第21話 新しい恋の芽生え

 由美と別れた後、俺はマンションに戻る。エレベータにカードを押し当てると、自然に自分の階へと登っていく。自宅階へと上がっていく。

 エレベータが開くと、俺はエレベータから出て、靴を脱ぐ。一階丸々が、家になっているタワーマンションであるため目の前はもう玄関なのだ。

 玄関の扉を開くと、愛香が待っていた。彼女は涼しい顔で紅茶を啜っていた。相変わらず優雅にリビングの椅子を腰掛けている。

 どうやら、愛香を待たせてしまった。ここは反省しないといけない。

 俺は彼女にそう謝罪してから、本題に入ることにした。


「やあ、お待たせ。待ったかな?」

「いいえ。私も今きたところですわ」

「そうか」


 俺はそう答えると、愛香はカチとコップの音を立てさせながら置いた。

 そして、俺を向かい席に座る。そんな寛いでいると、セバスが紅茶を運んでくれる。


「ありがとうございます。セバスさん」

「どういたしまして。私のことは気にしないでください。私は私の役目を果たしただけです」


 と、セバスは苦笑する。

なんて、いい執事なんだ。

 このドS女にとっては勿体無いくらいな人だ。

 俺は熱い紅茶のコップをつかみ、口の中に入れる。ふむ、美味しい。いい茶葉を使っているのが、素人でもわかった。

 紅茶を飲み終えると、俺は彼女に尋ねる。


「で、俺を画廊に呼んだ理由はなんだ?」

「はい。単刀直入に言います。私をあなたの弟子にさせてください。私に芸術の技術を教えてください」

「ほうほう」


 俺はそれを聞くと、眉間を寄せる。

 愛香の依頼、それは弟子入りに俺はほんの少しだけ、驚く。

 てっきり、彼女は俺の芸術作品にしか興味がないと思っていた。が、どうやら創作側にも興味があるのは、思いも知らなかった。

 俺の答えは、もう決まっている。


「答えはノーだ」

「……それはどうしてでしょうか?もしかして、私が気に入らないからですか?」

「いや、そうじゃない。そうじゃないだ。恥ずかしい話なんだけど……俺、教え下手なんだ」

「え……?」


 愛香は目を点になると呆けていた。

 まあ、当たり前な反応だ。

 俺は数々の名作を創作したのだが、良い弟子を作るだしたことがない。それは、過去には一度弟子を持ったことがあるが、彼はやめてしまった。

それは、俺が教えるのが大の苦手なのだ。

 創作することが、教えることは決して同じなものではない。その点については、俺はよく知っている。だから、愛香には悪いが、教えることはできない。


「なら、私でもう一度試してみませんか?」

「諦め悪いのはお前のいいところだ。けど、弟子を受け入れないと心の中で決まっている。だから、悪いな。俺は弟子を持たない」


 そういうと、愛香は口を大きく開けた。

 どうやら、納得が行かない様子だった。俺を師匠に選んでくれたのは、嬉しいことだ。が、俺は教えるのが下手で下手な人間だ。

 だから、愛香の要望には応えられない。技術を教えることはできない。

 けど、ここで何もしないのも、愛香には失礼だ。ここは、もっと穏便の解決策を行う。


「なら、こうしよう。俺はお前が描いた絵に対してアドバイスしてやる。けど、教えることはない」

「……それは?」

「技術は他のものから教わってくれ。絵についてはアドバイスしてやる。そこが、俺の妥協点だ」

「わかりました。なら、私の絵を見てくれませんでしょうか?」

「ほう、もう出来たのか。わかった、見てやるよ」


 愛香はできから立つと、俺も立ち上がる。

 足を歩み出す。そのまま画廊へと向かったのだ。

 画廊に入ると、一枚の絵が堂々と部屋の真ん中に置いてあった。先週、俺が画廊に踏み入った時にはなかった一枚の絵。

 その絵はある部屋が描かれている。開いた窓に、暖かい太陽が部屋を差し出すように描かれている。部屋の中は、ある少女が紅茶を飲む姿があった。

 顔のない少女、けど、コップを手にして啜っているようにも見える。

 パッとその絵は誰をモチーフにして描いたか、一発でわかった。


「これ、自分をモチーフにして描いたな?」

「ええ。そうよ。自分の顔を描くのが、恥ずかしいのよ。悪い?」

「いいや。いい絵だ」


 俺はその絵を隅々まで、確認する。

 塗りのタッチ、構図、目線の集まる箇所を確認する。

 ふむ。これは少し難しいな。俺は心の中で採点をする。


「まあ、60点というところだな」

「……60ですか」

「ああ。構図ができていない。この絵の注目点はどこなんだ?この女性だろ?なら、堂々と真ん中に持ってきている。もうちょっと上にあげるとか、あるいは、ここに持ってくる。目線を集まりやすいところに置くのが鉄則だ」


 俺はある場所に指を指す。そこは、このキャンバスの横から、横と縦から3等分の線をひき、交差点に指を指す。その方法は「三分割法」と呼ばれている。

 素人に超おすすめの作法だ。

 これさえできれば、何の絵でもかけれるようになる。

 だが、愛香が描き上げられるのは褒めるべきだ。

 才能はなくても、簡単にできる方法だ。


「絵画はやはり、難しいですね」

「そうでもないさ。慣れたら、すぐにでもわかる。構図が頭の中で思い浮かぶさ」


 俺はそう言うと、指で自分の頭をトントンと叩く。

 けど、彼女は渋い顔をして返す。どうやら、自分の作品には納得いかないようでもあった。

 仕方がない。ここは俺の芸術の種明かしをしよう。


「芸術の秘密を教えようか」

「え?」

「絵を描くとき、俺が常に考えているのは、その絵は誰が見る絵なのか?それに合わせて描いている」

「それって……あなたは常に審査員や客のことを考慮して描いていると言うわけ?」

「そうだ」

「嘘よ」

「本当だ。俺は、コンクールの審査員を下調べしてから絵を描く」


 俺は頷くと、愛香はどこか納得いかない顔を浮かばせる。

 天才画家の秘密。それは、鑑賞者を常に考慮してから描く。

 俺の絵を見る人は誰だ?彼は何者なのだ?どんな思考を抱いているのか?

 そう、徐々に調べて行き、想像する。

 彼らが好みな絵はなんだ?心を射抜く絵はどんな絵なのか?


「じゃあ、どうして、嘘だと思うだ?」

「だって、あなたは天才芸術家。人々に感動した絵を描ける。私を感動させた」

「ははは、そんなのはあり得ないさ」

「あり得ない?」

「俺は……凡人の全てが理解できる絵を描けない。俺が描けるのは、鑑賞者が好みそうな絵を描くだけだ。俺が描いた2枚の絵もそうだったろ?お前のモナリザの絵と仲戸川の絵」

「そう言われてみたら、そうだったわね。あなたが描いた絵は意味があったのね」

「だろ?だから、俺は天才じゃないだ」


 俺は肩をすくめながら、応えてやる。

 いつも俺は自分が天才だ、とか叫んでいるが、内心の奥は天才であることを否定している。本当の自分は、ちょっとズルで、鑑賞者のことを常に頭の片隅に入れている。

 もしも、本当の天才がいるとしたら、それはデュシャンのような芸術家を指す。

 彼は、常に芸術の新しい発見を見出して作品を創作する。

 例えば、「泉」と言う作品について。それは「便器」を使って、"R.Mutt"という文字を記載している作品。

 その「泉」は芸術の概念を問い直すような作品だった。

 俺は、そんな人のように芸術を問いかける作品を作るのはできなかったのだ。


「じゃあ、私にもいつか天才と呼ばれるのかな?」

「ああ。それはなれるさ」

「……じゃあ、あなたを超えることはできるの?」

「ハハハ、それは無理な話だな。十年は遅れているぞ」

「そうね。あなたとの経験が違うわね」


 俺がそう答えると、愛香はケラケラと笑い出す。

 この令嬢にも可愛いところもあるんだな。芸術についても、本気になる。俺の弟子になりたいと思う心は何だか、嬉しく感じる。

 そんなことを考えていると、扉が開かれる。

 中に入ってきたのは、愛香の妹、愛莉だった。


「あ、健次お兄ちゃん!」

「よう、愛莉!」


 愛莉が俺のところに走ってきたので、俺は彼女を抱きかかえた。

 彼女を肩に乗せて、笑って見せる。

 愛莉は非常に嬉しそうに顔が蕩けていた。

 子供は単純で素直でよろしい。俺は、こうして愛莉と遊ぶのが好きで合ったのだ。

 そんな彼女を肩に乗せていると、愛莉は口を開く。


「ねえ、健次お兄ちゃん」

「おう。なんだ?」

「いつになったら、愛香お姉ちゃんと結婚するの?」

「ぶは」

 

 思わず吐き捨てる俺だった。転びそうになるが、愛莉がいることを思い出し、足を踏ん張って体勢を取り戻す。

 俺はそんな不思議な感覚に襲われる。


「いやいや、愛莉ちゃん。どうして、俺と愛香姉さんが結婚することになるのかな?」

「だって……異性が仲良くなることは、結婚することだよね?先生から聞いたんだ!」

「いやいやいや。それは間違っているよ。異性が仲良くなっても、結婚しないこともあるよ?」

「あと、健次お兄ちゃんが来てから、お姉ちゃんは毎日笑っていられるようになったよ!お兄ちゃんが病気になった時も、お姉ちゃんはすごく心配していたよ?これって片思いというのかな?」

「愛莉……」

「お姉ちゃん……っ!?」


 そんなペラペラと喋り出す愛莉に愛香が静かな声で注意する。

 俺は愛香の方に振り向くと、彼女は笑っていない笑顔でこちらに向く。それはまるで般若のお面を被った美少女が俺たちを睨んでいる。

 ゴゴゴゴゴ、というサウンドエフェクトとが見えてくる。あれ?俺の目は腐ったのかな?あんな優しい笑顔なのに、恐怖を感じるぞ?


「そろそろ英語の稽古だよね?」

「う、うん。ごめんね、健次お兄ちゃん。先に行くね」

「お。おう」


 俺は愛莉を下ろすと、彼女は「じゃあね、健次お兄ちゃん」と言ってから、去っていく。爆弾だけ、投下して逃げていくことはまさにこのことだ。

 俺はどんな顔をして、愛香に向ければいいのかわからない。

 だから、いつものペースで


「愛香……」

「違うわ」

「まだ何も言っていない」

「あなたが思っていることとは全然違うわ。私、別にあなたもことを微塵のカケラも思っていないわ」

「……そう言われると、事実のように聞こえるぞ」

「っつ!?」


 愛香は顔を赤らまると、そっぽを向く。 

 非常に彼女らしくない行動でもあった。俺が知っている坂本愛香なら、きっともっとうまい言い訳をできるように弁解するはずだが、今回の彼女はおかしいぞ。

 それって、まるで、俺に本当に恋しているようではないか。

 と、俺はそんな恥ずかしい妄想を抱くと、彼女の目線を逸らした。

 ……ああ、こりゃどっちもどっちだな。

 これじゃあ、両思いだと勘違いされるだろう。全く、情けない男だな、俺は……

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