第2話 シェフ、日本語でお願いします

「閃いたぁ!!!」


 叫んだ東堂は、そのまま恐るべき勢いで調理を開始した。

 きっちりと手を洗った後、業務用冷蔵庫からひき肉と玉ねぎを取り出す。それから奥の棚を開いて数種のスパイスの細長い瓶を華麗に引き抜くと指の間に挟んでカカカカッ! とカウンターに並べた。

 東堂は脇目も振らずに調理をする。

 まずはカマンベールチーズをさいの目状に一口大に切る。

 そしていんげんの下処理を済ませ、脇へと押しやった。

 次に綺麗に洗ったトマトの先端部分を切り落とし、中身をくり抜き、外側はヘタの部分とともにアルミ製のバットの上に並べておく。

 それから恐るべき勢いで玉ねぎの皮をむいてみじん切りにし、網目状になった玉ねぎをトマトの中身が入ったボウルに一緒に入れた。

 そこにひき肉、小麦粉、スパイスを追加。流れるような作業でそれらをこなすと左手でボウルを掴んで固定して、右手でダイナミックにタネをこねる。その動きたるや、まさに歴戦の強者のそれである。

 一切の無駄がない動作でタネを作り上げた東堂は、一花の見ている側で先ほどの中身をくりぬいたトマトをひっつかんでタネを入れ、カマンベールチーズをのせ、また上にタネを乗せてカマンベールチーズを覆い隠した。それからちょこんとトマトの先端部分を上に乗せると、その隣にいんげんも並べていつの間にやら余熱が完了していたオーブンへと素早く入れる。

 

 ターンッ! 

 

 東堂の右手がオーブンの「スタート」ボタンを華麗にタップし、このトマトのひき肉詰めが焼かれ始める。


 そして東堂は焼けるまでの間に、かぼちゃを料理するべくぐわしっと掴んだ。

 スパンスパンと切り分けられるかぼちゃ、茹でられるかぼちゃ、裏ごしされるかぼちゃ、そして滑らかなペースト状になったかぼちゃを鍋に牛乳とともに入れ、自家製ブイヨンを投入する。東堂はかぼちゃを皮ごと使うのを好んでいた。その方が皮に含まれる栄養を余すことなく取れるからだ。

 じっくりコトコトとカボチャスープをかき回していると、オーブンから肉が焼けるいい香りが立ち上ってくる。

 ピーっと騒ぐオーブンをミトンをはめた手でそっと開けると、中からはじゅうじゅうといい音を立てるトマトカップ・ハンバーグとローストいんげんが姿を現した。

 それを丁寧に真っ白い平皿の真ん中へと乗せ、周りにいんげんを配置し、デミグラスソースで芸術的な模様を描く。

 深皿に盛られて生クリームがひと垂らしされたかぼちゃのポタージュとともに、コトリとカウンターへと置かれた。


「どうぞ、召し上がれ」


「いただきます」


 一花は今しがた出来上がった湯気が立つ料理を前に丁寧にお辞儀をするとナイフとフォークを手に取り、大胆に真ん中から切った。

 プツリ。

 手ごたえとともに溢れ出るトマトの果汁、そして迸る肉汁。

 じゅわーっと流れるそれにかまわず真っ二つにすると、真ん中から顔を出すのは一口サイズのカマンベールチーズ。

 カチン。ナイフがお皿に到達した。

 そこから一花は一旦ナイフを抜き出すと、素早く再びナイフを入れる。ケーキを切る要領で、しかしなるべく早く、そして崩さないように。

 口に入るサイズに切り分けると、フォークに刺してソースを絡める。

 肉汁をこぼさないよう気をつけつつ口に入れた。

 

 ーー口内に広がるのは、濃厚なデミグラスソース、旨味を閉じ込め、スパイスが練りこまれた肉の味、芳醇なカマンベールチーズ、そして最後にーー爽やかなトマトの味わい。

 なんということだろう。

 ともすればしつこくなりすぎるデミグラスソースとひき肉、カマンベールチーズという胃もたれ三点セットの暴力的な味わいを、カップに見立てたトマトが爽やかに昇華させているではないか!

 その味わいはまさに芸術。

 一花は目を見開いた。

 付け合わせのいんげんもいい味を出している。しゃっきりしたいんげんは箸休めにとてもちょうどいい。


「どうかな?」


 やりきった感のある東堂は一花に意見を求めた。一花は親指を立て、素直な意見を口にする。


「美味しい! さすが東堂シェフ。日本一、いえ、世界一の味わいです!」


「私だけの力ではない……この美しいトマトを作った西畑農園さん、チーズを卸してくれてる吉野さん、肉問屋の佐藤さん、そして僕のやる気を引き出してくれた北條君。全ての力が一丸となり、僕にこの料理を作り上げる力を与えてくれたのだよ!!」


 東堂 歩は相当面倒臭い性格だったが、こうして料理に酔いしれている時は無敵モードだった。

 ナイフとフォークを操る手が止められない一花は、東堂に尋ねる。


「それで、東堂シェフ。この最新作の料理名はなんですかっ!?」


「よくぞ聞いてくれた。これはFalsi de tomate en sandwich au camembert

Servi avec sauce demi-glace.だ!!」


「……はい?」


 突如聞こえてきた流暢なフランス語に、止められないと思っていた一花の手がピタリと止まる。


「だから、Falsi de tomate en sandwich au camembert Servi avec sauce demi-glace.だよ」

 


「いや、全然聞き取れないんですけど。呪文?」


「呪文ではない。料理の名前だ」


「もう一度お願いします」


「Falsi de tomate en sandwich au camembert Servi avec sauce demi-glace.」


 何度聞いても全然わからない。これでは一花は本日のオススメをお客様にオススメできないではないか! 看板娘失格である。

 ナイフとフォークをテーブルへと戻すと、一花は神妙な面持ちで東堂へと尋ねた。


「すみません、日本語でお願いします」


「あぁ、すまないね。これは『カマンベールを挟んだトマトのファルシ。デミグラスソースを添えて』だよ」


 ファルシというのは肉や魚、野菜の中に別の食材を詰めた料理の事だ。ポピュラーなところで言うとピーマンの肉詰めもファルシの一種である。それはともかく。


「じゃ、本日のオススメはこの『カマンベールを挟んだトマトのファルシ。デミグラスソースを添えて』でいいでしょうか?」


「ああ、構わない。よろしく頼むよ!」


「わかりました」


「ポタージュの感想も聞かせてくれ」


「はい」


 言われて一花はかぼちゃのポタージュをスプーンですくった。

 絶妙なとろみのついたポタージュは、美しい黄色い滑らかさを讃えている。

 そっと口へと運ぶと、かぼちゃの甘みと牛乳の優しさ、そして生クリームのコクが一体になって混ざり合う。ブイヨンによって複雑な旨味が加えられたポタージュには、味の深みが出ていた。

 ぽってりでもシャバシャバでもない、とろりとした舌触り滑らかなそのポタージュは、まるで飲むシルクだ。


「どうだね?」


「まるで液体状になったシルクが喉の奥をすっと通って行くような、喉ごし滑らかなポタージュです」


「Très bien!」


 東堂は意味もなくフランス語を発した。興奮すると母国語ではなくフランス語になるのは、つい二年前までフランスに滞在していたせいだろう。


「ごちそうさまでした」

 一花は料理を綺麗に平らげると立ち上がり、カウンター上の黒板と店の外に出している黒板に本日のオススメを絵付きで書いた。

 一花はちょっとした絵心があるので、こうした事もお茶の子さいさいだ。

 書きながら厨房にいる東堂をちらりと見る。

 推し女優のキスシーンで凹んでいた彼は何処へやら、真剣な顔で食材を吟味し、下ごしらえを始めている。

 これならば今夜の営業も問題なさそうだ。一花はホッと胸をなでおろす。


ーーこのネガティブで変人なシェフのやる気を出す事に成功した一花は、本日の開店に備えて仕度を始めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ファルシ・トマト・サンドウィッチ・カマンベール サーヴィ アヴェク ソース デミグラス 佐倉涼@4シリーズ書籍化 @sakura_ryou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ