リンデンベルガー公爵夫妻

 応接間に案内してくれたスペンサーさんは、リンデンベルガー公爵を呼んでくると言うので、先に親父からの手紙を渡しておいた。

 エドガーのじいちゃんが内容を確認してくれたと言っても、婚約に関しての事が書いてあるのは間違いないだろうし、流石にそれを目の前で読んでもらう勇気は俺にはなかったよ……


 オフェーリアさんとは別の侍女さんがお茶を淹れてくれたけど、すぐに下がってしまったので今はファウスティナ嬢と二人きり。いや、ちゃんとスノウも居るんだけど。

 ただでさえこの状況に落ち着かないと言うのに、応接間一つとってもうちとは大違いな上品さで、どうしてもそわそわしてしまう。


「…なんか、凄く場違いな気がしてきた……」

「気になさらず、くつろいで下さって大丈夫ですよ?」


 いやぁ、でもねぇ……やっぱり正装で来た方が良かったんじゃないの、これ。贅沢をしている、と言うような絢爛さではなく、簡素故の美と言うか…一切の無駄がない完成された空間に、俺の格好はどう考えても失礼な気がしてならなくて。


 ……冷静に考えよう。今日着ているのは、学院の制服を少し崩した感じのデザインだから、まだマシなはずだ。普段着ているような「いつでも戦闘ばっち来いです!」な機能性重視の軽装よりは…うん。


「…あ。このお茶美味しい。」


 落ち着く為に頂いたお茶が美味しくて思わず呟くと、ファウスティナ嬢が嬉しそうに微笑んだ。


「気に入って下さったのなら嬉しいわ。私がブレンドしてるのよ?」

「ファウスティナ嬢が?」

「えぇ。好きな茶葉をブレンドするのが趣味で。だから私とお茶する時は、私好みのお茶を強制的に飲まされるのです!」


 俺が緊張している所為だろうか、ファウスティナ嬢は口調を崩して、茶目っ気たっぷりに語ってくれる。その気遣いと、お茶の落ち着く香りと味で、緊張感はどんどん薄れていく。凄いなぁ、魔法みたいだ。


「…このお茶も、また淹れてもらえたりするのかな?えっと、その、他の国に行っても…なんだけど……」

「ふふ、勿論。ラヴレンチ様が喜んでくれるのなら、いくらでも。」


 っはー、無理!何その屈託のない笑顔、可愛すぎる!さっきとは全然別の意味で心臓がどうにかなりそうです…!


 ───などと、思ったところに鳴り響くノックの音。


 それは救いの音でもあったけれど、やはり緊張も多少戻ってくる訳ですよ。弾かれたように立ち上がってしまったのはご愛嬌という事で。


「二人とも、待たせてすまないね。」


 扉を開けて入ってきたのは、美男美女という言葉がピッタリ当てはまるような、見目麗しい男女二人組。威厳を感じさせながらも、柔和な雰囲気を纏うブルーグレーの瞳を持つ男性と、透き通るような金髪に、意志の強そうな澄んだグリーンの瞳を持つ女性。一目でファウスティナ嬢のご両親だと分かる。

 お父様の方も綺麗なアッシュゴールドの髪をお持ちなので、俺の黒髪、めっちゃ浮きません?三人の華やかなオーラが尚更眩しいわ。


 …っと、忘れちゃいけない。まずは挨拶挨拶。


「初めまして。ゼレノイ伯爵家の次男で、ラヴレンチ・ディタ・ゼレノイと申します。本日は突然の訪問になり、申し訳ありません。」

「ははは、そんなに硬くならないでくれ。先日は娘をエスコートしてくれてありがとう。ファウスティナの父で、アクセル・ジェイ・リンデンベルガーと言う。こちらは妻のラフィー。」

「ラーフィネット・セレス・リンデンベルガーと申します。お会い出来て光栄ですわ、ラヴレンチさん。」


 俺のガッチガチな礼とは比べ物にならない、お手本のような礼を受けてしまった…しかも格上の公爵夫妻に。なんて恐れ多い…!

 他の貴族サマならともかく、リンデンベルガー公爵はね…悪い噂を全く聞かないから、そこまで貴族の階級を気にしない俺でも畏敬の念を抱きますとも。ええ。


「まずは座ってくれ。話し方も、楽にしてくれて構わないからね。」

「あ、はい。」


 お言葉に甘えて腰掛けようとして、続いた言葉の意味を反芻し…──思わずファウスティナ嬢を見る。彼女はばつが悪そうに視線を逸らして、


「ごめんなさい。ラヴレンチ様の口調、可愛らしくて好きで…つい……」


 そう宣った。つまり、俺の妙な口調はお二人にもバレている、と。

 まぁ、スペンサーさん始め、使用人の大多数にはバレてましたけどね……口調だけでも、彼女の口から『好き』と言ってもらえたから良いかと思う俺は、単純なのだろうか。


 脱力するように腰を掛けて、深く息を吐く。お二人にも好意的に受け止められているようだから、ここで固辞するのも失礼だろう。


「まぁ、ご存知の通り、口調を意識するのは苦手なので有り難いけどね……」

「父も母も、堅苦しいのは苦手なの。私も家ではこんなだし、ラヴレンチ様には素で話してしまう事は知られてるから…おあいこ、ね?」

「キャキャウ?」


 んんん゛っ!おあいこではないと思うけど、おあいこで良いわ!犯罪級に可愛い上目遣いだったので!!スノウとのシンクロ上目遣いが最高だったので!!

 敢えて俺があの時言った『おあいこ』を持ち出してくれたのも分かるし。あぁもう、ほんとこの子には勝てない。


「……失礼があったらちゃんと言って下さいね。」

「気にしなくて良いと言っているのに……でも、そうだね。ラヴレンチ君がそれで納得出来るのなら、了承しておこうか。」


 流石リンデンベルガー公爵。器がデカい。俺に気負わせすぎないように、自ら妥協を見せてくれるとは。これは付いて行きたくなるお人柄だわ。使用人達の質の良さはこういう所から来てるんだろうな。納得。


「失礼します。旦那様、お茶をお持ちしました。」


 再びノックの音が響き、お茶を持ったスペンサーさんが入ってくる。良かった、実は気になってたのよね。俺達だけお茶を出されていて良いものなのかと。


「すまないな、スペンサー。ラヴレンチ君、話はスペンサーが一緒でも?」

「構いませんよ。リンデンベルガー公爵の代わりに動いて頂く事もあるでしょうし。」

「ありがとう。ではスペンサー、このまま控えていてくれ。」

「かしこまりました。」


 すっと会釈をして、スペンサーさんが壁際へ下がる。それを見届けると、リンデンベルガー公爵が少し不服そうな目でこちらを見てきた。

 やだ、早速何かやらかしたの俺?


「ラヴレンチ君、出来れば私の事は名前で呼んでほしいな。リンデンベルガーでは、妻も娘も当てはまってしまう。」


 いや、だから『公爵』を付けてるんですけど……と言ったところで納得してくれないんだろうなぁ。


「えぇと…では、アクセル様?」

「様も要らないよ?」


 あれ、なんかうちの親父に似た気配を感じる……満面の笑みなのに、有無を言わせぬ圧も感じる。


「何ならお義父さんでも、」

「アクセルさんで良いですか!!」

「ちょっと、お父様!?」


 何を言い出すんでしょう、この方!?娘さんも驚いてますけど!?


「他人行儀になる必要はないよ、って事だよ。羨ましいのなら、ティナだって愛称で呼んでもらえば良いじゃないか。」

「そっ、れは…!」


 あら、ファウスティナ嬢の顔が真っ赤に。え、羨ましいって図星なの?もしかして、もう少し距離を詰めたいと思ってくれてたりする?

 俺がそうだから、同じ気持ちだったら嬉しいなと考えながら、彼女の愛称を頭の中で繰り返してみる。ミドルネームの方じゃなく『ティナ』なのね。彼女に良く似合う涼やかな音だ。


 ───そう言えば、婚約者だった王子サマですら、『ファウスティナ』と呼んでいた気がするわね。ご友人からも愛称で呼ばれてた記憶が俺にはないのだけど……うちと同じように、主に家族しか愛称を使ってないのだろうか。


 ファウスティナ嬢のこの反応は、愛称呼びが嫌な訳ではないと思って良いよね?許されるのなら、是非とも呼びたいのだが。


「俺が呼んでも良いの?」

「うぇえっ!?」


 わー、ファウスティナ嬢から変な声が出てる。顔は変わらず耳まで赤いし、混乱してるのか若干涙目だ。そして混乱のあまり力が入ってしまうらしく、スノウが苦しそうにもがいてる…何だかどっちも可哀想になってきたわね……


「そうだ、ファウスティナ嬢も俺に『様』付けるのやめない?そもそもうちの方が格下なんだしさ、俺は様付けされるような出来た人間でもないし。ラヴで良いよ?」

「~~っ!が、頑張ってみます……ので!その、私の事はティ、ティナと呼んで下さい!」

「うん。ありがとう、ティナ。」


 一生懸命なお願いが可愛くて、つい頬が緩んでしまう。愛称で呼び合えるだけで、グッと距離が近付いたように感じるなぁ───なんて、一人でほっこりしていたのだけど。


「あらあら、初々しくて可愛らしいこと。」

「うんうん。良かったなぁ、ティナ。」


 目の前にファウスティナ嬢改め、ティナのご両親が居る事をすっかり忘れてましたね。めちゃくちゃ恥ずかしいじゃん。

 どうやら俺は、気を抜くとティナの事しか目に入らないみたいです……気を付けなくちゃ。

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