第4話 6億を手に入れろ!後編
〈皆様お待たせしました!シャングリラ闇闘技場本日の部、まもなく開始です!〉
わああ…!大歓声が鳴り響く。地下に作られたすり鉢状の巨大な闘技場、前方中央。巨大な鏡がかけられており、舞台の様子がわかるようになっている。舞台に人はいない。実況しているのは巨大な鏡の下、主催者と出資者が並ぶエリアにいるエルフだ。上品なアイスブルーの瞳に、長い絹のような白髪を煌めかせたそのエルフは、頬を薔薇色に染めて
〈実況はわたくし、エルフのカトリーヌがお送りしています!今日はドラマチックな展開が起こる予感!皆様盛り上がって参りましょう!さぁ、まもなく出場者入場です!!〉
一際歓声が大きくなる。出場者たちが舞台横の小さな扉から出てきたのだ。鏡は器用にその姿を捉え、子細な表情が見えるほど大映しにした。
〈まずはきっと本日の一番人気!殿堂入りに王手をかけた
巨大鏡にはハゲ頭の“勝ち抜き男”が映っている。余裕たっぷりにマッスルポーズなんて決めてるけど…あいつバルバトスなんていかつい名前だったのか。まぁ仮名かもだけど。オーナー席でサイモンがため息をつく中、次の出場者が映し出される。
えっ……
〈そしてバルバトス選手とは別に、本日のメインディッシュ!皆様お楽しみ、お久しぶりの女性枠です!当然初出場、新顔ですね!しかし皆様、こんなの見たことあるでしょうか!彼女はケットシーの美しい混血でございます!この完成された美しさ、早く見てほしい!試合が始まればこの邪魔なストールも剥がされる予定です!こうご期待!!お名前はビッグケットちゃんです!!〉
会場はさらにボルテージが上がった。大きな鏡、その中に黒いストールを頭から羽織ったビッグケットが映し出されている。さっきのバルバトスの入場を見ていたのか、客にハッキリ見られていることを意識している。さも心細そうにストールをかき抱き、周りをキョロキョロ見回しているその表情。まさにこれから死ぬ恐怖に慄いている獣人って感じだ。
(いいぞいいぞ…!)
実はこの闇闘技場、一般観覧客は選手紹介が全部終わってから掛け金を入れる仕組みになっている。こんなん見ちゃったら、こいつが一人勝ちする未来なんて考えないだろう!サイモンがバカ勝ちする未来が近づいてくる。ワクワクが止まらない!
〈3人目、ワーウルフのムーン・チャイルド!表の世界では名うての賞金稼ぎさんだそうです!確かに素手の勝負、ワーウルフはかなり勝ち格の予感!36人殺しの
〈4人目、ミノタウロスのチョトツモーシン!!こちらもかつて大冒険を繰り広げた冒険者さんだそうで!本当は老齢故引退したのですが、血を浴びる感覚をまた味わいたくて、どうせ死ぬならこういうとこだなって来て下さったそうです!Mr.クレイジーブラッド!!いいですねそういう方!ド派手に暴れて下さい!〉
〈5人目、トロルのボボ!こちらは雇い主さんからの極秘ミッションのため送り込まれたということで、平たぁく言っちゃうと規律違反によるリンチ私刑でここに放り込まれてますね!罪状は女好きすぎてすぐ女性を犯して殺すから、だそうで、その辺今日はいい感じにマッチしてますね!素敵!!皆さん期待してくださぁい❤〉
その他、浮浪者は盗賊に捕まって金と引き換えにするため放り込まれた「ドントクライ」、
〈10人目!これはどストレートですねぇ、自殺願望を叶えて欲しくて来たそうです、エルフのホワイトプレイ!なんでエルフのくせに死のうとしてんですかね〜亜人獣人より基本一段上にいるのに!自分の境遇を活かしきれなかった真正の負け犬ですね!じゃあ派手に死んでください❤以上!!〉
…これで選手紹介が全て終わった。なんだこの、毒しかないエルフの紹介は。選手紹介文誰が考えてんの?血も涙もなくない…??あとみんな、かなり名前テキトーだな。バルバトスだけだよイカツいの。これでビッグケットが浮いてないの笑うしかないだろ。
〈はい、では本日は誰が生き残るでしょーーーか!いやぁ今日は出場者がバラエティに富んでてとっても楽しいですね♪ではレッツシンキーーーーング、アンドベェット!!!パーリータイムゴー!!〉
そこで一旦実況が途切れ、賑やかな音楽が流れる。恐らく一般観覧者は今賭ける対象を考えて金額を決めるのか。前説を真に受けるなら、バルバトスかムーンチャイルドが生き残りの本命ってとこかな。まぁどっちもビッグケットの敵じゃないけど。…ワーウルフだって勝てるんだよな?ほとんど勝てるって言ってたもんな?信じてるぞ…。あー、ヤキモキする。大丈夫かな…大丈夫かな…はーーーっ………。
〈そろそろ締め切りますよ!カウントダウン!5!4!3!2!1!!!しゅーーーりょーーーーーー!!!!〉
カンカンカン!!けたたましいベルが鳴る。ついに最終オッズが確定したようだ。…まぁ、正確にはオッズなんてめんどくさいものじゃなく、普通に総額を頭数で割るだけだけど…。
〈はい、集計結果出ました!〉
突然エルフの楽しげな声が大音量で飛び込んできて、心臓が口からまろび出るところだった。えーと、俺がもらえる金額は…さて。
〈本日参加者4万飛んで623人!皆さんの手元に渡るベット総額は13億エルスとなりました!!!〉
13億エルス…!一人勝ちしたらこれが全部俺のモノ!!
〈そして肝心のベット先情報ですが!さすが皆さん、手堅く入れてますね!約半数の方がバルバトス選手に入れています!さらに!すごいです!!女性枠ビッグケット選手!2名の方がベットしてます!なんてチャレンジャー、酔狂、クレイジーなんでしょう!!負けるとわかってて入れるタイプの性癖の方なんでしょうか!?〉
「なっ…」
なにいーーーーー!!!!!!俺の他にもうひとりビッグケットに入れた奴がいる!?どういうクレイジーだ!?いや、あの映像から何かを感じた…とか!?くそ、半額かー、でも6億オーバー…充分だ!一生二人で遊んで暮らせるぜ!
〈その他選手の割合は図の通りとなっております、参考にして下さい!さぁ今日はどうなるのか!?まもなく試合開始です!!〉
「!」
試合開始…!ビッグケットが生きて帰れるかの瀬戸際…!!
頑張れ、ビッグケット…!!
後ろで汚い男たちが、涎を垂らす勢いでビッグケットを見ているのはわかっている。試合開始のゴングを今か今かと待ち望む心の声が、こちらにまで聞こえてきそうだ。
(ビッグケット、そろそろ始まるってわかってるかな…。放送内容、自分の名前しかわかってないよな…?)
サイモンが指定した通り、待機時間中ひたすら俯いているビッグケット。さっきのベット情報も見ていなかっただろう。ああ、まだか。早く、始まる、いつ、まだか、今か。
〈…では、運営側の準備が整いました!選手の皆様いいですか?!始まりますよー!〉
…ッ、始まる!
〈レディーー!!ゴォ!!!〉
始まった!!
「お嬢ちゃん!約束通り俺がその首もらうぜ!」
真っ先に駆け寄るのは、殿堂入りのかかった実力者バルバトス。そして……
「いいやテメーなんかにゃ渡さないね!!俺が貰い受ける!」
それを阻止せんと
「やったースタート位置に恵まれた〜!この子はオイラがもらう〜!!」
実はビッグケットに一番近かったのは、死ぬとか勝つとか殺すとかの概念をもはや忘れてそうな
(おい、魚はともかく変態と狼がもうすぐそばだぞ…!もう試合始まってるんだ、殺していいんだぞ!)
ビッグケットは動かない。
まさか…俺の指示を待っているのか!?
(なら届け!聞け!!)
俺の渾身の想い────!!!!
『戦エ!!ビッグケット!!!』
ビッグケットが自発的に目を開けて臨戦態勢に入るのと、サイモンが心配して声を張り上げるのは、実はまるで同時のタイミングだった。彼女自身は走るのもダルいから敵を引き寄せていただけに過ぎない。
なぜならどんな奴より速く動ける自信があったから。
(聞こえたぞ、お前の声。)
閉じた脚を仁王立ちに開く。俯いた顔をキッと上げ、自分を抱くように大事に掴んでいたストールを斜め下に振り投げれば、それまで被っていたストールがふわりと宙に飛んでいく。それはまるで獅子の目覚めのごとき雄々しさだった。
「ビッグケット!!!」
思わずサイモンが叫ぶ。あと数歩の距離に
『そんなんで私に勝てると思ったか』
「シネ!!」
ガズン!!!
余裕のハイキックがキマる。
「「はっ…?」」
一瞬思考が止まるバルバトスとムーン・チャイルド。遅れて倒れる身体から吹き出す血飛沫をものともせず、ビッグケットは次の獲物を捉える。
『わざわざご足労ありがとうな!次はお前だ!!』
「シネ!」
眼前に迫ったムーン・チャイルドの胸ぐらを掴み、相手の勢いをそのまま利用する形で身体を捻る。それがまるで人形かのように。190オーバーの成人男性を片手で持ち上げ、床に叩きつける。
ゴシャッ!
即座に顔面が弾けて飛び散った。悠々首元までぶつけたので、どんなに生の可能性を見出そうとしても彼の首はへし折れている。床にみるみる血が広がっていく。
『次!お前だ!!』
こいつはヤバイ。気づいたところで止まろうにも止まれないバルバトスがぐんぐん迫る。ビッグケットはその頭が通るであろう軌道上に片手を構えた。
「シネ!!!」
すれ違いざまの一撃。バルバトスが物理法則に則ってすれ違うのが先か、ビッグケットが片手を出すのが先か。掌底がオッサンの顔にジャストフィットし、
パァン!!!!
実にいい「弾ける音」がした。まるで赤い華か真っ赤な花火のように頭部から鮮血が飛び散る。身体の決定権を持つ部位が消失した身体はいとも簡単にでかい肉塊と化し、力なく倒れた。
『…ほら来いよ、私を楽しませろ』
ビッグケットが振り返り、真っ赤な血が滴る顔面で白い牙を見せる。彼女は笑っていた。しかし、誰もケットシー語を理解出来ないのと、状況すら頭に入ってこないほどの混乱で、誰も返事が出来なかった。
そこに口を挟んだのは、ようやく、そして誰より速くこの異様な事態を現実と認めた実況のカトリーヌだった。
〈な、なんということでしょう!?ビッグケット選手、いとも簡単に他の選手を屠っていく!これは…現実!?現実!現実です!!
まさかのダークホース!ビッグケット選手の凶行を誰も止められません!!〉
「く、くそっ…!」
上位二人と目された人物が二人共秒単位で殺された。まともに考えればこれに敵う奴なんているわけがない。しかし、人間とは時に合理的な判断を殴り捨てる時がある。“彼”にとっては今日がその日だった。
「ふ、ふざけやがって…!たかが猫の獣人のくせに!」
真っ先に勇気を闘志に変えたのは、自分のことを誰より強い、誰にだって勝てると信じてここにやってきた
「ぶちのめしてやる!!」
拳を掲げ突撃する。迫る猫女の姿。しかし、しっかり表情を視認できるほど近づいた時、彼女の真意に気づいた時…彼は改めて本能で“恐怖”を知った。そして次の瞬間視界が黒く塗り潰された。
この女は他者を殺す事を「なんとも思っていない」。ただ自分の優位を悟ってせせら笑っている…!
ビッグケットは相手が寄ってくるのに合わせて高く跳躍。眼前の頭を両手で掴み、腹筋の力を利用して両膝でレッドファイアの顔面を砕いた。まるで水溜りを飛び越えました♪と言わんばかりの軽やかさで、人一人の顔面を破壊してのけたのだ。
グシャリ。
『そっちから来てくれてありがとな。さて、あと何人だ』
ボタボタともはや誰の物かわからない血が滴り落ちる。ビッグケットが音もなく着地した数瞬後、顔面がぐちゃぐちゃに砕けたレッドファイアがようやく地面に落ちた。
「ひっ、ひい…!」
『死にたくて来たんじゃないのか。早く来いよ』
ちょいちょい、と人差し指を自分に向かって振る。そこですっと出てきたのはエルフのホワイトプレイだ。元々自殺願望のあった男。今更恐れはなかった。
「シネ」
「…」
こくり。生白い顔をした痩せた男が首を縦に振り、ビッグケットがミドルキックを放つ。その一撃は見事に胸部をぶち抜き、脚が人一人の肉体を貫通した。引き寄せて脚を抜くと、引っ張られたホワイトプレイの身体も床に崩れる。ビチャビチャと床の血溜まりが広がっていく。
『あとは?来ないならこっちから行くぞ』
一歩、一歩、歩いていくと、やや離れた所で固まっていた鈍重タイプのチョトツモーシン(ミノタウロス)とボボ(トロル)が肩を震わせる。死ぬかもしれない覚悟はあった。しかし、今ここで死ぬ覚悟はまだ出来ていなかった。
「マッ、待テ!降参宣言アリダヨナ!?無理、モウコンナン勝テナイヨ!!」
ビッグケットがまっすぐ二人に近づいていく。トロルのボボは慌てて膝をつき、上半身を床に投げ出した。絶対服従土下座の姿勢。
「サッキフザケタ、ホントゴメン!許シテ…命ダケワッ」
グシャン。
ビッグケットが高く振り上げた足。その裏側がボボの後頭部にクリーンヒットした。紙で出来た細工のように踏み抜いて穴を開ける。血の壺である頭蓋骨はまたしてもビュービュー赤い液体を吹き出した。
「お、おまっ…トロルの頭蓋骨をこんな…ッ」
真隣でその惨劇を見届けたチョトツモーシンが奥歯をガチガチ鳴らす。ビッグケットは冷たい目でそれを見やり、
『お前も』「シネ」
ボボから引き抜いた脚を無造作に振り抜く。真隣でへたり込んでいたチョトツモーシン。丁度正座に近い姿勢だった彼の頭を蹴りで粉々にカチ割る。
パカンッッッ!!
『いい音。』
破裂に近かったので、一層甲高い音が響いた。さてあとは…
(二人…)
もう早残り二人。ガルーダのアイキャンフライと浮浪者のドントクライ。まずはトロそうな方から。
「ヒェッ、た、たすけてくれ…!!」
腰が抜けて立てない年寄りを、床からなんとか動こうともがく明らかに弱い生き物を、助走をつけて軽やかに走りよって蹴り飛ばす。丁度腹の辺りだったのか。細い人体は真っ二つに裂けて飛び散った。まるで祝い事のテープみたいに臓物と血が四方に散らばる。そして…
「ウワウワウワ、勘弁シテクレヨ…!!」
それまでの一部始終を空中から見守っていたアイキャンフライ。まさかあの女、ジャンプ一回で数メートル飛んだりしないよな…。地面の上、走り寄ってくるビッグケットを眺めていると…
「来タ!!!」
ホップ、ステップ、ジャンプ。軽やかな足取りで助走をつけ、片手を振りかぶる。身体全体を弓のようにしならせて…
「ギャアアアアアアア!!!!!」
届いた。数メートル以上離れてるアイキャンフライの足首をがっちり掴む。
「シネ!シネ!シネ!!!」
[さよなら世界!!!!]
ドンッ!!!
身体のしなりを利用して、体全体で足首を掴んで地面に投げる。床に叩きつけられたアイキャンフライは全身破裂で真っ赤に染まった。
『…終わり!』
すとんとしゃがむように着地。ビッグケットは余裕の笑みを浮かべて立ち上がった。ピンと立った尻尾の先が揺れる。無傷の完勝。他人の血にまみれた猫がたった一人、闘技場のステージに立っている。
〈…な、な、な…!
なんということでしょう!!不肖わたくしめ、こんな凄まじい一戦を見たことがありません!ビッグケット選手!ケットシー混血女性ビッグケット選手!!勝利です!!圧巻の強さを見せつけて、あっという間の勝利です!!〉
……………
ギャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!?????
歓声ではない、割れんばかりの大絶叫が闘技場全体を包み込んで揺らした。なぜなら大穴も大穴、ベット人数たった二人のダークホースが、実況も唖然として仕事を放棄する速さで全員ぶちのめしたのだ。結果に納得する人間など、確信犯で挑んだ本人たち二人以外にいるわけがなかった。
「嘘だろ!!バルバトスが負けるなんて!」
「いや、女が勝つ事がありえない!」
「しかも遊んでるみたいに余裕たっぷりな勝ち方…ッ」
「アリエナイ!アリエナイ!!アリエナイ!!!」
「どうすんだよッ、返せよ俺の金!!!」
「アアアアア全財産スッたああああああああヤベエエエエエエエエ」
最初の大絶叫が一段落しても、第二波第三波の山が来る。そもそも今日はバルバトスの殿堂入りをかけた、安牌の試合のはずだった。取り分は少なくとも、とりあえず賭けておけばちょっとは勝てるんじゃないか。そういう雑な試合になるはずだった。
よって、今回は大金を賭けて増やそうという人間が多かった。なお、かけられる金額が増えるごとに運営側から独自の掛け算を施され、返還金が増える仕組みになっている。誰もがバルバトスの、せめて対抗馬のムーン・チャイルドの勝利を信じていた。なのに。
「か、勝った………ッ」
その、ビッグケットの勝利を確信していたはずの片割れ。サイモンが唇を震わせる。いつまでも会場に響く怒号は、たった二人以外の人間が賭けに負けた状況を反映している。もう1人の酔狂なギャンブラーもひっくり返っているだろうか。半分とはいえ、完全に人生が変わる額だ。億。億の資産。億の個人財産。そんなことがあっていいのか…??
そこにポンポン、と響く
〈…ええと、改めて確認します!本日の勝者はケットシーの混血女性、ビッグケット選手!ベット人数2人!総返還額13億エルス!ベットした方に配られる返還額はっ、6億、5千万エルスになります…!!おめでとうございます!!!!!〉
ウオオオオオオオオオオ!!!!!!
会場を揺らす絶叫。これは当然おめでとうの意ではなく、ふざけんなというブーイングの意味だ。4万人越えの観客。そのほとんどがあげているだろう声が、サイモンの鼓膜をビリビリ震わせる。
「6億っ、5千万エルス…!!!」
改めて告げられた額。これが、彼とビッグケット二人の物になる。山分けもおこがましいくらいビッグケットの手柄だが、彼女一人ではここまで漕ぎ着けられなかったのも事実。間違いなく二人で掴み取った栄光だ。
「ろくおくごせんまんえるす…!ヒャはッ、ハハッ、」
つい最近まで飯もロクに食えなかった俺が、行き倒れそうになってた俺が、ろくおくごせんまんえるすの持ち主になる!
「ハハッ、は、ハハハ、キャは、はーーーっ…
ハハハ!あはは、キャハハ!!!ギャーハハハハハハハハハハハハ!!!!!!」
自分でも聞いたことのない声が喉から出て、膝から崩れ落ちた。汗が止めどなく吹き出して手がブルブル震えた。嘘だろ、いや、嘘じゃない。嘘じゃない、嘘じゃない!!!!!
俺が6億5千万エルスの持ち主!人生!大逆転してやった!!!!!!!!
「…おいそこの!」
ガクガク震えていると、周りのオッサンたちが訝しんで声をかけてきた。…いや、違う。彼らはわかっている。サイモンがビッグケットをここに送り込んだオーナーで、この恐るべき大博打に勝った片方は確実にこの男だと。
「お前、最初からあの女が化け物じみて強いのを知っていたのか?」
金持ちそうな風貌。髭を蓄え、上等な衣類を着た男が青筋を立てながら話しかけてくる。細かく覚えてないが、この感じだとバルバトスかムーン・チャイルド…正統派、本命だったはずの出場者のオーナーだろう。サイモンは興奮しすぎて涙の滲む目で振り返った。金づるを皆殺しにされた他のオーナーたちが、殺気を放ちながらこちらを見ている。
「ハハハ、ハハハ、ははっ、そうだよ…みぃんな騙されただろ?ビッグケットは強いんだ。そのへんの男連中より、誰より、メチャクチャ!もうここに出るしかないじゃんか!正直本当に勝てるか心配だったけど…圧勝だったなぁ!」
「お前、卑怯だぞ!あんなに強いの、ケットシーの混血なわけないじゃないか!」
「はぁ?知らないよ、少なくとも本人がばあちゃんがケットシーで、混血だって言い張ってるんだ。何と混血してるかなんて興味もないね」
「貴様っ…!」
殴りかかりそうになる貴族らしき男を制したのは、むしろ身なりの悪いゴロツキ然とした男だ。これは多分浮浪者のおっさんのオーナーだな(そんな紹介をされていた)。
「…まぁまぁオッサンたち。その辺はこのボーヤを責めたって仕方ないことだ。それより大事なのはこれからの未来。そうだろ?」
ぴたりと人差し指で空を指す。白目がちな品のない顔がにたりと歪む。
「おいアンタ、駆け引きをしようぜ。アンタがミラクルなほぼ一人勝ちをしたのはこの際いい。だがな、その金はこれから受け取るんだ。お家にも帰れてない。この意味がわかるか?」
「…さぁ?」
しれっと言葉を返すと、男の顔が一層醜く歪む。
「お前、今この瞬間、この場は1対9だっていう構図がわかってないのか?あのツヨーイ猫チャンとは違うんだ、俺たちが一斉にお前をボコったらどうなるか、わからないとは言わせないぜ」
「…!!!」
発案者のゴロツキ男以外全員、サイモンを含む全員が息を呑んだ。そ、そうか。サイモン以外の全オーナーが同盟を組んだら細いサイモン1人、簡単に血祭りに上げられる。そうなりたくなければ?分け前を寄越せとでも言うつもりだろうか。
「ぐっ…」
一歩後ずさるサイモン。それを見た最初に話しかけてきた貴族は、一転嬉しそうに髭を捻った。
「面白い、乗った!私は金なんて腐るほど持ってる。ただ、可愛がってた玩具を壊された礼はさせてもらいたいねぇ」
それに横槍を入れる別の男。身なりはそこそこだ。
「おいおい、俺は真剣に金づるとして期待してたんだぜ。本気で殴らせてもらわないとわりに合わないな〜」
さらに別のオーナーも彼らの横に並ぶ。
「俺は死ぬこと前提で出してたけどよ〜、面白そうじゃん?返還金の分け前とかもらえたりする?」
「さーぁ、それはこのボーヤに聞いてみないと」
「………!!」
一様に暗く笑うオーナーたちと、囲まれたサイモン。立場は歴然としている。ど、どうする…?一人でどうやって切り抜ければいい?!じわじわ後ろに追い詰められるサイモンが拳を握りしめていると。
「揉め事は困ります、皆様」
「うわっ!!!!!!」
目の前のオーナーたちが一斉に顔を引きつらせた。あれ、もしかして…。そっと後ろを振り返る。
「サイモン・オルコット様。いらっしゃいますね」
『ただいま』
「ビッグケット…!!」
一瞬で6億を稼ぎ出した当人、そしてゾッとするほど真紅に染まった猫と、恭しく板を抱えた黒服の男がそこに立っていた。受付とも案内人とも違う。こいつは後処理係とでも呼んでおこう。
「皆様、配当金、勝利報酬及び登録感謝料の小切手をお持ちしました。名前を呼びますので、それぞれ受け取りにいらして下さい。小切手を受け取り次第本日の日程は全て終了です。ご参加ありがとうございました。
…サイモン・オルコット様」
最初にもらうのはサイモンのようだった。これ正直、本名で呼ばれるの危険なんじゃね?と思いつつ、サイモンが前に出る。後処理係が持つ板に乗せられた最初の一枚目。サイモンの名前が書いてある。そしてその額は…
(E650,073,500…!!)
6億5千7万3千500エルス!!最後の半端は恐らく勝利報酬金貨7枚分だ。いやしかし…すごい額だ。改めて圧倒される。目ン玉ひん剝きすぎて目玉が落ちるってーの。紙一枚を両手で握りしめてわなわな震えるサイモンを、真っ赤なビッグケットが覗きこむ。
『それが賞金か?』
『アア、コレヲぎんこうニ持ッテケバ金ト交換シテモラエルンダ…ッテ、オ前ヤバイナ』
『勝ったぞ』
いや、そこじゃなくて。見た目の話なんですけど。まぁいいや。
『ソレハ見タヨ!スゴカッタ、カッコヨカッタゾ』
『へへ』
恐る恐るだが、片手を出しこつんと拳を合わせる。微かにニチャ、と液体の感触がした。あいつらの血がまだ乾いてない。うわあーーー気持ち悪い。当人たちに悪いのであからさまな態度は取らないが、心の中だけで手を振っておく。
ふと気づくと、他の登録者たちが続々憮然とした顔で小切手を受け取っている。全員が敗者のオーナー。賭けの配当金もなし。一律金貨7枚分しかもらってないのかと思うと胸がスカッとした。ざまぁみろ、お前らが見くびったうちのビッグケットが全員ぶっ飛ばしたぜ。
やがて全員に小切手が行き渡る。すごすご立ち去る他の登録者たちを眺め、さて自分たちも帰ろうかとサイモンが奥に視線を向けると、
「お待ち下さい、オルコット様」
後処理係がサイモンを呼び止める。なんだ?もう解散なんじゃなかったのか?
「申し遅れましたが、実は勝者には運営側より報酬金とは別にささやかなプレゼントがございます。参加者であるビッグケット様にその旨お伝え下さい。ただ、今回女性初の勝者なので、急ごしらえで商品を用意いたしましたこと、お許しください」
「はぁ、プレゼント…?」
そんなこと書類に書いてなかったけど…もしかして、大会をメチャクチャにしたある意味“お礼”が主催者からあったりするのか?でも今までは男にあげてたのに女だから…とか言ってるな。違うのか?いや、拷問器具が違うのか…??
「プレゼントって、あの、なんです?」
もう下手な演技もしなくていいので、素直な態度で聞き直す。後処理係は登録者らしからぬサイモンの毒気のない様子に薄く微笑みながら、しかし手を軽く振った。
「書類にもない申し出なので、驚かれるのも無理ありませんね。ご安心ください、これはむしろこちらのエゴでして、闘技場から血まみれで帰られるとご本人様だけでなくこちらにも色々不都合がありますので、サービスで湯浴みと新品の衣類を提供させていただいているのです」
「あーなるほど!」
合点がいった。この闇闘技場、存在は有名だが一応非合法なので、どこで何をやっているかは隠しておかなくてはいけない(だから会場もやたら地下の隠し通路の先にある)。よって、ぼこぼこの姿で帰る勝者にせめて体洗う場所と服くらいやるよ、これで上手く誤魔化してくれよなということだ。
『ビッグケット、良カッタナ。湯浴ミと服ガモラエルッテ』
『おー、嬉しい!いやぁドロビチャで気持ち悪かったんだ』
『良カッタ、オ前ニモソウイウ感覚アッタノカ』
『引っかかるなその言い方…』
こちらを軽く睨むビッグケットはさておき、後処理係がこちらへどうぞ、と手を出す方向へ歩き出す。登録者たちが帰っていった、サイモンたちがここへ来るための道とは違う通路。これまでより少し明るく照らされたその道を行くと、やがて洞窟然とした岩肌が途切れ、整備された建物の中に出る。ビッグケットがぽつぽつ血を落とすのを見ながら更に進むと、天井が高くなり、途端に綺麗な空間に出た。大理石だろうか?白を基調とした石で出来た部屋。丁寧に品のいい燭台に松明がかけられ、ここはさしずめ“安らぎの空間”“天国”といったテイの場所だった。
「この扉の奥にお湯を用意しております。広い窪みに湯を張っておりますので、ご自由にお入り下さい。オススメは、先に手桶であらかたの汚れを落としてから清浄な湯に浸かる手順です。また石鹸、手ぬぐいなどもありますので、どうぞお使い下さい。身体を拭く物、新たな衣類は中にございます。ではどうぞごゆっくり」
勝者で利用者はビッグケットなのに、全部サイモンに向かって説明された。苦笑してしまう。まぁ仕方ないけど。また恭しく礼をした後処理係が下がったので、先程の説明をビッグケットに伝える。
「えーと…」『コノ奥ニオ湯ガアル。大キナ場所ニ入レテアルカラ中ニ入ッテクレ。小サナ桶デ先ニ体洗ッテカラノ方ガ多分気持チイイ。石鹸、体ヲ洗ウ布アルカラ使エ。体ヲ拭ク布、新シイ服モアルカラ使エ。ダッテ』
『わかった。…サイモンも一緒に入るか?』
「はぁ????」
いたずらっぽい笑みを浮かべるビッグケット。この猫はまたとんでもないことを…。仕方ないので脇の後処理係に尋ねる。
「なぁ、この湯浴みって俺も出来るのか?」
「必要とあらば登録者様もどうぞ」
「あ、入れるんだ…」
入れるんかい。けど一緒はまずいだろ。色々。
『イヤ、一緒ハ入ラナイ。ジャア出来ルダケオ湯ヲ汚サナイデ。オレ後デ入ル』
『なーんだ、つまんないの』
真っ赤っ赤なビッグケットは、じゃあなと扉を開けた。あっさり去ったビッグケットだが、…なんだその言い草?もやもやした気持ちになる。もしかしてこれ、もしかして、俺が意図的にスルーしてきただけで“据え膳”なのか…?
『ナーーービッグケット、オレ達男ト女ナンダヨ?少シハ気ニシテ欲シイナ?ソレトモ…』
それとも。
『オ前ノコト、食ベテイイノカ?』
『………』
扉越しに水音が聞こえる。こちらの声は聞こえてるはずなんだけど。
『…ばあちゃんがさ、街に出る前。
あ、言われてたんだ…。まぁ事実だけど。現在人類で一番数が多いのは
『だからお前と過ごすようになってから、どこかでそういうことされるのかなーってちょっと思ってた。でもお前はなーーんにもしなかった。
サイモン、ほんとにいい奴なんだなって。しみじみ思ってるんだ』
…あれ、これ馬鹿にされてるのかな…?いや、褒められてる…んだよな…?ビッグケットはどんな顔でこれを言ってるんだろう。こっ恥ずかしい。
『イヤ、オ前ガスゴク強イノヲ知ッテテ手出シタラタダノ馬鹿ダト思ウ…』
『ハハハ!それもそうか!!』
そこで会話が途切れたので、座り込んでしばし待つ。やがて微かな足音がして、静かに木戸が開いた。
『この服、これで着方合ってるのか…?』
「うお…」
出てきたビッグケットは、なんと。いつか恨めしい気持ちで眺めたシルクで出来たドレスを着ていた。豪奢な飾りは付いていない。シンプルな造りだが、縁のさり気ない刺繍といい、所々を華やかに飾るフリルといい、ワンピースとして着るにはなんとも贅沢な一品だった。サイモンの目が丸くなる。
『似合ウ。可愛イ』
今度は正面きって言えた。上等な石鹸で全身洗ったからだろう、ビッグケットからいい匂いがする。洗いたての髪はよく拭いたんだろうが濡れそぼっていて、なんだか別人みたいだ。褒められた本人もまんざらではなさそうだ。嬉しそうに破顔する。
『へへへ』
『…サテ、ジャアオレモオ湯借リルカ』
『待ってる』
『早ク出ルカラ』
言葉を交わして扉をくぐる。お湯の蒸気と柔らかい石鹸のいい匂いがして…うん。違う。鉄っぽい臭さがある。覚悟はしてたけど結構大惨事だ。あちこちに赤い水の痕跡。どんなに丁寧に使っても血の海になることは避けられない。
(手桶じゃ流せる量に限りがあるからな…)
サイモンが辺りを見回すと、白い石の壁や床とは別に、脇に木製の棚がある。ここに服などを置くようだ。ああ、服も今度新しいの買わなきゃな。…いい服?ってなんだ?とりあえず、生地くらいはランクアップするか…。上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ、ズボンを下ろす。これからは毎日飯が食える。荒事はビッグケットの担当とは言え、もっとマシな身体にならなきゃ。金持ちだからってぶくぶく太りたいわけじゃないけど。せめてもう少し太ろう。
(さてとりあえず、今は…)
お湯をすくって身体にかける。湯浴みなんて貴族のやることだと思ってた。庶民はお湯や水で布を濡らして身体を拭くのがお決まりだ(頭は桶に湯を張って洗う)。感慨に耽りながら身体を洗い、流し、湯溜まりに入る。いやぁ、こんなにたくさんの温かい湯に浸かれる日が来るなんて。生活が激変したのを文字通り肌で感じる。
(6億か…)
6億。6億の金。明日から何しようかな。まずは家に帰って片付け…大家さんに溜めてた家賃一気に払って…ついでに引っ越し手続きだな…。あとモモの店にも行こう。あそこにはモモに限らずたくさん世話になったからお金配ってこよう。ツケで飲んでた飲み代も払って…あとは他の借金も…あれ、夜にはまた闘技場か?忙しいな…。
(今日はゆっくり寝なきゃ)
明日から忙しい。忙しい…。
うっかり半分寝てたのを、しびれを切らしたビッグケットに起こされたのはご愛嬌ということで。
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