第8話 コボルトを救え!後編
〈皆様お待たせしました!シャングリラ闇闘技場本日の部、まもなく開始です!〉
うおおおおおおおおお!!!!!!!!!
期待に満ち満ちた観客の歓声。すり鉢状の闘技場、正面に掲げられた大きな大きな魔法の鏡。その中には昨日と同じ、薄氷の青い瞳と雪のような白髪を揺らした美しいエルフが映っている。その彼女が紡ぐ、
〈実況は今夜もわたくし、エルフのカトリーヌがお送りしています!今日はこの闇闘技場が始まって以来、初の偉業が繰り広げられます!皆様盛り上がって参りましょう!さぁ、まもなく出場者入場です!!〉
途端、轟音のような声が観客席から上がり、会場を揺らした。選手が入ってきた。予想通り、ビッグケットは先頭だ。わくわくとした面持ちでオーナー席に座るサイモン。今日は何もかもが楽しい気分だ。
〈さてまずは!なんと!この闇闘技場開始以降、史上初の!女性の勝ち抜け選手の入場です!!昨日は怒涛の強さを見せました!ケットシー混血ビッグケット選手!!!今夜も血の雨を降らせてくれるのか!?はたまたそれを超える選手が現れるのか!?今日は余裕のドレスアップ姿!外見でも魅せてくれます!!引き続き戦いも乞うご期待!!!〉
わあああああああああ!!!!!!
昨日から連夜の観戦か、噂を聞いてやってきたのか。今日は純粋に好意的な歓声が多いように感じる。一部懐疑的な声も混じっているようだが…初見は黙ってろ。すぐにその不満ねじ伏せてやるぜ。
一方ビッグケットは昨日とは打って変わり、余裕綽々、楽しそうな笑顔で手を振っている。口紅はなんとか機能を果たした。艶やかなメイクアップ姿。露わな谷間も揺れる太ももも、この会場の全ての男を虜にしている。…お、投げキッスしたぞ。随分愛想いいじゃんか。
〈そして今日は!なんと!!W女性の出場です!こちらはコボルトの女性!当初は生贄枠だったはずですが、女性二人で昨夜のチャンピオンも女性!これは一体どうなる!?頑張れ男性陣、ひん剥け男性陣!殺られる前に殺るんだ期待してるぞー!!!!!お名前はカーネちゃんです!!〉
また大音量の歓声。コボルト女性のカーネ(ここでは仮にそう呼ぼう)はこの熱気と異様さに気圧されて、ただただ怯えている。本来だったら無惨に殺されていたんだろうが、今日は運良く馬鹿みたいに強いビッグケットがいる。絶対死なせない…必ず助け出してみせる!
〈そして!今日の目玉はまだ終わりません!なんと次の選手はトロルとオーガの混血!最強種族の登場だー!!!!!トロル混血のイフリート!なんて凶悪な面!なんてムキムキな身体!見た目からして強そうだ!ビッグケット選手を倒せるか!?むしろ圧勝なのか!!?これは楽しみだーーー!!!〉
うおおおおおおおおお!!!!!
先程までとは一転、会場からはめちゃくちゃ男臭い声援が送られる。ちゃらついた選手にゃ興味ねぇぜ、俺たちはマジで強い奴を応援したいんだ。そんなノリの。ていうか…
「オッサン、あいつのことトロルとオーガの混血って登録したのか」
「ふふん、詳しい経歴の証明書なんて求められないからな。実際そんなんある奴いないし。盛ったもん勝ちだ」
ステージと地続きのオーナー席にて。せっかくなので、貴族のオッサンとは隣同士で座った。うちの猫が勝ったらまた馬鹿笑いしてやる。それがめちゃくちゃ楽しみなわけだけど…
「小僧、正直あの猫女はなんなんだ?運営にチクらないから教えてくれたまえ」
ふいに貴族男が髭を捻りながら話しかけてくる。あいつの詳しい過去…血…?ぶっちゃけサイモンも知らない。そうとしか言えない。
「さぁ…実のところ俺も知らないんだよ。シャングリラより北に住んでたってことしか聞いてなくて」
「シャングリラより北ぁ??それ、もうオーガの生息地じゃないか」
「そう、俺もそれ聞いたんだけど。オーガは別にそこまで危険でもないと思う…とか濁されたな」
初めて会って話したあの日。途切れ途切れにしか解読出来なかったあの言葉は、本当はどういう意味だったんだろう。
「ううーむ更に謎が深まった。どうしたらあんなに強くなれるんだ」
「さてなぁ…」
ケットシーだというばあちゃんの話。育ててもらえなかった様子の親の話。どこまで聞いていいんだろう。対するサイモンは、過去の話を聞かれても大したエピソードは出てこない。兵士の父と、家庭的な母と、勉強が好きだったけど就職で挫折した一人息子。これで終わりだ。
(…いつかあいつの家族の話、聞いてもいいのかなぁ)
今よりずっと心を許しあったら…そういう機会を設けてもいいかもしれないな。もちろん本人が嫌がらなければだけど。
(…あれ?選手紹介、どこまで聞いてたっけ)
鳴り止まない歓声。突然意識が現実に引き戻される。どうもサイモンがぼんやりしている間に、選手紹介はあらかた終わってしまったようだ。正面の鏡を見れば、各選手の情報が文章と映像でまとめられている。最初に聞いた三人以外の情報は以下の通り。
武道大会荒らしで生計を立てているリザードマンの「ホワイトブレス」。
現役軍人、力試しのためにやってきた
元鉱夫、仲間割れで同業者を殺してしまったので逃走費用が欲しいドワーフの「ディアマンテ」。
盗賊業だけじゃひもじくなってしまったので、もっとドカンと金が欲しいコボルトの「バウワウ」。
貴族の飼い奴隷だったが、口減らしのために放り込まれたゴブリンの「シャドウ」。
そして、さっきは確認出来なかったメンバーがあと二人。
とにかく殺しがやりたくてやってきたオークの「ブラッディムーン」。
お腹が空いたので人間が食べたいです。上半身人、下半身鳥で当然翼も生えてるハーピー(男)の「ハングリー」。
(…っておいおい、今回わりとガチだぞ。血の気多い奴らばっかりじゃないか)
昨日の戦いは、自殺志願者だの金目的で放り込まれただけの弱者だの、本人に戦闘能力が備わってない出場者が何人かいた。しかし今日は、ほぼ全員が殺し経験者か殺しに興味がある奴らだ。先程控室でビッグケットとカーネの処遇について、そこまで話が盛り上がらなかったのも納得だ。それは興味がないからでも、ビッグケットにひたすらビビってたからでもない。あいつら純粋に殺しがしたいんだ。女がどうのは二の次。とにかく血が。血が見たい。
(となると、ビッグケットとカーネに群がる奴らばかりではないのか?少しは周りで削り合って欲しいんだけど…)
いや、それより何よりエンチャントトロルのイフリートだ。こいつを倒せないと話にならない。ビッグケット…カーネを守りながら勝てるだろうか…囲まれたら大変だぞ…。
サイモンがそんなことをつらつら考えていると、
〈そろそろ締め切りますよ!カウントダウン!5!4!3!2!1!!!しゅーーーりょーーーーーー!!!!〉
カンカンカン!!!!!!けたたましいベルの音が響いた。一般観覧客のベットタイムが終わったようだ。
〈本日参加者4万2千731人!皆さんの手元に渡るベット総額は12億エルスとなりました!!!〉
情報を聞くに、参加人数は昨日より多く、しかし総額は昨日より少ない。昨日圧倒的な強さを見せたビッグケットだが、まだ今日2戦目だ。噂を聞いてやって来た初見組含め、まだドカンと賭ける対象ではないということか。
〈さて、気になるベット先情報ですが!昨夜のチャンピオン、ビッグケット選手に賭けた方はこの中の3割に留まりました!昨夜から続いて見ている方が少ないのでしょうか?それとも…対抗馬のイフリート選手に賭けた方が4割!数字上はこちらの方が期待値が高いようですね!結果は一体どうなるのでしょう!!〉
高らかに響き渡る実況のアナウンス。サイモンは思わず両目をひん剥く。おっ、おいおい3割だって?!思った以上に低い!隣の貴族男は嬉しそうにガッツポーズを取り、おい今の聞いたか小僧!!などと吠えているが、むしろこれは好都合だ。あんなんを見てなお3割しか賭けないのは悔しいっちゃ悔しいが、しかしその分取り分がゲロゲロに美味しい。えーと、今日の観客の数が4万2千?731人だったかな。その3割がビッグケットに賭けた…てことは1万2千819人。それで12億を割ると…………。手近な手すりに指で脳内の計算式を書き、答えを弾き出す。
よし、9万3千611エルス!
思っていたより低い?いや、実はこうなる気がしていた。今日の観客数と総返還額は事前にわからないが、ある程度の割合がビッグケットに賭けることと最後頭数で割ることを考えると、やたら高額賭けるとあんまり戻ってこない。サイモンの金貨袋にはまだ数十枚残っている。全額賭けたら逆に減るところだった。危ない危ない。ま、金貨1枚が金貨9枚以上に化けるなら大勝ちだろう。ボブさんも喜んでくれるはずだ。黙ってにやにやするサイモンを見て貴族男がおい、聞いているのか!?なんて言ってるが、無視だ無視。
〈その他選手の割合は図の通りとなっております、参考にして下さい!さぁ今日はどうなるのか!?まもなく試合開始です!!〉
(強いトロルとやらが向かって左奥…コボルト女は右奥…その間に羽持ち…右にも他の奴…ま、間に合うか)
試合開始前の少しの間。ビッグケットはざっと自分たちの立ち位置を確認した。コボルト女性の場所はビッグケットからだいぶ離れた。しかし、この程度なら本気のダッシュをすれば余裕で一番乗りだ。
〈…では、運営側の準備が整いました!選手の皆様いいですか?!始まりますよー!〉
今日の試合が始まる!
〈レディーー!!ゴォ!!!〉
昨日も聞いたアナウンスのコール。今日はこれが明確に“開始の合図”だとわかっているので、ビッグケットは迷わない。ゴゥ!と言われた瞬間ドレスを翻し、コボルト女性カーネに向かってダッシュした。会場が沸き、
「速い!」
同時に誰もが息を飲んだ。翼と明確な殺意を持つハングリーよりも、5倍のダッシュ力を持つイフリートよりも。風のように駆け抜けたビッグケットが一番速く、危なげなくカーネの元に辿り着いた。
〈まずはビッグケット選手、カーネ選手の元にダッシュ!これは同じ女性同士、他の男に手を出させないという優しさの現れか!仁王立ち!他の選手を迎え撃ちます!!〉
エルフの実況が響き、
『かかってこい!』
気合充分。そこに襲いかかるのは目下カーネに一番近かったゴブリンのシャドウ。しかしこんなチビはビッグケットの敵ではない。こちらを掴もうと伸ばされたシャドウの細い手首を掴み、そいつを身体ごと一回転させる。
グシャン。
〈あーっとシャドウ選手、早くも脱落!!ビッグケット選手が玩具のように振り回す!床にぶつける!!この出血は即死コースだー!!!〉
頭から床に激突。勢いよく鮮血が飛び散り、会場が一気に盛り上がる。昨夜自分より重くでかいワーウルフすら片手で投げ飛ばしたビッグケットだ。チビで軽いゴブリンなど、子供がぬいぐるみを振り回しているようなものだ。頭部はもう原型を留めていない。首から下だけがヒトの形をして転がっている。次の瞬間、
『!』
〈あっと、次の相手は混血トロルのイフリート選手!トロルだが速い!これは筋肉のなせる技か!!〉
もうイフリートがビッグケットに飛びかかった。宙を舞う濁った唾液。今にも噛みつこうとする巨大なトロル。
『汚えな!!!』
思わずビッグケットが横面を張り倒すと…
「ッ!?」
千切れない!トロルは殴られた衝撃こそ凄まじく、遠くにふっ飛ばされたが、床の上をバウンドした後すぐさま動いている。ビッグケットの一撃を耐えたのはこいつが初めてだ!
〈ビッグケット選手の痛烈な張り手!昨日ならこれで顔面が砕ける場面ですが、そうなっていない!強い!強いぞ混血イフリート!!〉
『ビッグケット、マダ来テル!』
トロルに一瞬気を取られている間に、他の奴らがカーネに群がろうとしている。ビッグケットは弾かれたように態勢を立て直した。
『触るなクズが!!』
必死に小さくなっているカーネに伸ばされるハングリーの鋭い鉤爪。ビッグケットがこの足首を掴み、隣のクリストファー(
〈混戦!混戦です!!全員がカーネ選手に向かい、ビッグケット選手がそれを防衛!これは完全にカーネ選手の味方だ!守りきれるか!?〉
響く実況、唇を噛むサイモン。…くそ、こいつら無意識だが全員共闘モードに入っている。誰かがビッグケットを押さえれば誰かがカーネを殺せるからだ。いかに一撃が強いビッグケットといえど、カーネを狙われては一人殴る一瞬すら惜しい。守ることに時間を割かねばならない。昨日の奴らはビビリすぎて順番に殺されたが、こいつらは他の奴を盾にして攻撃を入れてこようとしている。1対(1人死んで)7。乗り切れるか。
(…思ったよりキツそうだな…)
ハラハラするサイモンの視線の向こう、ビッグケットはそれ以上にイライラしていた。捻るように伏せられた両耳。見開かれた金の瞳。闘志に燃えたその顔は、短気な彼女がキレた証だ。
『ああああああああ、ウッゼェなぁ!!!!!!!』
「「!?」」
咆哮が轟き、ディアマンテとバウワウが一瞬身体を硬直させた直後。ビッグケットは大きく両腕を持ち上げ、眼前の二人の頭を鷲掴みにした。
『ウゥラアアア!!!!』
ガヅンッッッ!!!!!
〈あっ!?ビッグケット選手、ディアマンテ選手とバウワウ選手の額を!頭部を!一気に砕いた!!素晴らしいパワープレイ!男性二人の頭部が粉っごなだー!!!!〉
それは観客が見る限り、「二人の額をぶつける」という動作だった。しかし一方で、彼女が自分の両手を合わせようとしたようにも見えた。男二人分の頭蓋骨が激しく圧縮され、砕け散る。真正面から成人二人の大動脈破裂出血を浴びたビッグケットは、全身ずぶぬれの真っ赤に染まった。
〈ディアマンテ選手、バウワウ選手これにて退場!!ビッグケット選手は早くも鮮血でずぶ濡れ!ドレスもビチャビチャでビジュアルが台無しだ!!!〉
『まだ!!』
油断は出来ない。多対一に手こずるビッグケットの隙をついて、クリストファー、ホワイトブレス、ハングリー、そして新たに到着したオークのブラッディムーン、殴打から復活したイフリートがカーネを取り囲んでいる。
〈目の前の敵を排除したビッグケット選手、残りの選手を片付けに向かう!一方他の選手は…ッ〉
『!!』
多分その気になれば、ビッグケットが他の相手をしている間に誰か1人がカーネを殴る時間くらい、いくらでもあっただろう。しかしそれぞれの心のどこかに、「自分だけはオイシイ思いをしたい」という気持ちがあったのかもしれない。幸いなことにカーネは無傷のまま、男同士で小競り合いをしていた。
〈おーっとこれは!共闘解消かぁ〜!?せっかくチャンスだったのに!カーネ選手を殺すのは、あるいはお触りするのは自分だと醜い争いを繰り広げている〜〜!!!〉
ハーピー男ハングリーの脚を掴み、床を転げ回る
(た、助かった…)
もしも全員が同じ目的に沿って動いていたら…協力しあってビッグケットを妨害し、まずはカーネを殺す。という方針で戦っていたら、サイモンとビッグケットの願いは叶わなかった。だがそうならなかったのは、これがバトル・ロワイアル形式だから。10人全員が敵であり、些細なきっかけの共闘などすぐ終了してしまう。それは二人にとって非常に好都合だった。
『よし、ありがとな!』
〈あっ来た!その隙にビッグケット選手が態勢を整えてしまった!情けないぞ今日の男性陣!ちゃんとストールを剥ぎ取らんかー!!!〉
無責任に煽る実況の意味は全くわかっていないだろう。意気揚々とそこに乗り込む、濡れそぼったドレスから真っ赤な血を垂らしたビッグケット。白い腕から脚から他人の血を滴らせる姿に、カーネは真っ青な顔をしていたが、必死に縋るようにビッグケットを見上げる。
『次に死にたい奴はどいつだ!!』
高らかに叫んでも誰も答えない。ケットシー語がわからないから当然だが…その目がしっかとハーピー男、ハングリーを捉える。
(そうだ、この中で明確にカーネを狙ってるのはそいつだけだ)
まずはそいつを殺せ。サイモンが胸の中で指示を出すと、まるでそれが聞こえているかのようにビッグケットがハングリーの脚を掴んだ。両手でしっかりと。虚をつかれる反対の脚を掴んだクリストファー。その目の前で、
『グルルルルゥウウウ!!!!!』
〈ビッグケット選手!?何をするの!?脚を、掴んだハングリー選手の脚をっ、〉
なんということだろう。あまりの「あり得なさ」に、その場のほとんどの出場者が、ふと目に入った「それ」を唖然としたまま凝視した。ビッグケットは
ハングリーの膝関節を握り潰し左右に引きちぎった。
ブチン!!!!
〈引きちぎったーー!!!なんて怪力!なんて腕力!!!凄まじいです!!!!〉
そのまま膝から下を放り投げる。
「ギャアアアアアアア!!!??」
当然片脚を失ったハングリーが大絶叫を上げる。目の前が赤い噴水と化したクリストファーは、その光景がさぞや恐ろしかったのだろう。咄嗟に飛び退き、それまで大事そうに掴んでいた片脚をあっさり離した。その「間」をビッグケットは見逃さない。
「シネ!!!」
〈ああっ、次の獲物はクリストファー選手!まるで本物の猫のように全身で相手を捕えます!!〉
眼前の、宙に持ち上がったクリストファーの上半身。それに組み付き、押し倒すように両肩を床に叩きつける。馬乗りの体勢で大きく振りかぶられる右腕。
(あっ、こりゃ「入った」な)
思わずサイモンにもわかるほどの「完璧な間合い」。
ゴシャン!!!
〈華麗な正拳突き!!ビッグケット選手の一撃が綺麗に決まるぅ!!!クリストファー選手退場!!〉
ビッグケットの拳がクリストファーの顔面をぶち抜いた。吹き上がる鮮血。こいつはこれでおしまい。すぐさま態勢を立て直し、三つ巴の戦いに乱入する。
〈続いては三つ巴、イフリート、ホワイトブレス、ブラッディムーン各選手の元に向かいます!逃げて皆さん、鬼が!鬼がそっちに近づいてますよ!!!〉
「ウ、ウワッナンダコノ女…!」
切迫した実況の声に、バッとそちらを見る3人。それまで各々戦いに集中してたから気づかなかったのだろうか。その中でもリザードマンのホワイトブレスが一瞬もたついたその隙を、ビッグケットが見事に急襲する。
ドスンッ!!
〈あーーーーッ間に合わなかった!ほぼ飛び膝蹴り!そして美麗なハイキック!!〉
またもや両肩に飛びつき、勢いもそのまま重い膝蹴りを鳩尾に入れる。残りの二人が目を丸くしている間に連撃。ふわりと両手を離し、華麗なハイキックを横からお見舞いした。
ガスッ!!!!!
昨夜の
〈飛ばない!首が飛ばない!しかしやっぱり捩じ切れた!恐ろしい蹴りのパワー!ホワイトブレス選手退場!!〉
頭部との接続を絶たれたホワイトブレスの肉体がぐらりと傾ぎ、ゆっくり倒れる。ぐちゃん。汚い音を立てて赤い海にダイブする。もう彼は動かない。
『これであとはお前たちだけか』
エンチャントトロルのイフリート。オークのブラッディムーン。泡を吹いて失神しそうなカーネを背に、面食らう二人の目の前に立つビッグケットが口元をぐいと拭う。
〈ついに残り4人!早くも残り4人です!…いやっ、〉
と、右上部からかかる影。
『!?』
「「!!」」
〈本当に残り4人か!?こ、これは…!!〉
(生きてたのか!!)
いや、正確には生物というのは案外しぶとく生き続けるものだ。片脚を千切られたハーピー男ハングリーが、血を止めどなく垂らしながら宙を飛んでいる。
〈ハングリー選手!戦意喪失しつつ息絶えるかと思ったが!生きてるし戦う気満々だ!!なんという根性でしょう、すごい!!痛そう!!〉
そうか、普通の人間なら痛みもあって立てないが、こいつは空を飛べる!移動出来るんだ!
「糞がッ、死ね!!!!」
残った片足、光る鉤爪がビッグケットに迫る。ビッグケットはそれをつまらなさそうに見つめ…
『片足じゃ寂しいなら両方千切ってやる』
ブチン!!!!!
恐れ一つなく眼前に迫るその脚を掴み、グイッと引き寄せると、またもや膝から下を捩じ切った。
〈あーーーっと!!??ビッグケット選手!鬼畜!なんというド鬼畜!!更にもう片方の脚も千切った!!この人にはヒトの心がないーーーー!!!!!〉
「!!!!!!!!」
再び響く絶叫。あまりにあっさり行われる残忍な行い。それまでも充分痛かったはずなのに、両足となるとそれは想像を絶する。あまりの激痛に羽を動かすことも叶わず、床に落ち悶絶するハングリー。
その一連の行為はまるで、幼児が笑顔で蜻蛉の羽根を千切るように軽やかで。イフリートとブラッディムーンは完全にフリーズした。
〈ああっ、イフリート選手ブラッディムーン選手共に放心状態…!そりゃそうだ、あんなの見たらさすがに怖い!明日は我が身!いえ、この闇闘技場においては今夜中にその運命がやって来る!!さぁ彼らは自分の命を守れるのか!?〉
そう、こいつらにだって恐怖心というものがある。特にイフリートは「強い」から「そう思われない」かもしれないが、魔法の加護は心まで届かない。本人がビビって動けなければそこで終わりなのだ。
「ッええい、動けイフリート!!殴れ!そんな細い猫女、お前にかかれば一発だ!!」
隣で貴族男がふとましい腕を振り回している。さて、この声援あいつに届くのかね。サイモンがそれを見守ると。
(…お、動くぞ)
どんなに強くとも、当たらなければ意味がないとでも思ったのか。先に動いたのはイフリートだった。
〈お、おっ…!?イフリート選手、動いた!動きました!まだ戦意は失ってない!いけいけぇ〜!!〉
興奮した声の実況。それに後押しされるように、冷めた表情でハングリーの脚を放り投げるビッグケットに向かって、岩のようにでかい拳を振り上げる。…当たるッ、ビッグケットはイフリートを見ていない!
『ビッ…!!』
思わずサイモンがオーナー席の手すりを掴むと、ビッグケットはスッとそちらを見た。認識している!
『うぜぇ』
真正面から迫りくるその拳を、美しい猫が右腕を使って受け流す。イフリートがつんのめるように体勢を崩したのを確認すると、右脚を無造作に持ち上げてそのどてっ腹を蹴り飛ばした。二人の距離が開く。
〈ビッグケット選手、応戦!まずは拳の無効化!距離を作って仕切り直し!〉
そして…
『お前、強いんだってな。じゃあ耐えてみろよ』
冷酷な瞳。ビッグケットが軽やかに飛びかかり、一歩踏み込む。
ガ ズ ン ッッッ !!!
〈なんて重いパンチ…!〉
鈍い衝撃音。観客も思わずおお…!と声を上げた右の一撃。恐らくビッグケットがある程度本気を出したのだ。受け身も取れず眼前にあったイフリートの頬が、顎が、吹き飛んだかと思うほど変形する。
『おっ、耐えるじゃんっ』
そのまま着地した両足を踏ん張り、2発目。今度は左脚でその太い首を捉える。
ゴ キ ン !!!!
〈今度は重いハイキック!これはっ、〉
(あ、折れた………)
飛びはしない。しかし確かに、その太い首がひしゃげて「逆くの字」になった。
〈折れた!折れた!首が折れた!!混血トロルイフリート選手、これにて惜しくも退場!!!ビッグケット選手、見事にライバルを蹴散らしました!〉
ウオオオオオオオオオオオ!!!!
それまで散発的な歓声こそあったが、観客は皆この一瞬を待っていた。ほぼ全員が熱い雄叫びを上げる。ビッグケットVSイフリートの本命対決は、ビッグケットにヴィクトリーフラッグが上がった。もはやビッグケットに賭けた3割の観客が勝ったようなものだ。
(3倍強くてもこんなもんなんだな…)
あっけない決着。鳴り止まない歓声。それにサイモンが唖然としていると。ビッグケットは狂気的な笑みを浮かべ、倒れかけるイフリートの胸ぐらを掴んだ。殴打。
「あっ」
貴族男が声を上げる。瞬間、イフリートの頭部が弾けて真っ赤な華のように鮮血を飛び散らせた。
「あーあー…魔法が切れた…」
なるほど、エンチャントは対象が生きていないと効果を発揮しないのか。今のイフリートは事切れたので、もう普通のトロルの耐久性しか持ち合わせていない。となると、怪力ビッグケットが殴ればあっという間に粉々だ。
『あれっ…?簡単に壊れちゃった』
ビッグケットはその状況が理解出来ないようで、きょとんと瞳を瞬かせている。恐らく、だけど、さっき殴っても弾けなかったのが楽しかったから、あと何度か殴っておきたかったのだ。しかし魔法は切れ、トロルの肉体は壊れてしまった。
まるでそれが最高に面白い玩具であったかのように。トロルの巨体を恨めしげに見ていたビッグケットは、しかしそれに興味を無くして放り投げる。
どすん。
地響きすら起きそうな重い音が響き、イフリートの亡骸が床に投げ出される。ビッグケットはふらりと視線を上げた。
〈さて!さてさて!!残りは女性枠含め2人!ビッグケット選手、どう処理するのでしょうか!!〉
『…あと1人か』
残るはオークのブラッディムーン…だが、彼はとっくに戦意を失っている。ビッグケットの視線に射抜かれた彼は両手を上げ、激しく首を振っている。
「イエ、アノ、降参デッ、アノ、参リマシタ!」
〈やや、これは?ブラッディムーン選手、降参宣言か?大きく首を振っていますが…〉
まいりました、まいりましたと泣きそうな顔で繰り返すブラッディムーン。彼は幸か不幸か、「人を殺してみたい」という好奇心だけでここへ来た。仮に自分が死んでもいいから相手を殺したい、などという鋼の意思は持ち合わせていない。そりゃそうだ、あんなに強そうな奴らが目の前で次々凄惨に殺されたんだ、並の男ならチビる。チビって泣く。あいつはまだ度胸がある方だ。
「アノ、許シテ下サイ死ニタクナイ…!!!」
ブラッディムーンが情けなく膝を付く。大きな身体を縮こまらせ、徐々に近づいてくるビッグケットに向かって頭を垂れている。それは運営側にも見えているし聞こえているはずだ。…だが。
〈これは、降参宣言ですね!はっきりと命乞いをしている!しかし…ビッグケット選手がそれを許すのでしょうかぁ?〉
鏡越しに見える実況のエルフ、カトリーヌが美しい顔を歪ませた。笑っている。じっとりと陰湿な声。…ああ、そうだ…わかっていた。命乞いしてきた相手を殺した場合のペナルティは事前の説明に書かれていなかった。つまり、ルール上は命乞いされても殺してオーケーなのだ。大きな魔法の鏡に映し出されたビッグケットは冷酷な目をしている。…このままじゃ、こいつ絶対殺すな。
『ビッグケット!!ソノ人ヲ殺スナ!!!別ニ暴言吐カレタワケジャナイ、一発モ殴ラレテナイ!見逃シテヤレ!!』
『……』
少し離れたオーナー席から。サイモンは可能な限り声を振り絞った。届け俺の声…ッ、不必要な殺しをするな!
『ビッグケット!!!』
〈おっとぉ?オーナー席から誰かが声をかけていますね。これはオーナーさんでしょうか?言語はよくわかりません、これはケットシーの言葉…?〉
そこで魔法の鏡にサイモンの顔が大映しになる。反射的に思わず小さくしゃがみこんだ。ちょ、ちょっと待てそんなんアリ!?観客に俺の顔見られるの絶対やだよ、トラブルの元だから!!!!しばらく黙っていると。
〈あっ!ビッグケット選手、戦意喪失!ブラッディムーン選手に背を向けました!〉
どうやらサイモンの言葉が届いたようだ。場内アナウンスでビッグケットがブラッディムーンを見逃したことを知った。あとはカーネにも降参してもらうだけ!
{カーネ!!!コボルトさん!!!いまだ、こうさんするんだ!ビッグケットになぐりかかって!「参りました」っていって!!!}
小さくしゃがんだまま、またしても大声を出す。カーネに届いてくれ!最後あんたを助けられなきゃ意味ないんだ!!
「………ッ!」
もう鏡に映されてないよな?少しだけ頭を出して確認する。…よし、鏡はカーネとビッグケットを映している。サイモンはようやくふぅ、と立ち上がった。
〈ビッグケット選手のオーナーさん、どうやらカーネ選手にも何か助言したようですね。カーネ選手が立ち上がりました。降参宣言でしょうか?〉
カトリーヌが胡乱げな声を上げている。会場中の観客に見つめられながらなんとか立ったカーネは、しかしブルブル震えていた。ビッグケットが貸したストールを羽織り、必死に前を合わせて…
{あの、お願いします!えーい!!!!}
そして、意を決したように繰り出された彼女渾身のパンチ。ビッグケットは無表情のままそれを掴んだ。途端にカーネの表情がこわばる。
「ッ、マイリマシタ!マイリマシタ!!!!」
完璧な降参宣言。ビッグケットはその手を離し、ふわりと抱きしめるようにカーネに両腕を回した。抱きしめはしない。べったり血がついてしまうから。しかし、彼女は確かに優しい声、優しい瞳で言った。
『…もう大丈夫だ。よく頑張ったな』
{う、うっ…ううわぁん…!!!}
〈ぐっ、降参宣言!降参宣言です!ビッグケット選手はこれも受け入れました!これにて本日の勝者確定!降参2名、勝者1名!本日で2連勝…ケットシー混血の女性、ビッグケット選手が2連勝を収めました!!!〉
わあああああああああ!!!!!!
カトリーヌのどこか不満げなアナウンスが響き、不満半分、おめでとう及びやったぜ及びいい話だなぁ半分。会場に大きな歓声がこだました。
〈では確認です、本日の観客数は………返還総額は………〉
カトリーヌのアナウンスはまだ終わってないが、もうそんなものには興味ない。サイモンはこちらに駆け寄ってくるビッグケット、カーネ、そして立派に生き残ったブラッディムーンに手を振った。
『オメデトウ!今日モ楽勝ダッタナ』
『もうちょっと歯ごたえが欲しかった…』
『マァマァ。ア、ブラッディムーンヲ見逃シテクレテアリガトナ。恩ニ着ル』
『…私やこの人(カーネだな)に殴りかかってたら絶対殺したのに』
『ヤメロ、無駄ナコトハ』
ぶつぶつ文句を垂れるビッグケットの背中を、サイモンがポンポン叩く。背中側はまだ比較的マシだ…血の粘り気がしない…。頭から鮮血を被ったビッグケットから若干目を逸しつつ、功労者の相棒を労う。そして、
{おめでとう。ぶじかえってこれてよかった。「参りました」がちゃんといえてよかった}
コボルト語でカーネに声をかける。カーネはまたストールを羽織って、深々と頭を下げた。
{あの、本当にありがとうございました。貴方がいなければあんな…っ私も、あんな風になってたんですね…っ}
途端にガクガク震え始めるカーネ。目の前で見せられた血の惨劇が相当ショックだったみたいだ。…いや、あんなん普通にトラウマものだけど。
{ごめん、もうこんなことないはずだから。わすれて。きょうのこれはあくむってことで}
{無理ですぅ…!!}
鼻をぴすぴす言わせて涙目のカーネ。ま、親父の言葉じゃないけど、生きてりゃやり直せる。この記憶もリセットしていつか幸せになれるさ。あとは…
【アンタ。登録者ト上手ク折リ合イツケラレソウカ?】
茫然自失といった表情のブラッディムーンに、オーク語で話しかける。ブラッディムーンは両目を落としそうなくらい真ん丸にして驚いた。
【うわっ、お前オーク語も話せるのか!?すご…きもっ…】
【オイ、ビッグケットニ今スグ八ツ裂キニサセヨウカ?】
【すみません、俺はアンタの豚です奴隷ですお見逃し下さい】
サイモンが両目をすがめて睨むと、ブラッディムーンはコンマ1秒で床に這いつくばった。おまけにそのまま動かない。
【セッカク登録者ニワカラナイヨウ話シテ、不都合ナ内容ガ聞コエナイヨウ配慮シテヤッテンノニ…】
【ありがとうございます、こんな豚にもったいないほどの配慮です。先程の無礼な発言はどうかお忘れ下さい】
【ヨロシイ】
「…なぁ小僧、お前もしかして今豚語喋ってる?もはや変態じゃない?言語オタクすぎない???」
そこでヒソヒソ話しかけてきたのは貴族男だ。その声に顔を向けると、彼の背後には昨日も見たパターンのオーナーたちの表情。ほとんどの人間がイライラして、しかしサイモンのそばに守護神たるビッグケットが控えてるので、下手なことは言ってこない。さぁて、こうなれば有象無象には興味ない。目下用があるのは…
「なぁ、カーネを登録したオーナーはどこだ。俺と話しようぜ」
サイモンが腕を組み周囲を見回すと、動く影がある。先程見たゴロツキの
「…おい、どうしてくれんだ。俺は登録料独り占めした上でそいつが派手に死ぬのを楽しみにしてたのに。犬の獣人なんて汚ねぇの突っ返されても困るんだよ」
「はーん。じゃあこうしよう」
サイモンはにんまり笑い、肩から下げた鞄の中、金貨袋からザクッと金貨を掴み出した。
ジャラジャラジャラ!
それを躊躇なく床にばら撒く。けっこうな量だ。貴族男、そして他の登録者たちが息を飲む。サイモンは静かに顎を持ち上げ…冷たい目でゴロツキ男を見た。
「おい、これ拾え。全部お前にやる」
「あ!?」
「代わりにカーネを俺にくれ。金で買うんだ、これなら文句ないだろう?」
「う、ぐっ…!」
ゴロツキ男の年の頃は、頑健な壮年をさらに越えてもう少しで老齢になろうかというところ。一方サイモンは、成人してたった数年の18歳だ。明らかに若造。その若造相手に目の前の床の金を拾うということは、床に手をつき頭を垂れろということだ。
「ぐぐ、ぅっ…」
「おやぁ、この金欲しくないのかぁ?こんなとこに出入りする身分の低い奴なら、みんな喉から手が出るほど欲しい額のはずだけどな…。それとも、」
深くなる眉間の皺。サイモンは怒りと言える表情を浮かべた。
「ビッグケットに頼んで力ずくで奪えばいいのか?お前を殺すことなんて、当然簡単なんだけどなぁ〜」
そう言った途端、ゴロツキは弾かれたように這いつくばった。床の金貨を慌ててかき集める。
「こ、これ、全部俺のものなのか!?」
「ああ、全部集められるならな」
「!?」
ゴロツキが驚いてこちらを見る。その目の前で、サイモンは小声でカーネに話しかけた。2度、3度、小さく頷くカーネ。
「な、なにを…ぐあっ!?」
次の瞬間、カーネが脚を大きく持ち上げた。ズン!!かさかさに干からびた男の手をカーネが踏みつける。そのまま体重をかけて踏みにじる。カーネの目は冷ややかだった。
{死ねばいいのに糞野郎。この人から金貨もらおうなんて烏滸がましいんだよ。獣人差別。レイシスト。何様だよ、地獄に堕ちろ}
コボルト語で次々に紡がれる罵詈雑言。内容がわかるサイモンは、思わず小さく肩を震わせた。
「………ッッ………!」
{ちょっと、笑わないで下さい?!こっちは本気ですよ!}
{ごめん…つづけて…}
{やりにくいです!!!}
そんなやりとりをしていると。
「揉め事は困ります皆様。」
昨日も会った後処理係が、小切手を持ってやって来た。おお、遅かったな。
「皆様、全員揃っていますね。配当金、勝利報酬及び登録感謝料の小切手をお持ちしました。名前を呼びますので、それぞれ受け取りにいらして下さい」
這いつくばってるゴロツキのことはちらっと見ただけで、あとは無視して…
「小切手を受け取り次第本日の日程は全て終了です。ご参加ありがとうございました。
サイモン・オルコット様」
サイモンは今日もトップバッターだった。もしかしてこれ、チャンピオンは最初という決まりがあるのかもしれない。
「あーい」
今日の額はおおよそ見当がついている。小切手をめくる…やっぱり。返還金9万と勝利報酬7万で16万7千611エルス。ひゅーっ、美味い美味い。懐に紙切れをしまい込む。これ明日また銀行持ってかなくちゃな。にまにま一人で笑っていると、背後にビッグケットが立つ。思わず振り返り、Vサインをしてみせた。ビッグケットも満足そうに微笑む。
「……しっかし、くそーーーー。今日もしてやられたー!!小僧の猫娘強すぎだろうがー!!!!」
そうこうしてると、貴族男が地団駄踏んでるのが見えた。その子供みたいな仕草に、思わず笑ってしまう。
「これに懲りたら、もう可哀想な犠牲者は出さないであげて下さいよ。俺たち明日も来ますよ」
「やだー!!!悔しい!けっこうな額積んだのに!絶対勝ちたぁい!」
「諦めろオッサン」
やいのやいの。そうこうしていると。
「な、なぁ、俺のブラッディムーンも金貨で買わないか?床の金貨くらいいくらでも拾うからさ…」
粘着質な気持ち悪い笑みを浮かべた男がこちらに近づいてきた。傍らのブラッディムーンは呆れた表情だ。
「アンタ、真ニ受ケナクテイイゾ。俺ハソノ気ニナレバイクラデモコイツカラ自由ニナレル」
「あーうん、そうだな…」
ふと、未だカーネに手を踏まれ続けているゴロツキを見る。小切手授与の間も卑しく金を拾おうとしていたようだ。まぁ、小切手程度どこに置いても構わない。呆れた後処理係は床に置いて終わらせてしまった。その金貨が散らばった床。
「じゃ、そこから好きなだけ拾って。拾った分が自分の分な」
「マジか!?ひゃっほー!!」
気持ち悪い男は慌てて床に膝をついた。案の定ゴロツキと小競り合いを始めるが知らん。サイモンはふわ、とあくびをした。そろそろ帰って寝たいんだよなぁ、ホントは。
「ん、じゃあアンタにこれやるから」
おもむろに金貨袋から金貨を2枚出し、ブラッディムーンに渡す。ブラッディムーンはまた目を丸くした。
「エッ…ナンデ俺ニ?金貨モラエルヨウナコトシテナイゾ」
「うん?この金貨で人生やり直せよ。せっかく助かった命だ、二度と闘技場なんか来なくていいように」
するとブラッディムーンはみるみる目に涙を溜め、勢いよく頭を下げた。
「…ッ、アリガトウ!アリガトウ!!コノ恩ハ一生忘レナイ!!」
「あーいいよいいよ、別に今の俺にはこんなんはした金だから」
「嫌味ダナ!!」
「ははは、むしろこれはあれだ、貧乏人仲間のよしみだと思ってくれ」
「マァトニカク、アリガトウ!二度トアンタ達ニ会ワナイデ全ウニ生キルヨ!!」
ブラッディムーンはにこにこ笑いながら去っていった。暗い洞窟に似た通路。彼はそれを、正に光の方へ向かって歩いていく。その希望に満ちた背中を見送るのは、なかなか悪くない気分だった。
『サテ、俺タチモ帰ルカ。魔法ノ絨毯デスグ終ワルダロウトハイエ、引ッ越シモアルシ』
そこで傍らのビッグケットを振り返る。せっかく着飾ったドレスも化粧も酷い有様だ。もったいないが湯浴みしたら捨ててしまおう。
『わかった。…で、この女の人はどうするんだ?』
ビッグケットは頷いた後、ちらりとカーネの方を見る。
『ソウダナ、今日ハ元々モモノ店ニ顔出ス予定ダッタシ、就職先デモ探シテモラオウカナ。帰ルトコガアルナラソレデモイイシ』
『モモって?』
『オレノ知リ合イノアルミラージ。飲ミ屋ノ接客嬢ヤッテルカラヨク酒飲ミニ行ッタンダ』
『へぇー』
ビッグケットが答えを返したのを確認して、カーネに声をかける。
{おーい、そろそろいかないか?もしかえるとこがないなら、おれのしりあいのじゅうじんにひきあわせてしごとさがしてもらうけど}
{えっ、あっ!?お、お願いします、何から何まですみません!!}
カーネはゴロツキの手を恨みたっぷりに踏みつけることに夢中になってたようだ。慌てて身を翻し、こっちにやってきた。邪魔がなくなったゴロツキとブラッディムーンのオーナーだった気持ち悪い男は、いよいよ汚い小競り合いを始めたが、まぁ知ったこっちゃない。永遠にやっててくれ。
{いまからビッグケットがゆあみするから。アンタもきょうみあるならはいってくれ。たぶんいける}
{えっ、いいんでしょうか…入れるならありがたいですけど…}
{うん、こいつのあとだからいろいろあかくてもいいなら、だけど}
{だ、大丈夫です多分!頑張ります!!}
カーネが小さく両手で握りこぶしを作る。そのやりとりを見ていた、ずっと待たされていた後処理係は、ようやくか…と言いたげな素振りも見せずこちらに律儀に話しかけてくる。
「では。オルコット様、贈り物の時間に移ってよろしいでしょうか」
「はい、すみません行きましょう」
そしてサイモンはコボルト女性のカーネ(仮名)と、ケットシー混血女性のビッグケット(血まみれ)と共に、湯浴みタイムに入るのだった。
(…いや、色気もクソも何もないんだけどな…)
てか、めちゃくちゃなんだこれ。
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