第25話 エピローグ

「ああ、痛え……」

「みっともないわ。天才芸術家がこう同じことしか言わないの?」

「痛いものは痛いだよ。愛香」

「はいはい」


 俺がベッドの上で悶絶していると、愛香はナイフでりんごを剥いている。良い香りが鼻をくすぐる。ちょっとだけ、痛みを和らげられる気がした。

 そして俺が寝ている病室だが、ここは東京七市病院、202号室。千花の病室に向かい側だったのだ。

 正直に言うと、俺は千花には会えたくはない。

 なぜならば、千花と俺はもう別れた。

 あの日から別れて、俺たちは一度も会ったことがない。

 俺の優柔不断さが表に出て、千花に会うことを拒んだ。だって、彼女に会って何を話せばいいのか、わからない。

 考えすぎかも知れないけど、俺は彼女にハイテンションで挨拶することはできない。

彼女はもう俺の恋人ではない。ただの知り合いにランクダウンしたのだ。

それと、愛香と俺は複雑な関係になったのだ。

 口付けをしたにも、関わらずに、何も進展がない。

 ペット扱いはされなくなったが、人間に昇格しただけでそれ以上の関係はわからなかった。

 ……口付けをしたなら、恋人なんでは?しかも、ディープキス。

 異性を気楽にキスしたら恋人だと思うのは古い考えなのか?

 など、頭を悩ませていると、愛香は心配そうに声を上げる。


「その腕。大丈夫なの?」

「ダメだな。腕が上がらない。コンクールに間に合うかはわからない」

「それは嫌よ。私はあなたのファンだから、あなたの作品が見れないのはすごく残念だわ」

「ファンか……」


 その言葉を聞くと俺ははあ、ため息を吐く。

 ファンに失望させるのはプライドが許されなかった。

 でも、振り返ってみるとペットから尊敬されるアイドルになるのも面白い人生だ。最初の出会いはペットとして、俺を10億円で購入する。

 しかし、ペットとしてなのか、かなり裕福な生活を送っていられた。

 だって、3食も出るし、寝所もある。

 実家に帰れていないのが、難点である。母と妹に事情を話すと、なぜか、家族は第万歳していた。なぜだ?

 そんなことより、俺たちを襲ったテロリストはどうしたんだ?

 気になった俺は、リンゴを一生懸命剥いている愛香に顔を向ける。

 愛香は丁寧にリンゴをウサギの形にしていた。可愛いやつめ。


「それより、テロリストは全員捕まったのか?」

「ええ。仲戸川さんの話によりますと、全員捕まりました。松本家から、依頼を受けたとも告白しています」

「金持ちは怖いもんだなー。何やらかすかわからないな」

「松本当主も逮捕されたわ。これで全てが終わったわね」


 愛香はりんごをウサギの形に剥くと、皿に置く。うさぎ大家族ができたのだ。

 俺はその剥いたリンゴを手にしようとすると、愛香はパチンと俺の右手を叩く。


「病人は大人しくするの」

「いてえな。病人に乱暴するなよ。触らなければ、どうやってリンゴを食うだよ」

「私があーんしてあげるわ」

「へ?」


 今、なんと言った?あーんしてやると言ったか?あの冷徹女があーんしてくれるのか?嘘だろ?冗談だろ?

 俺はポーカーンと口を大きく開けると、愛香はフォークでリンゴを刺し、俺の口元へと持ってくる。


「はい。あーん」

「あの、愛香様?それはちょっと恥ずかしいですよ」

「ええ。知っていますわ。だから、やっているのです。私たちは主従関係。あなたは私のペットですわ」

「ぐ……まだ、その関係続いているのかよ!」

「当然です。私はあなたを10億円で購入したのですから、あなたは私のペットです」


 愛香は威張るようにふん、と息を漏らしながら胸を張った。

 なるほど。どうやら、俺もまだ彼女のペットであることは変わらないだろう。

 けど、残念だったな、愛香。俺もそろそろこの関係を終わらせたい。


「なら、10億円で俺は俺自身を買いもどすよ」

「……あなたにどうやって返済……あ、仲戸川あゆみの小切手ですか?」

「ああ。その小切手で自分を購入したい」


 俺は左手でポケットの中から、小切手を出す。

 仲戸川のサインがバッチリとついている正式な小切手だ。愛香を救うときに一枚の絵を描き、仲戸川に売ったものだ。この小切手で自分を買え返す。

 

「これで、俺たちの関係は『他人』に戻ったな」

「……それは残念な話ですわ」


 愛香はどこか寂しげな表情を浮かぶと、か弱い声で発する。

 ……ああ、なんか調子が狂うな。そんな表情をしたら、こちらもどこか心置きが残ってしまうではないか。


「振り返ってみれば、短い期間だったな。お前との関係も一週間ちょっとしか経っていない」

「そうですね。あの別荘からの出会いでしたね」

「なあ、あの時。俺のことを知っていたのだよな?」

「ええ。もちろんです。だって、私はあなたの大ファンですから」

「そうか。俺の大ファンか。なら仕方がないな」


 ああ、そうだった。彼女は俺の大ファンだった。

 だから、あの日。最初に出会った日。彼女は俺が自殺行為を阻止した。

 思い返してみれば、彼女は俺の命の恩人だ。

 ここで彼女にお礼をしないといけない。


「ありがとうな」

「え……何のことですか?」

「俺が自殺するのを止めてくれてさ」

「……それはその時の気が乗っただけですわ」

「それでも、ありがとう」


 俺がお礼をすると、愛香は顔を背ける。

 照れ隠しなのか、顔を合わせようとしなかった。

俺は自分の本心を曝け出せて嬉しかった。

 なぜならば、もし、死んでいたら、俺は元の彼女、千花に出会うことはなかった。千花の最高傑作を見ることもできなかった。

 それに、新しい出会いに出会えたことに感謝している。

 仲戸川あゆみ、天川新名、水原由美。この3人にも出会えたことにも運命の悪戯とも言える。俺はその出会いには、忘れられない一生の宝物だった。


「これでは、あなたはもう私のペットではありません。主従関係ももうこれでおしまいですね」

「そうだな。俺は自由になった。だから、俺の首輪を取ってくれないか?」


 俺は自分の首についている首輪に指を指すと、愛香は仕方がなく、鍵を取り出す。そして、カチリと音をたてながら首輪を取った。

 久しぶりに首が軽く感じる。本当の意味で俺は自由になったのだ。


「東京美高等学校は今まで通ってもいいか?」

「ええ。もちろんですわ。あなたの実力で入学できたのですから、今まで通りに通っても問題ないです」

「俺の実力ね……」


 そうは言うけど、受験の時は凡ミスで落第した学校だ。

 一枚の絵で帳消しになれたのは、愛香のおかけだ。

 愛香が学園長と交渉した結果で俺は入学できた。

 この学園の秘密。「美」にも触れることができた。人生は大満足であった。これ以上の幸福はないほどの出会いと別れがあったのだ。


「それより……あなたに提案があります」

「なんだ?また、ペット生活か?」

「いいえ。それより、いい提案があります」

「へえ?それはなんだ?」

「私の伴侶になってくれませんか?」

「え?」


 俺は耳を疑った。

 愛香からの遠回しの告白に、思考が崩壊していく。

 ……いま、何と言った?伴侶?あの伴侶か?一緒にいる伴侶か?

 俺はフル回転な思考を回すと、愛香の顔は赤くなっていた。

 おいおい。告白している本人が顔を赤くしてどうするんだよ?それに冷徹な性格はどこへ消え去ったんだよ。

 ……全く、男を見る目がないな。

 今こうしてグータラ、している人は天才を自称している馬鹿に何を惚れたのやら

 俺はお前が思っているほど、完璧な人間ではないぞ。

 ったく、しょうがねえな。このめんどくさい女は。


「伴侶というには、付き合うことか?」

「え、ええ。そうですわ」

「どうして、俺なんだ?一緒に生活して、わかっただろ?俺はろくでなしだぞ?芸術しか取り柄しかない」

「確かに、あなたはろくでなしで、芸術しかできない男です。でも、それがあなたの魅力的でもあるのです」

「……見る目ねえな。冷徹女」

「ええ。見る目ないのは自覚しています。それでも、あなたのことが好きです」


 愛香は屈託のない笑みを浮かべていた

 そんな笑顔を浮かべると反則だぞ。今まで笑顔を見せたことがないお前が、笑顔を見せるなんてずるいぞ。

 本当に見る目ないな。このバカ女。

 お前の未来は俺と違って、幅広く活躍できる人間だ。相応しい人間は俺じゃなくてもあるだろう?

 ほら、財閥同士のお付き合いとか、あるだろ?

 なんで、このボンクラな俺を選んだのやら。


「恋は盲目というのは本当だな」

「ええ。そうですね。恋という病は厄介ですね」

「俺はクズなんだぞ。それでも、付き合いたいのか?」

「知っています。でも、あなたじゃなければダメです」


 愛香は俺の右手を握りしめる。

 照れ隠しなのか、彼女はぎゅうと俺の手を強く握りしめた。

 ちょっと、痛いくらいに手が赤くなる。

 そんな照れ隠しに、俺たちは無言で見つめ合っていた。


「愛香……」

「健次……」 


お互い名前を呼び合うとまたも口付けをした。

舌と舌を激しく絡め合い、熱い口付けをする。愛香の舌から薔薇の匂いがくすぐる。それでも、止めることなく口付けを続けた。

 俺たちは息ができないほど、激しく唾液を交換するように口付けをする。

 あの時、より激しく。お互い、理性がどこかにぶっ飛んでしまったのだ。

 1分のも口付けをしていると、病室の扉が開いた。

 俺たちの理性を取り戻した。ハッとなって扉の方へと目線がいくと、そこには千花が立っていた。


「あ、入るタイミング間違っていたかな?」

「ち、千花!これは、ち、違うんだ!」

「うん。健次くんの違うのは何のことかな?」

「え、ええと。彼女を元気つけるために、キスをした」

「はい。最低な言い訳、お疲れ様です」

「ぎゃああああああ」


 俺は情けない言い訳の愚かさに悲鳴をあげた。

 うん。自分の言い訳があまりにも、醜いものだ。

 そんなショックをしていると、千花は病室に踏み込んできた。

 千花は愛香の隣に座り、彼女と話をする。


「あなたが、坂本愛香ね。健次くんから、話は聞いている。健次くんがお世話になっていたね」

「いえいえ、私の方こそ、彼にお世話になっている」

「そう謙遜しなくていいの。私の恋はもう終わったのだから」


 千花はふふふと悪戯の笑みを浮かべる。

 そして、千花は俺と愛香を交互見ると、最後に俺の方へと見つめる。


「お二人は付き合うことになったのね」

「あ、ああ。そうだ。今付き合うことになった」

「二人とも、おめでとう」


 千花は拍手をし、俺たちを祝福してくれた。

 きっと、俺は彼女の本心だった。なぜならば、彼女は愛嬌がある笑みを浮かべていたのだ。

 その笑みは俺を安心させる。心からの祝福を感じ取れる。

 昔と変わらない。千花は優しい人間だ。


「あー愛香さん。健次くんについて忠告だけど、彼、根っこはいいけど、なぜかダメ男なんだよね」

「ええ。そうね。一週間も同棲してみたら、意外にダメな部分がありますわ。子供っぽいし」

「うんうん。空気を読まないし。芸術を創造することしか頭がない男です」

「でも、やるときはやる男なんですのね」

「そう!芸術で何でも解決しようとする!天才芸術家なんだ!」

「あの……二人とも、本人の前でそこまで言わないでくれ。照れる」


 俺は頬を真っ赤にすると、二人とも笑った。

 落としてから上げるとはこう言うことか?

 天才なんて、自称している痛々しい人間なのだよ、俺は。

 衝動に任せた結果だ。冷静さより先に頭脳が回る性格を持っている所為か、そうなってしまう。

 愛香が誘拐された時でも、俺は冷静さをどこか失って救うためにはどんな芸術を創作すれば良いのか、必死に考えた結果だ。

 彼女を奪還する計画を練った。それも、かなり無茶振りな計画。

 そこがカッコイイ、なんて俺自身は1ミリも思っていないのだ。


「二人とも、幸せになってね」

「う。なんか、気まずいぞ。元彼女に祝福されるのは」

「まあまあ、いいじゃない」


 千花はなんともない顔を浮かべる。

 その笑顔は、どこか寂しげな気持ちが含んでいるようでもあった。

 そんな自分のことを自覚している彼女は、身を引くことを決めた。

 正直に言うと、今でも俺は彼女を愛している。けど、彼女が身を引くことを決めたなら、俺はその彼女の決断に尊重する。

 俺たちはもう、別れたのだから。


「じゃあ、私はそろそろいくね」

「ああ。気をつけてな」

「病室に戻るだけだから、そんな遠くないよ」

「そうだな……」


 俺はそう答えながら、千花が扉の向こう側まで歩き去るまでじっと見守った。何心配しているのか。彼女への未練が言うまでもなくダラダラ出している。

 そんな未練を出している俺に、愛香が指摘する。


「……未練がダラダラだわ」

「……すまない」

「いいわ。いつか私との思い出で古い思い出をかき消して見せますわ」


 そう、彼女が答えると、顔を近くまで寄り添った。

 そして、俺たちは口付けした。

 今度は、ちゅっと小さな口付け。

 そんなタイミングに再び扉が開いたのだ。


「あー。健次くんと愛香がキスしている」

「は、破廉恥ですわ!」

「ふふふ。元気だと言う証拠ですわね」


 中に入ってきたのは、新名、あゆみと由美の3人だった。

 彼女たちは俺たちが口付けするのをちゃんと目撃したのだ。

 またもして、ヘマをする俺たちである。歴史は繰り返されるものだな。

 とはいえ、人がイチャイチャしているのに入ってくるなんて、空気を読めない連中だな。


「それで、みんなはどうしたんだ?」

「お見舞いに来たのですわ。でも、どうやら元気そうですわね」

「うん。健次くん元気かなって」

「おう、俺は見ての通り元気だ」


 あゆみと新名の言葉に、俺は二頭筋肉を見せてやる。

 勿論、そんなにあるわけがない。なぜならば、箸より重いものを持たない主義だから、筋肉があるわけがないのだ。

 そんなバカけたことやっていると、新名は話題を変えていく。


「それより、健次くん。エンデル国際コンクールに作品を出すのかな?」

「当たり前だ。愛香と約束したし、俺はそのコンクールに出すつもりだ」

「でも、その腕で描けるのかな?」

「ふ。お前は俺のことを誰だと思っている?」


 俺はそういうと、ベッドら立ち上がり、自分に付けられているギプスを取る。

右手をぐりぐりと回して見せる。


「俺は天才画家、吉田健次だ!これくらいの痛みは造作でもない!天才は常に前へと向けて歩いていく。誰も、俺を止めることはできない!」


 俺はそう宣言すると、その場のものが呆れたように顔を作る。

 特に、愛香はやれやれと声を漏らした。

 ……だよな、5分前まではコンクールを諦めた様子で言っていたのに、今は出すと言われれば信用できないよな?


「愛香奪還作戦を練った人とは思えない発想ですわね」

「何だと!俺は天才なんだぞ!この手を見ろ!」


 あゆみが呆れている声を反対するように俺は負傷している右手をシュッシュと空中を殴ってみせる。

 ……超痛い。

 思わず俺は、腕を抱えて、悶絶し出した。

 愛香はそんな様子を見て、ふふふ、と笑い出してから俺をベッドに寝付ける。


「はい。病人は騒がないようにしましょうね」

「……ああ、そうだったな」


 そこでみんなは俺を笑った。

 俺は照れ隠しで、顔を真っ赤にして大人しくベッドに戻ったのだ。


「愛香」

「何でしょう?」

「俺は、エンデルコンクールの賞を受賞する。だから、見ていて、欲しい。俺の作品を」

「ええ。何枚でも見ますわ」


 俺たちは不思議に微笑んだ。

 それはこの俺たちの信頼関係が一層に深まった合図でもあった。

 4月中旬の月曜日の空は晴れていたのだ。

 俺の人生、これから大きな壁が前へと

 それはエンデル国際コンクール。

 俺はこの賞を受賞し、彼女への手土産を贈るのだった。

 どんなに困難な壁であっても、俺はそれを乗り越えて見せる。

 なぜならば、俺は天才画家、吉田健次だからだ!

 天才は、負けない!

 この後の物語は、天才が進物語だ。

 この、天才の戦いはこれからだ!

                                 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自殺しようとした俺は最後には善行、幼女を救った結果、大金持ちのペットになった件。 ういんぐ神風 @WingD

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ