有力な女性

増田朋美

有力な女性

今日も寒い日であったが、昼過ぎから暖かくなり、春が間近であることを感じさせた。そんな日が、これから多くなっていくことだろう。そうして、季節は確実に春に向かっているのである。

その日、杉ちゃんと蘭は、用事があって、静岡市のでかけたのであるが、その帰りに食事をしようと言うことになって、静岡駅の近くにある、レストランに入った。いつも賑わっているレストランが、今日は、がら空きである。先に店に入った客がいるが、店員の話を聞くと、つまらさそうな顔をして出ていってしまうのだ。なんだろうねと、杉ちゃんたちは、とりあえず店の中へ入ってみたが、

「すみません。本日レジの方でトラブルが有りまして、お釣りを出すことができなくなっております。それで、クレジットカードか、スイカなどで支払っていただくことになるんですが。」

と、店員が言っている。

「はい。大丈夫ですよ。僕達は、スイカは持ってますから。」

と、杉ちゃんが言うと、

「ありがとうございます。それでは、こちらの席へお願いします。」

店員に案内されて、杉ちゃんたちは席へ連れて行ってもらった。

「それでは、すみません、今日もお願いします。」

と、一人の女性が、別の女性を連れて店に入ってきた。なんだか随分堂々とした雰囲気のある女性だった。

「ああ、佐藤先生。本日レジの方でトラブルが有りまして、お釣りが出せない状態となっております。それでもよろしいですか?」

と、店員が杉ちゃんたちと同じ文句を言った。

「ええ。大丈夫です。私は先に帰りますが、彼女が支払ってくれます。」

佐藤先生と呼ばれた人物は、そう言ってどんどん店の中へ入ってしまった。

「なんか、このへんでは有力な人物みたいだなあ。」

杉ちゃんは思わずつぶやく。

「何を話すんだろうね。」

「あまり人の話に口を出すのは行けないよ。」

蘭は、すぐに杉ちゃんの話を止めたが、その女性二人は、杉ちゃんたちの隣の席に座った。杉ちゃんたちは、とりあえず、そばを注文して、それが来るとむしゃむしゃと食べていたが、女性たち二人は、コーヒーいっぱいしか注文しないで、なにか話し始めた。話を聞いて見ると、人生相談のようなものをしているらしい、杉ちゃんたちは、そばを食べながら、その話を聞いていた。

「もう確かに、自分の事を考えるのも大事なのかもしれないけどさ。この世ってのは、どうしても変えられないんだからさ。それに合わせて行きていけるようにさせるってのも、大事なんじゃないのかな?」

杉ちゃんはちょっとため息をついた。

「それに、自分のことを考えるよりも、相手の人は、どんな人物でどんなふうに対処していったら良いのかに持っていったほうがいいと思うよ。」

蘭もそれは認めた。何だかしらないけど、相手の女性は、自分はこうだったああだった、と、言う話をするのだが、周りの人物にどう対処するのか、は、話をしないのである。ちなみに、蘭のもとへ刺青を入れに来るお客さんたちは、みんな自分にはどうにもならないことがあるのを知っていて、それに対して、どうしたら良いのかわからないなりに、向き合おうとしていて、そのために、刺青を入れているのであった。

二人の女性の会話は、一時間程続いた。そして、佐藤先生と呼ばれた女性が、先に帰ると言って、レストランを出ていった。支払いは、クライエントの女性がするというのだが、どうやら彼女、五千円札しか持っていないことに気がついたらしい。

「すみません、五千円札ではお釣りが出ないのですがね。」

と、店長が、申し訳無さそうにそう言うと、

「どうしよう。5千円しかいまないのですけど。」

女性は困った顔をしていった。杉ちゃんたちも、そばを食べ終わって、支払いをしようとレジの前に来たところだったが、ちょうど女性が、そこにいて、杉ちゃんたちはレストランを出られなかった。

「へん、早く自立しろではなくて、トラブルにあったらどうするかを教えるほうが先だな。」

杉ちゃんは、女性に近づき、

「これで払ってやるよ。お前さんの食べた分、このスイカで一緒に払っちゃってくれる?」

と、スイカを渡した。女性は、いいんですか、とびっくりした顔をする。

「いいってことよ。何も言わなくなって、これで払っちまえ。どうせお前さん、5000円しか無いのであれば、それでいいじゃないか。」

そう言われた女性は、杉ちゃんからのスイカを借りて、それで支払った。

「外に、コンビニがあるから、そこでお金を崩して、それで返してくれれば、それでいい。」

確かに、コンビニは目の前にあった。女性は、そのとおりにした。つまり、コンビニでジュースを買って、お金を支払い、5000円を崩し、その一部を杉ちゃんに支払ったのだ。蘭は、良かったですね、と優しく彼女に言った。

「本当にお手伝いしてくださりありがとうございました。私、どうしたらいいのかわからなかったから、嬉しかったです。」

と、女性は、嬉しそうに言った。

「いやあいいってことよ。あの佐藤という中年女が、もう少し親切にしてくれたらいのにね。お前さんも、そういうやつにかかるんじゃ、なにか病んでいるところでもあるのかな?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ええ、二年前に、対人恐怖症と診断されまして、それで、精神科だけでは足りないので、佐藤先生にかかっていました。佐藤先生は、私のぐちを聞いてくれる大切な人なので。」

と、彼女は答えた。

「はあ、でもさあ。あんまり良さそうな人じゃないな。」

杉ちゃんがそういうと、

「それは、お二人が男性だからそう見えるだけですよ。女の子しかわからない、悩みだってあるじゃないですか。それはやっぱり女性の先生で無いと、だめなところはあります。」

と、彼女は言った。

「まあ、そうかも知れないけどね。そればっかりでも無いと思うぞ。だって、産婦人科の医者は、男もいるし、海外には、男性の助産師だっているんだからな。なんでも、女同士でなくちゃ意味がないってことは、無いからね。で、お前さんは、なんで佐藤先生という人にかかろうと思ったのかな?」

と、杉ちゃんがそう聞くと、

「はい、近くに、こういうカフェとかで、カウンセリングしてくれる先生が、いなかったからです。東京とか行けば嫌と言うほどいますけど、こっちにはなかなか。」

確かにそれはそうだ。確かに、地方には、客を取りにくいのか、そういうカウンセリングをしてくれる人は少ない。

「そうですか。二年前に対人恐怖と診断されたそうですが、症状は改善に向かっていますか?」

と蘭が尋ねると、

「はい。まだ人が怖いという気持ちはありますけど、こうして先生が来てくれるときは、外へ出られるから、回復してきたのではないかと思います。自分ではよくわからないですけど。」

と、彼女は答えた。

「そうか。まあ、よく陥りやすい罠だわな。そういう事は、よくあることなんだよ。何年も通わせて、自分を見つめ直そうとかそういう事を言うけどさ。それって、お前さんから、金を取りたいというだけじゃないの。それよりも、さっき、五千円しかなくて、代わりに何で支払うか、それを考えるほうが先だね。つまり、人が怖いという症状がありながら、この世で生きていくための、方法を考えることが、先だってことだ。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「でも、もう私のような人を相手にしてくれるのは、佐藤先生だけだって。」

と、彼女は言った。

「そうかも知れないけど、そういう言葉に惑わされるな。僕達だって、ちゃんとお前さんのこと見てるんだから。お前さんは名前はなんていうの?」

と、杉ちゃんが彼女に言うと、

「はい。花田と申します。花田あかりといいます。」

と彼女は答えた。

「花田あかりさんね。まあ、精神疾患みたいなものはさ、どうしても、周りの情報を絶たないと行けないときもあるけれど、でも、結局はこの世の中で生きていかなくちゃならないわけだから、自分がどうのとか、考えるのは二の次にして、なにかあったときどうするかをまず考えろ。例えば、歩けなくなったときは、僕達みたいに車椅子を使う。それとおんなじことだ。」

杉ちゃんは、そう言って、彼女を励ました。杉ちゃんの言い方は、大変乱暴なので、蘭は、もう少し、優しく言って上げればいいのにと思った。

「大丈夫です。僕達は、悪い人でも、暴力団でもなんでもありません。ただ、心配しているだけです。」

蘭は優しく言った。

「もし、よろしければ、あなたと同じような人が、集まっているところを紹介しますから、そこへ通ってみてはいかがですか。多分、刺青師の伊能蘭の紹介といえば、受け入れてくれると思います。よろしければ、ここへ電話してみてください。」

蘭は急いで手帳を破って、製鉄所の住所と電話番号を書いて、彼女に渡した。

「ありがとうございます。刺青師さんって、怖い人だと思っていたけど、そうでも無いんですね。」

と、彼女はそれを受け取った。

「いやあ、何も怖いことはないよ。それよりな、そういう精神疾患をなおす方法はだな、誰か、お前さんのことをしっかり支えてくれる仲間を見つけることと、薬にたよんないで、不安を和らげる方法を見つけるしか無いんだ。ちなみに、製鉄所のメンバーさんたちは、それを見つけるために、暗中模索している奴らだ。だから、その苦労は誰よりもよく知っているはずだから、安心して利用してね。」

杉ちゃんは、にこやかに笑った。

「わかりました、教えてくれてありがとうございます。本当に、嬉しかったです。こんな、どうしようもない女のために、色々してくださって、ありがとうございました。」

「どうしようもない女ではないですよ。ただ、ちょっと露頭に迷い込んだだけです。ご自身では解決できなくても、仲間がいれば、解決することだってできるかもしれません。それを忘れずに生きていってください。」

あかりさんが嬉しそうにそう言うと、蘭は優しく彼女に言った。彼女は、ありがとうございますと言って、駅に向かって歩いていった。杉ちゃんも蘭も、それを見送りながら、いいことをしたなと思った。

それから数日後のことであった。蘭は、何気なしにテレビのスイッチを入れると、ちょうどニュース番組をやっていて、間延びしたアナウンサーがこう言っていた。

「では、今入ってきたニュースです。今日未明、静岡市の雑木林で、女性の死体が見つかりました。死因は、頸動脈を切った事による、失血死と見られ、首に刃物が刺さっていたことから、遺書はなかったものの、警察は自殺とみて捜査を開始しました。」

このときは、蘭も自分には関係ないと思った。それから蘭は、いつもどおり、刺青の依頼にやってきた、女性客を相手にすることになった。

「こんにちは、彫たつ先生。今日は、仕上げでしたよね。よろしくお願いします。」

目の前の依頼に来た女性は、蘭に頭を下げてそういった。蘭は、

「はい、よろしくおねがいします。」

と、彼女を、仕事場まで連れて行った。

「それでは、仕上げをしますので腕を出してください。」

蘭は、テーブルに座った彼女に、そういった。彼女は言われたとおりにした。腕には多数のリストカット跡が見られたが、それを覆い隠すように、桜吹雪が彫られていた。蘭は、なれた手付きで桜吹雪に針を刺して、色をつけていった。基本的に、手彫りのほうが、色の入りは速い。よく機械彫りができないことを馬鹿にされることも多いが、蘭は、そんなものはしなくてもいいと思っている。だって、江戸時代の刺青師は、総身彫りだって、手彫りでやったんだから。機械彫りが伝来したのは戦後の数十年しか立っていない。それが主流になったなんて、なにかおかしいと思う。

「先生、あのね。」

と、女性は話を始めた。入れるときに痛みを和らげたくて、おしゃべりをする人は非常に多いが、蘭は、それも構わないことにしていた。逆に、そういうときには嘘をつこうと考える暇もない事も知っていた。

「先生、あの、今日のニュースでやっていた、あの首を切って自殺した女性のことなんですけど。」

「はい、何でしょうか?」

蘭は、針を刺しながら言った。

「私、彼女を知っているんです。少し、メールでやり取りしていたことがありました。彼女は、確か、カウンセリングにかかっていました。あの、有名な佐藤弘恵とか言う人です。」

そういう女性の言うことも、間違いはないだろう。手彫りの激痛の中、なにかあったとか、そういう事を、加工する余裕はない。

「そうですか。佐藤弘恵さんですか。僕は全然知りませんでした。」

と、蘭が正直に答えると、

「ええ、そのほうがいいと思います。だって自殺した彼女は、佐藤先生の言うとおりにしようと思ってもできないって、すごく悩んでいましたから。医者みたいに、具体的にどうしろとか、そういう事は、言えないですよね。そういう人の言うとおりにできる人は、なかなか限られてますよね。」

と、彼女は言った。

「そうですか。僕は、そういう経験はありませんが、佐藤先生というのは、どんな人物なんでしょうかね。」

蘭が聞くと、

「はい。私は、直接佐藤先生にお会いした事はありませんが、なんだか結構偉そうな事を言っているけど、その言うことはなかなか実現できないことだということも聞いたことがありました。悩みを聞いてもらおうと思って、佐藤先生のところに行くけど、何も解決するどころか、それよりもっと難しい難題を課せられて、たいへんになってしまうって、聞いたことがあります。」

と、彼女は答えた。そうなると、杉ちゃんの言う通りかもしれないと蘭は思った。

「そうなんですね。確かに、そういう事を言うと、自分が偉くなったように見えるけど、クライエントになるお客さんたちが、何もならないのでは、困りますよね。」

蘭は、針を抜きながら、そういった。

「そうなんですよ。だから先生も、そうならないように、気をつけてくださいね。」

「はい。」

蘭は、そう言って、最後の針を抜いた。

「じゃあ、桜吹雪、できましたよ。これで、リストカットの傷跡は、きれいに目立たなくなりました。これであれば、よほど近づいてみない限り、リストカットの跡は、見えないでしょう。」

「ありがとうございます。先生!」

彼女は嬉しそうに言った。

「じゃあ、今日は二時間突きましたので、二万円で結構です。」

蘭がそう言うと彼女は、二万円を蘭に渡した。蘭は、領収書を書いて彼女に渡し、

「また何かありましたら、来てくださいね。」

と、にこやかに笑った。彼女も嬉しそうに、ハイと言って、仕事場を出ていった。蘭は、こういう瞬間が、刺青という物を業として良かったなと思うのだった。ちょうど、昼食の時間になったので、蘭は、午後の客が来る前に、お昼を食べようと思って、食堂へいった。またテレビを付けると、またニュース番組をやっていた。全くニュース番組ばかりやっていて、テレビも暇だなと思うのだが、何故かニュースばかりやっている。

「次のニュースです。本日、静岡県で自殺した女性が発見された事件で、女性は、精神疾患があって、精神科に通っていたことが、関係者への取材でわかりました。」

間延びしたアナウンサーはそう言っているが、蘭は、こんな事報道していいのかなと思った。そんな事、人が知っても仕方ないじゃないか。報道しなくてもいいのになと思うのに。

先程のお客さんの言うことが真実であれば、佐藤弘恵さんのもとに通っていたというから、佐藤先生だって、今は報道陣がすごいのではないか。そして、もしかしたら、彼女のもとへ通うのをやめてしまうクライエントも出てしまうだろうなと思った。テレビとか、新聞とか、そういうものはとにかく人の嫌なところを、ほじくり出すように報道するのが好きなのを蘭は知っていた。だから、佐藤弘恵さんの悪かったところも、今回は、大っぴらに報道されてしまうだろう。そうなると、なんだかカウンセリングという商売も、水商売に近いものだと蘭は思った。

その数分後であった。

「伊能さん、郵便です!」

誰かの声がして、蘭ははっとした。急いで、玄関に行って見ると、郵便配達員が、レターパックが届いているという。蘭は、指定された場所にサインをして、それを受け取った。誰だろうと思って、差出人を見てみると、花田あかりと書いてあった。

蘭は、封を切って中身を出してみた。中身は、この辺りでは有名な菓子屋が出している大判焼きであった。手紙も一通入っている。蘭は、それを出して読んでみた。

「前略、先日はありがとうございました。あのあと、家族にも話して、おすすめしてくれた施設に楽しく通っています。ちょっとあそこで勉強するだけではなく、他の利用者さんたちも、話を聞いてくれて嬉しいです。あんな素敵な場所を教えてくださって、ありがとうございました。お礼にほんの少しですけど、お菓子を送ります。本当に、ありがとうございました。」

そんな簡単な文章だけど、蘭は嬉しかった。そういうところを教えることができて良かったと思った。

蘭が部屋に戻ると、つけっぱなしだったテレビは、なにか中継しているようだ。なんでも、佐藤弘恵の自宅にカメラが押しかけたらしい。リポーターが、執念深く追跡したのだろう。全く報道関係者は物好きだなあと蘭は思った。

「あっ!今女性が出てきました!」

リポーターはテレビの画面の中でかい声でそう言っている。そして、玄関から出てきた佐藤弘恵に、執念に一言お願いします!と迫っていった。佐藤の方は、何も答えることはないといったが、きっと彼女がしでかした発言が、女性の自殺に関わっているんだろうなと蘭は思った。報道陣が怒濤のごとく佐藤弘恵に一言を迫る中、蘭は、有力な女性と見たが、何も無いのだと、ふっと、思った。

「さて、午後のお客さんが来るかな。」

蘭は、佐藤弘恵を、追いかけている報道陣たちの映像が映っているテレビを消した。


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有力な女性 増田朋美 @masubuchi4996

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