準備は入念に


「えっと…それじゃあファウスティナ嬢、出発する前に少し良い?」

「はい。何かしら?」


 竜に騎乗するにあたっての注意事項を説明されると思ったのだろう。ファウスティナ嬢は楽しみで仕方ないという表情のまま、元より美しい姿勢を更に正して、話を聞く態勢を取ってくれる。注意事項って言う程の大袈裟な話ではないし、そんなに畏まる必要なんてないのに…真面目だなぁ。


「まず、アリアは人を乗せて飛ぶ事に関しては随一だから、しっかり掴まってなきゃーとか、あんまり考えすぎなくても大丈夫。俺もちゃんと支えるし。だから純粋に、景色を楽しんでね?」

「は、はい…ありがとうございます。」


 んん?お礼を言ってくれるファウスティナ嬢の顔がほんのり赤くなっている気がするけど……『次をどうぞ』と視線で促してくれたので、取り敢えず話を続けるか。


「さっきも言った通り、上空は地上より気温が下がるから…これ羽織っておいてくれる?」


 言いながら制服の上着を脱いで、彼女の肩に掛けてあげる。図体だけはデカい俺の上着は、女性としては背の高い方であるファウスティナ嬢でも大きすぎる程だ。ちょっとしたケープ代わりくらいにはなるはず。ないよりマシってやつだね。


「あ、それから…」


 本来は襟元に結ぶべき制服のスカーフだが、俺は首が苦しいのがどうしてもダメで、ベルトループに結び付けている。こんな所に身に付けていた物を使わせるのも心苦しいんだけど、これも、ないよりは…と自分に言い訳をしながら解いていく。


「…こんな物で申し訳ないんだけど…髪を纏められるかな?上は風が強いし、軽くでも纏めておくと楽だと思う。」

「そ、そんな!こんなにお借りしてしまっては悪いです!上着だって…これではラヴレンチ様のお身体が冷えてしまうではないですか!スカーフは、自分のを使えば、」

「っわー!!ちょっと待って待って!!」


 名案だとばかりに、自分のスカーフを解こうとするファウスティナ嬢に、慌てて待ったを掛ける。すんなり止まってくれた事にまずは安心して、一呼吸。


「…っ、女の子が!自分の装いを乱すような事をする必要はありません!!」

「はっ、はい!ごめんなさい!」


 情けなくも思わず半泣きになりながら必死に訴えると、反射的にかもしれないが了解を得られたので良し!


「…ギュウ……」


 そこで、呆れたようなアリアの声が聞こえてきてハッと我に返る。ファウスティナ嬢の予想外の行動に驚いて、つい大きな声を出してしまった…しかも半泣きで。恥ずかしいやら、申し訳ないやらで酷く居たたまれないけれど、これだけはちゃんと伝えねばならない。


「押し付けてばかりでごめんね…?でも、『空』に関しては俺達がホストで、君はゲストなんだ。本当に、君さえ嫌じゃなければ最初から最後まで、もて成させてほしい。」

「……お言葉に甘えてしまって、ラヴレンチ様のご迷惑にはなりませんか?」

「勿論!甘えてくれた方が嬉しいよ。」


 はっきりと言ってあげても、ファウスティナ嬢は未だ思案顔だ。公爵令嬢としての彼女の在り方、気高さはとても尊いものだけど、少し息を詰めすぎではないだろうか。その肩の荷が下ろせると言うのであれば、ファウスティナ嬢の『爵位剥奪』は悪い事ばかりではないのかもしれない。でも、今後の生活の事を考えると、やはり負担の方が大きいのは確かだろう。

 彼女の笑顔を守る為に、俺がこれからもしてあげられる事は、ないのかな…──


「で、では…その…どちらもお借りします、ね?」


 ───諸君。お分かり頂けるだろうか。俺の貸した上着の端をキュッと握って、改めて差し出したスカーフを大切そうに受け取り、はにかむファウスティナ嬢の可愛さを。もう一度言うぞ。お分かり頂けるだろうか。


 「うん、どうぞー」なんて、平然と返した自分を今こそ褒め称えたいと思う。俺史上、最高のポーカーフェイスだった。ブラボー。


「オフェーリア、お願い出来るかしら?」

「えぇ、お任せ下さい。」


 俺が表情筋を落ち着かせるのに必死になっている横で、オフェーリアさんがファウスティナ嬢の金糸のような髪を、スカーフと一緒に綺麗に編み込んでいく。なにその技、凄い。そして、ファウスティナ嬢はいつも髪を下ろしていたから、そういう髪型が新鮮で可愛い。流石の仕事です、オフェーリアさん。


「ありがとう、オフェーリア。ラヴレンチ様、髪はこんな感じで纏めれば大丈夫ですか?」

「うん、全然問題ないよ。それに似合ってるし、可愛い。」

「あ、ありがとうございます……」


 容姿に関する賛辞なんて、いくらでも受けているだろうに、俺の一言に照れながらお礼を言ってくれるファウスティナ嬢。慎ましいなぁ。折角戻った表情筋がまた緩みそう。


「それじゃあ、アリア。」

「ギュ!」


 だらしない顔になる前に、とアリアを呼ぶ。待ってましたと言わんばかりの勇み足で俺の横に並んだアリアは、いつもなら立ったまま俺が背に乗るのを待つが、今日はファウスティナ嬢を乗せる為に所謂『伏せ』の姿勢を取った。

 しかしそれでも、元々が大きい竜だ。背に乗るには、馬に乗るのと変わらないくらいの高さがある。ファウスティナ嬢が自分の力だけで乗るのは難しいだろう。


「ファウスティナ嬢。抱き上げても大丈夫?」

「へっ!?わわわ、わたくしを、ですか!?」


 アリアに手綱を着けながら問うと、素っ頓狂な声と、酷く動揺した声が返ってくる。今日一日だけで、ファウスティナ嬢の色んな表情を見ている気がするなぁ。


「うん。この高さだと乗り辛いでしょ?」

「そそ、そうですけど…!!…お、重いですよ…?」


 あぁ、何だ。そんな事を気にしていたのか。どう見ても重そうには見えないんだけど。……いや、確かに女性からしたら、どう思われるかは気になる所か。女性に対する気遣い、難しい。

 しかしファウスティナ嬢。君は先程自分で言った言葉をお忘れかい?


「ふふ、女性にそんな失礼な事・・・・・・・、言う訳ないじゃない。」

「ギャオッ!!」


 すんごい勢いでアリアが振り返って抗議の声を上げてきた。そうね、君には「重い」って言ったものね。視線を逸らして、すっとぼけさせてもらうけど。

 俺達のやり取りを見て、ファウスティナ嬢も思い出したらしい。「そうですわよね」とくすくす笑って、遠慮がちにだけど俺の傍へ寄ってくれる。


「お願いしても宜しいかしら?」

「勿論。少し屈むから、俺の肩に手を置いて、腕に腰掛けるようにしてくれる?」

「は、はい。では失礼して……」

「うん。じゃあ上げるよー?」


 俺の言う通りに、ファウスティナ嬢の体重が軽く腕に掛かったところで、その身体をふわりとアリアの背に向かって上げる。大袈裟ではなく、本当にふわりと抱き上げられるもんだから、こっちが驚いてしまった。女の子ってこんなに軽いの……?


「…そのまま、アリアの肩甲骨の間くらいに深く腰掛けて。足は翼の前で大丈夫。スカートの裾は身体の下に巻き込んでおいてね。」

「はい。アリア、お邪魔させて頂きますわね。」

「ギュー!」


 肩甲骨の間、足は翼の前、スカートは身体の下…なんて、一つ一つ俺の言葉を確認しながら体勢を整えるファウスティナ嬢。少し緊張気味だろうか?オフェーリアさんも、どこかハラハラした様子で彼女を見守っている。


「……よし!ラヴレンチ様、アリア、宜しくお願い致します!」


 納得の行く位置取りが出来たらしいファウスティナ嬢が、妙に気合いを入れてお願いしてくるので、少し笑ってしまう。緊張気味ではあるけれど、それは期待から来るものだと、キラキラと輝く瞳が雄弁に語っていた。心配し過ぎると逆に失礼になりそうだ。


「それじゃあ、ファウスティナ嬢をお預かりしますね。」

「宜しくお願い致します。お嬢様、楽しんでらして下さいね。」

「ありがとう、オフェーリア。貴女達も道中気を付けて。」


 挨拶が済んだのを見計らって、俺もアリアの背中へと飛び乗──…ったのは良いが、ファウスティナ嬢を支えようとしたこの今更な瞬間に、気付いてしまったぞ!?竜での騎乗を『支える』には、俺の脚で、前に乗せた人の腰を固定する必要がある訳で───要するにめちゃくちゃ密着するな、これは!?

 「俺が支える」って言った時に、ファウスティナ嬢が少し顔を赤らめていたのはこれかーっ!!なるほど、恥ずかしい!でも恥ずかしがっている場合ではない!あの時の最高のポーカーフェイスよ、発揮すべきは今ここぞ!!


「……行こう、アリア!」


 羞恥心を何とか押し殺しての呼び掛けに、アリアはその強かで美しい翼をバサリと大きく開く事で応えてくれた。ありがとう、相棒。

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