インディゴ
第9話 怪盗・宍戸裕次郎の誕生
正直、本当に合格するなんて思っていなかった。得点開示を見るに、かなり滑り込みでの合格だったが、それでも合格は合格だ。
ようやく自分の人生が薔薇色になる。
入学式の時に彼女の姿を見つけた。
名簿と座席の位置を確認し、彼女の名前が結城沙月ということを知った。素敵な名前だと思った。
クラスも運良く、隣のクラスだった。
ホームルームが終わったあと、すぐに声をかけようと思ったが、あまりに眩しい彼女に足が竦んでしまった。
今の自分じゃ到底彼女に釣り合わない。
どうすれば彼女の横に並ぶに相応しい、魅力的な男になれるのだろう。
「あれ、君、入試の時にあったよな。俺のこと覚えてる?」
声をかけてきた陽気な彼は制服をきちんと着こなし、髪も綺麗に整えられている。いかにも優等生というような風貌だった。
「ごめん、ちょっと覚えてないや」
「まあ入試の時に会った人なんて覚えてないのが普通か。俺は下山秋! よろしく!」
「俺は宍戸裕次郎。よろしくな」
気さくな下山は率先して学級委員を務めたり、授業でも積極的に手を挙げ、目に見える優秀さがあった。
彼を見ていると、一緒に受験を受けた中学の学年一位を思い出した。そう言えば、入学してから彼の姿を見ていない。不合格だったのか、クラスが離れすぎて会っていないだけか。それはわからない。
しかし、その彼と下山が宍戸に気づきを与えてくれた。
これだ。学年一位の優等生になれば、きっと彼女の横に立つにふさわしい人間になれる。
それからは簡単だった。職員室に忍び込み、今まで盗みをやってきたように模範解答を盗めばいいだけだからだ。
高校に入って初めてのテスト。一学期中間テスト。
模範解答は容易く手に入り、宍戸は見事、学年一位に輝いた。
テストで一位を取るだけでは、授業中にボロが出る。それは避けなくてはならない。宍戸は本当の勉強にも精を出した。
結城沙月を手に入れるために、できることは抜かりなく行なった。
その成果はすぐに現れた。宍戸は『学年一位の優等生』を完璧に演じられていた。
問題はその年の学年末テストの一週間前だった。
早朝に職員室に忍び込み、いつも通り模範解答を手に入れた日の放課後だった。
「宍戸、ホームルーム終わったら、職員室の横の小会議室に来い」
と、志摩に呼ばれた。人生終わった、と思った。最悪退学かもしれないとまで考えた。
まだ結城に声をかけることもできていなかった。今年度は話しかけないと決めていたのだ。二年生になると同じクラスになる可能性もあるからだ。
しかしもう同じ学年になることもない。
絶望だった。
溢れそうな涙を堪えながら、小会議室へ向かう。震える手で小会議室の扉を開いた。
「失礼します」
「お、来たな。とりあえず、そこ座れ」
志摩が手前の椅子を引いたので、指示通り宍戸はその席に着く。志摩は机を挟んで向かいの席に腰をかけた。
「お前がしたことはわかってる。許されることじゃないぞ、と言いたいことだが……今回は見逃してやる」
志摩がふざけているのかと思った。模範解答盗みという校内犯罪としてはかなりの重罪であるにも関わらず、見逃すというのはありえない。ここでどう返すかによって、今後の対応を決めるつもりかもしれないと宍戸は判断した。
「いえ、見逃してもらわなくて結構です。俺がしたことは簡単に免じてもらえるものではありません」
志摩は両手を組み、指の上に顎を載せる。
どうやら宍戸の推測は間違っているようだった。
「勘違いするなよ。ただで見逃すわけじゃない。今回の件を水に流す代わりに、お前に頼みたいことがあるんだ」
「俺に、ですか」
「ああ。お前にしか頼めない」
「と、言いますと」
頼みたいこと、と言うのがどのような内容か全くわからなかったが、まだ学校にいることができるなら何でもする覚悟だった。
「結城沙月って子を知ってるか?」
鳥肌が立った。間違いなく結城絡みの案件ということだ。つまり、結城と関わる理由ができる。
宍戸にとって願ったり叶ったりの状況だった。
「もちろん知ってます! 二組の子ですよね。その子がどうしたんですか?」
食い気味で志摩に続きを促すが、宍戸はこれを後悔することになった。
「彼女が大金を先生や生徒に握らせ、良くないことをしている」
「は? 結城が? 良くないことって、え?」
上げて落とされた気分だ。
自分が恋した相手の裏の顔を、このような形で知ることになるとは思ってもみなかった。正直、知りたくなかった。
「依頼内容だが、端的に言うと結城にこんなことをやめさせてほしい。宍戸が自らターゲットになって彼女を出し抜くんだ。教職員はこの状況が不味いとわかっている。でも、金額が金額なだけに断る勇気がないんだ」
「勇気がないって……あんたら教師でしょ!」
「わかってる! けど、これだけの金額を動かす奴だ。刃向かったら何をされるかわからない!」
「そんな危険なことを生徒にやれ、と?」
「……」
志摩が真面目で誠実な教員でないことは前々から分かっていたが、ここまでとは思っていなかった。
「悪いと思ってる。もちろん模範解答盗みの免罪だけでは対価として足りない。報酬も払う。今まで結城が教職員に払ってきた大金全てを」
「どんな報酬があろうと俺にはできません、そんなこと』
「駄目だ。じゃないと模範解答泥棒の件はしっかり対処するぞ」
「脅しですか」
「脅しだ。お前しかいないんだよ。今までバレずに盗みを働いていたお前の頭の良さを買ったんだ。宍戸になら託せる」
結城への悲しみ、志摩への呆れ。
宍戸はしばし座ったまま考えたが、結局は結城への想いが勝ったのだった。
結城を救ってみせる。それをできるのは自分しかいない。
そう決心した。
× × ×
「嘘よ、そんな上手い話があるわけない!」
結城は宍戸の丁寧な回想を信じようとしない。
彼女がどれだけ事実を拒もうと、宍戸が志摩に頼まれたことは真実だ。
宍戸は裏付けとなる内容を追加で説明する。
「あるんだよそれが。俺を見逃してでも、大金を払ってでも結城を止めないといけなかった。なぜなら教職員が生徒に金握らされてるって外部にバレたら向こう一ヶ月のワイドショーは俺らの話題で持ちっきりだからな。まあ、そんなわけで俺が必ず更生させるって気持ちで挑んだんだよ」
「どの口が言ってんのよ」
「それは俺もそう思う」
結城の嘲笑に、宍戸も軽い自嘲をする。
全て昨年までの出来事だ。今年赴任した汐崎にとっては全て未知のことだったはずだ。驚くのも無理はない。
「私が来る前にそんなことがあって他のね……。通りでさっき自分の正体がバレていることに驚かなかったわけだ。でも、泥棒を続けたのはなぜ?」
宍戸は塩崎の質問にも丁寧に答える。
「罠ですよ。晴れて公認の怪盗となった俺は盗みを楽しみながら、結城への罠を仕掛け続けた。結城に俺の弱みを握る材料を手に入れさせるため。そして、俺をターゲットにさせるための罠だったんだ」
「本当に宍戸の手の中で踊らされていただなんて……」
結城は両手で顔を覆い、俯く。
彼女も時間をかけて計画を練ってたのだ。それを欺くのは宍戸も悲しかったが、こうするしかなかったのだ。
「残念だが、お前の負けだ。頭脳で俺には勝てない! 何億って金を持ってるなら、自分の頭に投資するべきだったな。それがお前の敗因だ」
「……初めて失敗した。完璧な計画だと思ってたのに」
「なあ」
「何よ。宍戸が勝ったんだから。好きなように何でもしなさいよ」
「ずっと訊きたいことがあったんだ」
宍戸は一年生の学期末。あの小会議室で誓っていた。
ただ結城に悪事をやめさせるだけではなく、自分が彼女を救うのだ、と。
ここからは志摩の依頼ではない。
宍戸の願いだ。
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