白い残光

 持てる者と持たざる者。父によれば、この世の人間はこの二つに分かれるのだそうだ。持てる者はその先もあらゆるものを手にし、持たざる者はどこまでいっても何も得ることはできない。そして父は、こうも言った。

「お前は持てる者だ。この世の勝ち組なんだ。この俺の息子なんだから」と。




 下校時間のチャイムが鳴った。皆、背中にランドセルを光らせ、下校する。色づき始めた並木の道を、僕はいつも一緒に帰っている数人の友達と、談笑しながら歩いていた。

「なあなあ、今日俺んち来ない?すげー面白いゲーム持ってんだ」

「あー、今日は無理だわ。これから塾なんだ」

「おれも今日は駄目だな。家族ででかけるから」

「えーマジかよー」

 友達の一人はがっかりした様子でそういうと、僕の方に振り向いた。

「秀俊は?」

 僕は笑顔で言う。

「いいよ、今日は暇だし」

 彼の父親は僕の家とも関係がある会社の社長だ。母から仲良くしておきなさいと言われている。そうでなくても彼はクラスの人気者。交友関係を保っておいて損はない。

「よっしゃ!やっぱ秀俊は良いやつだな」

 屈託のない笑顔を僕に向ける。単純な奴だ。それが良いところなのかもしれないけれど。

「あー、でも二人じゃつまんないか。あ、そうだ!」

 急に友達は駆け出した。仕方がないので僕も追う。何となく眺めていた友達のランドセルから突き出た縦笛。垂れ下がる紐が揺れている。視界にちらつくのが鬱陶しかった。


 住宅街を走り抜け、短い橋を渡った先に、黒いランドセルを背負った男の子がうずくまっていた。

「おーい、眞」

 男の子は振り向いた。その子の陰から、走り去っていく白猫が見えた。

「あ、実広君か」

 ちょっと不満そうな表情で立ち上がる、その顔は見覚えがあるような気がするが、よく覚えていない。これと言って特徴のない、平凡な小学生だった。

「やっぱここにいたな。わたあめちゃん元気?」

「元気だったけど実広君のおかげで逃げてっちゃったよ。そしてわたあめじゃなくてコットンだよ」

「コットンって、さっきの猫の名前?」

僕は男の子に声をかけた。優しそうで、それでいて賢そうに見える笑顔を向けて。誰もが信用する笑顔。子供も、大人も、親でさえも。

 男の子は僕に目を向けると、しばらくの間じっと見つめてきた。探るような目つき、とはこのことを言うのだろうか。どことなく嫌な感じだった。

「あ、ごめん。どっかであったことあるような気がして」

変な空気になったのに気づいてか、相手は弁解するようにそう言った。

「そりゃそうだろ。同じ学校の同学年なんだから」

「そうじゃなくて…まぁいっか。それで、なんの話だっけ」

もう猫の話なんかする気にもならなかった。得意の笑顔で言う。

「大した話じゃないし、もういいよ」

 友達は、眞という名前らしいその男の子を誘っていた。二人の会話は全く耳に入らなかったが、一緒に遊ぶことになったらしい。なんとなく面白くないような気がして、道端に落ちていた死にかけの蛾を踏み潰した。



 友達の家は広く、豪邸と言っても言い過ぎではないレベルだ。何度か来ているので今更驚きもないが、それは眞も同じであるらしかった。この二人は結構仲が良いようだ。こんな平凡な子と、社長の息子である彼がどのような成り行きで親しくなったのか謎だ。そういえば、彼の周囲はちょっと変わった友人も多い。誰とでも仲良くなる性格ということだろうか。それこそ、損得の計算なしに。


 本人が言うほど面白いとは思えないテレビゲームで遊んでいると、先にゲームオーバーになった眞が話しかけてきた。

「そいえば、君ってなんて名前なの?」

 今更かよ。指先を素早く動かしつつ答える。

「僕は杉本秀俊。実広君と同じクラスだよ」

「へー、じゃあ二組の杉本君って君だったんだ。あの、夏休みの読書感想文と書道コンクールで最優秀賞とったっていう」

 そうそう、と友達も話に混ざってきた。

「それだけじゃない、四年の時の図工の絵も市のコンクールで入賞してんだぜ。テストの点も毎回いいし、羨ましいよなー」

 そこで友達はゲームオーバーになった。悔しそうな声を上げて言う。

「しかもゲームもうまい」

 ぼくはゲーム機のコントローラーを置いて笑う。

「そんなことないよ。どれもまぐれだよ」

 ゲームなんか上手くたってなんの役にも立たない。文章を書くことも書道も絵も、そんなに興味はない。さらに言えば、別に勉強だって好きというわけではない。ただ僕は、生まれながらにして「持てる者」だから。あらゆるものを手にしているのだ。いや、手にしていなくてはならないのだ。そうでなければ…。

「あっそう、まぐれなんだ。んじゃもっかいやったら勝てるかもな」

「次は僕も負けないよっ」

 二人がコントローラーを握りなおし、退屈なゲームの二回戦が始まった。結局、勝ったのはまた僕だった。



 時計が午後六時を回って、僕と眞は途中まで一緒に帰ることになった。空がオレンジ色に染まって、トンボが飛び交う。僕らは他愛のない話をしながら歩いていた。ふと、眞のランドセルで揺れる猫のストラップが目についた。何気なく聞いてみる。

「猫が好きなの?」

 眞は笑顔で答える。

「うん。でも猫に限らずどんな動物も好きだよ。うちアパートだからペット飼えないけど」

「じゃあ、あの猫は」

「うん、野良猫。コットンって名前も僕が勝手につけたの。友達みたいなもんだよ」

 一瞬だけみえた、あの白い猫。僕らから逃げた猫。

 猫が友達だなんて。馬鹿馬鹿しい。


「よかったら、ちょっと見に行く?」

 本当は猫になんか興味なかったが、一緒に行くことにした。彼の「友達」をちゃんと見てみるのも悪くない。

 眞は最初に合った路地に僕を案内した。

「おーい、コットン」

 そう眞が呼んだ時、電信柱の陰から白い毛玉みたいな猫が顔をのぞかせた。野良猫にしては綺麗な毛並みをしていて、目は黒かった。大きさからして子供の猫のようだ。そいつが、眞の方へちょこちょこ歩いてきた。

「紹介します。この子が僕の友達コットン。かわいいでしょ」

 眞はにこにこして僕にそういうと、その白猫をだっこした。よく馴れた野良猫だ。

「雨の日にびしょぬれになってるところを、一時的に保護してあげたらなついちゃって。ここでおやつあげたりするんだ」

 にゃあん、と白猫が鳴いた。眞はくすぐったそうに笑っている。


 僕には理解できなかった。猫なんかのどこが可愛いんだろう。毛は落とすし、不潔だし。何より言葉が通じない。僕は動物が嫌いだ。犬も猫も、それ以外も。

 抱っこしてみる?と眞は聞いてきたが、冗談じゃない。そんな汚いもの触りたくもない。

「僕の家族が猫アレルギーで、毛を持ち込むと大変だから」

 そう言って断った。

「そっか、残念。それじゃあ僕の家この先だから、またね」

「うん。今日はありがとう」

 僕は眞と別れて帰路に就いた。頭の中ではあの白猫がちらついていた。あんな猫を友達と呼ぶなんて、眞は変な奴だ。あいつは「持たざる者」なんだろう。そんな感情を抱いていた。



 次の朝登校していると、僕を呼び止める声が後ろから聞こえた。

「秀俊君」

 それは眞だった。なんだか焦っているような感じがして、少し驚いた。

「どうしたの?」

「あの…、君、もしかして動物とか嫌い?」

 突然何を言い出すのだろう。昨日、態度に出ていたのだろうか。いや、それにしてもなぜ今言うのだろう。

「え?別にそんなことないよ」

 にっこり笑ってそういうと、なぜか眞は少しおびえたような表情になった。

「じゃあ、君は何の理由もなく?いやでも…」

 こいつ、何を言っているのだろう。僕は困ったような笑顔で言う。

「なに?」

「あのさ、どんな理由があろうと、動物をいじめたらだめだと思うんだ」

 突拍子もなくそんなことを言って、僕のことを見つめる。最初の時の、あの探るような目つきで。

「たぶん…近々、そういう瞬間がくると思うんだけど。猫は水が苦手だから…その」

「いったい何を言ってるの?」

「とにかく、あんまり猫には近づかない方がいいと思う」

 そう言い捨てて、眞は走り去っていった。全く意味の分からない話だった。猫に近づくな、だって?あいつが昨日自分から見せてきたくせに?頭がおかしいんじゃないだろうか。なにか気に障るようなことでもしただろうか。それにしたって唐突だ。

 もしかして、僕にかまって欲しくて、意味深な態度をとって気を引こうとしているのだろうか。だとしたら、哀れな奴だな。僕は父の言葉を思い出しながら、そう思った。


 しかしその日以降、眞とはそれなりに会いもしたが、明らかに避けられているのが分かった。最初は人づきあいがへたくそなだけかとも思ったが、見たところそういうわけでもないらしい。僕だけを避けている。避けられる理由が分からない。

 僕は誰にでも愛想よく振舞っているつもりだ。先生からも親からも信頼されている。同級生との仲も良い。誰からも嫌われる要素なんてない。妬みからかみついてくる奴はいた。しかし、眞はそういう感じではなさそうだった。最初は普通に一緒に遊んだのだ。

 なぜ急にそんな態度をとるようになったのか。いつもと同じように、普通に接しただけなのに。

 昼休み、友達と眞が一緒にいるのを見かけた。二人に声をかけると、用事があったんだとかいって眞はその場を離れ、別の友達のところへ行った。仕方がないから残った方と適当に会話する。僕はひどく悔しい気がした。あんな奴にも得られるものなのに、僕は得られない。僕は「持てる者」なのに、同級生ひとりとまともに会話もできないなんて。そんなの、許せない。

 何が何でも眞と仲良くなってやる。僕は、やろうと思えばなんだって手にすることができるのだ。



 下校時間になって、僕はいつものメンバーとは一緒に帰らず、少し図書室で時間をつぶしてから学校を出た。橋を渡った先の路地裏。やっぱり、眞はそこにうずくまっていた。

「眞君」

僕の声にびっくりしたようで、白猫をだっこしたまま飛び上がるように振り向いた。

「あっ秀俊君。何か用?」

 一目で作り笑いとわかる、ぎこちない笑顔を僕に向けて言った。下手だなぁ。僕はもっと上手く笑える。たとえ怒っていたって、爽やかに笑えるさ。こんな風に。

「今日、家で遊ばない?最近話せていなかったし、今日はゆっくり」

「ごめん」

眞は僕の言葉を途中で遮って言った。

「僕、今日は用事があるから」

「用事って、その猫と遊ぶこと?」

 僕がそういうと、眞は黙った。用事なんて、本当は無いんじゃないか。

「うん。悪いけど、先約がいるからさ。また今度ね」

「先約って、ただの野良猫でしょ?」


 なんだかイライラしてきた。猫が先約?馬鹿にしてる。僕の誘いが猫未満だっていうのか。

「ただの猫じゃないよ。僕にとっては友達だもん」

 あきれたやつ。猫を友達だと、本気で言っちゃうなんて。よっぽど友達がいないんだな。可哀そう。僕は内心嘲りながら言った。

「残念だけど、人と猫は友達になれないよ。人は人の友達を作らなくちゃ」

 秋風が僕らの間を通り抜け、冷たい沈黙が漂う。眞は少しうつむいてぼそりとつぶやいた。

 「そっか、君はそう思うんだね」

 顔を上げた。視線がぶつかる。

 「だったら人の友達、作っていればいいんじゃない。僕は猫でも犬でも、友達だって、家族にだってなれると思う。でも」

 その目も声も、ひどく冷ややかに思えた。

「君とは友達になれそうもない」

 眞はそういうと、猫を抱いたままどこかへ行ってしまった。僕は茫然として、しばらく立ちすくんでいた。



 その日は満月だった。川面に反射する月光が、ちらちらと視界を飛び回る。夜の十一時、人気の無い橋の上。家をこっそりと抜け出した僕は、箱を抱えて立っていた。どす黒い川は幅こそ狭いが、流れも速いし深い。箱の中では、例の白猫が鳴いている。馬鹿な猫。

 許せなかった。人ならまだしも、猫に負けるなんて。自分が得られないものを、容易く手に入れる、白い毛玉が憎らしかった。人なれした野良猫だ。餌をやればすぐになついた。おびき寄せて捕まえて、箱に詰めるくらいどうってことない。

 箱ごと川に流してしまえば、だれにも気づかれないし、野良が急にいなくなったところで誰も気にしない。気にするとしたら眞だけだ。よもや僕が猫を流したなんて、ばれるはずがない。


「見つけた」


後ろから声がした。驚いて振り返る。そこには、懐中電灯を持った眞が立っていた。走ってきたのか息を切らしている。

「なんでここに」

「なんで?そんなの君が一番よく知ってるんじゃないのか。その箱を、コットンをわたせよ」

 眞はじりじり詰め寄ってきた。なんで箱の中身を知ってるんだろう。そもそもなぜここにいる?分かるはずないのに。

「コットン?なんのこと?」

 予想外の出来事で、僕は混乱していた。声から動揺を隠しきれていなかった。

「とぼけるなよ。君がここで何しようとしてたか、僕は知ってる。いったい何の恨みがあってこんなことするんだよ!」

 焦りが怒りに変わっていく。何の恨みが?そんなの、全部…

「君が悪いんだ!」

 思わず大声を出してしまった。

「君が無意味に僕を避けたりするから…」

持てる者は何もかも持っていなければならない。勝ち組じゃないといけない。そうでないと僕は、父の息子でいられない。


「そんなことで?なんだよそれ。頭おかしいんじゃないの」

 当惑と侮蔑が混じったような、不快なものでも見るかのような目が、月光に照らされた。そんな目で見るなよ、「持たざる者」のくせに。僕はお前とは違うんだ。

 隙をついて川に箱を投げ入れようとしたとき、首筋にひやりとした感触があり、凍り付いたように動けなくなった。

「乱暴はいけませんね」

 それは少年の声色で、そのくせやけに大人びた、不思議な声だった。箱が手から離れる。糸が切れるようにへなへなと座り込んでしまった。目の前には、自分と同じくらいの男の子がいた。箱のテープをはがし、白猫を逃がしている。

「君は…?」

若干気後れしたような調子で、眞が言った。知り合いではないらしい。

「僕ですか。通りすがりの子供です」

くすりと笑って男の子は言った。そうして僕の方に振り向いた。

「貴方も悪い人ですね。あんなに小さい子を川に流そうだなんて」

「子って…ただの猫だろ」

 つい言ってしまった。後から後悔する。相手の男の子は、少し目を細めた。


「僕からしても、貴方はただの人間、ですがね」

「は?」

「猫も人も、大して変わりませんよ。人から見れば人は特別かもしれない。けれど、人でも猫でもない者からから見れば、猫も人もそんなに違わない。ちょうど貴方が、犬も猫も同じように見るように、ね」

「何言って…」

「冷たい川で流されて、体中に傷を作りながら、あるいは溺れながら死んでいく体験、してみたいですか?」

 茫然とした眞が向こうに見える。目の前の男の子は優しげな微笑を保ったままそういった。

「そんなことしてただで済むとでも」

「済みますよ。勝手に川でおぼれたことにしてしまえばいいのですから。世界中で毎年どれだけの人が川で死んでいると思っているのですか。そんなに珍しいことでもありませんよ。それに僕は、絶対につかまったりしませんからね。犯人のいない殺人は起こり得ない」


 全身が泡立つような緊張感を覚えた。男の子は淡々と、笑顔を崩さずに言う。優しそうな声で、それなのにひどく冷ややかだった。こいつは人間じゃない。無意識のうちに体がそう判断しているようだった。

「そこまでしなくていいよ」

 そう言ったのは、眞だった。猫を抱き上げたまま、僕の方を一瞥し、言った。

「頭の良い人だから、もうしないと思う。僕は嫌いだけど、死んでほしいとまでは思わないし。まぁ、コットンがどうしてもっていうなら、仕方のないことかもしれないけど」

 猫がにゃーん、と鳴いた。

「猫の言葉はさすがに分かりませんからね。今回は何もしないでおきましょうか。でも、次にこんなことがあったら…どうなるか、わかりませんよ」

 男の子、に見える化け物は、僕以上に上手い笑顔でそう言った。全身が震えて仕方ない。僕はふらふらと立ち上がると、全力で走った。心底冷たい男の子の目。軽蔑めいた眞の目。そして、獣のくせにあざ笑うような、あの猫の目。青白い満月の光とともに、自分には一生手に入らないものが、いつまでも脳裏に焼き付いていた。




「行ってしまいましたね」

 不思議な少年はそう言って、僕に微笑みかけた。腕の中のコットンは、暖かくて、秋の夜の寒さも和らげる。

「知ってたんだ、僕。満月の夜に、秀俊君がコットンを川に流すこと。夢でみたから」

「予知夢、というやつですか」

「うん。昔からそういう夢を見るんだ。現実になるやつ。制御はできないけど…」

 今回は二回見た。一回目は気が付かなかったけれど、二回目はすぐに秀俊だと分かった。でも、今度のことはコットンに会わせてしまった、僕のせいだとも言える。

「ままならないものですね。予知夢というのも」

少年の声は優しくて、なんだか慰めてくれているようにも感じた。予知夢なんて、本当に大したことない能力だ。

「ねえ、君の名前、聞いてもいいかな」

男の子はくすくす笑う。

「最近会う方々は皆、最後に名前を聞きたがりますね。僕は亜子稀です。あなたは?」

「僕は野咲眞。小学五年生の、予知夢が見られる変な奴、だよ」

 ちょっとおどけてそんなことを言ってみる。夜の色に染まった紅葉が、月明かりに照らされてぼんやり色づいているのが、とてもきれいに見えた。


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亜子稀 流川あずは @annkomoti

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