第2話 ✕✕✕✕へようこそ


「じゃ、またなんかあったら立ち寄って。面白い物があればなんでも買い取るから!バイバーイ!」

 エルフの古物商、ジルベールはそう笑って手を振った。人間ノーマンのサイモン、猫獣人ケットシーのビッグケットも並んで手を振り返す。ここに至るまで、3人でしばし会話を楽しんだ。昔少しかじった程度のケットシー語だが、だいぶ耳と口がついていくようになった気がする。

『サテ、コノ後ドウスル?俺ハラヘッタ』

『じゃあ私も何か食べる。金の使い道は任せた』

 そうか、こいつは共通語がわからないんだ。サイモンの通訳がないと多分ビッグケットは何もできない。いや待て、その前に…

『マダ食ベルノカ…?』

『え?あ、うん。あのステーキはあれでも遠慮して食べたんだよ。まだ入るし食べたい』

 えっ、とサイモンが隣を見ると、ビッグケットはイタズラっぽく舌舐めずりしている。まだ入る…だと…?こいつもしかして、とんでもなく大食いなんじゃないか?金貨25枚、案外すぐなくなるんじゃないか…?

(やばい、早く次の仕事を探さないと…)

『…大通リニ戻ル。コッチダ』

 隣の猫を案内して歩きながら、内心冷や汗をかく。こんなペースで金を使われたらたまったもんじゃない。でも、二人になったところで何が出来るだろう。最悪マジで花街コースだぞ。

『ナァビッグケット、得意ナコト何?』

『得意なこと…?』

 住宅街を抜け、寂れた廃屋街を抜けると、徐々に人通りが多くなってくる。いくらもしないうちに、またガヤガヤと亜人や獣人が行き交うメインストリートが見えてきた。

『私が得意なのは殺しだ』

『コッ…?』

 突然晴れやかに告げられた。今なんて?

『私は人間相手なら大概誰にも負けない。どんな相手だって瞬殺出来る。それが取り柄かな』

『エ、エート、ブッソウダナ…?』

『あ、モンスター相手だって強いぞ。小型ドラゴンくらいなら互角に戦える』

 は?互角?小型ドラゴンって、剣も魔法も跳ね返す硬い鱗に鋭い爪、鞭みたいにしなる長い尻尾を持った、高温の炎を吐きまくる上すげー高速で飛ぶ2メートル以下のドラゴンのことだぞ?ちょ、ちょっと待った…

『ジャア、モンスター退治ノ仕事トカシタラ儲ケラレソウ…?』

『まぁ、そうなんじゃないか。需要があるかわからないけど』

 いや、需要しかないだろ。世は戦とモンスターの蔓延る中世16世紀だぞ。え、マジ?うーん、うーん…。立ち止まる。ビッグケットも立ち止まる。震える片手を差し出して、その隙間からビッグケットを見つめる。

『ジャア、証明シロ。オ前ドレクライ強イカ。ソコノ空キ樽壊シテミロ』

 サイモンが指差す先には空き家、そして使われていなさそうな大樽がある。これを壊してみろ。おおよそ若い女に期待することではない…が、ビッグケットは目をすがめ、ふふんと鼻を鳴らした。

『そんなんでいいのか』

 そう言うと、長い尾をくねらせながら颯爽と近づき、軽やかに腕を振り上げて…

 バコン!

 まるでそれが生卵であるかのように壊してみせた。バラッバラだ。サイモンの喉が恐怖でヒュッと鳴る。マジか、そんな簡単にあれを。

『力試しに木の樽なんて温すぎる。次はあれを壊してやろうか?真っ二つにへし折ってやるぞ』

 金の瞳を弧にして薄笑いを浮かべるビッグケットの視線の先には、石灯籠。そして、人の行き交うメインストリートがある。

『…待テ、待テ待テ、俺ガ悪カッタ。ヤメロ。モウ大丈夫、オ前ハ強イ』

『えー…』

 冗談じゃない、あんなに人がいるところで派手に公共の物を壊してみろ。治安がヤバいこの街でも、さすがに自警団が追いかけてくるぞ。ビンボーな上にお尋ね者だなんてまっぴらだ。サイモンはビッグケットの服の端を掴み、強く引っ張った。不服顔の猫がつられて着いてくる。

『ワカッタ、コレカラノ仕事ハソノ方向デ行コウ。トリアエズ飯。オススメ丿食ワセル』

『飯!!』

 食べ物の話題を出すと、ころっとビッグケットが笑顔になった。よしこれで騒ぎは免れる。あとは…。




「ほいよ、ライ麦とハムとチーズのサンドイッチ2つ」

「あんがと」

 メインストリートの一角、出店エリア。人が行き交うざわめきを聞きながら、人の良さそうな犬の獣人、コボルトのおっちゃんから出来立てサンドイッチを受け取る。後ろのビッグケットに手渡すと、立ち上る微かな湯気に目を輝かせた。

『黒麦のパンだ!美味そう!』

 両手で大事そうに受け取り、かぶりつく。

『うまーい!』

 にこにこ頬張るビッグケットを見て、コボルトがへへ、と下卑た笑みを浮かべる。

「おっ、兄ちゃん可愛い猫連れてるね。“コレ”かい?」

 軽く揺らされる小指。サイモンは苦い笑いを返した。

「違う違う。こいつはさっき出会ったばかりなんだ。そんなんじゃないよ」

 慌てて手を振ると、コボルトが大げさに肩をすくめる。

「なんだ、違うのか。じゃあ上手く捕まえとけよ。人間ノーマンならどの種族とでも子供こさえられるだろ?いいなぁ、可愛いネーチャンと子作り出来て」

「ん、ああ……そうだな」

 サイモンは内心イライラしたが、顔には出さないでおいた。彼女とか。子供とか。うるせぇんだよ。ただ誰かと交流するのに、一々属性や肩書きがいるのか?つーか、人のプライベートに土足で踏み込んでくんな。こいつは…

 俺の一生の、仕事のパートナーなんだよ。

『はー美味かった♥ごっそさん!』

 少し会話している間に、ビッグケットがサンドイッチを食べ終わったようだ。だがサイモンはここで食べる気になれない。行こう、と促して場所を変えることにした。

『どうした?』

『イヤ。…ナントナク』

 ジルベールの語学力は意外だったが、ケットシー語をわかる人間などそうはいない。そもそも彼らは絶対数が少ない。亜人獣人の天国シャングリラといえど、きちんと訳せる奴などそういないだろう。だから目の前で悪態をついてやろうかと思ったけど、やめた。自分の格まで落とす必要はない。

『次ハ飲ミ物。何ガイイ?』

『この街は何が飲めるんだ?サイモンは何が好き?』

 はぐれないようたまに隣を見ながら歩く。長らくない感覚だ。

『ウーン、イツモ街デ飲厶物…エール?』

『何それ』

『安酒。麦、ノ?デモ今日ハ金アル、シードルモイイナ』

『それは?』

『リンゴ酒。コッチノガ飲ミヤスイカナ』

『美味しそう!』

 途中サンドイッチを頬張りながら、連れ立ってアルコールスタンドに向かう。アルコールと言えど、それを売る店はいわゆる酒場ではない。正確にそうというわけじゃないが、人々はジュースと同じ感覚で酒を飲む。上流貴族ならいざ知らず、貧民に清浄な水は与えられなかった。汚い水より安い酒。これが常識だ。いわゆるワインは金持ちの飲み物だったが、エールやビールやシードルは庶民の御用達アルコールだ。

「シードルミドルサイズ二杯」

「はいよぉ」

 ここの店番は小柄なハーフリングの若者だ。いや、見た目は人間ノーマンの子供なのだが。違いは大きな耳に穴を開け、リボンをつけている所。これは彼らの「成人している」証で、まだ青年であることを示す青と白のラインが引かれている。ハーフリングは愛想よく1つ2つカップを取り、樽の栓を開けた。そしてちらりとこっちを見て、ふいに背後に気づいたようだ。

「おや、可愛い猫ちゃんだね」

「どうも。前の店でも言われたよ」

「いいねぇ、人間ノーマンは背が高いからモテるだろう」

「いやぁ、そういうわけでもない。出会いがなければおんなじさ」

 似たような軽口を叩かれ、またテキトーに返答する。女連れはこうもからかわれるのか。面倒だな。ため息をつきたいのを堪えながら、革袋の中の銅貨を掴んだ。

 実はこれ、ジルベールのところで金貨一枚だけ両替してもらった。どこの店で出すにせよ、突然どんと金貨を出したら驚かれる。だから一枚分だけ、目下の生活費としてバラすことにした。革袋は銀貨も交えたとはいえ、かなりずっしりしている。あまりじゃらじゃら音を立てると、耳のいい獣人のスリなんかに聞かれてしまう。細心の注意を払う…。

 チリリ。小さな手に銅貨数枚を乗せる。

「はい、まいどあり。猫ちゃんの分はオマケして増やしておいたよ」

「ああ、ありがとな」

 カップを受け取って、近くの長椅子に二人で腰掛ける。少し重い方がビッグケットの分。やや軽いのが自分の分。手渡してぐびっと飲む。

『わぁあ!爽やかな味!これ美味いな!!』

『フフ、美味イバッカリ』

 またビッグケットが破顔した。長い尻尾の先が小さく揺れている。ご機嫌の仕草だ。

『いやホント美味いぞ!人の街は美味い物がいっぱいあるなぁ!』

『ソレハヨカッタ。オ前ノ金、イッパイアルゾ。タクサン美味シイ物食オウ』

『うん!』

 そしてこれから先、ある程度仕事してお金が貯まったら。グリルパルツァー亭に行ってお金を返そう。あそこで飯を食おう。こいつとならやれる。そうだ、後で少しクエストの張り紙でも見てくるか…。サイモンが明るい未来を夢見て瞳を閉じる。さっきのを見る限り、簡単なモンスター討伐系ならなんなくこなせるだろう。これからは力仕事の依頼だって片付けられる。ああ、仕事が出来る。嬉しいな…。

「オイ。」

 突然、野太い声がかけられた。驚いて目を開けると、目の前に大きな影が落ちている。ごつい体躯につるりとした長いしっぽ。これはトカゲ。リザードマンだ。視線を上げると、細い舌を出し入れする凶悪な面と目が合う。強靭そうな長い口、瞳孔の細いギラギラした目。そして…

「オマエ。金モッテル。面カセ」

 隣にさらにでかい奴がいる。大型人種にして、会話が出来る唯一のニンゲン。トロルだ。大きすぎて意味がわからない。サイモンよりはるかに高い身長に、圧の強い筋肉。そこに居るだけで伝わってくる戦闘力の高さ。…なぜだ?

(なんでこいつらにバレたんだ?)

「ナンデバレたと思ッテルな?」

 リザードマンがにたりと笑った。

「うわ、そうだよ思ってるよ」

「素直イイ。俺タチモ素直ニナル」

 すると、トロルがごそごそと懐を探った。そこには何かの金属。…鏡、に似た何かだ。それが鈍く光っている。

「コレ、金属探知スル。金持チ、スグワカル」

「うわぁ、盗賊が使いそうなアイテム…!」

 それはいわゆるマジックアイテムのようだった。主に冒険者なんかが、外で安心安全に冒険を遂行するために使う。種類は様々だ。便利であるほど高価なので、詳しく見たことも触ったこともないが、恐らくそういう類なんだろう。

 こいつらはどちらも体格がいい。追い剥ぎにせよ、野盗にせよ、かなり稼いできたと見受けられる。…つまり、

(この金、全部とられちまうのか…!?)

 震える腕で革袋を抱きしめると、ふいにそこに触る手があった。ビッグケットだ。眉間にシワを寄せている。

『なんだこいつら』

『俺タチガ金持ッテルノ気ヅイタ。ツイテコイ言ッテル』

『そんな必要ない。お前がいいと言うなら今すぐこいつらを殺してやる』

「えっ…?」

 目の前の獣人たちが薄ら笑いを浮かべている。

「ドウシタお嬢チャン。怖イカ」

「大丈夫、オマエチョット俺タチトイイコトスル、命トラナイ」

 ひゃひゃひゃ、と二人で馬鹿笑いを始めた。どうしよう、ビッグケットの表情を見るに、こいつは本気だ。もし勝てるとしてもここで争うわけにはいかない。………。くそ、信じよう。こいつの戦闘力を。

「わ、わかった。行く。お前らに着いてく。どこまで行けばいいんだ」

「ジャアモット奥かナ。目撃者ガイルと面倒ダ」

 リザードマンの方がくいと指を立てる。こっちに来いという意味だ。でもそれはこっちも同じこと。大樽をやすやすと割る女のやることだ。下手したらえらい大惨事だぞ…。

『ビッグケット、アイツラ二着イテイク。周リノ人イナクナッタラ好キニシロ』

『わかった』

 高鳴る鼓動を聞かれないよう、静かに立ち上がる。こちらを軽く一瞥した後二人がズンズン奥へ、ひと気のない方へ向かうので、サイモンとビッグケットもそれに倣う。

 通りを一つ、二つ、過ぎていく。あっという間に路地が暗くなり…いや、少し日が傾いてきたこともある。視界はかなり悪くなった。

「ヘヘ、コノ辺ナライイカな」

 ふと立ち止まり振り返り、舌を垂らすリザードマンに、

『サイモン、ぶっ飛ばしていいか?』 

 ビッグケットが囁き、

『アア…イイゾ』

 そう答えた瞬間。


 ゴシャ。


 鈍い音が響いた。本当に一瞬の出来事だった。驚いて視線を音の方向に向けると、頭蓋骨が砕けて頭が半分なくなったトロルが倒れるところだった。スローモーションで鮮血が飛び散るのが見える。凄まじい、量だ。断裂した肉と骨が連続して血溜まりに落ちる。

「ヒ?!ヒィ!!??」

『トロルの肉は固くて不味いんだよな。リザードマンなら少しは美味しいかな』

「こ、コイツ何言ッテるンダ!?」

 薄闇に浮かぶ、静かに凍りつくような目。隠されていない右片方の目が、満月のように輝いている。

『お前も死ね』

 そしてビッグケットが片手を振り上げ…

「待て!!」

 サイモンの声が響いた。咄嗟にリザードマンが彼を見る。

『モウコイツ怖ガッテル。殺スコトナイ』

 ビッグケットとリザードマンの間。サイモン自身よくわからないが、庇う形で割って入った。

『仲間が死んだ。あとから私怨で追いかけてくるかもしれないぞ』

『マ、待テ。一応話ヲシヨウ』

『私が危ないと判断したら即殺す』

『待テ、落チ着ケ』

 獰猛な獣のごとく目を光らせるビッグケットをなだめ、リザードマンに向き直る。本当に俺は何をやっているんだ。

「…悪ぃ、俺もここまでやると思わなかった。あの、こいつすごい強いみたいだ。無駄にあんたを殺したくないんだけど、引き下がってくんないかな」

 何を言っているんだ。内心冷や汗をかきながらリザードマンに話しかける。だが、相手はもっと焦った顔をしていた、恐らく。

「う、ウワ、ナンダコイツ、化ケ物かよ…!!トロルを一撃デ?!嘘ダロ!?」

「ごめん、嘘じゃない」

「ワカッテルよ…!ひ、ヒィ…!!」

 するとリザードマンは一歩ニ歩後ずさり、

《✕✕✕!✕✕✕✕〜!!!》

 何かを叫びながら逃げ出した。あれはリザードマン固有の言語なんだろうか?慌てながらも、トロルが落としたマジックアイテムをしっかり回収していったところが抜け目ない。…頑張れ。生きろ。




 悲鳴の残響も消えた頃。しばし呆然としてしまったサイモンだったが、はたと我に返って隣のビッグケットを慌てて見た。怒っているかな…?

『ビッグケット……』

『つまらない。つまらないな』

 頬を膨らませている。拗ねている。

『もっと楽しめるかと思ったのに。やっぱニンゲンは弱いな』

『…殺シガ楽シイノカ…?』

『スリルがあれば最高にいいんだけど』

『…………』

 徐々に本格的に夕闇に沈み始めた空の下、ビッグケットの金の瞳が瞬いている。血に濡れた肌も乾き始めて、塊が割れて溢れて落ちそうだ。

『…行コウ。犯罪者殺シテモオ尋ネ者ハナラナイ。ケド、俺ハココニイタクナイ』

『わかった』

 鈍い水音が跳ね返る。ビッグケットが踵を返し、トロルの血を踏みつけたからだ。…見ようか。いややめよう。損壊した他人の死体なんて、見ても悪夢にうなされるだけだ。ビッグケットに続いてサイモンも裏路地をあとにした。ここに来ることは今後一生ないだろう。





『…ココデ少シ待ッテテ。急イデ外套買ッテクル』

『なんで?』

『オ前血ガスゴイ』

『わかった』

 表通りに出る少し前。ビッグケットにその場で待つよう指示を出し、サイモンは小走りに市場を駆け抜けた。この際デザインとかなんでもいい。とにかくあいつを覆う布。…あっ。

「これ下さい!」

「どうぞ」

 エルフのように見える女性が渡してくれたのは、黒い女性向けストール。でかい。これくらいあればあいつの汚れた所も隠せるだろう。お金を払って急いで戻る。もう少し…ここ!急ブレーキをかけて止まると、ビッグケットはトラブルに巻き込まれることもなく指定の場所で大人しく待っていた。

「よ、かった…!」

『おかえり』

 血まみれの猫がにこりと笑う。一瞬心臓が凍りそうになる。でもこいつは悪い奴じゃない。実に純粋だ。ただ、馬鹿みたいに強い。…それだけ。従順に軽く下げられた頭に向かって、ヴェールのようにストールをかける。

『サ、帰ロウ。狭クテ悪イケド俺ノ家ニ来テクレ。金ガイッパイニナッタラ引ッ越ソウ』

『わかった。ありがとう』

 そう言ったビッグケットがそのまますたすた歩こうとするので、サイモンは慌てて下を向くよう頭を押さえた。?と猫が顔を上げようとする。

『バ、馬鹿!顔上ゲルナ!オ前血デスゴイ!下向イテ歩ケ!…ホラ、すとーる掴ンデ!』

『むぅ…』

 片手でストールを掴ませて俯かせ、もう片方の手をサイモンが握る。思い切りワケアリの女に見えるがこの際しょうがない。

『ツイテコイ』

『うん』

 そのまま人混みの中に入る。表通りはさっきよりは明るいが、かなり陽が暮れてきた。今までのサイモンだったら恐ろしくて急いで帰宅するところだが、女連れの二人で歩くので、気持ちスピードを緩めた。

 通りすがりの囁き声が聞こえる。

(おっ、若い女だ。いいなあの兄ちゃん、どこで捕まえたのかな)

(獣人かぁ、売りに行くのかな。その前におこぼれにあずかれないかなぁ)

 まただ。俺はこいつを売ったりしない。

(闘技場に連れてってくんないかな。そしたら絶対拝みにいくのに)

(いいなそれ!頼みに行こうか?)

 …………。闘技場……?

 その単語を聞いて、思わずバッと振り返る。誰が言ったかはわからない。有象無象の人の群れ。でも獣人の女を売り飛ばす、闘技場。そうか…その手があったか…!!

『ビッグケット、イイ金稼ギ思イツイタゾ!』

『…え?急にどうした?』

 顔を上げないまま、訝しげな声を出すビッグケット。その頭を強引に撫で、ご機嫌な様子で告げる。

『オ前ノ特技ヲ活カセテ、メチャクチャ儲カル裏ワザ!!』

『なんだそれ…??』


『闇闘技場ニ出ルンダ!!』





 シャングリラでひそかに毎日毎夜開催している、裏闘技場、または闇闘技場。そこでは金持ちによる金持ちのための、金持ちと馬鹿の遊びが繰り広げられていた。

 殺しあり。一戦10人参加。バトル・ロワイアル形式で、生き残った一人が勝者。観客はその日誰が生き残るか賭ける。賭けに負けた人間の金は全て賭けに勝った人間の懐に入る。単純明快な賭博システムだ。

『デ、ソコニタマニカ弱イ女ノ子ガ放リ込マレル』

『なんで?客はバトルを見に来てるのに?』

『ソウ、デモ違ウ。弱イ女ノ子ガ無惨ニ殺サレルノヲ見タイ奴ガイル』

『はぁ、なるほど』

『泣ク、叫ブ、引キチギラレル。強姦シテカラノ時モアル』

『…………』

『ゴメン、デモ本当ノコト』

『…で?私はそういう馬鹿な野郎共をブチのめせばいいのか?』

『派手ニ殺ス。ソウ。デモ…』

 暗い地下。下に伸びる長い長い螺旋階段。転がり落ちないようゆっくり下りながら、サイモンは小声で会話を続けた。彼は成人済み故ここに来る権利があったが、これまで一度たりとて来たことがなかった。来ようとも思わなかった。人の血なんて、死ぬところなんて見たくない。まぁ、賭ける金もなかったけど。

『コレカラオ前ヲ出場者トシテ登録シニ行ク。ソノ時、サッキミタイニ布ヲ被ッテ下ヲ向イテクレ。イイ言ウマデ顔上ゲルナ』

『うん?』

『顔ヲ上ゲル時モ、怖カッテルミタイニソーット上ゲロ。ソレッポイナライイ』

『………うん?』

『儲カルタメノ伏線』

『はぁ』

 床が見えてきた。地底の底だ。この檻の向こうで何人の猛者が、何人の罪なき人々が死んでいったんだろう。まるで鎮魂と祈りの炎のように、壁に等間隔で蝋燭がかけられている。終着点であるここは、いっそう明るくおどろおどろしい。

「…いらっしゃいませ。観覧ですか?」

 洞窟のように岩肌が剥き出しの空間。その奥の扉の前に、仕立ての良い、しかし召使い然とした服を着込んだ男が立っている。この男、恐らくこの闘技場主催者の使用人だが、今のサイモンよりずっと上質な服を着ている。なんと呆れた悪趣味か。

「いや、観覧じゃない。出場登録だ」

「…それは、後ろの方が…ということでよろしいでしょうか?」

「そうだ」

 そこまで言って、後ろを振り返る。受付の男に聞こえないようひそひそ声でビッグケットに話しかける。

『今カラ俺ハ演技デオ前ヲ乱暴ニ扱ウ。ゴメン、許セ』

『承知した。大丈夫だ』

 返答を聞き次第、即ぐいっとビッグケットの腕を引っ張った。小さく悲鳴が聞こえる。演技なら上等だ。

「こいつは滅多にいないケットシーの混血だ。見ろ。顔も一級品だぞ」

 かなぐり捨てるようにストールを剥ぎ取り、髪を掴んで強引に前を向かせれば、驚いたような顔をするビッグケット。血にまみれた頬、見開かれた金の瞳、不安げに揺れる尻尾と猫耳。受付が薄く笑った気がした。

「ほう、これはこれは」

「こいつ郊外の森で一人うろうろしてたんだ。しかも金も持ってるときたもんだ。俺はピンときたね。ここに出すっきゃないって!」

「…ありがとうございます。では登録手続きを」

 サイモン渾身の「小物っぽい悪そうな演技」が刺さったのだろうか。受付は扉の傍らの小窓から板を出してきた。紙が乗っている。

「お名前、ご住所、年齢、性別、職業。連絡先。あれば報酬を振り込む銀行口座の情報を。なければこちらが手続きさせていただきます。勝っても負けても報酬はきちんと振り込みますので、ご安心ください」

「ああ、頼むぜ。出場登録料。楽しみにしてるからな!」

「はい、出場試合が終了し次第、また連絡させていただきます」

「いやっほぉーーう!!これで金が入るぜー!!!」

 サイモンは小躍りし、用意された用紙に個人情報を書きなぐった。一応演技だ。情報以外は。

「では、出場はいつになさいますか。今夜の分はもう締め切っております。最速は明日になりますが」

「そんなもん!明日だ明日!即出てもらう!そして俺は金をゲットする!!」

「かしこまりました。あと、一応出場ネームというのを伺っているのですが」

「え?うーーーん」

 出場ネーム。名前。普通は勝ち上がることを想定して、かっこいい名前をつけたりするのだろう。連勝すれば畏怖と羨望の的になるからだ。けれどこいつの場合は…まぁ、これでいいか。

「じゃあ、ビッグケットで」

「かしこまりました。ビッグケット…」

 書類に名前が書き込まれる。やがてペンが止まると、受付の男は静かに微笑んだ。

「ご登録ありがとうございます。では、こちらルール説明の書類となります。明日までに目を通し、記載の時間通りにこちらにいらしてください。それではまた。」

 また小窓から紙が出てくる。それを覗き見ると、数枚に渡ってずらずらと長ったらしい文章が並んでいた。噂によると、この闇闘技場では価値数億の金が動くらしい。億って金貨何枚だろう?ステーキ何枚食べられるんだろう??書類を受け取った瞬間、本気で下品な笑みが漏れた。…後ろのビッグケットには見えてない。許せ。

「おう!あー楽しみだな!明日が楽しみだ!!オラッ、歩け猫女!行くぞ!!」

 内心ごめん!!と平謝りしつつ、サイモンがビッグケットのふくらはぎを蹴り飛ばす。ビッグケットは衝撃で軽くよろめきながら、ふらふらとサイモンについていった。思ったより演技上手いじゃんこいつ。やばい。

(うおお、明日みんな度肝抜かれるぞ…!そうさ、だって…)


 こいつはこの世のどの男より強い。トロルが一撃で葬れるなら、どんな力自慢も戦い自慢も勝てるまい。


 無闇に他人の命を奪うのは気が引けるが…明日!絶対!




(もらうぜ億の掛け金………!!)




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