎士団長ガラハドをせっつき、宰相ハジルにもかけあって「暴虐の侵略者から帝をお救いし、桃華帝国を再生する」というお題目を掲げて出陣する。すでにアカツキの……新羅辰馬の……統治を受け入れている西都および桃華南方地域の人々にとってみれば岳淮の存在はただ新しい戦火の火種でしかなく、来てるれるなというところだが岳淮の野心は止まらない。


同時に南方、アカツキの太宰を攻める軍の指揮はラース・イラ宰相ハジルがとる。これをガラハド指揮と誤認させたのはハジルの諜報能力によった。かつて即位前の永安帝率いる30万の大軍を数千の寡兵で打ち破り、のち永安帝の逆恨みによってテンゲリという国そのものを地上から消されてしまった亡国の王子ハジル、その魂は常にアカツキへの復讐の念に燃えており、今こそその機とこちらも40万の兵で牙を剥く。ハジルの将器はガラハドほどではないが、アカツキの将兵に「征南軍の指揮官はガラハド」、そう思い込ませることで彼は敵軍を委縮させた。そうした情報戦の妙に関して、ハジルはきわめて傑出した才能を持つ。


そして西都でも。侵攻してくる敵将はギリギリまで岳淮であるとされ、その後ろにあるガラハドの存在は隠蔽される。ために国境防衛隊の面々はラース・イラ軍相手に油断し、次の瞬間その神がかった突破力の前に半日と持たず、抜かれた。ここにきてガラハドが第一騎士団の赤地に白い竜の旗を掲げたので、西都の面々は一挙震駭して震えあがる。かろうじて北嶺院文指揮のもとに統制を保つ新羅軍団も、兵力と将才、どちらにしてもガラハドにはあたりがたい。といっていちど保護した西都の民や皇帝・趙瑛をほったらかしにして逃げるわけにも、当然いかない。さらにはアカツキ北方、中原を取ったヘスティアも南侵の動きを見せつつあり、アカツキ勢は一度に3方面作戦を余儀なくされる。この状況でアカツキ・永安帝は南方の同盟国クールマ・ガルバに援軍を要請、また大元帥本田姫沙羅、元帥榊原職康、同じく元帥酒井忠隣の三将を招聘したが、状況不利は動かず。この事態の打破はやはり、新羅辰馬の肩にかかる。

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