第13話 VSサイクロプス!後編


〈皆様お待たせしました!シャングリラ闇闘技場本日の部、まもなく開始です!〉

 熱狂的な声援。地の底の闘技場。今日は昨日よりさらに観客が増えているようだ。何せ、既に伝説級の戦績を収めたビッグケットが見られるのはあと2日。見ないと損だ、とどんどん人が増えている。

〈実況は昨日に引き続き、人間ノーマンのアビゲイルです!数多のドラマが生まれたここ数日、さて今日はどんなド派手な展開が待ち受けているのでしょうか!?〉

 実況担当は昨日から変わっている。燃えるような赤みがかった金髪に深い蒼の瞳。儚げだったカトリーヌと対象的に、勝ち気そうな顔立ちだ。そのアビゲイルが拡声器マイクをぶん回し、観客同様視線の先にあるステージを見つめている。実況と言えど、いちオーディエンス。彼女もまた、今日の試合を楽しみにしているようだ。

〈さぁ、まもなく選手入場です!なお、本日よりスペシャルプログラムが開催されます!あまりに強いここ数日の勝ち抜けチャンピオンのため、特別な対戦相手をご用意しました!ご覧下さい!!〉

 わぁ…!!

 ガシャン!と高らかな音を立ててゲートが開く。これまで選手が入ってきていた小さな入り口ではない。その丁度反対側、大きな洞穴のような入り口、そして柵のような物で仕切られた空間。その柵が上にスライドし、中から大きな影が這い出てくる。

〈正真正銘の化物モンスター、サイクロプスです!!〉

 うおおおおおおお!!!!!

 遠目でもわかるその巨体。その異形に、獰猛そうな姿に、観客が畏怖と興奮の絶叫を上げた。観客席は地面のステージを一階と呼ぶなら、二〜三階くらいの高低差がある。鈍重そうなサイクロプスが辿り着けるわけもないが、会場中に緊張が走るのを感じた。

〈ん〜、ムキムキですね!これは勝ち抜けチャンピオンもひとたまりもないか!?さぁ、この化物とたった一人で戦う本日の主役を紹介します!

 これまで3日連続で勝ち抜けたチャンピオン、ビッグケット選手です!〉

 ワアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!

 ついに彼女に贈られる声援は、客全員の心を掴むレベルに至った。小さな扉をくぐり、しなやかに現れる黒猫。正面にかけられた魔法の大鏡に映るのは、神妙な顔で対決の時を待つビッグケットだ。あれだけ豪語していたのは嘘じゃない、不安があるわけじゃない。ただ、さすがに笑顔で捻れるほど楽な試合にはならないだろうと、彼女自身わかっている。揺れる猫耳、すっくと立ち上がる黒い尻尾。ステージに上がり、大股開きでサイクロプスを見つめるその姿は雄々しく美しく、さながら戦いの女神のようだった。

〈どこから来たのか、ケットシー混血女性のビッグケット選手!これまで怒涛の強さで数多の男たちをほふってきました!!このままではあと2日、ただ彼女が圧勝するのを見るだけになってしまうので、本日から一対一、大物との勝負とさせていただきます!本日生き残るのはどちらだ!?

 一つ目のサイクロプスか!破壊の女神ビッグケットか!!〉

 わあああああ!!!!

 実況の煽りに観客が大歓声で応える。流石、盛り上げるのが上手い。登録者オーナーであるサイモンも少し、ほんの少し。この対決を楽しむ気持ちになってきた。

〈ではギャンブルタイムの始まりです!レッツシンキング!!アンドベット!!!〉

 その実況を最後に、しばし曲が流れる。サイモンは賭けないのでただ待つだけの時間だが…いやーー、でかいわサイクロプス。なんの気なしに見て後悔してしまう。ビッグケットと同じ目線で見られる彼からすると、サイクロプスなどただの小山だ。いや、身長換算でいうなら恐らく4メートル前後だろう。しかし、あんな人型の生き物いる??鋭く長い角。ぎょろりと大きな、理性の欠片もなさそうな一つ目。どす黒く筋肉の塊の身体。かつて物語の中でしか見なかった怪物がそこにいる。ビッグケットがそれと戦う…だと…?意味がわからない。

〈そろそろ締め切ります!5!4!3!2!1!!しゅーーーりょーーーーーー!!!!〉

 カンカンカンカン!!!けたたましくベルが鳴り、観客の賭け時間が終わる。

〈はい、本日の参加者は5万532人!皆さんの手元に渡るベット総額は、すごい!22億エルスとなりました!!!〉

 おお!?額がすごい!えーと…嘘だろ?!全員が同じ方に入れて当てたとしても、4万3千536エルス返ってくる!!うわーーーっ賭ければ良かった!!今更そんなこと言ってもしゃーないけど!!

〈ではベット情報が気になりますね?全員が当てても4万エルスは固い本日。さ、その割合はーーッ、じゃん!6:4!ビッグケット選手が勝つと予想した方は4割でした!!〉

(マジか…!!)

〈当たれば10万エルス!さぁ、ビッグドリームは叶うのか!?〉

 サイモン自身がそうであったように、やはり今日の戦況は厳しいと皆が予想した。何せあの体格差である。いかにビッグケットが強くても…まさかそんな…。運営が賭博の準備をしている間、ビッグケットはひたすらサイクロプスと睨み合っている。その心中はいかほどか。

(…頑張れ。勝て。応援してるからな…!)

 サイモンが一人、オーナー席の柵を握りしめる。その先で。

〈では、運営側の準備が整いました!ビッグケット選手、心の準備はいいですか?始まりますよー!!

 …レディイイイイ、ゴー!!!〉

 ついに始まった!!!










 ふわ…。サイクロプスの身体が淡く光ったような気がした。途端、

 ブオオオオオオオオオ!!!!!

 怪物の怒号が会場中に響き渡った。これまで何らかの形で行動を制御されていたのだろうか、突然意識が覚醒したかのように、ビッグケットに向かって一直線に歩いてきた。どすどす、どすどす、どどどどど!!やがて走り出し、黒猫との距離を詰める。しかしこの程度ならビッグケットの敵ではない。あまりに鈍重。攻撃をかわすだけなら楽勝だ。

(でも、勝つためにはこっちも懐に飛び込まなきゃいけない)

 ワアアアアアアアアアアアア!!!!

 割れんばかりの大歓声の中。ビッグケットは意を決して走り出した。こちらからも仕掛ける。狙うは奴の頭。とにかく捕まらないように、「アレ」を手に入れねば。

「!?」

 あと数秒で両者が激突する!その瞬間、ビッグケットが力強く地面を蹴った。高い跳躍。そして…

 ガキン!!!

 角を蹴り飛ばした。確かに衝撃音がしたが、そう簡単には折れない。サイクロプスは角も特殊なようだ。並の人間とは違う。

(チッ…やっぱ一撃じゃ無理か)

 着地。次の瞬間、サイクロプスの両手が伸びてくるので再びひらりと跳ぶ。二度、三度。サイクロプスはつんのめるようにビッグケットに迫ってくる。4メートルのサイクロプスからすると、犬猫サイズとは言わないものの、黒猫は相当小さい。ちょこまか逃げるのを必死に追いかけている。

(角、狙いなのか?)

 それを見たサイモンに疑問が浮かぶ。まさか、あれを折って武器にする?そんなまさか…だが、確かにそれが出来れば有利になるし、そんなことが出来るのはビッグケットだけだ。

 グルルルウアアア!!!!

 捕まらないビッグケットにイライラしたサイクロプスが身体を起こす。ビッグケットもこれ幸いと距離をとるが、

 ゥアウ!!!!

 瞬時に平手が飛んできた。本能の計算だろうか、丁度ビッグケットが跳んだ先を通過する軌道。

『!!』

「ビッグケット!!!」

 咄嗟にビッグケットが身体を縮こませる。頭ごと抱えるようにした彼女の身体に、サイクロプスの平手が直撃する。

 バァン!!

 衝撃音が響き、サイモンは心臓が凍る心地だったが、すっ飛んだビッグケットは軽やかに着地した。五体満足に動いている。とりあえず、生きてる。

ーーって!!身体まっすぐにしてたら先端吹っ飛んでたわ!!』

 どうやら、身体を丸めることで各間接を守ったらしい。外傷は見当たらない。内部の骨が、内臓がどうなっているかは外からじゃ伺い知れないが…

『オラオラ、大人しく角寄越せ!!!』

 やはり角狙いのようだ。ビッグケットはまたしてもサイクロプスに駆け寄っていく。ぶん、ぶん、鈍く振られるサイクロプスのノロマな攻撃を掻い潜り。

『折れろ!!!』

 ガキン!!!

 二撃目。高々と上げた脚からハイキックをお見舞いする。ピシ。ヒビは入るものの折れない。

(クソ、予想より硬いじゃんか)

 黒猫は舌打ちし、着地と同時にもう一度床を蹴った。

(じゃあこうだ!!)

「何をッ…」

 サイモンが見上げる先。ビッグケットはサイクロプスの身体によじ登り、丁度肩車の体勢になった。そのまま角を掴む。

『一気にいかせてもらう!!』

 ガツン、ガツン、ガツン!!!

 力強い右のパンチ。やがて角は目に見えてダメージが入り、

 バキン!!!!

 折れた。

 ギャオオオオオオオ!!!!

 サイクロプスの絶叫が響く。どうもサイクロプスの角は爪や突き出した骨というわけでなく、何かしら内部と繋がっているらしい。折れた角の根本から血が滴っている。

「!」

 当然、怒りの矛先は自分に跨がっているちびへと向かう。ビッグケットが意気揚々と戦利品を掲げたその瞬間。ビッグケットの右脚が掴まれた。

(ヤバいッ…!)

 その戦況は、下手したら遠目で見ていたサイモンの方が把握出来ていたかもしれない。怪力の生物が敵とみなした生き物を掴んだらどうするか。…いや、この時にはビッグケット本人にも状況が読めていた。その上でにやりと不敵な笑みを浮かべる。

『よぉし、私とお前、根比べといこうじゃないか!…耐えれるもんなら耐えてみろ!!』

 勢いよく真上に。角を振りかぶるビッグケット、そして手に力を込めるサイクロプス…!

『ウアアアアアア!!!!』

 グアアアアアアア!!!!

 その衝撃は同時の出来事だった。ビッグケットの脛がいとも簡単に砕かれ、一方で黒猫が掴んだ角をその一つ目に突き立てる。痛みで言うならどっこいだが、視界を奪われたサイクロプスの方が戦闘におけるダメージはでかい。

「ビッグケット!!!!!」

 彼女の狙いは角を掴んだ時点でわかっていた。しかしこうなることも同時に予想出来て、その現実にサイモンが咆哮した。サイクロプスは眼球の痛みで咄嗟に手を離したが、その分ビッグケットの脚がよく見える。ぎゅっと握りしめられた右の脛。見た目上出血はないが、どす黒く変色して内部がとんでもない状態になっていると伺い知れた。

『脚一本くらいくれてやるよ、オラァ!!!』

 だが相棒の心配をよそに、ビッグケットは怯まない。サイクロプスが慌てて手を離したこの状況を好機と捉え、何度もサイクロプスの目に角を突き立てる。その度に血が飛び散り、やがてサイクロプスの目はどこが瞳孔でどこが白目だったかもわからないほどぐちゃぐちゃになった。だらだらと鮮血が顔を、胸を流れていく。

 ビッグケットは変わらずサイクロプスの肩に乗っている。しかしピンポイントで目が攻撃されている今、痛みとショックを乗り越えて敵を排除出来るほどサイクロプスの精神は豪胆ではなかった。慌てたように手を振り回し、やがて。

『トドメだ!!』

 目が充分に潰れた事を察したのか、ビッグケットは血まみれの角を横に構えた。

 ドスン!!!

 力強く、一息に。ビッグケットがサイクロプスの首筋に角を突き立て、そこから血飛沫が飛んだ。まるでパンパンの風船から空気が抜けていくように。勢いよく引き抜くと、興奮しているだろうサイクロプスの身体から血の噴水が勢いよく吹き出した。

『もういいだろ!』

 そこでビッグケットが身を翻す。いつもよりは不格好な着地。右脚を庇って、左に倒れるように床に降りる。対するサイクロプスは丁度イイ所に入ったんだろうか。ぐらりと身体を傾がせ、

 ドスン…!!

 倒れた。黒っぽい血がみるみる床に広がり、ぴくりとも動かない。死んだ…のか…?少なくとも戦闘続行可能には見えない。

『………』

「……………」

 しばし沈黙が流れ、そして。

〈動かない!動かない!!サイクロプス、動かなくなった!!これはっ…ビッグケット選手の勝利です!!!〉

 ウオオオオオオオオオオオ!!!!!!

 会場の音声がサイモンの耳に届いた。恐らく実況自体はずっとされていたんだろうが、息すら止まりそうにビッグケットを見つめていたサイモンには聞こえていなかった。戦況が動かなくなり、ようやく会場の音がサイモンの耳に、脳に届いた。…勝った、のか?勝ったのか…!!

『ビッグケット!!!!』

 今日こそ走り出した。もう誰に見られていても構わない。ビッグケットは膝から下をやられた。一人じゃ満足に動けないはずだ。

『へへ…脚一本の犠牲で勝ったぜ』

『馬鹿!!ドウシテソウ無茶バッカスルンダオ前ハ!!!』

 傍らにしゃがみこみ、ビッグケットの顔を覗き込む。さすがに痛みで引きつっていたが、痛みの規模を考えると随分余裕そうな態度だ。黒猫は勝利のピースサインでサイモンに応えた。そのままその手を彼の方に差し出す。

『ワリ、肩貸して。さすがに一人で立ち上がれない』

『イイヨ、肩クライイクラデモ貸シテヤル!ムシロ抱エテ運ンデヤレナクテゴメンナ!!』

『大丈夫、それは期待してない』

 だって私多分、お前より重いし。吐息混じりに告げられた事実に驚愕したが。サイモンがビッグケットから出された手を掴むと、黒猫は左脚一本を器用に操り、なんとか身体を起こした。肩を貸し、二人で支え合って立ち上がる。瞬間、囃すような口笛と歓声が降ってきた。

〈キャーッ、見せつけてくれますね♥おめでとうございますオーナーさん、今日も猫ちゃん勝ちましたよ!!!〉

 咄嗟に大鏡を見れば、抱き合うような二人の姿がバッチリ映し出されている。サイモンの、そしてビッグケットの顔を真正面に捉えているということは、大鏡に映す映像は鏡の近くから撮られているんだな。いや、丁度鏡の下に実況席があるし、あそこが運営本部。鏡の映像もあそこで撮っていると考えていいだろう。実況のアビゲイルが手を振っているのが見える。しかしまぁ…これは…なんの公開処刑なんだ…。途端に恥ずかしくなるが、もう遅い。仕方ないのでサイモンは開き直り、観衆に手を振りながらビッグケットとオーナー席まで戻った。


〈では確認です、本日の観客数は………返還総額は………〉


 アビゲイルのアナウンスが続いているが、賭けていない今日は昨日以上に興味ない。それより問題は脚をぐしゃぐしゃに砕かれたビッグケットの怪我だ。これまでこんな大怪我に遭遇したことがない。どうすれば…どこなら綺麗に治療してくれるんだ。

(…かなり遠いけど、教会しかないのか)

 逸る気持ちをなんとかなだめ、少しでも早く帰れるよう魔法の絨毯を握りしめる。これに乗って一気に帰れればいいのに。しかし最低限、一本道の通路は最後まで歩かねばならない。そこを出たらダッシュだ。魔法の絨毯に乗って螺旋階段を舞い上がってやる。

『…ビッグケット、頑張レ。細イ道ハ最後マデ歩カナイトダカラ』

『大丈夫…脚が折られたからなんだってんだ…』

 黒猫は強がった笑みを浮かべているものの、ただ折れたわけじゃなく砕かれているのだ。額に玉のような脂汗を滲ませてかなり痛そうだった。くそ、早く来いよ後処理係。サイモンがやきもきしていると、やがてしれっとした顔で後処理係が現れた。

「サイモン・オルコット様。勝利報酬の小切手をお持ちしました」

 今日は賭けてないし他のオーナーもいない。かけられた言葉は実にシンプルだった。恭しく捧げ持たれた板、その上の7万エルスの小切手。それを確認した瞬間、サイモンは奪い取るように小切手を手にした。ついで大声で吐き捨てる。

「今日はただ脚をやられただけだ、商品の湯浴みも替えの服も要らない!もう帰っていいか!?」

かしこまりました。ではまた明日あすも。お会いしましょう」

 慇懃無礼に下げられる頭。それを見て、一瞬ダッシュしかけたがふと思い直す。疑問を口にした。

「…おい、明日の対戦相手はなんなんだ。サイクロプスより強い奴が来るんだろ?こうなりゃド派手にドラゴンとかか?だったら流石にもう来ないかなぁーっ」

 今日勝てたのは運良く相手から武器をもぎ取れたから、ここを狙えとばかりの弱点があったからだ。これ以上強い奴が来たら流石のビッグケットも死んでしまう。殿堂入りがなんだ、そんなの命あっての物種。文字通り命懸けで狙うもんじゃない。もしビッグケットに勝てそうもない相手が出されたら…もう潔く辞退しよう。今日中に宣言しておけば、明日からは通常の10人によるバトルロワイヤルをやればいいだけだ。代わりの犠牲者も出ないだろう。頭の中で一通り思考をまとめ、後処理係の返答を待つ。すると。

「『秘密』。ですよ」

「はぁ!?」

 成人した男が気色悪く、人差し指を立てながら微笑んだ。ひみつ、って…ふざけてんのか!?

「今日から明日にかけて、何らかの対策を練られて準備されても困ります。あくまで闘技場は不正なき勝負。肉体一つでいらしてもらうため、相手は教えられません」

「ぐっ…」

「しかし、ヒントは差し上げます。ドラゴンではありません。そして、二足歩行のヒト型です。一応、モンスターというよりは人類の定義に当てはまります。これが明日の相手です」

「…?」

「なお、急ごしらえながら明日も一対一の勝負のため、お二人が来なければ代わりの誰かが犠牲になります。ぜひそこまで含めてご検討下さい」

「…!!」

 またかよ糞が!!こいつら、どうしてもビッグケットが死ぬところが見たいんだな。ショーがどうの、仕組みがどうのを越えた悪意にサイモンが歯噛みする。すると、肩を貸しながら立ったままのビッグケットがか細い声を上げた。

『おい…何をごちゃごちゃ話してるんだ…行かないのか…』

 そうか、ビッグケットは話がわからないまま待たされてるんだ。申し訳ないことをした。

『アッ悪イ!…アノ、明日ノ相手ノ話。ヒト型デさいくろぷすヨリ強い奴ガ相手ダッテ。出ナイトマタ誰カガ代ワリニ死ヌッテ…ドウスル?』

『は?誰が相手でも私がぶちのめす。絶対明日も出る。脚が治るなら、だけど』

『ソ、ソウダヨ…マズハコノ脚ダ。行カナキャ』

 そうだ、まずはこの脚。今のところ治療のあては心許ない。教会にこの怪我を瞬時に治せるだけの魔法の使い手がいるだろうか?金ならいくらでもある。ただ、どれだけ頑張って教会に辿り着いても、治せる人間が居なければ徒労に終わる。

『…チッ、ショウガナイ…行クゾ。トニカク出口マデ…』

 薄笑いを貼り付けた後処理係を睨みつけ、なんとかビッグケットと歩き出した。通路が果てしなく長く感じる。一歩一歩、重たいビッグケットを庇いつつ魔法の絨毯、そして途中で拾った荷物を抱えて歩くのはなかなか重労働だった。

(魔法…回復魔法を使える誰かがこの街にいれば…)

 最悪今日から明日にかけて、これを探すか呼ぶかに時間をとられるかもしれない。脚を折られただけじゃビッグケットは死なない。かなり苦痛を伴うだろうが、適切な処置をしながら待って、明日の17時までに回復魔法を使える誰かに巡り会えればこちらの勝ちだ。

(でも…そんなん可哀想すぎる)

 隣をちらりと見れば、今既にかなり消耗している様子だ。いつも勝ち気で軽口を叩いてばかりのビッグケットが黙り込んでいる。…どうか、どうか。無事治りますように。いや、それを出来るのは俺だけだ…なんとしても!全快させてやる!サイモンが決意を新たにする。顔を上げれば、出口に繋がる小さな扉が見えてきた。もう少し!

『ヨシ、ビッグケット!コレニ座レ、飛バスゾ!!』

 急いで扉を開ける。ようやく広い空間、階段の底に辿り着いた。ビッグケットから肩を外し、魔法の絨毯を広げる。すると、なんだろう。目の前に誰かが立っている。脚、素足。半ズボン?を履いている細い脚だ。

「わーーっ、お姉さん痛そう!大丈夫??」

 この場においては呑気な、しかし実際はただ細く高い声。こ、子供…!?慌てて顔を上げると、二人を見下ろすように小さい人間が立っていた。身長は150センチほどだろうか。ぽこんと膨らんだキャスケット帽、そしてよく似たシルエットの膝丈ズボンを履いた子供。に見える人間が立っていた。さも心配そうに胸の前で拳を握りしめている。

「脚、折れてるの?これから治療しにいくの?アテあるの??」

 矢継ぎ早に質問されて面食らう。そもそもここは成人済の大人しか来れないはず。こいつどうやって迷い込んだんだ。サイモンが思わず上から下まで値踏みするように眺め回すと、少年?はにっこり笑ってキャスケット帽のツバを掴んだ。

「あ、オイラ?父ちゃんがここにしょっちゅう通ってて。賭博で遊んでる間、いつもここで待たされてるんだ。ここ子供は入っちゃいけないんだよな、知ってるよ。約束を破ったことなんかない、いつもちゃんと最後まで待ってるから安心してよ」

 …なんだ、ヒデェ父親もいたもんだな。こいつはギャンブル好きの父親の付き合いで待たされているらしい。母親は?いない、のかな。可哀想に。…って、世間話してる暇はないんだよ。こちとら急いでるんだ。

「あーそりゃご愁傷さま。お前も大変だな。で、俺ら急いでるからごめんな。こいつの怪我を治せる奴を探さなきゃいけないから」

「だからそれ。オイラ知ってるよ。その脚綺麗に治したいなら、東部の南にある黒の魔法協会に行くといい。この街の教会チャペルはヤブだ、高等魔法を誰も使えない」

「えっ…?」

 突然投げかけられた言葉。なんだって、黒の魔法協会…ってなんだ?少年は得意げに満面の笑みを浮かべている。

「シャングリラは軍事開発された元田舎だから、腕のいい回復師ヒーラーは全部軍が囲ってる。この街の教会は見た目こそ綺麗だけど、田舎の聖職者をスライドで置いてるだけだから、大した腕じゃないんだ。行こうとしてるなら無駄脚になるぜ、まっすぐ黒の魔法協会に行った方がいい。…ああ」

 少年がちらりと視線を落とし、サイモンが広げた魔法の絨毯を見つめる。そして苦しげに息をするビッグケットを見て、一層目を細めた。

「お兄さんいいもん持ってるじゃん♪これのすごい使い方知ってる?行き先を教えると勝手に連れてってくれるんだよ。急いでるんでしょ、もう行きなよ」

「あ、ああ…ありがとな」

 矢継ぎ早に情報を叩き込まれて面食らった。子供は黙って手を振っている。えーと、黒の魔法協会、だっけ。それを魔法の絨毯に教えると勝手に連れてってくれる…だって?

「着いたらピクシーのドニって男を呼び出して。変わり者だけど凄腕の回復師ヒーラーだからさ。じゃ、いってらっしゃい」

「おう」

 なんとかビッグケットを絨毯に乗せ、荷物を下ろし、サイモンも腰を下ろす。半信半疑だが、魔法の絨毯に話しかけた。

「えっと、黒の魔法協会まで連れて行って」

 すると魔法の絨毯がふわりと光った。浮かび上がる。…本当に反応した!

「あ、あの、どこの誰かわかんねーけどありがとな!!恩に着るよ!!」

 そのまま滑るように動き出すから、もう後ろなんて見てられなかった。よくわからんけど助かった。ここからどれだけかかるかわからないが、この街にいる凄腕の回復師ヒーラーってことは、余裕で今夜中に治るだろう。…あのガキの言うことが正しければ、だけど。サイモンは高鳴る胸を押さえ、ぐったり倒れかかるビッグケットの身体を支えた。…こうなりゃあのガキに賭ける。どうせ明日の捜索も視野に入れてたんだ、仮に今夜が無駄足になっても大丈夫…!

 螺旋の軌道を描き、ぐんぐん階段を駆け上がる魔法の絨毯。その小さくなる様子を見上げる少年は、帽子のツバを上げて満足げな。いや、酷薄と呼べる笑みを浮かべた。

「…大丈夫、絶対治るよその脚。だから…


 また明日ここで会おうぜ、ビッグケット」


 その小さなつぶやきは深い深い地底の闇に呑まれて。













「…あの!ピクシーのドニって方はいますか…!!」

 すっかり闇に包まれたシャングリラ、東部の南端。飲食店街に紛れるように佇むこの建物を、サイモンは一度も見たことがなかった。何せシャングリラはものすごく治安が悪い。何も知らず何も持たずほいほい奥まで入り込むと、ロクでもない事に巻き込まれる可能性が高い。それ故恐ろしくて、安全が確認されている範囲までしか行ったことがなかったのだ。

 古い城のような、砦のような四角い建造物。風に煽られ、三本脚のカラスが描かれた真っ黒な旗がたなびいている。魔法の絨毯はこの建物の前で飛ぶのをやめた。黒の魔法協会。なんだか窓が小さくおどろおどろしい雰囲気もあるし、恐らくここで間違いない。扉を叩いて呼びかけるが反応がない。…入っていいのか?小さな木戸のノブを押すと、…開いた。鍵はかかっていないようだ。あるいは魔法協会って名前だし、魔法使いの職業組合ギルド的な物…その地方支部なのかもしれない。サイモンはとりあえず玄関前にビッグケットを置いたまま、そろそろと中に入った。薄暗いが灯りがついている。ぐるりと掲げられた松明。せっかく悪趣味な闘技場から出たのに、あまり変わらない印象の場所だ。

「…あの、ピクシーのドニって方はいますか…?」

 思わず小声になってしまう。奥の暗がりに向かって話しかけると、

「お呼びかな?」

 すぐ後ろから声がした。飛び上がりそうになりながらサイモンが振り返ると、小さな小さな老人がそこにいた。黒いローブを纏い、黒いフードを目深に被ったその顔からは、白く長い髭だけが覗いている。超小柄なエルフ。端的に言うなら、ピクシーという種族の外見はそんな感じだ。被ったフードの両耳あたりが横に突っ張っている。長い耳が引っかかっているんだろう。

「あの、貴方がドニ…さんですか。凄腕の回復師ヒーラーって聞いてここに来たんですけど」

「は?誰がそんなことを??」

「えっ…なんか…小さな子供が…えっと…キャスケット帽を被った…」

 しどろもどろになりながらサイモンが説明すると、老人はホ!と声を上げた。

「なんじゃあいつか!くく…それで?アンタは急いで回復させたい誰かがいるのか?」

 どうやら話が通じたようだ。…知り合い?こんな怪しげな所にいるジジイと?よくわからないが、藁にもすがる思いで外を指さした。

「あの、経緯は省略しますが、サイクロプスに片脚握りつぶされた人がいまして。出来ればすぐ、明日の夕方までに治して欲しいんですけど…」

「うんうん、そうかわかった。外か、今行くぞ」

 サイモンが慌てて玄関を出ると、老人もそれを追うように着いてきた。外でうずくまるビッグケットはいよいよ苦しげに呻いている。いやむしろ、よくここまで耐えた。並の人間なら半狂乱で泣き喚いててもおかしくない大怪我なんだから。

『ナントカとかいう奴…見つかったか…』

 事の詳細は魔法の絨毯で飛ぶ道すがら伝えた。ドニ。恐らくこの爺さんがそうだ。ピクシーの老人はさっと黒猫の傍らにしゃがみ込み、右脚に両手をかざした。ふわりと手が光る。怪我の具合を見ているのか。サイモンが黙って見守っていると、老人はウンウンとまた頷いた。

「お嬢さん、酷い怪我だ。よく頑張ったな、今楽にしてやる」

 するとその手が黒く光り、ビッグケットの脚がうぞうぞと波だった。端的に表現するなら、皮膚の下で無数の蟲がうごめいているような。

「なっ…!?」

 確かに藁にもすがる思いだったが、突然想定と違う映像を見せられた。これ、大丈夫なのか!?いやわからないっ、まだ全部終わってないから…せめてそれまで待たねば!

「…ほい終わり。どうだ?動かせるか?」

『…治った』

「えーーーーーー!!!???」

 老人の手の黒い光が消えたかと思うと、ビッグケットはぴょこんと立ち上がった。右太ももを上げ、左太ももを上げ、その場で走るようなアクションをした後、両足でぴょんぴょんと跳ぶ。…元気そうだ。恐る恐るビッグケットの右脚に目を凝らすと、暗がりだが確かに何もない。健康的な元の白い脚がそこにあった。

「うんうん、いつもながら最高の出来!ワシ天才!!」

「あっ、ありがとうございます!ありがとうございます!!」

 むふー、と鼻息を吐く老人に向かって、サイモンは思わずぺこぺこ頭を下げてしまう。こんなに簡単に、こんなに元気そうに治るなんて。やっぱり魔法はすごい。ビッグケットを見れば、もう辛そうな様子はない。元気いっぱい腰に手をあて、ピースサインを突き出してきた。…もう、安心なんだ。思わず長く安堵の息を吐いた。

「…あの、お代っていくらくらいですか?こんなにすごい魔法となると、100万単位でしょうか…?」

 払おうと思えば払える。少し待たせることになるが、明日銀行から下ろせばすぐだ。そういや小切手も何枚か溜まった。これも一気に換金してこよう。サイモンがぐるぐる金のことを考えていると。

「いや、頭の匂い嗅がせて。」

「は???」

 唐突にとんでもないことを言われた。老人は両手を出し、わきわきと指を動かしている。

「ワシ頭の匂いフェチなんじゃ!お嬢さんも兄さんも、しゃがんで頭の匂いを吸わせてくれ!!」


(変わり者だけど凄腕の回復師ヒーラーだから…)


 さっき子供に言われた言葉がリフレインする。…確かに…変わり者だ…。でもこれが代金になるならメチャクチャ安い…ありがたい。そう、ちょっと何かを捨てるけだ。

『ビッグケット…コノジイサンガ、頭ノニオイ嗅ガセテクレッテ。ソレガ回復ノ代金ダッテ』

『うわ、何それ。でもそんなことで済むなら安いのか?良かったな』

 もうすっかり調子を取り戻したビッグケットが嫌そうに耳を伏せる。しかし、確かにこれで済むならありがたいんだ。黒猫は躊躇なくしゃがみ込み、老人に頭を差し出した。両耳がぴくぴく蠢き、緊張している様子が見て取れる。老人はそれを見たか見ないか、ガバッとビッグケットの頭に鼻を埋めた。

「くはーっ、可愛い猫チャンの頭!くんかくんか!!」

 …………普通に嫌だな………。しかも男女問わないところが本気の剛の者だ…。しばらくしてビッグケットは開放され、次。サイモンの番だ。

「…お手柔らかにお願いします…」

 老人の前に跪き、頭を差し出すとわし!と両側から掴まれた。ふんがふんがと嗅がれている。

「うーん、若い人間ノーマンの男のニオイ!!青春じゃのーっ!!」

 ……メチャクチャ嫌だ……。でも腕は確かだ………。一応、覚えておくか…今後のために…何かあった時のために…。どうにか気を逸らそうと色々考えていると、なんとかぷち拷問が終わった。いや、習得した高い技術と能力を惜しげもなく他人に使ってくれてるんだ、感謝しなくては…!

「あの、助かりました。ありがとうございました。俺たちもう行きます」

 頭が開放されたので、急いで立ち上がった。老人、ドニは満足そうに片手を振って見送ってくれた。

「こっちこそありがとうな!大怪我したらいつでも言ってくれ、くんかくんかさせてくれたら治すから!」

「はい…そうですね…」

 引きつった笑みしか出てこないが、なんとか捻り出した。腕は、確かだ。それは間違いない。サイモンとビッグケットはそれぞれ手を振って黒の魔法協会を後にした。

『…なんだったんだアレ…』

『ソレナ…』

『いや、腕は確かなんだろうけど。普通に完治してるけど』

『ウンウン、ソレハ良カッタ』

『…けど、出来ればお世話になりたくないな…』

『ウン…』

 くたびれた気分で帰途につく。はぁ…えと…なんだっけ?明日、何するんだっけ…?徐々に灯りが見え始める飲食店街を歩きながら、二人はため息をついた。

(インパクトありすぎ。全部持ってかれたわ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る