第4話 戦争の現実

 4元帥の一角、侯爵井伊家の井伊政直は北方方面軍総司令官・点検を拝命している。4元帥は維新内戦期に成立した役職なので2代目、3代目ではなく、腐敗はしていない。優秀で有能な元老ではあるが、しかし4人の息子たちに甘すぎるという欠点があった。


 末の息子・直孝。これが父とは似ても似つかぬ無能な愚息であるのだが、政直にとってはバカな子ほどかわいい。30歳を超えた息子のためになにくれとなく不自由ないよう便宜を図り、犯罪スレスレの行為に対しても元帥・侯爵の権限でもみ消してやるのだから大概である。


 こういう親子だから、直孝がレストランの喧嘩でKOされたとなると政直は黙っていない。「御曹司が殴り倒されてみっともなくアヘ顔さらしてましたよ、ププッ……」と中心に来た下男はとりあえず車折き、かわいい息子に醜態をさらさせた犯人を総力上げて探求し。


 新羅辰馬とその一党、という名前に当たる。


 政直の瞳の奥で、暗い炎が揺らめいた。

………………

そのころ。


朔方鎮、新羅辰馬。点検元帥、井伊政直が中央大本営の北面軍トップなら、辰馬はその実働軍のトップとなったわけだが……。


今、辰馬は目を閉じて机に向かい、広げた紙に線を引いていた。


「ふーっ……広い……。雲竜崗一帯だけでもやたら広いな……。こん中から会長を探すってのも大概だが……まあ、あの人もおれの女だしな。そら命がけで助けんと男じゃねえ……」

 やや荒い息をつきながら、うわごとのように呟く。その間目を開けることはなく、手を止めることもなかった。繊手が走る都度、見事な地図が浮かび上がる。辰馬が久しぶりに使う観自在法による遠見と、自動筆記による地図描画だった。


 慣れていない作業のうえ、神魔とのバイパスがつなぎにくくなっているために消耗が大きい。それでも夜半、辛うじて北嶺院文の居場所を突き止め地図を描き上げた辰馬は、それをシンタと出水に渡して送り出すとその晩は泥のように眠った。魔法の行使にかかる精神的負担は、確実に増していた。


………………

「で。敵があー来るか……」

 翌日、瑞穂を従えて(さすがに、この時期になると瑞穂も自分で馬に乗るくらいは出来るようになっている)騎兵隊を前に進めた辰馬は少しばかりうんざりした顔でつぶやいた。


 地形は平地でこちらが小高い丘を扼しているが、それは大した問題ではない。


問題は。


敵が荷車を並べ、機動要塞を形成しているということ。すなわちワゴンブルクである。これをなしたのは新任の指揮官・臧廓ではなく、呂燦が残していった高弟・戚凌雲。


「そら、こっちだけの専売特許ってわけじゃねーからなー。この際こっちも下馬して徒歩で戦ったほうがいいんだが……」

「騎兵隊の皆さんは馬上にあることにプライドを持っておられます。馬を降りろとは言えないでしょう」

「だよなぁ……」

 瑞穂に言われて、辰馬としては頭を抱えたいが大将軍としてそういう態度も許されない。敵ワゴンブルクのなにが怖いといって、ぱっと見に貧相な幌車が並んでいるだけにしか見えないという点だ。これまで同じ戦術でしばしば敵騎兵隊を破ってきた辰馬たちはワゴンブルクの恐ろしさがわかるとして、他の将帥、とくにプライドの高い騎兵指揮官である覇城瀬名や月護孔雀とといった連中は戚の布陣を完全に見下していた。


「僕が鎧袖一触、切り崩してごらんに入れますよ。……雫さん、見ていてください!」

 瀬名はすかさず、部隊を率いて突出する。三大公家の筆頭という門地家格の彼はすでに軍中に自分の派閥を形成しており、その閥は貴族、上級市民出身者を中心に下級市民(2等市街区出身者)中心の辰馬閥と軍を二つに分けるほどの勢力を誇る。かつて「あなたのやることなすことを邪魔してやる」といった瀬名は、疑いなくその言葉を現実にしていた。


高台から馳せていく覇城騎兵隊、1000を残し4000。軽く敵荷車要塞を撃破……というわけには、当然いかない。騎兵お得意の突撃をまず荷車戦車が止め、機動力を削いだところに鳥銃の一斉掃射。たいした練度があるわけでもない、むしろアカツキ軍に比べれば兵の質では劣る桃華帝国軍だが、止まっている敵に火力の集中。これは難しいことではない。実際面白いように、瀬名の部隊はなぎ倒された。


「たあくん、あたし助けに行くよ!?」

「あー、ここでいきなり主将クラスを死なすわけにもいかんからな。しず姉、頼んだ」


 牢城雫と彼女が選抜した100人の抜剣隊が敵味方の間に割って入る。猛然とした集中砲火は精鋭部隊をもってしても支えがたいが、そこは剣聖・牢城雫。銃弾数十発を太刀の薙ぎ払いで打ち、払い、落とす。世界から神魔の力が減っていく中、もとより魔力なしで生きる雫はいよいよもって絶好調だった。


 絶技を見せつけられて、思わず銃撃の手を休めてしまう桃華勢。雫はそのすきに友軍をまとめ、撤退を果たす。

「帰ったよー」

「おー、お疲れ。で……、瀬名はなんか言うことあるか?」

「……ありません。完全に僕のミスです……騎兵突撃が、ああも簡単に止められるとは……」

「あれはそーいう陣形だ。これで騎兵万能主義がどんだけ危険かわかったな? わかったら次回は敵前下馬だ。向こうがこっちはまた騎兵突撃で来る、そう思ってるところに歩兵でぶつかる……貴族派の領袖なおまえなら、できるよな?」

「覇城の名前を使えば……多少の反発はあるでしょうが」

「じゃ、やってくれ。歩兵対歩兵に持ち込めば、そんなに脅威ってわけでもねー……戚のやつがどう動くか、まだわからんが」


………………

「んー、この地図ホントにあってるでゴザルかぁ?」

「辰馬の描いたもんだからねー、あてになんない!」

「っラァ! そこの一匹と一羽! 辰馬サンのやることに異議さしはさむんじゃねーよ!」

「拙者は貴様みたいな狂信者と違うんでゴザルよ……。なんでもかんでも主様にイエスしてるだけのバカは本当の役に立てんでゴザルからな」

「ジョートーだお前、ブッ殺すぞ!」

「やるでゴザルか? 盈力使いの拙者と?」

「ハッ! そのぶん消耗もバカでかいんだろーが! 腹肉削ぐぞブタァ!」

「そのロン毛をもいでやるでゴザルよおぉ!」

 北嶺院文救出隊に選抜されたシンタと出水は、いつものように喧嘩していた。三バカは3人でバランスがとれているので、2人になると均衡が崩れて喧嘩ばかりになる。


………………

 その後しばらく、雲竜崗地方の戦いは辰馬がリードすることになった。ワゴンブルクに対してこちらも騎兵を捨てて歩兵、銃士隊で対抗するなら強敵ではない。散発的に、荷車に爆薬を乗せて突っ込ませるなどの戦術を繰り出してくることもあったが対処できない事態ではなく、まずすべては想定の範囲。ことごとく対処し、受け流し、後の先をとる。用兵の技量は互角か、わずかに辰馬が上手であり、そして武装はアカツキ優位。国難の逆境にあって事態を立て直すべく奮闘する戚凌雲の意気は高く彼直属の士気は高いが、なにぶん全体で見た場合の桃華帝国の士気は臨時政府の信頼度の低さを示すように低い。


 なので、このまま押し込めば辰馬が勝つ。そのはずだったが。


 唐突に補給が止まる。


 これは後方、大本営の井伊政直の策動。磐座穣はその卓絶した情報収集力と分析力で井伊から買った恨みとそこからの行動を読み上げてのけるが、優秀な元帥さまとは思えない子供じみた……それゆえ恐ろしいいやがらせだった。


「まったく……つまらないことで恨みを買うとこういうことになるんです。わかってますか?」

「わかってる……つーかこの前喧嘩したのってシンタたちなんだが……」

「言い訳しない。それで、どうします?」

「そーだな……」


 辰馬は配下の兵たちを集めて壇上に上がる。

「正直に言うが、飯がない」

 ざわめきがおこった。食事がないでは戦えない。

「俸給のほうも止められてるんで、支払いもできん」

 ついで怒号が起こった。無理もない。

「つーわけで。やれたちはこのまま、飯のために前進する! 生きるか死ぬかだ! ただし虐殺と暴行はするな、略奪は……まあ仕方ねえ。あとで本国の連中に払わせる!」


 言うなり、辰馬はすかさず鞍乗のひととなって駆けだした。敵ワゴンブルクを突破、その先の雲竜崗、聯梓の町を目指す。将兵たちは泡を食ってその背を追った。飄然としていやらしいほど余裕を崩さない長船言継でさえ、辰馬の機動力には慌てふためく。味方すらここまで動揺させた辰馬の速力は当然、敵にはそれ以上の動揺を与えた。本来、井伊からの使者を受けて交代するはずのアカツキ軍を背後からたたくはずだった桃華帝国軍は完全に裏をかかれる形になる。戚凌雲はまだしも、ここで功を上げようと中途半端に突出していた臧廓の軍48000はアカツキ軍36000にそれこそ鎧袖一触され、蹴散らされた。


その先の光景は新羅辰馬にとって、一生消えないトラウマとして残る。飢えた兵にとって、略奪と暴行は止めようとしても止まるものではなかった。辰馬は目にあまるものをかたっぱしから殴り倒してやめさせたがそれは氷山の一角。置いた商店主がけり倒されてまんじゅうを奪われ、食欲を満たした兵は若い娘を追って往来でのしかかる。幕舎を立てた辰馬は即時治安維持部隊を組織したが、治安の回復は遅々として進まなかった。秋毫も犯さず、そういわれる将軍の現実。戦争という行為の中で、本当に「秋毫も」犯さないことなどあるはずもない。覇城瀬名はむしろフェミニストであり女性擁護の立場をとったが、月護孔雀はどうしようもない下種で将みずから暴行に参加した。辰馬は瀬名を称揚して孔雀の官位を下げたが、それがどれほどの効果を上げたかはわからない。


………………

そのころ。


シンタと出水はさらに雲竜崗の奥地に進み、ある崖の底の牢獄にとらえられる北嶺院文を発見した。


「ほら! 辰馬サンの地図どーりじゃん! おめーは信じる気持ちが足りねぇんだよ!」

「むぅ……まあ、今回は認めるでゴザル。北嶺院女史? 出水でゴザル」

「白豚くん?」

「白豚!?」

「ぷぁっはっはっは! 白ブター! ぴったりじゃんお前、デブオタより今度から……」

「その声は赤ザルくんね……」

「赤ザルゆーなや会長! つか、もしかして……目?」

「ええ。一時的なものだとは思うけれど、見えないわね」

「それぁ……」

「ともかく、脱出するでゴザルよ!」

 こうして救出された北嶺院文は新羅辰馬の前に連れられ、再会を果たす。自分の理想と現実の乖離に嘆き、自信喪失する辰馬だったが、愛する妻の一人を救うため、再び心を奮い立たせるのだった。

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