名残惜しいけれど
アリアが気を遣って、リンデンベルガー家のお屋敷上空を旋回しながらゆっくりと高度を落としてくれたおかげで、地上に着く頃にはすっかり俺達の笑いは収まっていた。それでも、ファウスティナ嬢も俺もまだ口元に笑みは浮かんでいたから、使用人の皆様にはあたかも『和やかに空の旅を楽しんで来ました』かのような雰囲気に見て取れた事だろう。実際には直前まで大爆笑だったから助かった…
その身体の大きさに見合った重力を感じさせる事なく、アリアがふわりと地面に降り立つのを見計らって、俺もその背から飛び降りる。ファウスティナ嬢に片手を差し伸べて、手を取ってもらったのを確認してから、もう片方の腕を彼女の膝裏へ。一瞬だけ、所謂『お姫様抱っこ』の形にはなるけれど、俺の腕を使って滑るように降りてもらう方法なので、使用人の方達には目を瞑って頂きたい。
そうして地上に降り立ったファウスティナ嬢は、ちょっとぶりの地面に感覚が狂ったのか、少しよろめいてしまう。咄嗟にその肩を支えるように手を伸ばしたけど、このタッチも許容範囲…よね?
「あ、ありがとう。」
「どういたしまして。初めて空を飛ぶ人にはよくある事なのよ…です。」
しまった、ここには既に大勢の人の目が。と思ったら変な語尾になって、ファウスティナ嬢にくすくすと笑われる。
「ここに貴方の口調を咎める者はおりません。楽になさって。」
うん、流石にファウスティナ嬢は完璧にご令嬢モードね。見事だわ。そして自信を持ってそう断言出来るのが凄い。リンデンベルガー家には、本当に神しか居ないらしいな?
「お帰りなさいませ、お嬢様。楽しめましたか?」
出迎えた使用人達の中から、オフェーリアさんを伴って初老の男性が進み出て声を掛けてくる。彼が執事長だろうか。
「えぇ、スペンサー!沢山お土産話があるのよ!」
「それはそれは。」
ファウスティナ嬢の様子にスペンサーさん(というらしい)の目が細められて、何だか孫を見守るお爺ちゃんみたいだ。オフェーリアさんだけでなく、周りの使用人達も嬉しそうな表情を浮かべていて…本当に、リンデンベルガー家の従者は優しい人ばかりなんだと実感する。
うちなんか親父がいい加減すぎて従者達に怒られまくるから、執事長のじいちゃんが家で一番偉いんではなかろうかって雰囲気まであるよ……母さんの侍女だったお姉様方も、母さんが亡くなってからも仕え続けてくれているけど、うちの家風に感化されたのか、どこの豪胆な宿屋の女将さんですかって感じだし。
勿論、俺はそんな彼らが好きだし、リンデンベルガー家に嫉妬なんて覚えないけど、家が違うだけで使用人の性質が全然違うのは素直に面白い。ファウスティナ嬢がうちに来たら、その違いに驚くんじゃないだろうか。ファウスティナ嬢もなかなかに豪胆なところがあるから、普通に受け入れてくれそうな気もするけど。
「ラヴレンチ様、この度はお嬢様へのお心遣い、誠にありがとうございます。」
「いえいえ、俺が無理に付き合わせてしまったようなものですし…ファウスティナ嬢に楽しんでもらえて、こうして無事に送り届けてあげられたので良かったです。」
「…なるほど、オフェーリアの言った通り、誠実なお方ですな。」
何てこと言ってくれちゃったの、オフェーリアさん……本当に誠実な人だったら、あんなベタベタとレディに触れませんて……他意はなかったけれど、上空での密着度がバレたら恐ろしい事になる気がする。
「お嬢様、お茶の用意も出来てますよ。どちらでお召し上がりになりますか?」
「そうねぇ…ラヴレンチ様はご一緒出来ますか?」
お願いしていた通り、温かいお茶を用意していてくれたらしいオフェーリアさんの問い掛けを受けて、ファウスティナ嬢からお誘いがかかる。俺の返答によって、場所を決めたいのだろう。
「ごめんね…お誘いは嬉しいんだけど、親父への報告は早い方が良いと思うから遠慮させて頂くわ。あ、勿論、ファウスティナ嬢を送る時間が無駄だったとか、そういう事じゃないからね!?俺も楽しませてもらったし!!」
「ふふ、勿論分かっておりますわ。ゼレノイ卿へのご報告は、わたくしの事を思ってくれての事だとも。ご一緒出来ないのは残念ですけれど…また改めてお礼をさせて頂きたいので、その時はご一緒して下さる?」
「お礼なんて良いって言ってるのに。でもそうね、お茶は喜んでご一緒させてもらうわ。楽しみにしてるね?」
「はい!」
残念そうな表情が一転、パッと花咲くようなファウスティナ嬢の笑顔に、俺の頬も緩む。周りの使用人達の頬も緩む。───って、え!?めっちゃ微笑ましく見守られてません!?は、恥ずかしい…!
恥ずかしさを誤魔化すようにへらりと笑ったら、ファウスティナ嬢も周囲の様子に気付いたらしい。ほんのり頬を赤らめて、「もう…」なんて呆れたような顔をして溜め息を吐いている。そんな顔も可愛いなぁ、なんて、俺の感情は恥ずかしさと愛おしさで大忙しよ……
「そ、そうだわ!上着とスカーフ!お返ししなければなりませんね!?」
「あ、うん。ありがとう。」
ファウスティナ嬢も恥ずかしさを誤魔化すような慌てっぷりで、急いで俺が貸した上着を脱ぎ…こちらに差し出そうとしたところでピタッと止まった。
「ご、ごめんなさい!ちゃんと洗ってお返しするべきですわよね!?」
「そこまでしなくて良いよ!?」
どれだけ至れり尽くせりなの、それは。そんな事を言われたら、寧ろ俺の方こそちゃんと洗ってから貸さなきゃならなかったのでは?そんな時間なんてなかったけども!
「え、えっと…じゃあ、スカーフだけでもこちらでお預かりさせて下さる?ラヴレンチ様にお返しするお約束が出来るでしょう?」
「あ、うん。それなら。」
元より交流のなかった公爵家と伯爵家だ。こちらからすれば相手は、気軽に会うには恐れ多いお家柄。会える口実が明確にあるのは、俺も助かる。
「わたくしがいつまでこの家に居られるかは分かりませんが、学院のお休みに合わせて用意しておきますね。ラヴレンチ様のご都合でいらして下さい。本来なら、こちらからお返しに伺うのが筋なのでしょうけど…」
「はは、うちは王都と言っても飛び地だからね。ここからはかなりの距離がある。そんな事まで気にしなくて大丈夫よ。竜ならそんなに時間も掛からないから。」
「えぇ、アリアはあんなにも速かったものね。」
「ギャ!」
ファウスティナ嬢の賛辞を受けて、アリアが得意気に鼻を鳴らす。これは、次にお邪魔する時もアリアを連れてきてあげた方が良さそうね。最早親友のような雰囲気が二人の間に感じられる。
「それでは、先にこちらだけ。お気遣い、ありがとうございました。」
「いえいえ。少しでも寒さを和らげてあげられてたら幸いです。」
丁寧に差し出された上着を、ちょっと大袈裟に受け取ってみると、ファウスティナ嬢からくすりと笑いが漏れた。俺の言葉で笑ってくれるの、何だか嬉しいなぁ。
…ところで、返してもらった上着を羽織ったら物凄く良い匂いがするんですが?我ながら変態臭いと思ってしまうが、俺、これまでに女の子との接点なんて殆どなかったし、ドキドキしちゃうのは仕方なくない?平常心を保つのに精一杯なんですが。お願い、あと少しだけ頑張って、俺の表情筋!
「…それじゃあ、お誘いを断っておいて長居するのも失礼だからこの辺で。意外と身体の芯は冷えてたりするから、ちゃんと温まってね?」
「はい。ラヴレンチ様、アリア。今日は本当にありがとうございました。」
ファウスティナ嬢が頭を下げるのと同時に、何十人もの使用人達が同じように頭を下げる。何だか、盛大に見送らせてしまって申し訳なさが。
こんな扱いに慣れてない俺の腰が引けたところで、やれやれと言った感じでアリアが首を下げてくれたので、助けを求めるようにその鼻先へ手を掛ける。彼女が首を上げる反動に合わせて地を蹴って、『いつもと同じ』乗り方で彼女の背へ。
アリアの離陸を実際に体験したファウスティナ嬢は、一度だけでその妨げにならない範囲を覚えてくれたらしく、スペンサーさんとオフェーリアさんを連れて距離を取ってくれた。その事にアリアもお礼として一鳴きして、翼を広げて地を蹴った。
先程よりも多少離陸が雑なのは、乗せているのが俺だけだからだろう。これもいつもの事なので気にはしないが、ファウスティナ嬢からすると、少し心配な様子に見えたらしい。
「ラヴレンチ様!手綱はちゃんと使って下さいましね!?」
「あっはは、了解!またね、ファウスティナ嬢。」
「はい、また!お気を付けて!」
ちゃんと両手で握った手綱を掲げて見せて、アリアに上昇を促しながら挨拶を。ファウスティナ嬢は片手を高く挙げて大きく手を振ってくれているが、ご令嬢としてその仕草はどうなんだろう…──なんて心配は全くの無用だった。
彼女に倣って、使用人の皆さん、何とスペンサーさんまでもが同じように大きく手を振って見送ってくれている。その光景に、何だか涙が出そうになってしまった。
気高くて、優しくて、どこか可愛らしいファウスティナ嬢と、そんな彼女を見守る優しい従者達。俺が今まで見てきた『空』とは、大きく色を変えた『空』。
大事な話は当然するけれど、俺にも親父達へ土産話が出来たことが、無性に嬉しかった。
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