笑顔でいてほしいので


「ではラヴレンチ様、このお礼はまた改めて。」

「…本当に、お礼なんて構わないんだけど……」

「そんな事を仰らないで。わたくし、貴方とアリアの優しさが本当に嬉しかったのです…!」

「その一言だけで十分だよ。俺もアリアも、ただ君に笑ってほしかっただけだから。」


 ───そう。誰一人として味方になろうとしない、あの冷たい会場で、泣く事も怒る事もせず、真っ直ぐに背筋を伸ばしていた君の気高さに、少しでも力になれればと思っただけ。あんな、自分を律するだけの表情じゃなくて、ただただ、心からの笑顔が見たかっただけ。俺自身の事情も確かにあったけれど、それがなくてもきっと、俺は…───


「…って!えっ、ちょっ…どうしたの?泣かないで!?」


 気付いた時には、ファウスティナ嬢の大きな瞳から涙がボロボロと零れ落ちていた。どうしたら良いか分からずあたふたする俺を尻目に、侍女さんがファウスティナ嬢へそっとハンカチを差し出している。仕事が早い、素晴らしい、拍手!俺が全くの役立たずで申し訳ない…!


「ご、ごめんね?何か君を傷付けるような事を言っちゃった…?」

「いいえ!…ちが、違うんです…」


 ごめんなさいと謝りながら、尚も彼女は泣き続ける。謝られる理由がないんですが、どうしたら!涙を止めてあげたいんですが、どうしたら…!!

 ひたすら混乱するだけの俺に業を煮やしたのか、背後からずいっとアリアが首を伸ばしてきて、俺の肩越しにファウスティナ嬢の涙を拭うようにその頬を舐めた。それに気付いたファウスティナ嬢が、はっと顔を上げる。未だはらはらと涙は零れているが、そこに悲痛な表情はなくて少し安心。

 泣き止むまで止めない、と言わんばかりに頬を舐めるアリアのおかげで、ファウスティナ嬢から零れるものは、涙から次第に笑みへと変わっていった。


「…ふ…ふふ、くすぐったいですわ、アリア。」

「アリアー。俺は重くてそろそろ肩が限界よー?」

「あら、ラヴレンチ様。女性に『重い』は失礼ですわ。」


 彼女の涙がちゃんと止まったのを確認して、わざとおどけてみせれば、くすくすと笑ってくれる。良かった、涙を止めてあげる事は出来なかったけれど、笑わせてあげる事くらいは出来るみたいだ。

 ……うん、それなら。


「ねぇ、ファウスティナ嬢。帰りは馬車じゃないと駄目?」

「…えっと…?」


 馬車じゃないのなら歩きだろうか…そんな表情に、ちょっと悪戯が成功した気分。


「ファウスティナ嬢が嫌じゃなければ、なんだけど。アリアが乗せてくれるって言ってるんだ。気分転換にもなると思うし…高い所が苦手とかでもなければどう、かな?」


 パチパチと音が聞こえそうなくらいに目を瞬かせて、ファウスティナ嬢が俺とアリアを交互に見る。かと思ったら、まるで大輪の花が咲いたようなとびきりの笑顔。


「乗せて下さるの!?凄い!ラヴレンチ様とアリアが、わたくしに空を見せて下さるのね!」


 思った以上の反応だ。ファウスティナ嬢は竜に抵抗もなかったし、アリアの事をとても気に入ってくれていたから、空を飛ぶ事に興味を抱いてくれるだろうとは思っていたけれど。こんな全身で喜びを表してくれるもんだから、アリアもどこか得意気だ。あと一つ、懸念事項があるとすれば…


「えっと、俺がご令嬢をお預かりする事に問題はありませんか…?」


 公爵家の従者としては、これまで交流した事もない伯爵家の異性ってだけでも不安──そもそも従者達はまだ、ファウスティナ嬢は王子サマの婚約者だと思っているはず──だろうし、更に逃げ場のない空へ連れて行くと言われれば、決して快諾は出来ないだろう。

 ほら、俺が後先考えずに行動するとこうなるのよ……後から問題に気付きまくると言うか。彼らとしては、主人が望んでいる以上、頭ごなしに否と言う訳にも行かない事は、勿論分かっている。だから、最初にファウスティナ嬢に訊いてしまったのは卑怯だったかなぁー!と思う訳で。

 ほんと、自分で自分の首を絞めると言うか、評価を落とすと言うか……反省します、はい。


「そうですね…ゼレノイ家の方であれば、竜の扱いで右に出る者はおりませんでしょう。安全面に関して、不安はございません。お嬢様のお心が晴れるのであれば、寧ろこちらからお願いしたいくらいでございます。」


 おやぁ?まさかの快諾来たぞー?

 しかし侍女さんのこの快諾で、先程感じた違和感の正体が分かったかも。


 侍女さんを始め、御者のお兄さん──きっと護衛も兼ねている人だろう──も、ファウスティナ嬢の早過ぎる・・・・帰りを疑問に思っていないようだった。『もう良いのか』というあの問いは、彼女が早く切り上げてくる事を知っていたからだったのだろう。

 そしてきっと、彼らはファウスティナ嬢が王子サマに婚約を破棄された事も知っているのだ。王族との婚姻となれば、異性との交流には神経を尖らせているはず。ファウスティナ嬢が早めに交流会を引き上げるにしろ、エスコート役は王子サマであるのが当然だっただろうに、俺のエスコートに驚きもしなかった。俺が彼女を送り届ける事に反対するでもなく、その心を晴らしたいと願うってのは、つまり、そういう事なのだと思う。


 それがどうしてなのかは分からないが、どうしても知りたい訳でもない。今はとにかく、ファウスティナ嬢の期待と、彼女を慕う従者達の信頼に応える事が大事だ。


「リンデンベルガー様のお屋敷まで、馬車ではどのくらいかかります?」


 いや、流石にリンデンベルガー家の場所は知ってるよ?公爵家なんて、そうそう居るもんじゃないし、うちは特殊だから参加した事はないけれど、大抵の貴族は公爵家主催のパーティーでデビュタントを迎えるくらいだ。俺にも、多少の知識はある。

 問題なのは、うちが特殊ってとこで…一応貴族という建前上、乗馬は嗜みとして習うけれど、実際の移動は殆どが『竜』なのだ。早馬で数時間かかる場所であろうと、飛翔を得意とする風竜ならば数分で着いてしまったりする訳で……つまり!馬で移動する際の所要時間に全く検討が付かないのです!学院からうちまで、馬車なら3日かかるらしい事は知ってるけど!


「ここからでしたら、ゆっくり走らせても30分程で着きますわ。」


 俺の質問に、嫌な顔一つする事なく答えてくれた侍女さん。見てよ、この優しさの塊。従者は主人を映す鏡だね、ほんと。

 しかし、ゆっくり走らせても30分かぁ。アリアなら一っ飛びで行ける距離だし、それくらいなら、王都を軽く一周りして街を見せてあげられるくらいの余裕はありそうね。


「じゃあ、それくらいを目処に向かいますので、竜が降り立つ事を皆さんに伝えてあげて下さい。驚かせてしまうのも申し訳ないので…」

「なるほど、その方が良さそうですね。承りました。」

「あ、あと上空は少し冷えると思うので…ファウスティナ嬢に温かい飲み物を用意しておいてもらえればと。」


 続けざまのお願いに、侍女さんの目がキラリと光った気がする。え、何。怖いんですけど。寒い所に連れて行く事も後出しはマズかったかな、やっぱ…


「…ラヴレンチ様は本当にお優しい方ですのね。」

「そうでしょう!?貴女に分かってもらえて嬉しいわ、オフェーリア!」


 ふむ、侍女さんの名前はオフェーリアさん、と。

 …で、一体どうしてそういう話になっているのでしょうか。大切なお嬢様に対して害であるという情報を後出ししたのよ?褒められる要素、一つもなくない?

 心底不思議に思って首を傾げていると、「そういうところですよ」と、御者のお兄さんに苦笑された。解せない。

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