春の嵐


 ───交流会から三日。俺の学院生活は、王子サマが事ある毎にレイの体調を確認してくる事以外は、特に何も変わっていない。講義の内容は専門分野に特化してグループが分かれた事から、これまでと大きく変わったけれど、ずっと付き合いのある友人達は同じ分野。俺の周りの環境自体は、やはり変わっていないと言っても良いだろう。


 ファウスティナ嬢との交流は、元々そんなになかったのだ。すれ違えば会釈くらいはしていたけれど、あの時までまともに会話すらした事はなかった。きっと、お互いに顔だけは知っている程度の認識だったはすだ。だから、彼女という人物を知ってしまった事で、学院に彼女が居ないという事実に、物足りなさを覚えてしまう。

 この三日間で、ベルトループに結んでいるスカーフを何気なく見てしまうのが、すっかり癖になってしまっている程度には、ファウスティナ嬢に会いたいと思う気持ちが強いらしい。それもこれも、親父と兄貴があんな事を言うからだ…なんて、責任転嫁でもしてないとやってらんない。重症だ。


 学院の休みまではあと二日。害獣討伐の仕事が入ってはいるけれど、数はそんなに多くないらしいから朝イチで向かえば昼前には終えられるだろう。アフタヌーン・ティーに合わせてお邪魔すれば、迷惑にならないだろうか。

 今日は一日そんな事を考えながら、何も変わらない、けれど、やっぱりどこか変わった学院生活を終えて家路に着いた。






「──…あれ?今日は兄貴がご飯作ってるの?」


 家に帰ると夕餉の良い香りが漂っていて、誘われるように厨房を覗いたら上機嫌で大鍋をかき回している兄貴の姿があった。


 兄貴は身長こそ178cmと結構あるものの、女性も羨むような細身で、顔も母さん似で中性的。どこか甘さの感じられる栗色の髪とヘーゼルの瞳は雰囲気を更に柔らかく見せていて、194cmもあって黒髪黒眼、まるで森に住む害獣、『クロウベア』のようだと言われる俺とは正反対の容姿だ。その顔であの口の悪さなんだから、最早一種の詐欺だと思う。

 そして更に詐欺なのが……その細身で、そんな顔で、信じられないくらいの大食らいなのだ。一般成人男性の三倍の量は軽く平らげてみせる。そりゃもう、見ているこっちがお腹一杯になるくらいの食べっぷり。どこに入ってるんだろうね、ほんと。


 好きこそものの上手なれと言うのか、食べる事が好きな兄貴は、料理がめちゃくちゃ上手い。その腕前はうちのシェフ達も舌を巻く程。でも、だからと言って兄貴がシェフ達の料理を下に見る事はなく。本当に美味しそうに、幸せそうに食べてくれるからなのか、シェフ達から苦情が出る事もない。

 寧ろお互いに料理の腕を切磋琢磨し合っているような、良好な関係を築いている。皆して何処を目指しているのか、俺にはちょっと分からないが。

 まぁ、ご飯が美味しいのは正義よね。うん。


「んー、まぁ、用事は午前中で終わっちまったし。帰りに市場覗いたら美味そうな牛肉見つけちまったし、野菜は安かったし…こりゃもう、作るしかねぇだろうと!」

「兄貴は主夫なの???」


 発想が主夫。異論は認めない。

 うちは使用人も含めて貴族らしからぬ貴族だと思うけれど、飛び抜けて疑わしいのは兄貴だろう。料理だけでなく掃除も好きだったりするし。破天荒にも程がある。


「親父も帰りは遅くならねーって言ってたから、皆で食おう。今日のビーフシチューは渾身の出来だぜ!」

「あはは、兄貴のご飯はいつだって美味しいけど、それは楽しみ。何か手伝う事ある?」

「いや、こっちは大丈夫。既に結構手伝ってもらった後で、煮込むだけだし。他は適当にあり合わせで何か作るかなってくらい。だから悪ぃけど、竜舎の確認だけ頼んでもイイか?」

「了解。着替えたら行ってくるね。」

「おう。ありがとな。」


 うちでは現在、232頭の竜を預かっている。仕事を頼む竜以外は基本的に好きに過ごしてもらっていて、竜舎はそれぞれの寝床として使ってもらっている感じだ。


 竜は基本的に大気中のマナをエネルギーとするから、食事をする必要はない。しかし食べる事自体は出来るから、竜の中にはどこかで鹿や猪を食べてきたりする子もいる。食の楽しみというのは種族の違いなど関係ないだろうとの考えから、うちでも週に一度は彼らに良質な肉を食べてもらっている。その日ばかりは皆竜舎で大人しく食事が出て来るのを待っていて、そんな心待ちにする姿が本当に可愛いのだが、残念ながら今日は該当日ではない。

 こういう日の竜達の過ごし方は本当に多種多様で、食事の為に狩りに出掛ける子も居れば、うちの無駄に広い敷地で日光浴や森林浴、お昼寝をする子も居るし、空へ出掛けて行って、野良の竜との交流を楽しんで来る子も居る。そうして、皆が思い思いの時間を過ごしている間に俺達は竜舎の中の確認をして、飲み水の交換や、寝床が乱れていれば直してあげるのが日課なのだ。


 今日は天気が良いおかげか、竜舎に残っている子は殆ど居ない。竜舎で過ごしているのは高齢だったり、体調が悪い子だったりするので、彼らの調子を見るのも忘れない。幸い、静養していれば大事に至らない子だけだったから、何かあったら呼ぶんだよとだけ伝えて、そのまま静かに休ませてあげる。

 手伝うと申し出てくれた使用人二人と手分けして、全頭分の飲み水の交換だけで一時間。寝床の確認と整調、竜達の体調の確認で一時間───今日は寝床の乱れが少なくて手早く済ませられた。体を動かした事もあって、お腹はもうペコペコ。家に戻る途中で、上空に親父の竜、カントの姿が見えたから、すぐに晩御飯にありつけるだろう。


 兄貴に竜舎の確認が終わった事と、親父がそろそろ帰ってくるだろう事を伝えて、俺は汚れを落とす為にお風呂場へ。身体を洗っている最中に「今帰ったぞー!」という親父の馬鹿デカい声が聞こえてきて笑ってしまった。ここまで聞こえるって、どんだけの声量なのよ。

 でもまぁ、きっと親父もお腹を空かせて帰ってきてるだろうし、今日のご飯は、親父が毎回感動で泣くほどに大好きな兄貴の手料理だ。俺も早くお風呂上がってあげないと。


 手早く汗と泥を洗い流して部屋着に着替えたら、髪を軽く拭きつつ食堂へと向かう。途中ですれ違ったメイド長のエマに「風邪を召されませんように」と苦笑されたけど、空腹には勝てないので今日は許してほしい。髪をちゃんと乾かさないのは、俺より兄貴の方が常習犯だし。


「お、タイミングばっちりだな!」

「ほんとね。準備ありがとう、兄貴。じいちゃんも。」


 食卓に近付くと、ちょうど兄貴と、執事長であるエドガーのじいちゃんが給仕ワゴンを運び終えたところだった。この、完璧に見計らったようなタイミングの良さ…流石兄貴、俺の事を良く分かってくれている。ファウスティナ嬢と出会うまでは、何度『嫁に来てほしい』と思った事か。親父は思うだけじゃなく、実際に何度も口にしているけれど。貴方は既婚者で寡男やもおでしょうに。


「親父もお帰りなさい。お仕事お疲れ様。待たせてごめんね?」

「んーーー!ラヴはほんっと良い子だなぁ!父さんは可愛い息子達と食卓を囲めるのなら、いつまでだって待つぞー!?」

「それじゃ俺が良い子じゃないみたいじゃね?」

「息子って言っただろ!?こんな素晴らしい料理を作れるラフが、良い子じゃない訳あるか!!」

「あーはいはい。ありがとさん。さっさと食おうぜ。」


 うん。暑い。暑苦しい。

 俺は遠い目をして受け流す事にしたし、兄貴も「余計な事言っちまった…」みたいな顔で軽く流してくれたので、これ以上は炎上せずに済みそうだ。終始何事もなかったかのように給仕を続けたエドガーのじいちゃんには感嘆の念すら覚える。流石うちの執事長を長年務めているだけはあるわ。


「若干腑に落ちない部分はあるが…折角の料理が冷めちまうからな!食うか!」


 凹んでも立ち直りの早い親父の号令で、いざ、揃って手を合わせようとした、その時だった。


「だだだ、旦那様!!大変です!お客様が…!!」


 守衛を務めるラッセルがバタバタと駆け込んできて、来客を告げる。アポイントメントがあろうがなかろうが、うちを訪ねてくる人なんて殆ど居ない。しかし、ラッセルの動揺っぷりは、極稀な来客に対するだけのそれではなさそうだ。一体何事だろうか。


「客?こんな時間にか?」

「はい!リ、リンデンベルガー公爵家のご令嬢がいらっしゃいました…!!」


 ラッセルの報告に、親父と兄貴が顔を見合わせて…──二人同時に俺を見た。いや、俺だって予想外よ!?

 と、兎に角ファウスティナ嬢を待たせる訳にはいかない。慌てて食堂を飛び出せば、後から親父と兄貴も付いて来る。絶対面白がってるじゃん、あれ!


 貴族の振る舞い?余裕?そんなもん、あるものか。全力で走って辿り着いたエントランスには、オフェーリアさんと、御者のお兄さん。その後ろに、申し訳なさそうな顔で佇むファウスティナ嬢。腕に何か抱えているようだ。


「非常識な時間に申し訳ありません。急ぎ、ラヴレンチ様にご相談したい事がありまして…」


 馬車を飛ばしてもらいました、とオフェーリアさん。元々リンデンベルガー家からうちまでは馬車で三日よ?急いだところで半日程しか短縮出来ないはず。あの日の翌日にはもう出立してたって事?

 学院に知らせてくれれば迎えに行ったのにと思いはするが、この様子だと余程の事情があるらしい。冷やかし半分で付いて来ただろう親父達の顔も引き締まる。


「さ、お嬢様…」

「はい…突然の訪問、誠に申し訳ありません、ゼレノイ卿。わたくし、頼れる方がラヴレンチ様しかいらっしゃらなくて……」


 オフェーリアさんに促されて進み出たファウスティナ嬢の、その言葉が嬉しいと思ったのも束の間。彼女の腕に抱えられていた白い塊に、俺も、親父達も絶句した。


 だって、それ───その子は、


「……竜の幼体…?」


 俺の言葉に応えるように、幼い竜は「ピィ」と愛らしく鳴いてみせた。

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