第5話 翠微大戦

「掠取前進、しかないでしょうね」

 状況を聞いて、北嶺院文はそう言った。幽閉と暴行により視力を失ってはいても、彼女の聡明は失われていない。ここで撤退するのは愚の骨頂、反転したとたんに背撃されるおそれ……まず十中八九……がある以上、むしろ前進するほかない。後方からの支援がないのならば、現地での略奪によってでも。


 という説明を聞いて、新羅辰馬はまずエチケット袋に「うぇっぷ」と吐いた。


 しかるのち。


「やっぱそうなるよなぁ……。ほかには交渉でどうにかする手もあるけど、今の混乱した桃華帝国にまともな交渉ができるとも思えん。空手形つかまされるのはかなわんからな」


 何食わぬ顔でそう続ける。この8年、辰馬のどうしようもなく雑魚な豆腐メンタルも少しは成長した。いったんゲロといっしょに迷いを吐き捨てることで、多少は苛烈な判断も可能になっている……あとでまた懊悩して苦しむのは、仕方ないとして。

………………

 かくて大将軍新羅軍団は前進、行く先々で現地調達、という名の略奪を行いつつ転戦し、次々に敵の要衝を抜く。


 ここでも辰馬のやさしさ、甘さが奏功した。略奪・暴行を厳禁し、現地の民に頭を下げて食料を乞う。武威をもって侵略する側としてはあまりにも滑稽な行動だったが、その態度は桃華帝国の苛斂誅求に疲弊しきっていた民衆に好意的に迎えられ、彼らは辰馬とその軍のため進んで食料を供出した。備蓄の米や水の買い付けに関して、新羅一家の家財は当然のように本国の井伊に抑えられていたが、ひとり井伊より家格が上の人間、すなわち三大公家の北嶺院文のそれだけは抑えられていない。文は素早く手を打ち財産をこちらに移すと、その金で軍隊36000人が1か月生活できるだけの食料品と生活必需品を買い付けた。これで新羅軍は一息をつく。


 対する桃華帝国、戚凌雲は辰馬の後方を追尾、直接交戦せず、徹底的に糧道を断つ作戦に出る。辰馬が現地で蛮勇をもって略奪、という行為に出られない以上、その軍の補給には限りがある。これは非常に効果的かつ現実的な攻撃だった。


「結構やらしー手に出るよな、戚……」

「戦争だもの。勝つために手段を選んではいられないわ」

「あー、そーいうのいやだ。早く太宰に帰りてーなぁー」

「拗ねてないで指揮を執りなさい。あなたは大将軍なのでしょう、閣下?」

 幕舎で、辰馬と文の会話。さすがに年上というか、文の態度には辰馬をさとし導くものがある。このあたり、年上とはいっても辰馬のやること全肯定、甘やかし主義の雫とはだいぶ違う。


「ま、このまま桃華の京師を落とすまでは進むしかないよなぁ……。後方は?」

「は、牢城先生とシンタが遊撃に出て、とりあえず敵を追い散らしたと報告です」

「主様、報告でゴザル! ここで本を売ったらどうでゴザルか?」

 大輔の報告と入れ替わりで、出水が太い体を揺らして入ってくる。普段からぷよんと血色のいい肌が、今日は興奮のせいかさらにツヤツヤとしていた。


「本?」

「印刷所があるのでゴザルよ。これを接収して本を刷れば、軍資金問題解決でゴザル!」

 興奮の原因はこれだった。確かに、印刷所を押さえれば出版が可能、宣伝文書も刷れるし、こちらから民衆に仕事探しの張り紙だって刷れるわけだが。


「つーてもなぁ。誰がなに書くの? おれ、行軍日誌くらいしか書けんぞ」

 メインになる記事をだれが書くのか。ライターがいない。


「そんなもの! 決まっているでゴザろう! 拙者が誰か! お忘れか!?」

「え……誰だっけ?」

「っ、誰じゃないでゴザルよ! 売れっ子官能小説作家の出水秀規でゴザる! 拙者が一肌脱ごうというのでゴザルよ!」

「あー……軍属になってまだ書いてたんか、お前」

 辰馬はわずかにあきれる。ここ数年で傭兵から正式に軍属になった出水たち三バカ。三バカどころか「新羅の三傑」といわれるにいたりその多忙なことも群を抜き、出版界とも切れたのだろうと思っていたのだがおさおさ、そうではなかったらしい。聞けば年に2回の即売会は欠かしていなかったとかなんとか。


「ライフワークでゴザルからな、死ぬまで書くでゴザるよ?」

「ヒデちゃんは覚悟が違うのよ、ざまーみろ辰馬!」

「……そこのガトンボは相変わらずおれに悪意的な」

「気にしないでやってほしいでゴザル。それで、ご裁可は?」

「やってくれ。なんもせんよりマシだろーし、下手すりゃ逆転の大穴が当たるかもしれん」

「了解つかまつったァ! では、行くでゴザルよ、シエルたん!」

「うん、がんばろーね、ヒデちゃん♪」


「とはいえすぐに結果が出る話でもないからな……ここに屯田するっつーても36000人が駐屯するだけで民衆の迷惑なのは変わらんし。近くの何個所の町に分屯させるか……戚に各個撃破されるのが怖いが……」

 戚凌雲の脅威と民衆への負担、どちらを重く見るかと考えた辰馬は後者をとった。36000を近隣村落に3000~4000ずつで分屯、有事の際は発煙筒と信号弾で連絡を取り合うよう命じる。


 が、やはり戚凌雲という男は簡単にはいかない。辰馬の構築したネットワークを食い破り、懸念されたとおりに各個撃破を仕掛けてくる。その用兵は神速、風のように早く、炎のように掠める。辰馬としては泰山のごとく構えて迎え撃ったが、やはりここは敵のホームグラウンド。臧廓を排して完全に独立指揮権を握った戚のもと、国を守るという意志統一を果たした桃華帝国軍の士気は新羅辰馬個人のカリスマのみに依拠したアカツキ大将軍府軍を大きくしのぐ。しかもこちらは飢えており、敵はたらふく喰らって腹をくちくした状態。


 しかし、戚はこの時点でひとつ、ミスを犯している。それは辰馬の後方を扼して追い立て、追い詰めたことで、囲師は必ず闕く(敵を囲むときは逃げ道を開けておいてやる)、という基本理念を棄ててしまっていた。おかげで辰馬以下新羅大将軍府の兵はいま死兵である。飢え、疲れてはいるが、攻められれば猛然と反撃する。


 戚としても意外だった。そもそも敵国深くにここまで侵入して、糧もない状態でさらに連戦連勝し、略奪に走って民を敵に回すこともなく、ここまで戦ってのけるのだから驚異的というほかない。だがしかし、敵手の能力を認めるからこそ彼は新羅辰馬をここで排除するしかなかった。すべては桃華帝国の社稷、それを安んじるために。


 襲撃と撃退、そんな対峙が数日、続き。


 小競り合いではらちが明かない、そう判断した戚は乾坤一擲の大会戦をここで仕掛ける。森と湖と平地、風光明媚な翠微の森で。


 使者から決戦状を受け取った辰馬も、来るべきものが来たかと深く顎を引く。それならば全力で戦い、雌雄を決するのみ。すでにこの時点で敵はこちらに調略の手を伸ばしていると考えてよく、辰馬は早速に磐座穣を読んで敵将のだれをどう切り崩すべきかを問い、また神楽坂瑞穂に地形を問うて戦術を問うた。二人の巫女軍師は戦前の工作と実戦の進退という、完全に二分化した分野でもって辰馬を支える。牢城雫は厳戒態勢の辰馬の警護、晦日美咲は諜報に飛び回り、北嶺院文は残った財貨をなげうって湖戦で使う闘艦の手配を済ませた。


 そして1826年夏8月14日。


 翠微の森の戦いが始まる。


 まず敵を驚かせたのはアカツキ軍に闘艦が登場したこと。まさか自国の国内で敵に船を供出するものがいるとは思わなかった戚は制海権を握られて歯噛みする。桃華帝国軍にとって幸いだったことはこの戦艦が最新鋭ではなく、よって大砲の威力も射程も戦況を一隻にして覆す、というほどのものではなかったことだが、それでもやはり威力は大きい。この戦艦の支援を受け、新羅大将軍府の面々は布陣していく。まず森を前にした中翼に辰馬、護衛官として雫、参謀として瑞穂。右翼1陣は北嶺院文。副将として長船言継、護衛官は厷武人。左翼1陣の大将は覇城瀬名、副将・月護孔雀、参謀として磐座穣。右翼2陣は朝比奈大輔が率い、副将出水秀規。左翼2陣は晦日美咲、副将上杉慎太郎。


 対する桃華帝国の陣容も相当なもので、大将・戚凌雲以下その左右の将耿羿、虎翻、さらに桃華帝国鎮南府の名だたる将軍が並ぶ。両軍ともにここを先途の構えであり、今回ばかりは5%や10%の損害で戦闘がおわることはないだろうと見えた。殲滅戦である。


 桃華側は大きく包み込む鶴翼、アカツキ側は魚鱗……に似ているがやや変則的に、斜めから敵に突き立つような構えで陣を構えた。斜陣。


 まずアカツキ左右2陣が突撃。桃華の外翼はこれを巧みにかわすが、大輔、シンタは猛追して逃がさない。そのまま一気に押し込もうとするが、そこを背後から包み込まれる。殲滅される前に猛撃で突破、これでだいたい、彼我の損害互角、もとの兵力に12000の差があり、そのぶんアカツキ不利。


その隙に辰馬は目の前の森に、100人単位の伏兵を10部隊ほど潜ませた。


同じころ、戚は自分の布陣する平原の草むらに、同じく伏兵を敷く。


森に引き込みたい辰馬と、草むらに引きずり込みたい戚の化かしあい。互いに戦術を応酬させ、ダメージを与え、喰らい、致命をさけながら、必殺のポジションに敵を誘い込むべく頭脳を傾ける。ここまでまったくの互角であったが、アカツキ側から連続で放たれた2発の空砲、それを聞いたとたんに桃華帝国側から数部隊が反転、見方を攻撃し始める。晦日美咲が諜報し、磐座穣が分析して調略した敵将の寝返り工作。鄭策、秦雷、曹獅道。まがりなりにも相当に立場のある3将が裏切ったことは、桃華帝国に大きな衝撃を与えた。


「愛国の念はどうした!? なぜ裏切る!?」

 戚は悲痛に叫ぶ。鄭策は病気の母がいてそれは桃華帝国の医学では手の施しようがないものだったが、アカツキの医学では治療法が確立されていた。秦雷は愛国心より自分の欲に忠実であり、使者から絶世の美女を約束されると一も二もなくうなずいた。曹獅道は臨時政府の総裁・岳淮とそりが合わず、命の危険を感じていたからアカツキへの亡命を考えているところに使者がやってきた。


若年の戚にそこまでの細やかな人心がわかるものではなかった。そしてこの3将の裏切りが、そのまま勝敗を決する。8時間にわたる死闘の末、アカツキの残存兵力は19100、桃華帝国のそれは10000。全体の半分以上が陣没するという激戦となった。


「よお、久しぶり……8年ぶりか?」

 引き据えられた戚凌雲を、辰馬は丁重に扱った。フランクに話しかけるが、戚は目も合わせることがない。

「そうですね。……斬りなさい」

「いや、お前にはおれの味方になってもらう。これから先、おれには見方がたくさん必要なんでな」

「なると思いますか? わが国土を蹂躙した仇敵の、走狗に?」

「んー、真実、国を想うなら? ここで死ぬのは国士の道ではないだろーと。鎮西将軍・岳淮はラース・イラと結んでオスマンと対決するらしいが。無辜を傷つけることをよしとしない呂燦将軍を幽閉したってよ」

「!? 将軍が!?」

「そーいうわけで。国政を壟断する悪将は放っておけんやろ。おれとお前で岳を倒し、ヘスティアも押し返し。そのあとでおれが桃華の民に慕われん程度の器だったらお前が殺せばいーよ」

「……その言葉、お忘れなく。……今より一時、わが軍はアカツキ帝国、新羅辰馬の隷下に入る!」

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