第5話 忙しい1日〜サイモンの場合〜


『今日ハトニカク早ク寝マス。明日ハ早ク起キテタクサンヤルコトヤリマス』

『やる事って?』

『オレハ借リタ金返ス!オ前ハ日用品タクサン買ウ!』

『買い物か〜、…えっ私一人で?』

『ソレハチャント考エテアルカラ心配スンナ!オヤスミ!!』

『えーーー…』

 劇的な6億の勝利を上げてからしばし経ち。結局サイモンたちは今夜もグリルパルツァー亭で寝ることにした。何せご飯が出るし片付けなくていい。店主達とも顔見知りだし、いい加減夜更けになっていた時間帯を考えると、最早この選択肢しかなかった。

 またしてもにこにこ、いやニヤニヤするおかみの追求をかわしつつ、二人それぞれベッドに横になる。身体はすっかり綺麗になった。明日こそいい加減服替えたい。ていうかもうほとんど捨ててしまおう。どうせ引っ越しするしな。あれやこれや考えていると、だんだん瞼が重くなってきた。随分精神衛生に悪いものを立て続けに見た気がするけど、意外と寝られるもんだな。

「…あ、」

 そういえば。ビッグケットに聞きそびれていたことがある。完全に眠りにつこうとしていた瞼をこじ開けた。

『ビッグケット。明日ノ戦イ出ル?検査嫌ダッタ?』

 勝ち抜き戦への参加意思を確認し忘れていた。暗闇の中サイモンが小さな声で尋ねると、寝返りを打つ衣擦れの音の後、これまた小さな声が返ってきた。

『…出る。デンドウイリしたら金貨もらえるんだろ?』

『モウ二人デ一生遊ベル額ハ手ニイレタ。無理シナクテイイゾ』

『…でも』

 闇に慣れた視界の奥、黒髪と猫耳が揺れている。

『観衆の前での殺しはなかなか楽しかった。だからまぁ、いいかなって』

『…ウン、ソッカ』

 楽しかった、か。あんなにパカンパカン自分よりでかい男を破壊して回って…しかも言葉がわからないとはいえ、自分を侮辱していた男たちを軒並み殺しまくるのはさぞや気分が良かっただろう。それは至って一般的な感覚を持ったサイモンにも想像できた。

『ジャア明日モ夜ハ闘技場ダナ』

『おっけー』

 そこでくぁ、とビッグケットのあくびが聞こえた。もう寝よう。

『アリガトウ。オヤスミ』

『おやすみ』

 そこで改めて目を閉じる。静かな闇に音はない。一度覚醒した意識はまたまどろみに落ちた。







 翌朝。無事朝と呼べる時間に目を覚まし、おかみに魚介のミルクスープと丸パン、肉の腸詰め、サラダを出してもらう。二人で向かい合って食事を取りながら、ふと(これからはこれが毎日なんだなぁ)なんて思って不思議な気持ちになった。ビッグケットは相変わらずガツガツもりもり食べている。

「オ二人共、今夜モ来るノカシラ?」

 ふいに、手の空いたらしきおかみがテーブルの横に立つ。サイモンは驚いて喉を詰まらせ、ごほごほとむせた。

「いや、さすがに今日は自分の家に帰ります。出来れば今日中に引っ越したいけど…出来るといいな」

「アラ、ソウナノ?別ニ来テクレテモイイノヨ」

「勘弁して下さいっ」

 もはや母親のような態度だ。たかが2日ほどの付き合いなのに、ずっと前から親交があったかのような温かさに、思わず笑みがこぼれる。…あ、そうだこないだのステーキ代。

「あの、多分今日配当金が振り込まれるはずなので、また近いうちに肉代払いにきますね。壊した窓代も」

「アラ、悪イワネ。窓代モモラエルト確カニ助カルワ」

「すみません…」

「イイノヨォ」

 手を振るおかみを見て、朝の陽射しが差し込むレストランの室内を一周眺めて、しかし特に壊れた窓は見当たらない。ということはもっと奥、厨房の方だろうか。未だに穴がぽっかり開きっぱなしということはないだろうが、早めに払ったほうが良さそうだ。

「…さて。」

 食事も詰め込んだ。最後に冷えたフルーツジュースを一気に流し込んで、そろそろ行こうかな。サイモンが軽く唇を舐めていると、奥の扉がバァン!とどデカい音を立てて開いた。

「ちょっと!猫ちゃんホントに闇闘技場勝ち抜いたの!?」

「えっ!?」

 厨房スペースからこちらに向かって、一直線に早足で歩み寄ってきたのはサテュロスのディーナだ。これまでいなくて今来たということは、彼女は夜のホール担当なのかもしれない。身につけているのもエプロンじゃなかった。

「嘘でしょ、ホントに生きて帰ってくるなんて…そんなんアリ!?」

「ちょ、ちょっ…!シーーーッ!!!」

 サイモンは慌てて立ち上がり、ディーナの口を塞いだ。数こそ少ないとはいえ、様々な人種の他の客が驚いた顔でこちらを見る。闇闘技場…?勝ち抜いた…??その言葉そのものが珍獣であるかのように復唱される。それもそのはず、闇闘技場など縁のない人間にとっては最早都市伝説のようなものだ。それに「出た」だけでなく、「勝った」なんて幻の存在が目の前にいること自体、有り得ないこととして認識されただろう。しかも女が。

「えっなんで?!おめでとうって言わせてよ!?」

「それは昨日店主とおかみさんにしこたまもらったから!もういいの!」

「なんで?!私にも言わせてよ!」

「いらない!ごめん、ちょっと黙って!!」

 暴れるディーナの腕を掴み、人差し指を立てるサイモン。なぜか?闘技場で勝った、それはすなわち最低金貨7枚持ってることになるからだ。いや、詳しいことは知らないかもしれない。現に現実は小切手しかもらってない。しかし、闘技場で勝ち抜くとお金が手に入ることはある程度認知されてるはずだった。今ここで騒がれると無用なトラブルを招きかねない。ましてや掛け金で億手に入れたことが知られた日にゃ、どんな目に遭うかわかったもんじゃない。

 まぁ、どんな屈強なゴロツキに絡まれてもビッグケットが素っ首跳ね飛ばすけどな。いや、だからこそ相手が可哀相なんだっての。

「じゃあ静かならいい…!?猫ちゃん、ホントにおめでとう!また会えて嬉しいよ、心配してたんだよ!」

 懲りずに机に両手を突き、ディーナがビッグケットを覗き込む。サイモンの倍量積まれた食事を平らげた彼女は、しかし言葉がわからないので訝しげにサイモンを見た。

『店員丿ディーナガ勝ッテ良カッタネダッテ。ホラ、最初ニ話シカケテクレタ店員』

『ああ、あの子か。ありがとうって伝えて』

 瞬間、腑に落ちたように微笑むビッグケット。サイモンはその言葉を簡潔に伝える。

「ビッグケットがありがとうだって」

「うんうん!良かった!すごく良かった!!」

 あるいはビッグケットが死ぬかもしれないと、一晩本気で心配してたのかもしれない。だとしたら少々悪いことをしたかもしれない。が、あまり大っぴらにこのことを伝えるわけにもいかない。オークの宿屋にわざわざ泊まる旅人なんて、大概マトモな職業の人間と思えない。言い方は悪いが、恐らく金を欲しがっている冒険者が多いはずだ。詳しい話はまた今度にしよう。

「悪い、詳しい話はまた今度な。俺たち急いでるんだ」

「あらどこ行くの?」

「今日は夜までにやることがたくさんあってさ。ビッグケットと手分けしてこなさなきゃ」

「あれ、猫ちゃん共通語話せないんだよね?」

「大丈夫、一人通訳にアテがあるんだ」

「ふぅん」

 そんな会話をしていると、ビッグケットがこれまた多量に注がれたフルーツジュースを飲み干した。よし、行こう。

「おかみさん、ご馳走さまでした。俺たちもう行きます」

「アラモウ?本当ニ急イデルノネ」

「すみません。何せ今夜も忙しいので」

 立ち上がり苦笑する。するとグリルパルツァー亭の女性二人がにんまり笑った。

「「勝ち抜き戦!」」

「はい!」

 サイモンが立ったのを見て、ビッグケットも立ち上がる。しっかり闘技場から持ち帰った黒いストールを肩に羽織り(幸い血はついていなかった)、寝間着と言っていた白いワンピースの裾を翻す。その姿は昨日大暴れした凶気の獣人とは思えぬ清楚さだった。

『サイモン、行くんだろ?おかみさんに飯美味かったって伝えてくれ』

 黒髪を揺らし、片方だけの金の瞳を細めて笑う。これで礼儀知らずというわけでもない。会話についてこれずとも、きちんと礼をしたいと言った彼女は良い人間に思えた。

「ああ。おかみさん、ビッグケットが飯美味かったですって」

「アラアリガトウ。マタイツデモゴ飯食ベニ来テネ」

「はい、また」

 そして二人は連れ立ってレストランを後にした。急いで支度をして出かけよう。今日は忙しい一日になる!









 オークの亭主にも挨拶を済ませ、いざ出発。まずは銀行で小切手を出し、本人証明と手続きを済ませてお金を下ろした。身分証明証なんて持ってないのにどうするのかと思ったら、闘技場側がいつの間にかこちらの“写真”を撮っていたらしい。まさかの顔パスで審査を通った。この世に写真という存在があること、それを撮るマジックアイテムがあることは知っていたが、あの場にあったなんて驚きだ。ものすごい高級品らしい。少しでいいから見たかった。

 審査を通ると“出納帳簿”となる羊皮紙を手渡される。恐る恐る覗き込み、改めてその額の多さに震えた。ずらずらと長い数列。ちゃんと振り込まれている。そのうち、金貨を100枚ほど出した。金貨100枚というとものすごい額だが、数だけで言うなら10枚が10セット。あらゆる知人に礼として配って回るならこれくらい必要な気がした。革袋をもらい、ぎゅっと握りしめる。さすがに重い。笑ってしまった。

「さて…」

 無事大金も手に入れた。二手に別れよう。その前に…

『ビッグケット、今日ハ急グカラドラゴンライダーヲ雇オウ』

『ドラゴン?なんだそりゃ』

『ドラゴンヲ操ッテ乗セテクレル職業。金ハカカルガ今ノオレタチナラ余裕ダ』

『へぇー、空の移動か!』

 ビッグケットの両耳がピンと立つ。説明したサイモン自身、利用したことなど一度もなかった。本当の金持ちになるとお抱えのドラゴンライダーすら居るらしいが、とりあえず今日は短期の契約でいい。ドラゴン屋に向かう。

「すいません、二人乗りを一頭お願いします」

「はい、ありがとうございます!どちらまでですか?」

 亜人獣人のメインストリートから歩いてほど近く。比較的上流なエリアの一角にその店があった。店舗はさすがに煤けた石なんかでは出来ていない。きちんと磨かれた美しい内装だ。入って正面のカウンターで短い耳のエルフらしき店員が微笑んでいる。これはハーフエルフ(人間との混血)だろうか。

「まずはノーマンエリア、西部にお願いします。そこで用事があるので少し待ってもらって、そのあとはまた東部に向かって、指定の店に行ってください。で、もっかい西部のノーマンエリアに戻る。とりあえずはそれで終わりです」

「わかりました、シャングリラ内の短距離飛行ですね。ではお代は飛んだ距離の後払いでお願いします。今一頭用意しますので、外で少々お待ち下さい」

「はい」

 契約を終え、外に出てしばし待つ。やがて鈍重な足音が聞こえ、ドラゴンがやってきたことを悟った。しなる長い尾、鋭い爪と牙、強そうな角。恐ろしげな見た目なのに、その一対の目は利発そうに澄み切っている。二足歩行タイプのドラゴンが羽を畳んでこちらに近づいてきた。脇にライダーである人間ノーマンが寄り添っている。へぇ、ライダーは人間ノーマンなのか。これでドラゴンをしっかり従えてるんだからすごい技術だ。あるいはそういう家系があったりするのか?珍しい光景に目が奪われる。街ゆく人々も目を丸くしてざわめき、物珍しげに視線を寄越した。サイモンたちの、そして通行人の視線を集めたライダーが軽く頭を下げる。

「ご利用ありがとうございます。さ、お乗りください」

 手を差し出され、サイモンはライダーに手伝われて、ビッグケットは自分でひらりとドラゴンに飛び乗った。二人の手荷物が鞍に括られた鞄に丁寧に仕舞われる。その後それぞれの腰がベルトで固定され、更に一番前の鞍にライダーが跨がる。

「では飛びます、鞍の手すりに掴まって下さい」

「わっ…」

 バサリ、バサリ。ドラゴンが力強く羽ばたき、徐々に空中に上がっていく。すごい、飛んでる!

『わーーっ、飛んでる!面白い!』

『スゴイナ!オレモ初メテダヨ!』

 やがて充分な高度を確保したドラゴンは、大きな翼をしならせ前進した。途端に体がぐんと後ろに引っ張られる感覚があり、本能的に恐怖を覚える。その後空中旋回。サイモンの家である西部ノーマンエリアのアパートを目指して飛び始めた。都会ほど高い建物はないとはいえ、かなりの高さをすいすい進んでいく。

『すごいな、人があんなに小さい!速い!』

『アア、モウスグ着クゾ。サスガニアットイウ間ダナ』

 後ろに座るビッグケットの声音が弾む。サイモンも同じ気持ちだ。こんな光景今まで見たことない。金持ちしか見られない世界。心が踊らないわけがなかった。

「まもなくノーマンエリア、第一門に辿り着きます。下降しますので気をつけて下さいね」

 本当にあっという間。ドラゴンライドの興奮もつかの間、もう人間ノーマン専用居住区に辿り着いてしまった。ここは建築物の重要度や住む人間に合わせて3つの門があり、それぞれ第三の門が第二の門と壁に、第二の門が第一の門と高い壁に囲まれている。第三の門の奥はこの街の最重要施設、王国軍の兵舎と基地。そして富裕層の家がある。元は法律順守の意識が低い亜人獣人たちとトラブルにならないよう作られたものだが、あるいはこれは対オーガのための城壁的な役割なのかもしれない。

 なお、一般市民のサイモンはロクな稼ぎも守られるべき肩書きもなかったので、一番外の門を抜けたすぐ内側に住んでいた。人間ノーマンだからという理由で申しわけ程度に与えられた家。狭くて快適とは言い難い鳥の巣箱のような家。もう充分な金銭を手に入れた。サイモンとしては早々に全て片付けて引き払う予定だ。

「あの、中で少し用事を足すので待ってて下さい。内側のすぐそこなんで。すぐ帰ってきます」

「わかりました」

 下降の恐怖に耐えて着地。ベルトを外したり荷物を出してもらったりしながら、サイモンがライダーに声をかけていると。彼に近づく人影がある。

「アラ、サイモン。ヤット帰ッテキタノ。死ンダカト思ッタジャナイ」

「はぁ〜?うるせぇわ。ちょっと色々あったんですぅ」

 それはリザードマンの女性、ノーマンエリア最外部の門の衛兵だった。女性とはいえリザードマン。背が高く体格も良い。立派な鎧を着込んで長剣を腰から下げていた。サイモンにとっては外出のたびに顔を合わせる存在で、実はこの長い外出の出発の前にも会話してるのだが。

「まぁ、丸二晩帰ってこなかったんだもんな。ビビるよ俺も」

「ソーヨ、ドコデ何シテタノ?ヨソニ泊マル金モナイクセニ」

「はーん、リンダさんそういうこと言います?じゃあ見せてやるよ、俺が今まで何やってたか!ジャーン❤」

 サイモンはそう言ってリザードマンのリンダの目の前で革袋を開けた。

「ウッ、嘘…!」

 中には先程下ろした金貨100枚が入っている。眩く煌めくそれはジャリジャリと硬質な音を立てた。リンダの本来切れ長な瞳がこれでもかと真ん丸になる。

「金貨ッ…コンナニイッパイ!ツイニ生活ニ困窮シテ犯罪ニ手ヲ染メタノ!?」

「物騒かよ!?違うよ、こいつが一晩で稼いでくれたんだ。(闇闘技場の掛け金でな!)」

 そこで満を持して、といった表情でビッグケットの背中を押す。突然リンダの前に突き出されたビッグケットは、まるで話がわからないので困ったようにサイモンを振り返った。

『なんだこの人?』

『ココノ門番ダヨ。リザードマンノリンダッテ女。前カラ顔見知リナンダ』

『へぇ〜』

 よろしく、とビッグケットが会釈し、リンダはまた目を丸くした。あの女日照りのサイモンがこんなに可愛い女の子を連れている!!

「ヤバ…獣人ノ人身売買ニ手ヲツケタカ…外道…」

 手の甲を口元にあて、驚愕。と言いたげに大口を開ける。サイモンは頬が引きつった。

「俺さっき闇闘技場で勝ったって言ったよな?小声で言ったの無駄にさせんじゃねェよ馬鹿」

「エッ、闇闘技場!?勝ッタ!?!?ドーイウコト!!???」

 もったいぶってても埒が明かない。仕方ないので、最初からざっくり噛み砕いて説明した。仕事を探してふらついてる最中会ったこと。食い逃げ扱いされてたビッグケットをなんとか助けたこと。試しに彼女の持ち物を換金したら予想外の額になったこと。特技が戦闘だとわかったので、闘技場に出たら圧勝したこと。そこで全財産賭けて6億稼いだこと。

「やぁ〜こないだ家を出てからトントン拍子ッスよ。俺が一番びっくりしてるっての」

「ハァーーーーー…ソンナコトアルノネ!ミラクル大逆転ジャナイ!!」

「いやぁどうもどうも。つーわけで、お前にも感謝料やるよ」

「感謝料?」

 やっと話が通じたところで、サイモンは革袋から金貨を5枚出した。

「俺もうここ出るからさ。お前には世話になったなって。仕事なくて情けない俺にも話しかけてくれて、励ましてくれてありがとう。もらってくれ」

「…!」

 チリン。とリンダの手に金貨を落とす。リンダはやや躊躇ったあと、ゆっくりと手のひらを握りしめた。俯く肩が震える。

「私モ…アリガトウ。リザードマンダカラッテ偏見モ持タズ、貴方ハイツモ親シゲニ接シテクレタ。感謝シテルノヨ」

 せっかくだからと真剣に思いの丈を告げたら、予想以上に刺さってしまったようだ。顔は上げないが声が震えている。きっかけを作ったサイモン自身ももらい泣きしてしまいそうだった。…いや。

「ま、泣くな泣くな。とりあえず引っ越しだけ。ノーマンエリアは出てもシャングリラに家買うから、また会おうぜ」

「ウン、タマニハ遊ビニ来テネ」

「おーよ」

 そこでそろそろ中に入ろうかとサイモンが方向転換すると。

『アナタ、ケットシー』

 リンダがケットシー語を話した。思わずぎょっと振り返るサイモン。話しかけられたビッグケットは嬉しそうだ。ぴんと尻尾が伸びて揺れた。

『あんたケットシー語がわかるのか!』

『スコシ。…。……』

 そこで言葉が見つからないまま、リンダがビッグケットの両手を包み込むように握る。

『サイモン、ヨロシク。ダイジ、カラ』

 そのままはらはらと涙を落とした。語彙はほとんどない。だが、彼女の言いたいことは痛いほどビッグケットの胸に届いた。真剣な顔をして二度、三度、リンダに頷いてみせる。

『ありがとう。私たちの言葉で伝えてくれてありがとう。大丈夫、サイモンは何があっても私が守る。一生そばにいる。任せてくれ』

『ン、アィガト』

 女二人がしっかと手を握り合う。が、なんだこれは。

「おい待て、待て。俺の扱いなんなのそれ?もしかしてあれ?獣人さんたち的には俺か弱いキャラなの?」

「ソリャソーヨ、アンタ男ノクセニガリガリナンダモン。イツ餓死スルカ心配ダッタノヨ」

「あっ、そっち!!」

 リンダがこれみよがしにため息をついてみせる。先程までの湿っぽさはどこかへ飛んでいったようだ。鋭い牙を見せていたずらっぽく唇を持ち上げる。

「コノ子ガアンタノ食イ扶持稼イデクレルナラ安心ダワ。ソンナニ強イナラ仕事モ尽キナイデショ」

「そッスね…!!」

 うん、そっち、そっちか!!まぁ反論も出来ないくらいそうですけど!!

『バイバイ、ガンバレ』

『ありがとう、バイバイ』

 そこでようやく二人が手を振り、門を後にすることが出来た。悔しい。悔しいが、いい年して餓死しかけてたんだから、ああ言われても仕方ないのだ。くそー、今に見てろ。そのうち俺も俺自身の力でビッグになってやるぜ。





 そして歩くこと数分。ついにサイモンの家に辿り着いた。でかけていたのはたかだか2日なのに、まるでもっと長い間いなかったみたいだ。ボロボロの建物が、見慣れているはずの景色が、別世界のように感じる。

『うわ…ボロ…。崩れそうだけど大丈夫?』

『優シイ言葉アリガト。コレデモタクサン人住ンデルンダヨ』

『へぇーー』

 ビッグケットが軽口を叩きながら建物を見上げていると、そのうちひとつの窓がバタン!と開いた。あ、あそこは…

「サイモンさん!お帰りなさい!!生きてたのねアナタ!!!」

 大家のアメーリアさんの部屋だ。また心配されていた。まぁ当然か。人間ノーマンの門の出入りは一々記録及び把握される。いつまでも亜人、獣人エリアの東部から帰ってこなかったら、事件に巻き込まれたかもしれないと心配もするってもんだ。

『何あれ。子供?』

『イヤ、ノームノ大家ダヨ。』

『ここ、人間ノーマンの家じゃないのか?』

『ココハ人間ノーマンエリアノ中デモ一番外側ノ場所ダカラ、何カアレバおーがヤ亜人獣人ガ来ルカモシレナイ。普通ノ人間ノーマンハ管理人ヲヤリタガラナインダ』

『あーなるほど』

 人間ノーマンエリアの最外部、貧民たちがたむろするボロいアパート。いつどうトラブルが起きるかわかったもんじゃないので、身分のよろしい人たちはこんなとこの面倒を見たくない。そしてここにはそういう身分の良い人間しか、本来いないのだ。

『ダカラ人間ノーマンジャナクテモヤッテクレル人ガイルナラアリガタイ。ソノ人ニ任セチャエッテ話ヨ』

『ふーん』

「…すみませーん、二晩いなくて。ご心配かけました」

 そんな話をしていたら、アメーリアさんが短い足を必死に動かしてこっちまでやってきた。二人の目の前で膝に手を付き、項垂れながら荒い息をつく。

「もう、もう、心配したじゃない…!!」

「いやぁ、仕事探して外に出たらうっかりものすごい大儲け出来ちゃって」

「えっ…!?」

 アメーリアさんはそこで初めて顔を上げて、ビッグケットの存在に気づいた。…いや、一応ここに来るまでに気づいてたはずだ。しかし気にする余裕がなかった。彼女が見上げる先、そこには背の高い猫耳獣人の少女が立っている。

「この子、誰…っ!?」

「ケットシーの混血のビッグケットというそうです。この2日、この子と一緒に仕事してました。そんですごく稼げたんで、そろそろ家に戻ろうと思って」

「まぁ、まぁ!」

 予想通り、これまでの事をかいつまんで説明すると目を丸くしている。しかしサイモンの知る限り、ノームは神経質でネガティブな人種だ。下手なことは言わないでおこう。あくまでビッグケットが闇闘技場で大暴れしたことは伏せておいた。

「で、ですね…。これ、今まで溜めてた家賃です。それから今までお世話になった感謝の気持ちとして。受け取ってください」

「まぁ!!」

 アメーリアさんには金貨3枚。チリンチリンと一際小さな手に渡した。家賃自体は所詮これまでのサイモンがなんとか払っていたくらいなので、大した額じゃない。それより、時折こちらの体調を気遣ったり、こないだのように料理の差し入れをくれたりという行動の方がとてもありがたかった。ぺこりと頭を下げる。両手を皿のようにしたアメーリアさんはわなわな震えていた。

「金貨…っすごい…本当に稼いできたのね…!」

「はい、この子が頑張ってくれました」

 照れたように手を出し、ビッグケットを指し示すと

「まぁ、まぁ、ありがとうね…」

 アメーリアは、まるでサイモンの実母のようにビッグケットに頭を下げた。何やら褒められているらしい…。ビッグケットはその気配を察し、耳を小刻みに揺らして満足気に口角を上げた。

「で、あの、すみません。ここまでお世話になっておいて少し心苦しいんですが、俺このアパートを出ようと思います。もう家買えるくらいお金あるんで」

「そう!それはおめでとう!出てくことなんて全然気にしないで、手持ちが増えたなら当然だもの」

「はい…ありがとうございます」

 ここで意を決して契約解除の話を持ちかける。どんなにいい人でも金銭で契約した大家だ、少しは引き止められるかと思ったが、彼女は予想外にあっさり了承してくれた。にこやかに胸の前で両手を打ってみせる。

「じゃあこれから二人で掃除でもするのね?」

「あ、いや…」

 手伝ってもらいたいのは山々だが、手早く色々揃えるためには時間がない。とりあえずビッグケットには先に一人で買い物に出てもらおう。これでも一応女子だ、欲しいものもあるだろう。

「いえ、掃除は俺だけでします。彼女には日用品やなんやらの買い出しに出てもらおうかと」

「そう、それじゃ頑張ってね。終わったらまた声かけて」

「はい」

 そこでビッグケットに向き直る。恩人のアメーリアさんにこれからのパートナーの顔見せも済ませた。さて…

『ジャ、ビッグケットハ買い物ダ。ジルベールノトコ行クゾ』

『あ、通訳ってあいつなのか』

『ソリャ、アイツシカイナイダロ。金積ンデ了承サセル』

『わぁ、悪い金の使い方』

『正攻法ト言エ』

 にやにや笑いつつ、二人で連れ立ってドラゴンライダーの所まで戻る。向かうはジルベールの骨董品店だ。















「…つーわけで、うちの猫よろしく」

「わぁ〜、託児所みたいに僕を使ってくる〜!」

「しゃーないだろ、ケットシー語ちゃんと話せてビッグケットを任せられる奴なんてそういないんだから」

 どこか可愛らしい小さな建物。メインストリートからやや離れた立地。一昨日来たジルベールの骨董品店に再びやってきた。店主のジルベールは大層驚いた顔でサイモンたちを出迎え、要件を告げるとさらに目を丸くした。

「いやでも、僕一応ここの店主だよ?趣味でやってる店とはいえ、そう簡単には閉められないんだよね〜」

「いやいやそこをなんとか…」

 旧知の提案を明るく笑い飛ばすジルベール。その返答を聞いてサイモンが拝むように片手をあげる。そして…

「これでどうッスか」

 ここに来る道中、渡す金貨の数を数えておいた。懐からそれを出して渡すと、

「わかりました、行きましょう。」

 ジルベールがキリリと気障に微笑んだ。

 金貨30枚。一昨日もらった分に5枚上乗せした形だ。

「え、うわっ、どうしたのこんな大金?!さも大したことないですみたいな顔してさ!?大体、一緒に買い物行って欲しいって…お金、一体どうしちゃったの??」

「いやまーーー、闇闘技場の賭け金でメチャクチャ勝っちゃって?こいつが出たおかげでとーっても懐が潤ったっていうか??」

 サイモンが傍らのビッグケットをちらりと見る。相変わらず会話がわかっていないのでこちらに大して気を配ってない様子だが…

『ビッグケットガ頑張ッテクレタカラ一生分ノ金ガ出来タヨ』

『へぇ〜、すごいじゃないか!おめでとー、頑張ったねぇビッグケットちゃん』

 彼女にもわかるよう言語を変えると、ビッグケットの耳がぴくぴく反応した。

『いや、サイモンがこの話を持ちかけてくれなかったらここまで来れなかった』

『マァソコハコッチモサ。ホントアリガトウナ』

 いやいや、いやいや。二人それぞれ謙遜しあいつつ。

『ジャア悪イケド、ジルベールハビッグケットト今カラオレガ書ク物ヲ買ッテクレ』

『わかった。出来るだけエスコートするよ』

『オレハ家ニ帰ッテ片付ケテクル。ビッグケット、迷惑カケルナヨ』

『はーい』

 手短に言葉を交わし、サイモンが羽ペンと紙を手にする。欲しい物…ビッグケットはとりあえず衣類だな。あとタオル、食器、カトラリー、ランプ…うーん…。家具は家具付きの物件を選べばいいか…?あとは目下必要な最低限があれば。…あ、それよか最初に時計だな!持ってないと話にならない!思いつく限りを書いていく。

『…ハイ。ジャアコレデ』

 しばし書き込んだ後、メモをジルベールに渡す。ジルベールはうんうんと頷き、懐にメモをしまった。

『ありがとう。じゃあ遠慮なくデートしてくるね!さ、行こビッグケットちゃん!』

「えっ?」

『デート?』

 唐突な単語にサイモンとビッグケットが目を丸くする。

『そうだよ!時計買って、服買って、ご飯も一緒に食べようね❤僕のおすすめの店紹介するから!』

「デート?」

『…デートでしょ?これ』

 サイモンに問われ、ジルベールがもう一度言い直す。サイモンはしばし長い長い沈黙を守ったあと、はぁ…とため息をこぼした。

「言っとくけどそいつメチャクチャ食うぞ」

「いいじゃん、可愛いよたくさん食べる女のコ」

「あと、誰かに絡まれたら即相手を殺そうとするからな。トラブルに巻き込まれるなよ」

「わかった、気をつける」

「……」

「…………」

「これでも、デートか?」

「デートでしょ。ありがと、可愛い子と貴重な時間を作ってくれて❤」

「ガッデム」

 サイモンが嫌そうに歯を食いしばり、ジルベールが笑う。ビッグケットはまだ『デート???』と繰り返している。

『トニカク!オレハ2人ガ買イ物シテル間ニ引ッ越ス新シイ家ヲ探シテオクカラ!昼過ギテ3時ニナッタラココニ集合。ビッグケットニオレガ選ンダ中カラ選ンデモラウ!ソノアトジルベールト別レテ店員ニ決メタ家ノ話シニ行ク!デ、晩飯食ッテ闘技場行ク!闘技場終ワッタラ荷物運ンデ今夜ハ新シイ家デ寝タイ!終ワリ!』

 慣れないケットシー語でなんとか説明する。するとジルベールが『はい』と手を上げた。

『うん?そうすると買った荷物は一旦ここに置いとく?後で取りに来るって?』

『頼厶!金貨30枚渡シタカラ許セ』

『わかった!仰せのままに!!』

『解散!!』

 駆け足だし強引だがなんとか商談成立。さぁ、急いで帰って家を片付けなくては。今日は忙しいんだ。

『ジャ、イッテラッシャイ!コレ金貨10枚!好キニ使エ!!』

 ジャリ、と音を立てて金貨を手渡せば、

『ああ、掃除と家探しよろしくな』

『行ってきま〜す❤』

 手を振るビッグケットとジルベール。

「なんかムカつくな!でもよろしく!」

 サイモンは苦い顔で見送る羽目になった。しかし、ビッグケットはこの街に詳しくないし、恐らくこだわりもないとはいえ…勝手にサイモンが物件を選ぶことにしてしまったが、やはり異論はなかった。ありがたい。これでごねられたらどうしようかと思った。…よし、また家に帰るぞ。掃除して…金回りのこともしなきゃだし…少しは自分の物も買いたいし…あーーーーーッ

(終わるのか!?否終わらせる!ちくしょーー!!!)











 二人と別れ、ドラゴンライダーに頼んで帰宅。ドラゴン代を払って帰ってもらって、まずは着替え。ようやく清潔な服を着られる。比較的マトモな服を再び選び、袖を通し、さて掃除。もう大概要らないので、とにかくまとめて運んで家の前に出してしまう。ばたばたとホコリにまみれながら次々中の物を運び出していると、隣人が訝しげに覗き込んできた。

「おい、朝っぱらからうるせぇな。なんの騒ぎだ」

 半分下着のようなヨレヨレの服を着たオッサン。彼の名は確かボブだ。物乞い同然のことばかりして、昼間は大概酒を飲んで寝ている。そうか、動き回って起こしてしまったんだな。大体今朝じゃねぇし。

「すみません、あの、俺このアパート出るんで。全部捨てるんです」

「はぁ?ここを出る?つーか全部捨てる??一体どうしちまったんだ」

「一昨日すげーーいい仕事見つけちゃったんですよ。だからもうこんな安アパート出ます。次の物件で全部新しいのに変えるんで、俺の私物はほとんど要りません」

「なんだってーーー?!」

 言いながら、よいしょ。とまた荷物を運び出す。ボブは口をあんぐり開けてそれを見つめていた。そこでサイモン、はたと思いつく。そっとボブに近づき、片手をあげて小さな声で話しかけた。

「…あの、他の人に言わないならちょっとだけおすそわけしますよ、仕事」

「マジか!?なんだそれ!!」

「俺の引っ越し手伝ってください。荷物のほとんどを捨てて、掃除するだけなんですけど」

 するとボブは大仰に肩をすくめてみせた。はは、と小馬鹿にしたような笑いを漏らす。

「へぇ〜、坊やのサイモンが俺をこき使おうってのかい。一体いくらだ?銅貨1枚程度じゃ動かねぇぜ」

 銅貨。少し前まではこれを集めるためにあくせく働いていた。そうだ、自分にもそういう時代があった。サイモンはおかしくなって笑ってしまう。

「えー、どうしよっかな〜、3枚にしよっかなーーー」

「へぇ3枚?」

「5枚にしよっかなーー?」

「おう5枚!」

 明らかに相手の目の色が変わる。そうだ、俺たちは銅貨5枚もあれば数日の食い扶持が確保できた。でも…今となってはみみっちい。みみっちいな。

「はい、では金貨一枚差し上げます!頑張って働いてください!」

 そこでもったいぶっていた金額を告げる。それを聞いたボブは、

 ヒュッ…

 息を飲んだ後、白目を剥いて倒れかけた。

「わーーー?!頭打ちますよ!!」

 サイモンが慌ててそれを捕まえる。ボブは動転しすぎて声にならない声を上げた。

「きっ、金貨…!?サイモンが金貨を俺に払うだと!!!!????」

「しーーー!!!要らないならいいんですけど!!」

「いやもらう!くれ!いやくださいお願いします!!」

 途端にボブが床に這いつくばる。18歳のサイモンの、倍はあろうかという年の男なのにこれだ。お金の力とは恐ろしい…。サイモンはひそかに生唾を飲んだ。すると、

「で、でも金貨って!一体どこで何をどうしたんだ!?」

 頭を上げたボブが泡を吹きながら聞いてきた。まぁそれはここの隣人として当然の疑問だろう。せっかくだから、牽制の意味も込めて話しておくとするか。サイモンはまたしても声を潜めて口を開く。

「えー、これ誰にもナイショですよ〜」

「ああ!」

「実は、一昨日ある獣人と知り合いまして」

「ほう」

「たまたま困ってたそいつを助けたら、そいつメチャクチャ強くて。軽く振りかぶっただけの片手で大樽をぶち壊すし、石灯籠だって真っ二つに出来るって言うんです」

「へぇ…」

「だからそいつと組んで、闇闘技場に行ってきました。手続きして出てもらって、そいつに賭けたらあっという間に全員血の海。圧勝で賭けも馬鹿勝ちでした。終わり」

「マジか…」

「マジです」

 そう、性別は伏せておく。これでこの男の脳裏には、さぞや筋骨隆々で恐ろしい男獣人の姿が浮かんでいるだろう。

「今そいつには買い物に行ってもらってます。で、今日中に新しい物件探してそこでそいつと住めたらなって。これからはそいつとモンスター討伐クエストとかお尋ね者ハントで暮らしていきます」

「……へぇ……」

 さもなんでもないこと、と言いたげに今後の展望を語るサイモン。これから彼とビッグケットはずっと一緒だ。彼に何かあればすぐ気づくはず。だから今サイモンがそれなりの金貨を持っているからといって、アブク銭欲しさに彼を殺すと彼女(ボブの中ではムキムキ男)の報復が待っている。

(嬉しそうに尻尾振ってるうちはまだいい。でもそのうち、今ぽんと金貨出せるってことはもっとたくさん持ってるって気づくはずだ。…こっちが金持ってるからってトチ狂うなよオッサン…)

 ここはノーマンエリア最外部。ここの民度の低さはお察しだ。金貨一枚で目の色を変えるほど金に餓えてる住人たち。その一人であるボブ。なんとか遠回しな警告でビビってくれるといいのだけど。ちらりとボブを見ると、警告は効いたようだ。やや顔を引きつらせた彼が薄い笑いを浮かべている。

「その獣人君、強いんだぁ?」

「軽い蹴り一発でアプカルルの首ふっ飛ばしてました」

「うわー…」

「もう人形相手みたいに、トロルもワーウルフも殿堂入り王手のムキムキ人間ノーマンも真っ二つにしてたので、正直俺もちょっと引きました」

「ちょっと引いたで済んだオメーがスゲェよ」

 はははは。片方は朗らかに、片方は乾いた笑いを浮かべる。ひとしきり笑うと、ボブはよし。と頷いた。

「無駄話すんませんボス。何からやりますか」

 下手なことは考えるな。目の前の仕事だけこなせ。ボブの脳内にしっかり下僕の心得が出来たようなので、サイモンは安心して次の言葉をかけた。

「じゃあうちの家財一式外に出して、ゴミ捨て場に運んでもらえますか」

「アイサー!」
















「…こんくらいでいいか……?」

「そッスね…。ありがとうございました、おかげで一人より早く終わりました…」

 しばし後。狭い部屋とはいえ、少しの荷物を残して空っぽにしたあげく、綺麗に掃除まで終えた二人。すっかりくたくたになって座り込んでしまった。

 大した物はなかった。しかし寝台テーブルタンスと全部外の敷地へ運び出すと、それなりの疲労がたまる。今までほとんど出来ていなかった完璧な掃除までこなせばなおさらだ。…ふと時間が気になる。やらなければならないことはまだまだあるからだ。そこでなんとなしに疑問を口にする。

「今何時だろ…」

「さぁ、昼くらい?昼前か?」

 二人で空を見上げると、太陽が大分高くなっていた。もうすぐ昼ってとこか。まだもう少しかかるか?こうしちゃいられない。

「あんがとございます。じゃあ、俺もう出ます。飯も食いたいし」

「そうか。じゃあな。今までそれなりに楽しかったぜ」

 恐らくこれが最後の挨拶。サイモンが頭を下げると、ハゲ面のオッサンもにかりと笑う。サイモンはそれに小さく笑い返し、残した荷物の中から金貨を一枚出した。

「はい、どうぞ」

「ああ。この程度で金貨一枚とはありがたいね」

 それを受け取り、満足気に握りしめるボブ。そんな彼を見たサイモンはあ、と声を上げた。

「もし興味あったら、今夜の闇闘技場来てください。俺の相棒に賭けてくれたら絶対損させませんよ」

「おっ、いいねぇ。名前はなんてェんだ?」

「ビッグケット。ケットシーの混血です」

「ケットシーの混血ぅ…?なんだか弱そうだけどな…」

「それが嘘みたいに強いんですって。だから昨日勝てたんです」

「まぁ、勝てたんだからそうなんだろうな…」

 ケットシーといえば、100センチにも満たない二足歩行の温厚な猫たちだ。それを知っているのだろう、訝しげに首を捻るボブ。しかもビッグケットは女だ。でも強い。べらぼうに強い。その戦いぶりをサイモンは比較的間近で見た。昨晩案内されたオーナー席。出場選手の戦う舞台と地続きの一階、かぶり付きの特等席。そこである程度離れているが確かに、あらゆる選手の首や身体がぽんぽん飛ぶのを見たのだ。あの光景はきっと一生忘れられない。

「ま、気が向いたらでいいんで」

「いや。そこまで言われたら行くぜ。お前の相棒とやらを拝んでやる」

「じゃ、また夕方に会うかもですね」

 そこまで話して、サイモンは改めて頭を下げた。もう行こう…次は挨拶回りだ。一時間もあれば終わるはず。気合い入れろ!













「えっ、このお金どうしたんだい!?」

 またドラゴンライダーを雇い、借金返済行脚をしていると。大概上記の言葉が返ってきた。それもそのはず、これまであちこちに頭を下げまくり、借りまくってなんとか暮らしてきたサイモンだ。突然全額返しますとやって来ても戸惑う人間の方が多かった。

「いやぁ…闇闘技場で馬鹿勝ちしたので…」

 嘘をつくのも気が引けて、へらへらしながらどストレートな真実を告げる。ある者はドン引きの表情を浮かべ、またある者は「ああ〜」と同意の声を上げた。なるほど、あっという間に財産を作るならそれくらいしか方法がない。しかし、人が派手に死にまくるのをわざわざ見に行ったのか…。一般人の感覚はどちらかというとこちらだった。サイモンの少ない人徳が減る音が聞こえる気がした。

(くっ…そうだよな…俺だって、人死になんて見たくないから一度も闘技場行ったことなかったんだ。あんな下品な娯楽、見るもんじゃないよな…)

 とはいえ、娯楽の少ない時代に生きる彼らである。品性下劣、最低!と罵る人間は一人として居なかった。それはいいのだが。

「そうなの、じゃあこれからはある程度安定した穏やかな暮らしが出来るのかしら?」

 一昨日サイモンに本の整頓を申し付けてくれたショージョーの老婆。彼女には何度か借金返済の肩代わりをしてもらっていた経緯があるのだが…静かに、しかし暗に「もう荒事には首を突っ込まないのか?」と聞かれてサイモンの胸が痛む。

「…どうでしょう。俺もまだ若いので、手に入ったお金でただ安穏と暮らすことはないと思います」

「そう……」

 きっと老い先短いその身でサイモンの未来を案じてくれていたのだろう。老婆は少し寂しそうに笑った。

「若い若い人間ノーマンの坊や。楽しく生きるのはけっこうです。けど、たまには立ち止まることを覚えてね。後先考えず走っていくと、いつか大きく転んでしまうわよ」

「…ありがとうございます。肝に銘じます」

 借金返済回りはこれで最後だ。その最後の最後に、なんだか考えさせられる言葉をもらった。後先考えず走り続けるな、か。

(でも、立ち止まれるかよ)

 俺とビッグケットの未来はこれからだ。














 


 

 

 さて、昼にしよう。ドラゴンライダーには一旦帰ってもらった。空を見ればいい時間だ。だがまだ物件漁りと買い物関連がある。買い物は身支度を整える程度というか、目下こだわって買うつもりはないが。それでも早いに越したことはない。今日の昼は出店でガレット(そば粉のクレープ)を買うか。

「まいど!」

 人間ノーマンが住む西部ノーマンエリア、そして亜人獣人エリアの東部が交わる場所…中央セントラルの北エリア。ここは活気溢れる東部のメインストリートとは打って変わって、「閑静な」とか「穏やかな」といった言葉がふさわしい場所だった。大まかに分類するなら、中央北部が亜人獣人たちの中でも比較的富裕層の住宅街。中央南部が人間ノーマンの商店街。そして東部のメインストリートを挟んだ向こう、最東部が亜人獣人の貧民街。この街の構造はおおよそこんな形になっている。

 中央セントラル北部。正直サイモンはほとんどここに来たことがなかったが、この中にも中央通りと呼べる道があるようだ。比較的幅がある均された道の両端に、軽食の出店が並んでいる。覗き込んでみると、紅茶やガレット、見たこともない丸く色鮮やかな菓子が売られている(看板には“マカロン”と書かれていた)。さすが中央セントラル北部。売られている物もなんだかお洒落だ。

 サイモンは売られているそれらの中から、比較的腹の膨れそうなガレットを選んだ。野菜と魚が巻かれ、ビネガーのドレッシングがふられたそば粉の薄焼き。それを手渡してくれる、愛想良く笑う店員は…驚いた。なんの変哲もない人間ノーマンの男だ。ノーマンエリア以外の屋外で、散々様々な人種を見てから突然人間ノーマンを見るとちょっと心臓に悪い。

「あんた人間ノーマンだな。こんなとこで何やってんだ」

 思わず店員に話しかけると、男は瞳を細めてからから笑った。

「え?嫌ですね〜、商売ですよ商売!ここならまだ治安もいいですからね。自分みたいな弱い人種でも安心して仕事が出来るってもんです」

「あーなるほど、ここなら安心安全に金稼ぎが出来ると」

「はい!自分も昔は王都で料理してたりしてたんですけどね。料理長と喧嘩したらあっという間に干されて、気づいたらこんなとこに流れ着きました」

「はぁーー、あんたも大変だな」

 やっぱりワケアリ。この街にいる軍人以外の人間ノーマンはこんなんばっかりだ。

「お兄さんは普段何してるんです?」

 サイモンがガレットを食べていると、逆に話題を振られた。何を?これまで大したことはしてきてないんだよな。

万屋よろずやのつもりだったけど、大して稼げてなかったよ。最近心強い相棒が出来て稼げるようになったけど」

「へぇ」

 男はそう言うと、そういやこんな話知ってます?と小声で囁いてきた。

「お兄さん、闇闘技場ってご存知です?」

 …知ってるも何も、昨日行ったけど。

「ああ、噂くらいは…。それがどうした?」

「これも噂なんですけど、昨日の試合。超絶大番狂わせがあって、超高額配当金が飛び出したらしいんですよ。なんと、6億」

「…6億!!」

 それ俺!俺がゲットした奴だよ!!!だがそうは言えない。向かい合う男の目が怪しく揺らいでいる。あくまでそれは噂。噂ということにしておかないと、こいつに何かされそうだ。そんな異様な雰囲気。

「いいな…一晩で6億…。さぞや人生変わるんだろうなぁ。そんなお金あったら自分、ガレット屋なんて辞めますわ」

 そうだろうな!普通の人間ならそうだろうな…!サイモンは内心滝のような汗をかく。いやもう行こう。こいつの話に付き合ってたら寿命がいくらあっても足りない。この男はきっと現状がメチャクチャ不満なんだ。

「…ああ、そうだな、いいなぁ。俺も6億欲しい。俺も闘技場行ってみようかなぁ」

「あ、それいいな。自分もちょっと行ってみたいです。ミラクル…ミラクルがあればこんなとこ…」

 それ以降、男は何か不明瞭な言葉を呟いている。行くなら今だ。一応一言告げてから立ち去る。

「じゃ、俺行くから。お互いいい事あるといいな」

「そうですね…目指せ6億…」

 ガレットをひっくり返すヘラを両手に持ち、ぼんやりと虚空を見つめるガレット屋。サイモンは慌てて彼から離れ、次の目的地を目指した。あー怖かった。しっかし…

(闇闘技場で6億勝った話、もう外に出回ってるのか)

 …それもそうか。あんなミラクル、あの場に居合わせていたら絶対他人に言いたくて仕方ない。「この街の誰かが一晩で6億手にした」。これほど面白くて盛り上がる話題もあるまい。

(…下手に金遣い荒いと目をつけられるかな…?)

 だがもう何人にも金を配ったし、引っ越しの手筈も整えてしまった。いつか、誰かが。サイモンとビッグケットの二人に金をくれと襲いかかってくるだろうか。あるいはどうにか分けてくれと縋ってくるだろうか。

(…前者ならまだ扱いも楽なんだけど)

 もし、巧妙に取り繕う後者が現れたら?…俺たちは、上手くかわせるだろうか。…ちょっと心配だ。

 とりあえずガレット美味かったな。あのガレット屋、もっと自信持てばいいのに。











「いらっしゃいませ、どのような物件をお探しですか?」

「えーと、値段は問いません。とにかく中央セントラル北部、極力新築、寝室2つともう一つ部屋、そしてリビングが別にあって広い場所を探してます」

「はい、中央セントラル北部の物件ですね」 

 東部の上流エリア。もっと言うと東部内の北部は、比較的綺麗な店が並んでいる区画だ。朝行ったドラゴン屋もこのエリア。そして今サイモンが足を運んでいるこの不動産屋も、ここ東部の北側にある。店内では穏やかな人魚が、脚とヒトの身体を得た女性の人魚が微笑んでいる。なんでこんなとこに人魚がいるんだ。突っ込みたい気持ちを抱えつつ、しかし絶対込み入った事情があるから聞けない。そんなムズムズを抱えつつ話を聞き続けた。

「うーん、家賃を問わないのでしたらいくつかあるのですが…オススメはここですね。先月出来たばかりの高層高級マンション、5階建ての最上階。鍵もマジックロックで本人認証なので、泥棒よけ他とても安心できますよ」

 マジックロック。初めて聞いたが、魔法による最新の治安対策なんだろう。店員が出してきた書類には、緻密な風景画と室内のイメージが描かれている。…うん?これ、家具が描かれてるけど…

「あの、そういえば。家具が全部備え付けで置かれてると助かるんですけど」

「ああ、この絵ですか?ここは家具も既に置いてありますよ。王都の有名なデザイナーさんに作ってもらいました」

 決定。いや、それだけで決定にしたい。それくらい魅力的だ。えーと間取りは…左右に大きな寝室。南向きに大きな窓とベランダ。北側に玄関、小さな部屋。水回りもこっちだ。ビッグケットと二人で暮らすなら、最低限寝室を分けたい。そんでキッチン。おお、ここキッチンがあるぞ。最近の金持ちの家にはカマドがリビングの暖房と別にあるらしい。そして風呂。うわっ風呂だって…。昨日湯浴みして感動したばっかなのに…湯浴み専用の場所。風呂がある。金持ちだ。この物件、とても金持ち専用だ。あっ冷蔵スペースがある。食品が魔法で保存出来るんだって、すげーっ。え、洗濯は共用スペースで、風と水の魔法使って自動で終了?嘘だろ、そんなんあんのかよ。てか各階までの移動は魔法陣で一瞬です!って…すごすぎだろ。

 便利で綺麗で贅沢で。今体験できる最高級の居住空間がここにある。なんてすごいんだろう、夢のようだ。書類を見てるだけでテンション上がる。サイモンが力一杯紙を握りしめていると、店員が申し訳無さそうに声をかけてくる。

「あの、お客様。他にもオススメはありますが、ご覧になりますか」

「見る!!見ます!とにかくお金はいくらかかってもいいので!出来れば家具つきで!」

「かしこまりました、即入居をご希望なのですね。では、こちらはいかがですか。ロイヤル路線のお屋敷になります。召使いもつきますよ」

「いや、そんなに広いのも召使いも要らないです。あと家具がド派手すぎて無理です」

「ではこちらはいかがですか。ワーウルフの衛兵が守る堅牢な城塞が」

「いや、うち侵入者対策には困ってないんで…」

 あれやこれや。店員が次々出してくる書類に目を通し、候補を絞っていく。色々協議した結果、最終的に候補は2つになった。

 一つ目は最初に見せられた所。先月出来た新築で、設備も最新式。カマド(キッチン)、風呂、冷蔵スペース、自動洗濯システムがあり、設えられた家具は清楚上品路線。男のサイモンにも、女のビッグケットにも、比較的気持ちよく暮らせそうな見た目。天国のような物件だ。ただ、質の良い静かな暮らしを追求するあまり、立地は北部の中でもかなり北寄りだ。他とのアクセスが多少悪いかもしれない。

 対抗馬のもう一つは、北部の中では南部の人間用商店街ノーマンマーケットにほど近い場所。この立地だと東部の亜人獣人エリアにも行きやすい。その上で、家具付き寝室二部屋+一部屋+リビングの条件を満たし、なおかつ開放的で明るい内装。正直、これまで貧しい生活をしていたので、風呂やキッチン、冷蔵スペースなんかなくても普通に広ければ…。というのがこちらの物件だ。

 便利VSアクセス。これはあとでビッグケットに聞いてみよう。

「ありがとうございました。あとは同居人に選んでもらいます。で、決まったら契約させて下さい。今日から入居したいので」

「かしこまりました。営業時間内ならいつでもかまいません。お待ちしております」

 人魚の女性は美しい微笑みでサイモンを見送ってくれた。よーし物件探し終了!なんならあとで実物見に行ってもいいし。あとは…

「服と、髪!なんとかするぞ!」

















 次に向かったのは中央セントラル南部。比較的人間ノーマンが多く行き交う、人間ノーマン向けの店が立ち並ぶエリアだ。ざっとでいい、服買って髪整えて…あっ、まず時計買わなくちゃ。今何時だ?足早にそれっぽい店に入り、懐中時計を手に取る。13時半。集合時間まであと一時間半くらいか…やる、やれる。急げ!まずは時計の会計を済ませ、次々ターゲットを探していく。

 時計、アクセサリー屋の隣に鞄屋。よし、ただ革袋を手に掴んでいるのも不安だ。肩掛け鞄を買おう。…ゲット。金貨の入った革袋をそこに突っ込む。

 次服。今まで行ったことない高級路線の店に入ってしまえ。でもそんな派手派手なのは要らないから…おっ、紺地の今の服と気持ち似た服があるぞ。生地がグレードアップして裾に刺繍がつく。うん、こんなもんでいいや。じゃあここでシャツとズボンも買ってしまおう。…ゲット。その場で全身着替え、チップを渡して店員にこれまでの服を処分してくれるよう頼む。店員は快く引き受けてくれた。やったぜ、金の力は偉大だ。

 次ブーツ。靴屋までは少し距離があるけどダッシュ!ボロボロブーツともおさらばだ、ヒャッハー!の気持ちで走り出す。やがてめぼしい店を見つけたので入る。靴屋の奥では偏屈そうな爺さん店主が皮をなめしていたが、足早に商品を吟味する。サイズを見て…よし、これ。黒に濃茶の返しがついてる奴。濃茶の縁は内側まで一続きのバイカラーだ。オッシャレ〜。それの代金を払い、その場で履いて店を出る。

 よし!全身新品ピカピカ!ちょーーーーー気持ちいい!!!!!

 サイモンは満面の笑顔で通りを歩いた。いや、小走りで進んだ。残るは髪だ。今までテキトーにナイフで切り落としてきた。このザンバラの髪をなんとかしてもらう!!

「すみません!今すぐ切ってもらうことって可能ですか?」

 外から軽く覗き込み、他に客がいないと確認した散髪屋。そこには色黒の男が一人、店員として立っていた。

「はい、大丈夫ですよ」

 美容に関わる職業だからだろうか、男はやけに整った容姿に見えた。だが不思議なことに、彼は黒いフード付きの服を着ており、頭からすっぽりそのフードを被っていた。室内で?なんだろう…。あっ。

「もしかしてアンタ、“南部エルフ”か?」

 店員は小さく肩を強張らせ、そしてサイモンを見た。褐色の肌に濃い青の瞳。他の種族にはあまりない組み合わせのカラーリングだったので、もしやと思ったのだが。すると、

「…よくご存知ですね、南部エルフという種族名を」

 男がフードを脱いだ。隠されていたのは頭、いや耳か。褐色の肌に連なる長く尖った耳。彼は人間ノーマンではない、エルフだ。淡い銀の髪が肩に落ちる。

人間ノーマンのお客様は特に、私の耳と髪、肌の色を見るとダークエルフだと呼んで怯えられます。私は肌が黒いだけのエルフなのですが…色黒のエルフという存在は本当に知られてなくて」

「あー、世間的には色黒のエルフってーと犯罪者予備軍とか危険思想とか乱暴者とか、そういう意味でダークエルフって呼ぶんだよな。けど確かダークエルフって、なんらかの理由で国外追放食らったエルフ個人を指すんだよな?ガチモンの犯罪者とか、魔法が下手とか。見た目で決まるんじゃないんだよな」

 サイモンが軽く目線を上に向ける。昔得た知識を思い出す仕草。すると、南部エルフの男が目を丸くした。

「そうです、本当によくご存知で。ダークエルフは肩書き。一方私達南部エルフは、森から出て砂漠地帯で暮らしたエルフの子孫です。犯罪を犯したわけでもやましいことがあって追放されたわけでもない」

「可哀想だよなぁ、風評被害甚だしい。ごめんな、人間ノーマンが無知で失礼で」

「いえ…貴方のような理解ある人間ノーマンがいると知れただけでとても希望が持てます。ありがとうございます」

 南部エルフの男が薄く笑う。それを見たサイモンは、美丈夫然とした雰囲気に一瞬見惚れてしまった。いいなぁエルフ、みぃんな美形なんだもんな。

 そもそもエルフといえば、大概は金髪緑眼だの銀髪碧眼だので色白なのが相場なのだが…それは森の奥に引きこもって出てこないから日に焼けないだけだ。エルフだって日差しの下に出て、長く過ごせば日に焼ける。よって、食料不足か部族間対立か。何らかの理由で森を出て、さらに砂漠まで辿り着いたエルフの一群は後々こんがり焼けて、子供を成すだけで色黒の個体が産まれるようになった。これが森に暮らすエルフと分けて呼ばれる、南部エルフという種族だ。

「しかし、人間ノーマンでいらっしゃるのにどこでその知識を?私が知る限り、ダークエルフと南部エルフの違いをきちんと言い当てられる人間ノーマンに会ったことがないのですが…」

 するとサイモン、とてもとても嫌そうな表情で店員のエルフを見た。エルフの男がびくりと肩を震わせる。

「いやな…昔…本物のダークエルフの女と付き合ったことがあって…色白で超美人だったんだけど…エライ目にあって…うん、これ以上は思い出したくないごめん」

「なんとそれは!失礼しました」

 店員のエルフが慌てて頭を下げる。その後顔を上げ、そういえば。と口を開いた。

「あの、髪を切りにいらっしゃったんですよね?いかがいたします?」

「あーそうだ!…うわっ、世間話してる場合じゃなかった!悪いけど急いでくれ、えーとえーと…テキトーに!とりあえず整えて短くしてくれ!」

 店員のエルフが中央の椅子を指し示す。サイモンはそれに座り、店員が手際よく準備するのを眺めた。タオルを首にかけ、大きな布をサイモンの肩からかけて…ハサミを取り出すその様を。

「では、長さを変えつつトレンドも取り入れましょう。今王都では髪を3つに分けて編むのが流行りだそうですよ。慣れると簡単ですので、ぜひやってみてください」

 言いながら、どんどんサイモンの髪を切り落としていく。実は長さだけならビッグケットより長かったかもしれない。不揃いな金髪が店員エルフの操る硬質なハサミの音に合わせて落ちていく。シャキシャキ、シャキ。みるみる辺りが毛束だらけになり、気がつくとサイモンはすっかりショートヘアになっていた。だが武人のような無骨な短髪ではない。前髪も横髪も残された、どこか女性的な雰囲気のある柔らかな仕上がりだった。

「そして、ここを三編みにします」

 片側の髪、耳の横の部分がすくい上げられ、器用に編まれていく。最後は小さな髪飾りでくくられて、さらに後頭部の髪を掴まれた。

「お客様は滑らかな金の髪が美しいので、少し飾り付けておきますね」

 横の三編みごと頭の上半分の髪が取られ、梳かれ、後ろで一つにまとめられた。

「おしまい。どうですか。ヘアアレンジは私の独断ですが…似合っていますよ」

 なんだか夢の中にいるみたいだ。鏡の中には、すっかり別人のようになったサイモンがいた。長すぎて横に流していた前髪をきちんと作ってもらった。ざんばらで首にまとわりついていた後ろの髪もスッキリした。頭が軽い。うん、生まれ変わったみたいだ。かっこいい。

「あ、あと少し…。お急ぎの中すみません。こちらに頭を少し倒してください」

 すっかり終わったのにまだ何かあるのか?サイモンが疑問に思いつつ指示通り頭を後ろに倒すと、南部エルフの店員は皿と何かのクリームを持ってきた。あれは…?

「せっかくだから髭も剃りましょう。伸ばしているわけじゃないのでしょう?お客様は若いのですから、ない方が若々しく見えて素敵だと思いますよ」

「じゃあ、よろしくお願いします」

 どういう口の軽さなのか、店員から次々褒められて気恥ずかしかった。エルフだからサイモンよりずっと歳上なのかもしれない。こちらを子供だと思ってるのかもしれない。それにしても。

(…わ、くすぐったい)

 顔の下半分にクリームを塗られ、素早く丁寧に髭が剃られて行く。鼻の下、顎周り。色素が薄いので目立たない部分ではあったが、確かに何かがあった場所。

「これでよし」

 やがて熱いタオルが用意され、ぐいぐいクリームが拭われる。これで終わりだ。恐らく。もう一度鏡を見ると、恐ろしいほど肌がツヤツヤしたサイモンがそこに映っていた。うわーーっ、本当に子供みたい!いや俺成人してるんだけど!でもまだ18だから、他の年代に比べれば確かに子供寄りなんだけど!うーんすごい!

「お時間取らせてすみません、これで終わりです。えーとお代は、」

「すみません、急いでるのでこれでお願いします!お釣りはいりません!!」

 店員の言葉を聞いて、弾かれたように立ち上がる。時間は…2時50分!もうどう頑張っても遅刻だ!それでも急がなきゃ!!サイモンは慌てて金貨を一枚出し、エルフの店員に握らせる。

人間ノーマンは偏見ばかりで話すの嫌になる時もあるだろうけど!えーと、頑張って!世の中もっと色んなことあるから!じゃ!!」

 南部エルフの男が呆然とする中、脱兎のごとく駆け出していくサイモン。残されたエルフの店員は目を何度か瞬かせ…そして小さく微笑んだ。

「…ありがとうございました」














「急げ!」

 風に遊ぶ柔らかな薄い金髪のショートヘア。片側だけ編まれ、結い上げられた三編みが午後の日差しを浴びて明るく煌めく。髪色と対象的に、暗い紺に染められた上質な長衣がはためく。白いシャツとズボン。黒に濃茶の切り返しがついたブーツ。石畳を軽快に走っていくサイモンに、これまでのみすぼらしさは微塵もなかった。

(…ちっ、しゃーないもっかいドラゴンに乗るか)

 シャングリラにおけるドラゴン屋の本店は東部だが、人間ノーマンの往来が激しいここ中央セントラル南部にも支店がある。微かな記憶を頼りに初めて行く店にダッシュする。…あった!やや小さい店舗だが、火を吹くドラゴンの看板が見える!

「…すみません、ドラゴン一人乗り一頭…!」

 バタン!と扉を開け放って店舗に飛び込む。中では退屈そうな人間ノーマンの男がキセルをふかしていたが、客の来訪に慌てて立ち上がる。

「は、えっ、どちらまで!」

「東部!の、メインストリートを抜けた先にあるジルベール骨董品店まで…!」

 疲れた。思わずがっくり膝をつく。ぜえぜえ息をしていると、店員の男はきりりと表情を変えて奥に引っ込んだ。

「はい、只今準備いたします!少々お待ち下さい!!」

 約束の時間まであと少し。必要な事はなんとか全部終わった…。ビッグケットは、ちゃんと頼んだ物を買えたのかな…?

「はぁ心配…」

 だが、今はとにかく彼女に会うのが楽しみだ。全身取り替えた俺を見て、あいつなんて言うんだろ。


 見違えた、惚れたよ。なんて言うわけないけどさ。夢くらい見たっていいよな。

 


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