どこかへいってしまったあなたへ

硝子匣

どこかへいってしまったあなたへ

拝啓 どこかへいってしまったあなたへ


 風の便りであなたが亡くなったことを聞きました。

 本当でしょうか。正直なところ、信じられない気持ちでいっぱいです。ですが、それが嘘か真か、確かめる勇気はありません。

 もし本当であったなら、本当にあなたが亡くなってしまったのなら、僕は何も思い残すことはなく前に進めそうです。

 あの日、あなたと最後に言葉を、身体を交わしてからずっと、あなたのことが気掛かりでした。

 今、あなたはどこにいるのでしょうか。もっと早くあなたに会う勇気があれば間に合ったのでしょうか。

 例え生きていても、あなたは答えてなどくれないでしょうね。

 僕はあなたのことを、時間も性別も関係性も何もかもを超えて愛していました。僕の唯一の半身だと思っていました。

 ならばどうして、半身であるあなたを見失ったのだと言われれば、それはやはりあって当然と甘えていたからに他なりません。

 僕がもっとあなたと真摯に向き合っていたならば、こうはなっていなかったのかもしれません。

 あなたを見失うことはなかったかもしれません。

 僕はずっとあなたがどうしているのか、どこにいるのか気掛かりでした。それでも確かめる勇気はありませんでした。

 あなたに明確な別れを告げられる勇気がなかったのです。だから、これまでずっと心の端であなたを気にしていながらも、何もせずにだらだらと足踏みをしていました。

 この噂を耳にした時、実はほっとしてしまいました。あなたという重い枷から解き放たれた気持ちでした。

 身勝手なことだとは重々承知しています。ですが、それほどまでにあなたの質量は僕の多くを占めていたのです。

 もしあなたが本当にこの世を去ってしまったのなら、来世では僕と出会わないでください。きっと僕はあなたを探してしまうけれど、きっとあなたにとって僕は重荷にしかならないでしょう。

 どうか、どうか、あなたが安らかに過ごせることを祈っています。



 少しだけ、あなたとの思い出を振り返ってみることにしました。

 初めて出会ったのは僕が高校二年生の頃、一つ下の新入生として、新入部員として僕の後輩になりましたね。

 あの頃のあなたは、掴みどころのない言動と非常に生意気な振る舞いで上級生たちに目を付けられていましたね。

 嗜めようとしたり、取り持とうとしていた僕はお節介だったでしょうか。実は僕も初めのうちはあなたに嫌われているのだと思っていました。

 ですが、共に過ごすうちにあなたがただ不器用なだけだと知りました。

 そして、あなたは僕だけには懐いてくれていましたね。そして色んな話をしてくれましたね。僕も色んな話をしました。

 恋の悩みを打ち明けて、あなたは呆れながらも見守ってくれていましたね。僕がつまらぬ嫉妬で恋人を傷つけそうになった時、叱ってくれました。


 そう言えば、あなたとあなたの友人、後にあなたと付き合うことになった彼との話は今でも笑ってしまいます。

 なんというか、歪そうなのにしっくりくる、そんな関係で。正直、僕は今でも彼に嫉妬しています。あなたと彼が上手くいかなくなったという話を聞いた時、表向きは相談に乗るフリをしながら、実はざまあみろなんて思っていました。

 そして大学に進学し、あなたも同じ大学の同じゼミに入学してきました。

 そこでもあなたの不器用さは健在で、僕があなたのお守りのような立ち位置になっていました。これは誰にも譲りたくありませんでした。

 僕はあなたと過ごしながら、多くの恋をしました。あなたはその裏で彼との確執を深めるばかりでした。


 ここで留まっておけば良かったのかもしれません。

 僕はあなたに想いを告げてしまいました。何度も何度も。あなたも僕を愛してくれました。

 あなたは僕を兄のように、家族のように慕ってくれていましたね。

 ですが、それは恋人としての愛ではありませんでした。僕もあなたを家族のように、ともすれば我が半身とさえ思っていましたが、それと同時に身体の交わりをも欲していました。

 心と身体が共に深くつながること、それが愛だと思っていました。家族のよう、半身のようと思っていながら、それでも結局は赤の他人だと、僕は表に見える愛の形を欲していました。

 それがあなたにとって重荷であったことはよくよく理解していました。だからこそ、あなたから離れようともしました。

 それでも離れきれず、やはり縋ってしまうのでした。


 初めてキスをした時、初めてセックスをした時、僕は快楽や喜びよりも何よりも後悔の方が強かったのを覚えています。

 性欲を嫌悪し、肉体のつながりを卑しく思うあなたに、それを強いた己の愚かさに悔いていました。あなたに嫌われるかもしれないという思いに沈んでいました。

 なのにあなたは僕を受け入れてくれました。確かな言葉で、態度で、愛してくれました。

 そしてあなたは同じように僕の愛情を疑っていましたね。

 僕は何度も何度も、あなたが傷つき悲しむたびに、一生味方でいると、傍にいると本心から告げていました。実際にずっと隣にいましたし、呼ばれたらいつだって駆けつけました。ある時なんて深夜に呼び出された挙句、寒空の中玄関先で待ち惚けさせられたこともありましたね。不安そうにするくせに、それを叱るとほっとした顔で眠りつくあなたの温もりは忘れません。

 あなたは僕を試すように、ともすれば理不尽に振り回していました。それがあなたなりの愛情の示し方だというのはとっくの昔に気付いていましたよ。

 僕があなたを欲するように、あなたも僕に甘えてくれていました。それが非常に心地よく、際限なく沈みゆく沼のようで、同時に恐ろしくもありました。


 僕の卒業を間近にして、あなたはこれまで以上に言葉数が少なくなりました。僕もあなたにどう触れていいのかわからなくなりました。

 あなたに黙って、勝手に遠くに行く決意をした僕をどう思っていたのでしょうか。怒りましたか? 悲しみましたか? 呆れてしまいましたか?

 何も言ってくれませんでしたね。それはきっとあなたの優しさであり、僕の怠慢だったのでしょう。


 許してくれ、とは言えません。どうか許さず、ただ一生あなたのうちで恨まれていたかった。


 結局、お互いに何も言わず離れ離れになりましたね。僕は仕事にかまけて、あなたの元へ足を運ぶこともせず、連絡も取ることをせず、ただ触れずにいることが誠意であり戒めであると思い込んでいました。

 そして、あなたはどこかへ消えてしまっていました。

 大学を卒業したのかどうかさえ。あなたの実家近くを通った時、見慣れた家が更地になっていた時は全身の力が抜けてしまいました。

 メールもメッセージも電話も、何もかもが遅かったのですね。それとも、どちらにせよあの日を最後にするつもりでしたか?

 確かめようもありませんが、僕はそれを悔いるばかりでした。せめて、あなたが笑顔でいればいいと。その隣に僕がいなくても、ただ幸せであってくれればそれでいいと思っていました。

 あれから何年も経ち、それでもあなたを忘れたことはありませんでした。僕からの連絡は溜まりに溜まって、メモリを圧迫しているのではないでしょうか。


 あなたは今、どこにいるのでしょうか。もし本当に亡くなってしまったのなら、僕はもう迷わず前に進むことにします。

 もし、生きているのなら幸せになってください。僕のことなど、思い出さなくても構いません。

 だからどうか、どうかせめて、あなたが笑顔でいた証をください。


 どこかへいってしまったなたへ、心を込めて

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