第3話 6億を手に入れろ!前編
地上に戻ると、辺りはすっかり暗くなっていた。先程ビッグケットが真っ二つにすると豪語していた石灯籠にも灯りが点っている。表通りを歩く人々の列は未だ途切れず、むしろ夜の商売はこれからが書き入れ時といったところか。
『ハー、晩飯ドウシヨ。デモ買ッテ帰ルシカナイカ…』
闘技場に行く前のようにビッグケットの手を引いて歩きながら、サイモンが独りごちる。連れの外見が酷い有様なので、どこかの店に入れるとは思えない。早く血汚れを落としてやりたいし…出店で買うかな。そんな事を考えていたら、ビッグケットが小さな声で尋ねてきた。
『なぁ、晩飯食べたらお前の家で寝るんだよな?』
『アア、ソノ予定ダヨ。ドウシタ?』
『私…思い出した。この街に来る時持ってきた荷物、昼間の店に置いてきた』
「えっ…」
昼間の店。グリルパルツァー亭か。
『私、あの時知らない言葉で怒鳴られて慌てて飛び出したから、手荷物なんて持つ余裕なかったんだよな。取りに行っていいか』
「えーーーーー…
えぇーーーーーー……?」
『なんだよ』
『ホントニィ?アノ店ェ??』
『ホントも何も、お前と会ったあの店だよ』
『オ前ノ荷物、マダアルカナ〜?』
『それを見に行くんだろ』
「くっ…」
メチャクチャ正論を言われて口ごもる。いやしかし…昼あれで夜また行くのも、しかもビッグケットがこんな外見なのも気が引ける。…が、どう考えてもそれしかない。ていうか、それが事実ならそんな状況でもなんとかケットシーのお金をひっ掴んで飛び出してくれて良かったと言うべきか。
『行クノカ…オ前血マミレナノニ…』
『頼んだらお湯もらえないかな?』
『オ前ドコマデ恥知ラズナノ???』
『いや、血まみれで入るなって言うならアリかなって…』
『ナシダヨ、ナシナシ』
ビッグケットがあまりにも平然と失礼なことを言い出すので、サイモンは真顔で手を振る。だからって行かないという選択肢もない。仕方ない、とりあえず一人で入って荷物の件だけ聞いてくるか。
『行クシカナイカ…』
『行くんだな、悪い』
『モウイイヨ』
「グリルパルツァー亭…は」
昼間の記憶を頼りに進み、脇道に入る。暗い路地に二人分の足音が響く。…あ、そうか、このままだと裏に出るのか。昼間の出来事を思い出して適当に一本ずらす。ここからなら表に出るのかな?そんなことを考えていると、やがて温かな灯りが見えてきた。
『ココカ…』「グリルパルツァー亭」
『あ〜〜〜いい匂い!!!』
『コラ、荷物取リニ来タダケダゾ』
辿り着いた店は、大振りな木の看板が打ち付けられた、どこか豪快な印象を受ける店構えだった。まぁオークが店主だしな…こんなもんか。見上げた頭上の扉、その両端に松明が掲げられている。どうやら一階が店主の家、二階が店舗のようだ。
『ジャアオ前ココデ待ッテロ。今ナラ暗イカラ誰ニモ気ヅカレナイダロ』
『わかった』
ビッグケットに言いおき、階段の手すりに手をかけると。
「ありがとうございました〜!!また来てね!!」
ガチャ!と店舗の扉が開き、元気いっぱいの若い女の声が降ってきた。やばい、他の客が帰るんだ。咄嗟に身を捻ったサイモンだったが、女店員が二人を見つける方が一歩早かった。
「あら、お客さんかな?どうぞ入って入って!」
「あっいや、俺たちは…そのっ」
「あら!?どうしたのあなた!その顔!!」
ヤバイ、気づかれた。
訝しげに降りてくる客を追いかけるように、その店員が急いで階段を駆け下りる。客が降り、こちらを一瞥した後ぎょっとした顔で離れていくのと入れ違いに、女店員がこちらにすがりつく。黒いストールをすっぽり被って、しかし迂闊にも顔を上げてしまったビッグケットに。
「わぁっ、どうしたのこの血…ッ怪我!?大丈夫!?」
「ごめん、これ返り血なんだ…本人は無事…」
「え、返り血!?どういうこと!!??」
慌ててビッグケットの両肩を掴んだその女は、長く尖った耳に角のある頭。獣人だ。ただ上半身はほぼ人間。そして下半身は太ももが露わになるほど短いスカートを履いた、多分ヤギの脚。こいつはサテュロスか。剥き出しの蹄が地面をかく。
「返り血!?え、こんな量、が!?」
「ごめん、余計混乱するよな。いやでも色々あって…色々…説明しにくい…」
「と、とりあえず店に入って!おかみさんに何か拭く物ないか聞いてみる!」
「あっいや、俺たちは忘れ物を取りに…」
途中まで説明したが、相手はこちらの言うことを聞いてない。サテュロスの女店員はまたダッシュで階段を駆け上ってしまった。
『アア…行ッチャッタ…』
『あの女、なんだって?』
呆然とその姿を見送ると、ビッグケットが話しかけてくる。
『オ前ノ顔ヲ拭ク物モラッテクルッテ』
『お、やったじゃん』
『喜ブナ』
仕方ない、腹をくくるか。明日にはまとまった額の金が入る。血さえ綺麗にしてもらえるなら、ここで一旦食事を取るのもやぶさかではない。昼あれで夜また来るの、めちゃくちゃ恥ずかしいけど…。そうこうしてると、
「おかみさん、こっち〜!」
「ハイハイ、チョット待ッテ」
さっきの女店員と、低い女の声が聞こえてきた。おかみさん…?ここの店主、オークの男だった気がするんだけど…共通語の発音が濁ってるし、奥さんかな?
「マァ、スゴイ!」
「これどこまで汚れてるの?ちょっとストール脱いで」
予想通り、低い女の声はオークの女性(多分)の物だった。裾の長いワンピースを着ている。豚というか猪というかがちゃんと服着てるの、笑っちゃいけないけど面白いな…。そしてその横にサテュロスの女。青い髪が珍しい。二人は慌てた顔でビッグケットの前に仁王立ちする。ストールに手をかけようとしたので、慌てて制した。
『ビッグケット、コノ人タチ血ガドコマデツイテルカ見セテ欲シイッテ』
『もう脱いでいいのか?…はい』
サイモンの通訳を聞いてビッグケットがはらりとストールを脱ぎ捨てると、二人がヒュッと息を飲む。あまりにも、全身ずぶ濡れだ。正確には上半身全体が全滅で、下半身にも垂れていってる感じ。サテュロスが唇を震わせているのがわかる。うん、怖いよな、こんなに全身真っ赤だったら。
「こ、これ本当に大丈夫…?えと、本人は無事なんだっけ?着替え…は…?」
「そう、それ。今日の昼間ここに忘れたんじゃないかってこいつが言い出して」
「ェ、昼間?忘レ物?モシカシテ、昼間騒動ヲ起コシタ猫チャンカシラ?」
「その節は大変申し訳ありません」
オークのおかみがア、と声を上げるので、サイモンは反射的に深く頭を下げた。うわ、店主の奥さんにまで話がいっている。ヤバイ。
「アラアノ猫チャン!ソウソウ、荷物置イテッチャッタノヨネ。ドウシヨウカト思ッテタ。取リニ来テクレタノネ」
「あの、まだありますか?」
「アルワヨ!チャントシマッテアル!」
「ありがとうございます!!」
オークのおかみがにこりと笑い(多分)、サイモンはまた頭を下げた。なんと懐が広いのか。食い逃げした女の荷物を、もしかしたらまた来るかもとちゃんと取っておいてくれた。いい人たちだ。
「ジャア、セッカクダカラ店ノ中デオ湯使ウ?コレ水ジャ取レナイデショ。着替エガ荷物ノ中ニアルナラ着替エチャイナサイ」
「わ、ありがとうございます…!」
てか、メチャクチャいい人だ。こっちは何も言ってないのに、ビッグケットのド失礼な願望通りになってしまった。仕方ない、今夜はここで飯食うか…。
『ビッグケット、店主ノ奥サンガ中ニ入レ、オ湯使エッテ。荷物ニ着替エアルナラ着替エロッテ』
『やったー!!』
通訳をして、ビッグケットにも頭を下げるよう後頭部を押す。ビッグケットは嬉しそうに何度も頭を下げ、またストールを羽織った。
『ワカッタ、モウココデ飯食オウ。今ハソレシカ恩返シ出来ナイ』
『マジ?!肉だやったー!』
ビッグケットの両耳がぴんと立つ。長い尻尾が痺れるように震えた。はぁ…なんでこんなことに。ため息をつきながら、オークのおかみ、サテュロスの女店員の後を追って階段を登る。手すりを掴んで、二人に聞こえるように声を張った。
「あの、何から何まですみません。実はあの後、ある程度お金を手に入れる事が出来まして。昼間の支払いは後日の予定なんですが…もし良ければ、ここでご飯をいただけますか」
「アラ!食ベテクレルノ?アリガトウ!」
おかみが笑う。サイモンはその純粋な反応に苦笑を浮かべた。
「はい、今度は食い逃げしません。ちゃんと払いますから」
「ソウ、フフ!ジャアマズハ猫チャンヲ綺麗ニシナクチャネ」
「お世話になります」
振り返ると、ストールを掴んだビッグケットがきちんと後を着いてきていた。目線を上げれば大きな木の扉。ここがグリルパルツァー亭。ずっと食べてみたかったステーキの店。
「いらっしゃい、ようこそグリルパルツァー亭へ!」
サテュロスの声が晴れやかに響く。
「…ナンダイコリャ」
「大変申し訳ありません」
こそこそホールを抜けて店員のエリアまでたどり着くと、噂のオーク店主が待ち受けていた。おかみさんより更にどしんと大柄な体。片目が刀傷で潰れている。昔冒険者だったとかなんだろうか。
「アナタ、昼間ノ猫チャンガ荷物取リニ来タッテ。デモコンナ有様デショ?オ湯アゲテイイワヨネ?」
「アア、イイケドヨ。コリャア…」
「大変申し訳ありませんッ…」
ビッグケットが無邪気にストールを下ろそうとするので、ガッと頭を押さえつける。布の下で猫耳が窮屈そうに蠢いているが、ここはまだ一般客からも見える場所だ。あんなヤバイ姿を晒すわけにはいかない。
「あの、昼間の件といい重ね重ねすみません。厚かましいお願いだとは思うんですが…」
「アア、オ湯ヲ貸スクライ大丈夫。デモ昼間の話ハ…」
「俺たち、明日!メチャクチャ金持ちになる予定なんです!!だからあの、昼間の代金はまた後で払いにきます!!」
店主が嫌味ではないんだろうが、ため息をつく。
「デ、今飯ヲ食イタイッテ?ソノ金ハドコカラ捻リ出シタンダ」
「あの、知り合いの古物商にこいつの持ってたケットシーの通貨を買い取ってもらって。ちゃんと金貨25枚になりました。だから一食分くらい余裕で払えるはずです」
「ホウ、ソウナノカ!」
店員サイドが全員揃って口を丸くする。
「ンデ、明日金持チニナル予定ッテノハ?」
「ああ、こいつが闇闘技場に出るんです。もうガッポガポですよ〜!!」
指で「丸」を作り笑顔で語るサイモン。そこで一瞬、サイモンとビッグケット以外全員の空気が凍った気がした。あ、あれ?
「あの、その、こいつは殺され用じゃないですよ!?普通に勝ち上がるんですよ!!?」
「「「ワァ、ナンダァ〜〜」」」
「「「エッ!?」」」
瞬間的に和んだ空気がまた張り詰める。会話がわからないので明後日の方を向いているビッグケット本人を尻目に、サイモンが熱弁する。
「こいつ、びっくりするくらい強いんです。実はこの血も、カツアゲしてきた相手を返り討ちにした血で…」
「アラソウナノネ!?」
「ちょっと脅かして帰ってもらおうと思ったら、まさか、こんな量浴びちゃって…」
「あちゃ〜、そうだったのかぁ〜」
女性陣がそれぞれ感嘆する。…良かった、これで誤解は解けたはずだ。それを見て店主もうんうんと頷く。
「ナルホドナ…ッテ、ディーナ!イツマデ油売ッテヤガル!ホールニ戻レ!」
「あっはーい!おかみさん、詳しくはまた後で教えてね!」
「ハイハイ、仕事シテラッシャイ」
ここでサテュロス…ディーナが離席する。そうか、エプロンつけてるしあの子はホール担当なんだな。サテュロスの年とかよくわかんないけど、見た目はサイモンより下に見える。そのディーナが颯爽とホールに向かい、残された二人におかみが手招きする。
「ジャア、猫チャンハコッチニ来テ。オ湯アゲル。途中デ荷物モ返スワ」
『ビッグケット、ゴメン、長々話シテテ。奥サンガオ湯ヤルカラ来イッテ。荷物モクレル』
『はーい』
所在なげに壁にもたれて尻尾をぷらぷらさせてたビッグケットがこちらを向き、ぴょこんと向き直る。サイモンは気持ち声を落としておかみに話しかけた。
「すいません、こいつ共通語がわからなくて。俺一緒に行けないですよね。何かあったら身振り手振りでお願いします」
「アラソウ、ゴ丁寧ニアリガトウ」
それを聞いたおかみが優しく笑う。
「アナタ優シイノネ。イイ男」
「えっ!?はい、ありがとうございます?」
「ウフフ」
そして二人は奥に消えた。さて、その間にメニューでも見ておくかな。サイモンは店主に声をかけ、先に席に座ることにした。
「あのすみません、メニューください」
しばらく待った。その間サービスで酒が届けられ、ディーナがひらひらと笑顔で手を振り、昼間涙ながらに見逃してくれた男店員とも再会した。
「よう兄ちゃん、もう飯食いに来たんだって?」
「はい、あの貝実はすごかったんですよ。古物商に持ってったら金貨25枚になりました。ケットシーの通貨なんですって」
「えー、マジか!!そいつぁあの猫に悪いことしたなぁ!」
「知らなきゃしょーがないでしょう。俺もびっくりしましたよ」
「そうか、それでとりあえず飯食いに」
「はい、明日もっと稼ぐんで待ってて下さい」
「ええー、なんだそりゃあ!?」
「実は…」
そこまで意気揚々と話したところで、横に誰かが立った。
『サイモン』
『オ、ビッグケットオカエリー…』
声をかけられ視線を向けると、そこには。
『これ、本当は寝間着なんだけど…変じゃないか』
こざっぱりと綺麗に血汚れを落とし、白く丈の長いワンピースを着たビッグケットが立っていた。Aラインという奴だろうか、元の服と比べると遥かに体のラインが隠されている。何せ前は手も脚も胸もウエストも丸わかりだった。なのに、なのに、なんだ。
(やば、服一つですごく女の子ー!って感じになるな…)
素直に少しときめいた。自分のよく知る「異性」の枠に彼女がはまったからだろうか。颯爽とテーブルの奥に移動し、椅子に腰を下ろす姿を見て、「そうか自分は異性と二人で食事をするんだ」という気恥ずかしさに襲われた。
『…やっぱ寝間着に見えるか?』
『アッ!?ゴメン、違ウ、カワイイナッテ思ッテ…アッ』
『えっ?』
早く答えを返さなくては、と慣れない言語の単語を頭の中で探していたら、ついどストレートな物言いをしてしまった。ビッグケットが次の瞬間、にまりと笑う。
『サイモン、顔が赤いぞ。酒でも飲んだか』
『アー飲ンダ!マジデ!サッキサービスデモラッタカラ!』
『そうかそうか、ふふ』
焦るサイモンを眺めながら、ビッグケットはそれ以外追求してこなかった。サイモンは慌ててこんこんと咳払いをしつつ、立ち去っていなかった男店員に「注文します」の意を込めて手を上げた。すぐさま先程から決めてあったメニューを注文したが、正直、自分が何をどう言っているのか正確に把握出来ないほど気持ちが乱れていた。
(くそ、くそ、こんな猫に遊ばれるなんてっ…!)
正直ビッグケットは何歳なのかわからない。無意識に異性に年を聞いてはいけないと思っていたので、これまで尋ねなかったけど…いくつなんだろう?意外と年上?こっちの事を子供だと思っている?いや、外見年齢そのままに少し下くらいか?俺は年下に遊ばれているのか?
(くやしい…!!!!)
そこでふいに顔を上げると、ビッグケットは満面の笑みでステーキを頬張っていた。よく見れば、脇に皿が積み上がっている。え、もうこんなに食べたの?
『コラビッグケット、食ベスギルナヨ。マタ払エナクナルゾ』
『えーー、まだ食べたいのに…仕方ないなぁ、これが最後だ』
そう言って、大口を開けてフォークで肉を放り込む。むっしゃむっしゃ。豪快に咀嚼する音が聞こえてきそうな食いっぷりだ。
(俺は…こんな奴に何を…!!)
少しでもときめいてしまった自分が恨めしい。あと、そんなことやってたらステーキの味がよくわからなかった。馬鹿な。近いうちに絶対リベンジする…!わなわな震えているこの姿にも、黒い猫は気づくわけもなく。
「良カッタラウチニ泊マッテ行ク?お代ハ別ニイイワヨ」
「いえ、泊まらせてもらえるならありがたいですけど!お金はちゃんと払います!」
「アラソォ?」
結局、ステーキはビッグケット5枚、サイモン1枚完食した。金貨4枚払った。これで金貨4枚。つまり10枚分って…?あれで「もっと食べたい」とはどうなってるのか。それはともかく、おかみはまだ優しくし足りないのか、今度は泊まっていけと言う。どうもグリルパルツァー亭はレストラン兼宿屋らしい。一階は店主たちの家かと思っていたが、宿屋部分のようだ。
『ビッグケット、奥サンガ宿屋ニ泊マッテイケッテ。俺ノ家ニ帰ッテモ汚イシ、オ前ガ寝ル場所スグ用意出来ナイ。ダカラ泊マッテイコウ』
『わかった』
「すみません、お世話になります」
「イエイエ。ツインヲ用意スルワネ。ユックリ休ンデ」
「はい、ありがとうございます」
おかみがランプ片手に店を案内してくれる。グリルパルツァー亭(レストラン部分)の奥まで行くと階段があり、グリルパルツァー亭(宿屋部分)に繋がっているらしい。ギシギシと木の踏み板を軋ませながら階段を降りる。
「ゴメンナサイネ、古イ造リデ」
「いえいえ!全然綺麗ですうん、俺の部屋より」
「アラウフフ!」
一階に辿り着く。そしてほどなく今夜の寝床たる部屋に。おかみが乾いた音を立てて扉を開き、脇の台にランプを置く。部屋の中はこざっぱりとして、いい意味で簡素な造りだ。ベッド2つ、間に小さな机一つ、脇に鏡のついたドレッサー。チャリンと音がする。おかみが鍵束から鍵を一つ外して置いた音だ。
「ランプハココニ置イテイクワ。デ、コレガコノ部屋ノ鍵ネ。ソレカラ…」
おかみはきょろと部屋を見回したが、
「モウアトハ寝ルダケヨネ。細カイ説明ハヤメトクワ。猫チャン眠タソウ」
「えっ?」
言われてサイモンが振り返ると、ビッグケットは虚ろな目をしてふらふらとベッドに吸い寄せられ、バタンと倒れ込んだ。そうか、疲れていたのか。色々察するに、今日は彼女にとってシャングリラ滞在一日目なんだろう。最愛のばあちゃんが死んで、ここまで辿り着いて、よくわからないまま飲食店で怒鳴られて、俺に出会って…。思わず小さな笑みが溢れる。お疲れ様、大丈夫。これからは俺がそばにいるから。
「じゃあ俺も寝ます。本当に何から何までありがとうございました。今度また必ず来ます」
「イイエ、大丈夫ヨ。オヤスミナサイ」
「おやすみなさい」
オークのおかみが手を振り、扉を閉める。閉まったのを確認して内側から錠をかける。さて、俺も疲れた。とっとと寝よう。
ふとビッグケットを見ると、布団が身体の下だ。起こさないようそーっと引っ張る…うん?こいつ重いぞ?全然動かない。
「んーーっ、んんんんんん!!!」
仕方なく全力で引っ張ってやっと引っ張り出せた。こいつどんだけ重いんだよ。身長だけで言うなら俺より普通に低いし、めちゃくちゃ太ってるようにも見えないのに…。
「熱い…」
何気なく触れた腕がとても熱い。熱があるわけではない、昔からだって言ってたっけ。こいつが馬鹿みたいに怪力なのと何か関係があるのか?筋肉が違うとか?
(とりあえず、軽く上にかけといてやろう…)
暑がってもいけないし、腹から先にだけ布団をかける。ビッグケットは起きない。強い意志を宿した瞳が閉じられて、薄く開いた唇から寝息が聞こえる。肩までだっただろうか、真っ黒な髪が枕に無造作に散らばる。それはまるで幼い子供のような幸せな寝顔だ。ふっと静かに息を吐いて安堵する。さて俺ももう寝よう。
(……寝れるかな………)
親元を離れて3年。「ちゃんと」誰かと空間を共有して寝るのは多分初めてだ。しかも女。
(ダメ。考えたらドツボにはまる。寝る。寝る寝る寝るぞ俺!)
余計な事を考えないよう、ベッドに飛び込んで布団をひっかぶる。寝る。寝る。明日はビッグケットの闇闘技場デビューなんだから。………
(勝てるよな、こいつ?)
負ければ相棒を失い、また無一文になる。いや、そんな未来あり得ない。信じろ。トロルもあっさり殺す女だ。
はぁ…
どうなってくんだ、俺の未来。
ワクワクするような不安なような、そんな高揚が脳をかすめては消えて、落ち着かなくて。でも気がつけば眠りに落ちていた。広くない部屋に二人分の寝息が響く。
「…………ッ」
ぱちりと目を開ける。朝、朝だ。朝なのか?今どれくらいだ?えっ…
「今何時っ…!?」
慌ててサイモンが身体を起こすと、視界の端にもぞりと動く影があった。向かい、つまり隣のベッドにビッグケットが寝ている。
『ふぁ…おはよう…』
『オハヨウ!今何時ダ!?』
『なんだよ〜、まだこんなに陽が高いじゃないか…焦るなよ…』
『イヤ、全然朝ジャナイゾ?!少ナクトモ昼過ギテル!!』
ベッド横の窓、そしてカーテン越しに光が差し込んでいるが、これはどうも橙がかっている。やばい、午後だ!
『ええ…うーん…うーんと…』
『寝ボケテル場合ジャナイ!俺マダ紙読ンデナイ!ナンカヤバカッタラドウスンダヨ?!』
『大丈夫…』
『大丈夫ジャナイ!!!!』
不毛なやりとりが続く。あーもーどうすんだよ!?サイモンが焦っていると、扉がトントンとノックされた。誰だ?!
「オ二人共〜、起キタカシラー?」
オークのおかみだ。たまたま通りがかって声に気づいたんだろうか?まさか待っていた?だとしたら申し訳ない。
「あっ、すみません起きました!今何時ですか?!」
「今…今ネ、昼過ギテ3時」
「寝すぎだろ〜〜〜〜〜!!!!」
まさかの時間。ほとんど夕方だ。確かにビッグケットは気疲れもあって疲れてただろうし、俺も体力落ちて弱ってるところに一日中何かしら動き回ってたけど!寝すぎ!!
緩みきった己の酷さに呆れつつ、サイモンがベッドを降りる。スリッパに足を通し、扉を開ける。そこには予想通りオークのおかみがにこにこしていた。
「イヤァ、別ニイイト思ウワヨ?若イオ二人ダシ…」
「は?」
「イエアノネ、一晩散々オ楽シミダッタノカシラッテ…」
「違う!そっちじゃない!!!!普通にメチャクチャ寝てただけッス!!!!」
あらあらうふふ、と意味深に肩を叩いてくるのを力一杯跳ね除ける。もうヤダみんなして下ネタばっかり!!!若い男女だからって全部そっちに持ってくのやめて!!!
「エ?アナタ若イト思ッテタケド違ウノカシラ?ソレトモ…若イノニ不能ナンテ可哀想トカ…ソウイウ…」
「違います!そっちじゃないし、ついでに
「アラァ〜」
「俺たちは!そういう!関係じゃないんです!!!」
「マァ〜」
うるせぇわ!!!!
「あの、それよりご飯とかっ、どうなってるんですか?これから食べられますか?」
ぐいぐい食い下がってくるので強引に話を変える。そもそも大食いっぽいビッグケットが、空腹のまま闇闘技場に出るなんてことになったら目も当てられないぞ。
「ア、ゴ飯?食ベタイナラ今カラ作ルワヨ。残リ物トカト合ワセレバソコソコ早ク出来ルト思ウ」
「じゃあすみません、今からお願いします。俺たちは支度出来次第行きますから。上ですよね?」
「ソウヨォ。ジャ、待ッテルワネ」
「はい」
意外と下世話だったおかみはやっと立ち去ってくれた。はーーーーーっ。深いため息をつく。
『…どうしたサイモン、おかみに何言われた?』
疲れ切った様子のサイモンを心配してくれたのか、ビッグケットが神妙な様子で話しかけてくる。優しい奴だ。
『イヤ…大丈夫…。モウ少シシタラ飯出来ルッテ…食ベニ行コウ』
『うん!』
その言葉を最後に、各々身支度を整える。そういや昨日の朝着たまんまの服で一日過ごして寝てたんだな。あーあー、上着がシワになってる。まぁしゃあないか…。そこでふと目線を上げると、
「もーーーーっ!!!!!」
思わず振り返り、手元にあった枕を投げつけてしまった。元々ベッドの横にあるドレッサーに腰かけていたのはサイモンだ。その鏡越し、男の隣で平然とパンツ一枚以外すっぽんぽんになる女がいるなんて!!!
『なんだよ、着替えてるんだけど?』
『黙レ、マジデフザケンナ!!!!!』
『何怒ってるんだよ〜』
『俺ガオカシイッテ言ウナ!オ前!ガ!オカシイ!!!』
『もーーーー』
結局サイモンはいいと言われるまで目を閉じていた。なんだこいつら。俺がおかしいのか。なんなんだよもう。
その後「いいぞ」と言われて目を開けた先に居たのは、昨日とほとんど同じ。ぴたりと身体のラインが露わな軽装だった。脚も腕も丸出し。なのに、妙にほっとしたのはここだけの話だ。
闇闘技場概要
開門17時、試合開始18時。
参加者は登録者、出場者共に17時半には闘技場に来ていること。入り口は別紙地図参照。
持ち物、登録料金貨5枚。
武器持ち込み不可。己の肉体のみで戦うこと。
マジックアイテム、アクセサリー装備不可。到着し次第身体検査敢行(肛門、膣、口腔内も調査するので留意されたし)。また、試合中身につけている事が発覚次第、不正とみなし失格、敗退扱いとする。
参加人数、一戦につき10名。
「自分」以外の全員が死亡、ないし戦意喪失、降参宣言確認で勝利とみなす。
ただし戦闘開始直後の降参宣言は認めない。それが行われた場合はペナルティとして闘技場運営側からギロチン刑が処される。最低限の戦う意志の表示として、他の出場者になんらかの暴力行為を行った後のみ宣言を認める。
勝者には登録者、参加者合わせて金貨7枚を報酬として支給。
敗者には登録者にのみ登録感謝料金貨7枚を支給。
いずれも後日、事前登録した銀行口座に振り込む(引き落とし権利書たる小切手は試合終了後その場で登録者に授与)(振り込み日数は原則翌日。場合によっては遅くなる)。
登録者は全参加者に賭ける事が可能(自分が登録した参加者含む)。
勝者は翌日からの勝ち抜き戦に出場する権利が与えられる。
5回(5日連続)勝利で殿堂入りとなり、以後出場権利を失う(各勝利報酬は金貨7枚、登録者参加者に支給で固定)。
殿堂入りした参加者には報酬として金貨50枚を支給。
(…なるほど、殿堂入りすると他に何もしなくても金貨73枚がもらえるのか。すげーーーな)
グリルパルツァー亭二階、レストラン部分。サイモンは遅い朝食として出された目玉焼きと干し肉の戻した物、野菜スープに炙った白パン(小麦のパン)のプレートセットを食べていた。
『…詳しいことわかった?』
「あー…」
向かいのビッグケットが同じ食事を取りながら尋ねてくる。うーん、目下必要なとこだけ教えておこう。
『集マルノガ昼過ギ5時半まで。必ズ相手ヲ殺ス必要ハナイ。降参シタ奴ハ殺サナクテイイ。「えーと…」
着イタラズルガナイカ体ヲ調ベル。…エット、股関ノ、前ノ穴モ後ロノ穴モ調ベル。…大丈夫?ヤメトク??』
『はぁ〜?ふーん…わかった…』
ビッグケットは最後の内容を聞いてさすがに大仰に驚いたが、苦い顔で了承した。さすがに、さすがに嫌だよな。でも…
『多分調ベルトカ言ッテメチャクチャ体触ラレルゾ。下手シタラ…ウーン、オ前ガ少シデモ嫌ナラ普通ニ出ルノヤメルヨ』
『いや、いい。大丈夫。ちんこ突っ込まれない限り耐える』
『大丈夫カ………』
『耐える』
不安だ…下手したらマジでやられそう…怖い…。そん時こいつには反撃するだけの力があるけど、暴れた上で無理やり出たら“作戦”がうまく行かないかもしれないぞ…?うーん…
『いい、いつかは通る道だ。任せろ相棒』
不安そうなサイモンに、ビッグケットは健気にも力強い笑みを浮かべてみせる。それが逆に辛い。でも、そこまで覚悟を決めている“相棒”に待ったをかけるのも野暮ってもんだ。
『ワカッタ。ヤロウ。頑張レ』
『オッケー』
これで大体は伝えた。サイモンが詳細要項をまとめた紙を机に伏せる。
『アト、一回勝ッタラ次ノ日カラ4日、全部デ5日参加スル事ガ出来ル。全部勝ッタラ「デンドウイリ」デ、モウ出ラレナイ。ソウナッタラ合計金貨73枚モラエル』
『へぇ〜』
『オレタチハ初日ノ賭ケ金デメチャクチャ勝ツ予定ダケド、オ前ガソノ気ナラ全部勝ツノモイイナ』
『あーー、うん、そうだな。一回出てみないとわからないけどな』
……………あのビッグケットが尻込みしている。やっぱさっきの身体検査が怖いんだな。
『マ、詳シクハオ前ニ任セル。トニカク今日勝ッテアト“ぽい”デモイイ』
放棄とかトンズラにあたるケットシー語が出てこない。伝われ。
『…わかった。大丈夫、今日は絶対勝つ。任せろ』
『アア』
それを聞いて、あとは黙々と食事を食べた。集合時間まであと一時間半。
『どうした、サイモン』
「うーーーーーん……」
オーク夫妻とディーナ、男店員。散々世話になったグリルパルツァー亭を笑顔で見送られて、街に出ることしばし。サイモンとビッグケットはとある大きな建物の前にいた。
『この建物は?』
『“ぎんこう”…ナンダケド……』
『何だそれ?』
『……オレノ、本当ノ全財産ガ入ッテル』
『はぁ』
マジでヤバイ時にしか手をつけないと決めていた「虎の子」。…引き出そうか。これを掛け金に加えれば配当金がぐんと増える。でも、もし万が一ビッグケットが命を落とせばマジモンの無一文になる。サイモンは大きく息を吸い、吐き出す。長く長く吐き出す。心臓がバクバクと高鳴る。
(…信じろ。信じろ。俺を一生の相棒と呼んでくれたこの子の実力を)
彼はこれを全額引き出す気でここまで来た。しかし、心の最後の迷いが断ち切れない。いや、いや!いや!!信じろ!ビッグケットは絶対に全員ぶっ殺す!!大丈夫だ!!
『ビッグケット、オレノ手ヲ握ッテ』
『ああ』
熱い肌が、指が、サイモンの白く痩せた手を握りしめる。
『…絶対大丈夫ッテ、言ッテ』
ビッグケットは一瞬不思議そうな顔でサイモンを見た。しかしすぐに唇の端を持ち上げる。
『…絶対大丈夫。私はお前を置いて死んだりしない。絶対今日勝ち残る。約束する』
『………アア。アリガトウ。チョットココデ待ッテテ』
手をゆるりと離す。ビッグケットを置いてサイモン一人、銀行に向かう。
「俺は男だ、ギャンブル一つ出来なくてどうする!!!」
どのみちビッグケットに出会わなければ近く飢えて死ぬ身だった自分だ。ここで人生丸々賭けたって損なんかない!
俺の全財産、ビッグケットに賭けてやる!!!
「ありがとうございました」
銀行から出てきた彼の手には、新たな革袋と金属の音。笑顔で歩いてくる姿にビッグケットも笑顔を向ける。
集合時間まであと45分。
『…………どきどきスル………』
『なんでお前が。私は検査しか怖くないぞ』
『ソウダロウケド』
そして、ついに。裏通りの奥にある隠し通路を抜けて、この大螺旋階段にやってきた。事前に打ち合わせも済ませた。とにかく寸前までストールを羽織って下向いて、殺されてしまう悲劇の女獣人を演じること。試合開始からは好き勝手暴れていいこと。事前検査で耐えられなかったら…まぁその時は出たとこ勝負だ。以上。今は響く靴音、近づく最下層に緊張が高まる。
『ヤバイ、心臓ガクチカラ出ソウ』
『大丈夫、もし出たら私が拾って食べてやる』
『何ソレ獣人ジョーク?』
『そんな感じ』
そして、祈りも虚しく、いや現実は残酷で。昨日来た扉の前に辿り着いた。昨日もいた受付が静かに佇んでいる。
「いらっしゃいませ。出場ですね」
「ああ、よろしく頼むぜ」
足も腕も震えそうになるのを内心叱咤する。大丈夫、大丈夫、大丈夫…!
『頑張レ』
『任せろ』
小さく最後の言葉を交わして、開けられた扉をくぐる。昨日圧倒された、客が入るのであろう大扉ではない。少し奥まった所に隠れるようにある小さな扉。開けると低い低い軋む音が響く。くぐった扉の向こうは蝋燭の灯りだけが点々と点っている。
「ほら行け。検査は向こうだ」
例によって演技でビッグケットをどつきながら進む。どこに他の出場者や主催側の人間がいるかわからない。細心の注意を払わなくては。
「…!部屋がある」
やがて開けた場所に辿り着いた。ここは出場者たちの控え室のようだ。ぐるりと蝋燭が掲げられた空間に10組20名の人間が集まっている。ほとんど当然の結論だが、男女組の出場者はサイモンとビッグケットだけだった。
「…おやぁ…?女だ。女が来たぞ」
やけにもったりした口調の男がいる。筋骨隆々の大きな身体に生々しい傷跡多数。気合の入ったスキンヘッド、ぼさぼさの髭、顔にも青あざと出血の跡。こいつは…
(コイツ、連続出場者ダ)
(ああ、勝ってここにいるんだな)
ひそひそケットシー語で話す。内容はこれだが、サイモンはあくまで「獣人を怖がらせるために言ってるんです」風を装っている。嫌らしい笑みを浮かべながらビッグケットに言葉をかけた。一方、その場の男たちは全員がビッグケットの露わになった脚を見てざわざわしている。
「そうか、お前殺されに来たんだな…へへへ…。大丈夫、俺がいの一番に首を折ってやるよ。あんた綺麗な身体してる。好みだ。俺が情けをかけてやる」
勝ち抜け男がそう言うと、横の(恐らく)
「ふざけんな、こんな上等な獲物そう来ない。どうせこの中のほとんどは今日死ぬんだ、みんなで最後のお楽しみといこうぜ」
そうだそうだという声が方々から飛ぶ。
「じゃああれだ、この女はこの中の勝者が観衆の前で美味しくいただくってのはどうだ。たくさんのニンゲンの前での派手な交尾、きっと燃えるぜぇ」
そう言ったのはミノタウロスの男。やや年かさなのかもしれない、毛並みが少々くたびれていた。それに隣のトロルが同意する。
「イイナ、人ニ見ラレナガラずこずこスルノ…オレ、モウ勃ッテキタ。我慢デキナイ」
「まてまて、いまははやい。いまはな。かちあがったやつのごほうびなんだろ?あとでそれをたのしみにがんばろうぜ」
こいつは力自慢というよりは、誰かにぶち込まれた被害者っぽい。汚い浮浪者のようなよれよれのジジイが歯抜けの笑みを浮かべた。…お前勝てんのか?
ざわざわ、ざわざわ…。
男たちが好き勝手にビッグケットを値踏みする。顔はストールに隠されているとはいえ、スタイルが抜群にいい。男たちの期待も高まるというものだ。
「お嬢ちゃん、顔見せて…最後にカワイイ子の顔見たら死んでも悔いないから…」
やがてそう言ったのは、極端に目が離れた
(ビッグケット、コイツラガ顔見セロッテ。チラット、怖ガッテル感ジデ見セテヤレ)
(…ちょっとだぞ…)
彼女自身、言葉はわからないが、この場の男たちが下品なことを話していたことを察したのだろう。ビッグケットの声音が一段と鋭い。…でもまぁこれも伏線だ。頼むぜ。
「…………」
ビッグケットは共通語を話せない。よってセリフで演技をさせることは出来ないが、恐る恐る…といった感じでストールを持ち上げてくれた。徐々に現れる顔の造りに男たちの興奮がさらに高まる。ストールの影から見えたのは、整った細い顎と桃色の形良い唇、すっとした鼻、怯える金の瞳だ。
「わーーーーっ!カワイイ!!カワイイじゃん!!!」
「ダメ!コレハミンナデ!山分ケ!!」
「バカヤロ、これは独り占め!決まった!俺が食べる!!」
盛り上がる一同。そして勝ち抜け男を見ると、
「…………!!!」
男のサイモンですら吐き気がするような、残虐で恍惚とした表情をしていた。
(殺す。犯す。殺す。犯す。殺す!!犯す!!
殺す!!!犯す!!!)
「…ケヒッ…!」
(うわっ…)
今一瞬。勝ち抜け男の目がぴくりと裏返った。もしかしてだけど、こいつビッグケットの顔見ただけで興奮してイッたんじゃねえの?つーか、そうか…多分死体を犯す趣味があるんだ。だから真っ先にビッグケットを殺すって言ったんだな。殺しも死姦も全部同列の快楽なんだ…ヤバイ。ヤバすぎる。
(正直この空間に居たくない…!!)
思わずぎゅっと目を閉じる。それぞれの出場者の傍らに控えている登録者たちは、皆この空気に慣れているのか誰も動揺していない。むしろにやにや笑って楽しんでいる。あーーっ、こいつらみんなムカつく!登録者ごと全員殺してほしい!!
(早く始まれよもーーっ!)
気持ち悪い空気に耐えかねたサイモンがそわそわしていると、天の福音のごとく奥の扉がギィと開いた。
「身体検査を始める。…新しく来たのはそこの女か。お前が最後だ。来い」
むすりと真顔の髭面が扉から出てきた。出で立ちから察するに、これはこいつらゴロツキもとい出場者たちの制御役。鎧と剣と兜を身につけているので、何かあれば容赦なく斬りつけるんだろう。出場者たちは原則丸腰だし。
「登録者は同行していいのか?この女、共通語がわからないみてーなんだけど」
「…お前は通訳出来るのか?」
「ああ、バッチリだとも」
「では来い。こちらの指示を伝えろ」
顎で示され、ビッグケットを振り返る。
『ビッグケット、検査ダッテ』
『嫌だな…』
『ウン、ガンバレ』
「お前ら早くしろ!」
呼ばれて内心胸を撫で下ろす。サイモンが隣に居てもなんの役にも立たないことは彼自身が一番わかっていたが、自分の預かり知らぬところで相棒が苦しんでいるなんて耐えられない。せめて、そばにいてやりたい。
「結局殺すのはわかってるけど、乱暴してやるなよぉ」
おずおず着いてくるビッグケットを横目に、検査室に移動しながらそれとなく釘を刺すと、
「…俺たちに下品な趣味があると?」
「さぁ〜、俺ここ来るの初めてだからさぁー」
凄まれたので、テキトーに嘯き口笛を鳴らす。すると検査官は白い髭をゆらしてにたりと笑った。
「馬鹿じゃねえのか。俺たちはここで女を痛ぶる真似なんかしない。活きが下がるだろ。みんな元気いっぱい新鮮な悲鳴を聞きたがってるんだ。だからここで触るのは最低限だよ」
(……最低!!!!!)
思ったより最低な理由で紳士宣言された。ちっとも喜べない。何こいつら。みんなこうなの?死んじまえクソが。
「来い、服を脱げ」
『アソコで服脱ゲッテ』
通訳を伝えると、ビッグケットが静かに歩き、ストールを剥ぎ捨てる。うわわ、ホントに脱ぎだした。えっこれ俺見てるべき?見ない方がいくない?いや、悪党の演技として見ていないわけには…いやでも申し訳ない、でも見てないと何されるかわからない…!
ぐるぐるもやもやしている間に、ビッグケットは面積はあまりないが確かに胸部を隠していた上着を脱ぎ、その下の下着を脱ぎ、上半身裸に。そして短いズボンを脱ぎ、パンツを脱ぎ、
(ああああああああーーーーっ!!!!!)
するすると全裸になってしまった。こちらからは背中側しか見えていないが、白い肌が暗い洞窟に眩しい。
「こっち来い。指入れてやる」
(ウワーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!)
そして検査官が手招きし、仕草で股を開くよう指示し、
(アアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!)
つぷり。
酷くあっさり、すっと、嘘みたいにノーリアクションで(恐らく)膣に指を入れてしまった。その瞬間、ビッグケットが小さく肩を震わせたのは決して怯えた演技なんかじゃない。本気の拒絶。そして屈辱に耐える姿だ。
(ヤダァ…!!!!あいつ殺したい!!!!俺が鈍器で殴り飛ばしたい…!!!!!)
下手なことを言うわけにも、庇うわけにもいかない。ハラハラして手を震わせながら見守るしかない。いち、に、さん…何秒経っただろうか。やがて検査官は、にやにやしながら指を引き抜いた。
「へへ、なんにも入ってなかったな。でも処女か。いい締まりだった。死んじまうのが惜しい」
汚い言葉を口にしながら、抜いた指を嫌らしい目で見ている。もう耐えられない。
『ヤメロ!!!!!!!!!!』
ケットシー語で叫んだのは、サイモンの最後の理性が仕事をしたからだった。それを聞いたビッグケットが伏せた黒い耳を小刻みに震わせる。
『…大丈夫…っまだ大丈夫…!』
俯き震え、耐えるその姿が痛々しい。くそっ絶対勝てよビッグケット…!それじゃないと報われないよ…!
「次はケツだ」
双方気持ちの整理がつかないうちに、さらに検査官が畳み掛ける。手招き。いやらしくビッグケットの尻に指を当てる。そして、
(ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!)
またも無慈悲に指が入れられてしまった。しかも今度は、体内をまさぐってる動きまでハッキリわかる。にやにや笑いを崩さない検査官。
(嫌ーーーー嫌ーーーー嫌アアアアアアアアアア!!!!!!)
サイモンは見ているだけなのに、まるで自分がされているような気持ちになって心臓が早鐘を打った。冷や汗が出てくる。あまりにもおぞましくて本気で吐きそうだ。耐えられない…!
「…ッ!!」
そこで指が引き抜かれた。検査官はにんまりと笑みを浮かべてみせる。
「はいご苦労さん。なーーーんにも入ってなかったよ。偉かったな」
それはダブルミーニングなんだろうか。ともかく、震えるビッグケットの頭を無遠慮にポンポン叩いた。そこでビッグケットが動く。バッと顔を上げ、
「………ッ…」
「なんだ?」
『殺してやる…!!!!』
ドスの効いた、地を這うような威嚇。決して表情は見えなかったが、さぞや肝の小さい奴ならひと目見て死ぬような恐ろしい顔をしていたんだろう。検査官もサッと顔を取り繕った。
「ハハ…その恨みは試合で晴らしてくんな。俺は上から頼まれた仕事をしただけさ」
その後、はい口の中見せて。ハイもういいぞ、なんて杜撰な口腔内のチェックを終えて。サイモンは思わずビッグケットに駆け寄った。身体は見れない。でもせめて、気持ちだけでも。
『モウ着テイイッテ』
『マジでぶっ殺す…ッ』
『ソノ怒リハ試合ニブツケテクレッテ言ッテタゾ』
『ハァ!?』
弾かれたようにサイモンを見たビッグケットの目は、間違いなく夜叉の目をしていた。怒りからだろうか、血走って少し赤くなっている白目に、興奮で開いたり閉じたりする瞳孔があまりに恐ろしかった。
『殺ソウ。ミンナ殺ソウ』
『ああ、全員粉々にぶち抜いてやる』
『大丈夫』
そっぽを向き、すっかり他人事を装う検査官に密かに中指を立てつつ、ビッグケットが服を着るのを手伝う。終わり次第、どっと疲れた気分でよろめきながら控え部屋に戻った。だが戻ったら戻ったらで、品性下劣な質問が飛んでくる。
「お嬢ちゃん、指入れられた?」
「きもちよかった?」
「濡レタカ?」
「お前、処女か…?」
ハラハラしながら見守っていると、ストールを被って俯いたビッグケットがぼそりとつぶやく。
『………全員ぶっ殺す』
「「「……………」」」
「この子なんて??」
バカ正直に聞かれたので、ついうっかりそのまんま言ってしまった。
「全員殺すって」
その瞬間、全員が爆発するようなバカ笑いを奏でた。
「殺すか!そうか!そりゃ気持ちの上ではな!!」
「辛かったかー、そうかー、じゃあおじさんたち君みたいなかわいい子になら殺されてもいいかなーーー??」
「「「「ギャーーーーッハッハッハッハッハ!!!!!」」」」
(でもこれ、本気なんだよなぁ…。こいつらもう少ししたら全員死ぬんだろうな…うん…)
生暖かい気持ちになるサイモン。そこで。
「検査が全員終了した。そろそろ出番だ。登録者は登録料を出してくれ。あと賭ける奴は誰に何エルス賭けるか申告と払込みを」
奥から新たな男が現れた。服は使用人然としている。受付の仲間のようだ。仮にこいつを案内人と呼ぼう。案内人のアナウンスを聞いて、サイモンが一番に袋を出した。
「はい、これが登録料。こっちは賭け金。賭ける対象は…これこいつらの前言わなきゃダメ?」
「別に要らないと思うが、伏せたいなら俺に耳打ちしてくれ」
「わかった。…俺が賭ける対象は
(ビッグケットだ)」
瞬間、案内人の目が見開かれる。なんだって?そう小さく言った気もした。
「ほいじゃ、登録と処理よろしくなー。俺たちはどこ行きゃいいんだ?」
手をひらひら振って歩き出すと、背後から案内人の声が飛んでくる。
「あ、ああ…このまま奥に進んでくれ。詳しくはあとで言うが、この先分かれ道がある。片方はステージに繋がっている。出場者の最後の控室だ。もう片方は登録者…オーナー用観覧席になっている」
「わかった。あんがとよ」
影のように着いてくる、ストールを羽織ったビッグケット。そして他の参加者、登録者たちも案内人と金のやり取りをした後、それにぞろぞろ続く。簡素な扉を開けてくぐると、また洞窟のような長い道があり、その向こうに微かな光。明るい場所へ繋がっていることが見て取れた。
(これが最後)
一歩一歩歩きながら。屈辱に塗れるのもこれまでだ。
(次あいつに会う時は)
靴音が響く。全員を血の海に沈めたあと。
『…ぞくぞくスル…!』
歩いて歩いて、言われた通り分かれ道が現れる。全員が立ち止まり、先頭にいるビッグケットとサイモンが分かれるのを皆が待った。
「これが分かれ道。こちらが出場者、こちらがオーナーの歩く道だ」
案内人が二手を指し示す。サイモンがビッグケットを見やると、猫は真っ黒なストールの下微かに唇を揺らした。
『サイモン、最後に聞かせてくれ』
『…ナンダ?』
『“死ね”って、共通語ではなんて言うんだ』
「死ね。」
「…シネ。」『わかった、ありがとう』
『…ジャアナ』
『ああ』
そして二人は別れた。また会えることを固く信じて。
「…かましてやれ…!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます