第20話 さよなら、俺の初恋
放課後。俺はまたしも、教会へとやって来たのだ。
本当は来たくはない場所であるが、足が自然にここへとやって来てしまうのだ。
……ああ。俺もツンデレなんだな。教会嫌い嫌いと言いながら、落ち着く場所を探すためにここにやってきた。俺は、彼女、由美に会うことになるのか。
以前は、俺が会いたくないナンバーツー、水原由美だったが、あの夜の一件で彼女は降格し、普通に接しても問題ない人物へとなった。
今で順つけるなら、会いたくないナンバーワンが愛香。会いたくないナンバーツーが新名になっている。
ナンバーツリーの席は空白になってしまったのだ。
……まあ、この席が埋まることはないと思うけどな。
さてさて、俺が重い扉を押し、中に入ると先客が俺を出向いてくれた。
由美だ。今日も同じくシスター服を見に纏い、神秘的な格好で俺を出迎えてくれたのだ。
「おや、健次さんではないですか?今日はお手伝いですか?残園ですが、つい先ほど清掃は」
「そりゃ残念。ってか、俺は掃除するために来たんじゃないだ」
「それは、お祈りに来たのでしょうか?」
「いいや。違うな。お前に会いに来たのだ」
「私ですか?」
由美はそう言うと、目を点になっていた。
仕方なく、俺は自分が抱えている疑問を口にする。
「あの後のことなんだけど……千花はどうなったの?」
「ああ。姉さんのことで問い合わせに来たのですね」
「そう言うことだ」
由美はなるほど、と声を漏らすと神に祈るように手を、指を絡むように組んでから答える。
「彼女なら、大丈夫です。東京七市病院に入院しています。特に体の状態は問題ありません。安静にしています」
「そうか。それなら、よかった」
俺は胸を撫で下ろしながら、安心した。
あの時、無理してこの教会まで来てしまったのだ。あの時は黄昏に間に合わせるために、走り出したのだ。一年に一回、自分が創造した作品を見るため。
その神秘的な美を体験した俺は、完全にプライドがへし折った。
……天才は、努力者に負けたのだ。
俺は彼女な完璧な作品に、負けてしまったのだ。
千花の人生で最後の作品に、負けてしまったのだ。
一生かけても、俺はそんな素晴らしいを作り上げることはできないと思う。
「実は、俺……失恋したんだ」
「それは……姉の千花と別れたのですか?」
「ああ。千花は芸術家としてもう歩めないから、俺と別れた。二人納得した別れたことだ。だから、お互い気にしていない」
「そうですか……」
そこで会話が途切れていく。
俺たちは何も喋らずに、シーンとした空気に包まれた。失恋した報告を聞かせるために、俺はここに来た。
だが、これ以上の会話はなかった。
そんな気まずい空気の中で、不意に千花が口を開ける。
「懺悔していきますか?」
「いや、いい。俺に懺悔することは何もない」
「では、懺悔ではなく。私と話をしましょう」
「お話か……良いね」
「では、その長椅子に寛いでください」
そう言うと、俺は長椅子に寛ぐ。
由美は俺の隣に座り、俺の方に顔を向ける。
そのシスターズ姿は今見ても、彼女に似合っている。
俺を気遣ってくれる。慈悲深い彼女は、このシスターズ職に相応しいものだ。
さて、話をしようと言われたが、いざとなって何を話せば良いのだろうか、と思っているときに由美はこう俺に尋ねる。
「最近、どうですか?困ったことはないですか?」
「って、カウセラーかい!」
「ふふふ。ごめんなさい。つい懺悔の聴罪の癖が出てしまいました。言い出した自分が言うのもあれですが、私も雑談が苦手な方なのです」
由美はにっこりと笑みを浮かべて、そう告白する。
威張る話じゃねえぞ、聖女様よ。雑談ができないイコール陰キャラと判定されてしまうのだぞ。
仕方がない。ここは俺が会話をリードするべきだな。
「困っていると言っても、あれなんだが、千花と別れた後、俺は作品を作れなくなってしまった」
「それは、なぜですか?」
「……作り上げた、千花の作品に勝てないと感じたのだ」
何を創作しても、あの作品には勝てないという感情が強く出てきた。天才は努力家に負けたのだ。
「何を作ろうとも、その作品には勝てない気がしたんだ」
「なるほど。それは困りましたね」
「ああ。困ったものだ。天才がスランプになるなんて、考えても見なかったよ」
俺は肩をすくめると、由美は手を顎に当てて考え込む。
数秒後に、良いアイディアが閃いたかのように、彼女は「あ」と言葉を漏らしてから、こうアドバイスをする。
「では、こう考えてみてはいかがでしょう」
「ふむ?」
「大切な人に贈る作品を創作するのはどうでしょう?」
「ふむ?」
俺はそう聞くと腕を組んだ。
どう言う意味か、由美
「自分のために作品を創作のではなく、大切な誰かかのために作品を創作するのです。例えば、自分の両親とか、気になっている子とか……」
「気になっている人か……」
その言葉を聞くと、俺は考え込む。
今、俺が気になっているのは誰か?妹のことか?するとも、千花のことか?
そんなこんな考えていると、不意に愛香の顔が浮かんできた。
なぜだ?なぜか彼女を思い浮かぶんだ?どうして、愛香が一番最後に出てくるんだ?あの冷徹女に、何がいい?
彼女は、俺が会いたくないナンバーワンだ。
容姿がいいだけで、性格は災厄な女。冷徹で、無茶な命令をする。
けど、そんな彼女にも可愛いとろこがある。妹思いと、この学校の繁栄だけしか、考えていない。
ロボットのようで不器用で言葉に棘がある彼女だ。
全くもって好意を抱いていないのだ!
「どうした?」
「いいえ。どうやら、あなたは気になった人物を思い描いたようですね」
「……違う。あいつは、俺の飼い主で。いつも、俺を苦しめる冷却なお嬢様だ!」
「でも、否定することは、気になっている事と同じですよ?」
「うぐ、そう言われると、否定はできない」
由美は「あらあら」と言葉を漏らしながら手を頬に当てる。
……くそ、なんで、この女はこうも楽観的でいられるのだ?それは彼女が聖女様だからか?
やっぱり彼女は、俺が会いたくない人物ナンバーツリー、なのか?
けど、彼女のアドバイスは一理ある。今までは自分のために芸術を創作しないで、誰かの他人のために創作しよう。
そう閃いた俺は、彼女にお礼を言う。
「由美。ありがとうな」
「いいえ。こちらこそ、話し相手ができてよかったです」
由美はそう言うと、得意げに微笑んだ。
さすがは懺悔の聴罪様だ。人の悩みを聞き入れて、アドバイスをできる。今後、困ったことがあったら、彼女に相談しよう。
と、俺は長椅子から立ち上がる。
「もう、いいのですか?」
「ああ。色々と結論ができた。また、困ったことがあったら相談に乗ってくれ」
「ええ。もちろんです」
俺はそう言うと、片手を上げながらその場を去る。
この後、予定がある。マンションで坂本愛香との約束をしている。
颯爽に扉から出ると、教会の屋根を見つめる。
そこには「美」が集結している屋根だ。芸術家の水原千花が血と涙で創作した芸術作品。これが彼女の最高傑作だ。
「ありがとう、千花。そして、さよなら」
俺は自分が秘めていた失恋を口にして、その場から去った。
春風が吹き、俺は自分の体を抱きしめる。その風は、まだ冬の冷たさを保っていたのだ。
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