第10話 怪盗・結城沙月の誕生
「どうして、怪盗を始めたんだ?」
ずっと気になっていたことだった。模範解答は盗んでいないし、宝石を盗むような典型的な泥棒でもない。
しかし結城がやっていたことは一般的な女子高生とはかけ離れた行為だ。
「どうして宍戸にそんなこと話さないと−―」
「何でもするんだろ」
「……わかった。話すわ」
汐崎は教室に二人だけにすべきと思ったのか、
「私、いない方がいいかしら?」
と気を遣う。
宍戸は汐崎に歩み寄り、手を差し伸べる。
「構いませんよ。むしろ汐崎先生も聞いておくべきです」
「はい。先生にも多大な迷惑をかけました。聞く権利があります」
「分かった。それじゃあ聞かせてもらうわ」
汐崎は宍戸の手を受け取り立ち上がると、言われた通り教室を去って行った。
教室には宍戸と結城の二人だけが残る。
宍戸は結城を椅子に座らせると、自分も彼女の隣に腰をかけた。
「さあ、話してくれよ」
「ちょっと昔まで遡るわ。私の家、結城家はアラブの石油王の一人をスポンサーに持っている会社なの。だから昔も今も業績以上の金が私たちの生活を潤しているわ」
「そうみたいだね。結城の散財っぷりを見てるとどれだけ裕福かわかるよ」
「大抵のことはお金で何とかなる。生まれた時からそんな環境にいたもんだから、それが当たり前だと思っていた。何不自由なく生きてきたわ」
× × ×
結城沙月。小学六年生の冬。
卒業まで残り僅かとなった日々の中で、結城は想いを寄せている人物がいた。
成績優秀、スポーツ万能。そのような子。
友達もおらず、孤高を貫いている結城に相談できる人などいない。
しかし卒業までに必ず、この気持ちを伝えると決めていた。なぜなら絶対に成功する自信があったからだ。
今まで何人もの男の子に告白をされてきた。いわゆるモテるというやつだ。告白をしてきてくれた子たちには申し訳ないが、恋がよく分かっていなかった結城は全ての申し出を断っていた。
今、初めて恋というものを結城はしているのだ。
クリスマスイブ。二学期最後の日。
結城は彼を放課後の図書館に呼び出し、想いを告げた。
「ごめん。好きな子いる」
予想外の言葉が返ってきた。
結城はこの現実を理解できなかった。
初めての恋は人生で初めて上手くかなかったことだった。
親のおかげで何不自由なく生きてきたけれど、これだけはお金で何とかならないと結城も分かっていた。愛はお金で買えない、と小学生なりに理解していたのだ。
初めての挫折から立ち直れないまま、中学に上がり、結城は日常生活を楽しめずにいた。全てにおいて虚無感を覚え、惰性で学校生活を送っていた。
そんな日々の中のある日。彼女が放課後にコンビニへ立ち寄った時だ。
お菓子売り場の棚を眺めていると、近くにフードを深く被った人物が近づいてくる。顔は見えないが、背格好からして男であることは間違いない。
結城は彼に君悪さを覚えて、距離を取った。
その瞬間だった。
棚に向かって伸びた彼の手は、小さなお菓子の袋を掴むとそのままポケットに隠した。
一瞬の出来事だった。
その後、何事もなかったかのように店を出ていった彼の背中に、結城は憧れと胸の高鳴りを覚えた。
これだ。これが自分が求めていたものだ。
お金で手に入らないから、手に入れられないわけじゃない。
自分の力で手に入れればいい。
彼のように、盗めばいいのだ。
こうして結城は新たな手段を得たが、それでも彼女はまだ初恋の呪いに縛られたままだった。
ターゲットに決めた生徒は皆、全て模範生徒。成績優秀、スポーツ万能。みんなの憧れの的。
初恋の彼の姿を重ねてしまっているのだ。
そう思うと自分が許せなくなった。どうして自分を振った彼に縛られなくちゃいけないのか、と。
それでも、好きになったなら手に入れたい。
怪盗を目指すと決めた以上、必ず自分のものにしたい。
ならば、盗むべきものは当人じゃない。好きになった相手の模範性だ。
呪縛と願望が怪物を生んだ。これが模範怪盗・結城沙月誕生の瞬間である。
そこからは着実に怪盗としての腕を磨いていった。
目的を完遂するためならどんな大金でも捨てる。愛は買えなくても人の時間は買える。仲間を増やし、人脈という根を貼る。
結果に支出以上の価値が生まれればいい。
× × ×
「自分で言うのもなんだけど、随分とゲスな女泥棒よね」
悲しそうに笑う結城を見て、宍戸も思わず悲しくなる。
このようになってしまった彼女を救いたい。必ず助けてあげたい。その想いが強まった。
「確かにゲスだね。でも……安心したよ」
「ちょっと今何て言った? 安心したって言った? どういうことよ。想像通りゲスで安心した?」
と、涙目で訴えてくる。まるで宍戸が言ったことが信じられない、という様子だった。
宍戸は誤解を解くために、慌てて彼女を諭す。
「何でそうなるんだよ、違うから。そんなのじゃない」
「じゃあ何よ」
「結城が模範怪盗になった理由が結城のせいじゃなくて安心したの」
「いや私のせいでしょ。それにどうして安心するのよ」
「いいや。結城のせいじゃない」
自信を持って言い切る。
「自分の意思でなったわけじゃないだろ? その初恋の呪いが結城をとんでもない泥棒にさせたんだ。結城のせいじゃない」
宍戸は一度深呼吸をして、優しい声音で続ける。
「そして『呪い』って表現するってことは、今の自分を良いように思ってないだろ」
「……」
「ほら、図星だろ? どうやら俺って地頭はかなり良いみたいでね。模範解答がなくても十分優秀なんだ」
「全く、宍戸ったら」
再び笑い出す彼女の顔にもう悲しみはない。
ただの女の子の笑顔だった。
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