第13話 罪と罰(後半)
「お待たせしました。懺悔の案内いたします。どうか、お気楽にしてください。まずは、自ら犯した過ちを告白してください。ここにいるのは私と神とあなただけです。それ以外に誰にも聞かれませんので、どうかご安心してください」
個室の向こうから、由美の温かい声がする。
その声は不思議に落ち着いた静かな声で、俺は安心感を与えてくれた。女神が全てを赦してくれる気がした。
俺は重く、苦しい想いを、言霊を放った。
「俺は大好きな彼女がいた。彼女は俺に優しくて、みんなに優しかった。だから、彼女を好きなものは多かった。俺も、それの一人だ。彼女の優しさに惚れて、彼女に告白した。そして、彼女は俺の恋人になってくれた」
それは二年前の話。春の日に、桜の満開している木下で、俺は彼女に告白した。そして、彼女は「はい」と答えてくれた。
透き通る愛は今でも、鮮明に覚えている。
桜の花びらの下で告白したんだ。
「彼女は美術には必死に学んで、絵画を作っていた。才能は凡人並みだけど、決して下手ではない。けど、天才の俺より程遠い。彼女は努力家だ。俺の隣に歩きたいと言って、一歩一歩、努力していた」
そうだ。俺の恋人、千花は美術の才能はない。でも、千花は美術が好きだった。その愛で、彼女は熱心で美術に励んだ。一歩ずつ、前へと進んで来た。技術を習得して、絵を描いていった。
いつか、俺の隣に来たいと、そう願った彼女は諦めずに、前へと進んでいた。
どんな試練があっても、彼女はそれを乗り越えて前へと進んだ。
「千花はこの高校に「美」が宿っているとそういい、俺とこの高校に歩めば、きっと「美」を見つけると、言っていた。けれど、俺はこの入学試験を落第した」
それが俺の大罪の一つ目。受験に失敗したこと。
俺は自分の頭脳には自信がある。なぜならば、俺は天才だからだ。勉強を怠ることなく、していた結果だ。
全ての問題は完璧に応えることができたことを今でも覚えている。
だがしかし、俺が問題用紙に一文だけずれて解答したため、全問不正解になってしまった。
初歩的なミスに自分に苛立ちを覚えた。人生で初めての失敗には自分への怒りが収まることがない。
……屈辱だ。人生の何もかもが終わったかのようであった。
どうすれば、自分に対しての怒りを解決できるのか、と考えた結果。自分に罰を与えることが必要だと、思った。
「受験から失敗した俺は、彼女、千花を振った。だって、彼女とその東京美高等学校に入学するのを約束したのに、俺の無能さで彼女の足を引っ張った。だから、俺は彼女を振ったんだ」
そう、俺は彼女を振った。
なぜならば、それは俺に対しての罰でもある。彼女が努力して、合格したのに、俺はヘマを一生に許せなかった。だから、俺は……彼女を振った。
彼女の幸せを望んでのことだった。
俺みたいな、クズで天才自称している男より、この高校で新しい出会いに願った。そう、俺より幸せを作る人。この東京美高等学校にはいるはずだ。
だって、この高校の美術部は、東京藝術大学に必ず進学できるという、都市伝説的な事実が発生していたのだ。それもこの高校が成立して以来からの情報。
……もしかすると、その部活の中にいい出会いがあると信じた。
けど、それはただの建前……。
本音は、俺が受験に失敗したことに罰を欲しがっていた。
苦痛よりひどい罰が欲しがっている。なぜなら、天才な俺はその汚点を許せなかったのだ。そう。……罰が欲しかった。
「けど、彼女は俺との恋愛を続けたいと。他の高校に通ったとしても、長距離恋愛しようと、願った」
彼女、千花もそんなことに気付いたのか。俺が振ったことに猛反対し、遠距離恋愛を続けたいという。
千花の自愛は深かった。俺が失敗しても、その失敗を受け止めてられるから、そういう願いを願った。
でも、ダメなんだ。
俺は……自分を許せない。
俺は……君と一緒に奈落へ落ちるにはいかない。
「だから、俺は態度を悪くしたりして、自分の悪い噂を広めたりした。彼女の方から、俺から離れるように願った」
別れが最悪な態度を取れば、彼女も俺のことを心無く傷つけない。俺が最低な人間であれば、彼女の方から俺を振るだろうと思った。
だから、俺は最低な態度を取り続ける。受験に落ちてから、俺は豹変した。彼女を苦しめた。彼女に怒鳴ったり、彼女に醜態を晒すような態度をする。
いつか……彼女が俺から離れることを願っていた。
「けど、彼女は一向に俺を振ることがなかった。彼女が俺に対する愛が、深くて、俺を見捨てなかった。いや、彼女は俺の本心に気づいたのだと思う。俺が、わざと悪人を演じていることに。だから、俺は彼女を呼び出して別れ話をした」
彼女から一向に離れないのであれば、俺から振ってやった。
ああ。俺が彼女を振った。
「別れ話を持ち出して、彼女と別れた。そして、彼女から逃げるように、赤信号の横断歩道に逃げ込んだ。彼女がついてこないと、思った。でも、彼女は赤信号を無視して渡った。そして、車に轢かれた」
今でも覚えている。赤信号を渡った千花が……トラックに轢かれた。彼女の姿が空を舞う、血飛沫が飛ぶ。彼女は数メートル飛んでから、地面に叩きつけられた。
……血が止まらなかった。
俺はすぐに彼女を抱き抱える。目を閉じた彼女、息をしない彼女、鼓動が止まった彼女。死んだのか生きているのかわからない彼女。
すぐにでも心臓マッサージをした。
泣き叫ぶ。けど、彼女は起きない。救急車が来て、彼女は搬送されていく。でも、俺はこう思う。彼女は助からないと。
そして、それが彼女と出会った最後だった。彼女を連絡することもなかった。
……千花は目の前で息を絶えたのだ。
「結局、彼女が言う「美」はこの高校にあると言う意味は知らないまま、入学してしまった」
受験前に、彼女がこう自慢げにこう語った。
『この高校には「美」があるんだ。健次くんに見せてやる。だから、東京美高等学校に入学しよう!』
その言葉の意味も、真相も、闇へと掻き消えてしまった。一体、彼女が思う美は何のことだろうか、俺には見つけられるのか、美とその意味は闇の彼方に消え去った。
「あなたは、お優しいのですね」
「話聞いていなかったのか?俺は地上で最低な人間だ」
「いいえ、お優しいじゃないですか。私の姉、千花を振ったのは、彼女を思ってのこと。お姉さんを振ったのは、自分が錘にならないようにでしょう?」
「……」
……正解だ。
俺は彼女の錘になってしまった。
いつも彼女をリードしているのに、なぜか俺が彼女の負担になってしまった。
彼女は平均値7割を超えた高等学校に通いながら、俺はそれより低い平均値を高校に通うため、俺は彼女の錘になる。
「あなたが行った行為の一つ一つには、優しさがあります。ただ、人間というのは、不思議な生き物です。他人への思いやりをして行動しているのに、その思いが伝えることができなるようになってしまう」
「……」
俺は言葉を失い、個室の向こう側にいる声に傾ける。
立場が逆転になった。俺が聞く手へとポジション変更になった。
「こちらからお礼をさせてください。姉さん、千花をここまで思って行動してくれたこと。そして、彼女を愛してくれたこと。姉は幸せ者でした。
だから、顔を上げてください。あなたを責めるものは誰もいません」
「千花があんな状態になってもか……」
「ええ。だから、あなたに罪はありません。罰を受ける必要性はありません。どうか、自分を卑下しないでください。千花はあなたと出会えて幸せでした」
「く……くっ……う」
由美が赦しを得ると、溜まっている涙が解放される。ダムが崩壊するように涙が流れ出す。俺は人の言葉ではない、あ、う、としか喋れなかった。声を失ったブリキ人形のようにただうずくまっていた。
「うわあああああああああ!」
やがて、悲しみは胸の奥から溢れ出して、俺は絶叫した。
千花といた日々の幸せを思い出す。彼女の笑顔と優しさに俺は支えられて来た。俺が天才でいられたのは、彼女の励ましと、エールがあったからこそのことだ。
そんな、彼女はもうこの世にいない。
優しく微笑む彼女はもうこの世にいない。俺はそんな事実を耐え切れない。
ああ、千花。すまない。
本当にすまない。
しばらく、号泣した俺は落ち着きを取り戻した。
うわ、やべ、超恥ずかしい。女性の前で号泣するなんて、何年振りだ?母の前でもそんなに泣かないぞ。
俺は手持ちのハンカチで目を拭く。身だしなみを整える。ぐしゃぐしゃになった顔を元に戻す。
「恥ずかしい場面を見せて、申し訳ない」
「いいえ。人が泣くことは当たり前のことです。天才も、変わらず人間なのですから、泣くこともあります」
「う、そうだな。」
そう言われると、否定できなくなる。
天才な俺が泣いてしまったのだから、言い逃れができないな。
「はは、こんな情けないところ千花に見せられないな」
「ええ。そうですね。姉さんが見たら絶対に笑われますね」
ふふふ、と個室の向こうから可愛らしい笑え声が響く。
俺たちは冗談を発しながら、笑い合った。
シリアス場面はもうおしまいと合図をしてくれた。
けど、俺はどうしても気になることがある。それは、俺の罪は本当に赦されたのか、気になった。
だから、俺は心の片隅に恐怖を感じながら、個室の向こう側に問いただしてみる。
「なあ、一つだけ気になる。答えてくれ。もしも、千花が生きていたら、俺を赦してくれるか?」
「ええ。必ず、あなたを赦していると思います。だって、彼女はまだ生きているのですよ」
ん?今何と言った?千花が生きている?
「もしかして、勘違いされていると思いますが、千花、姉さんはまだ生きています」
「へ?俺は死んだと思っているのだけど」
え?俺、なんで勘違いしちゃったんだ?
ああ、そうか。あの時、千花がトラックに轢かれたのを目の前で見て、心臓が停止したのを確認して、死んだと思った。
でも、よくよく考えてみれば、俺は彼女の訃報を受けていない。
葬式にも参加していないぞ。
俺は勝手に死んだと思っているだけだ。
うわあ、やべえ!超恥ずかしい。勝手に恋人が死んだと思い込んでいるだけじゃん。
「千花姉さんに会いに行ってください。彼女は病院にいますよ」
「今から、すぐにでも行きます!」
俺はそのままバタバタと、個室から出ていく俺だ。
こんなことをしている暇なんてない。今は一刻も早く、彼女に会わなければいけない。
「ああ、待ってください。千花姉さんの住所を教えます!」
そんなバタバタと、扉の前まで行くと転ぶ俺に背後から声をかけてくれる由美。情けなく転んでいる俺を支えてくれると、彼女はこう俺に住所を教えてくれる。
「彼女は、この東京七市病院で入院しています!病室204号室です!」
「た、助かる!じゃあ、俺は千花に会ってくる!」
猛ダッシュする俺は罰の掃除のことを忘れて、教会を去る。学校の校門を走り抜けると、スマホを起動させる。位置情報を確認すると、東京七市病院はここから先10キロもある。交通機関を使用すれば、15分はかかる。
ルート経路を確認できると、俺は止めていない足で前へと踏み込み、交通機関、電車に向かっていったのだ。
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