第7話 幻想即興曲

 外が重たい雲で暗くなる。しかし太陽の光はわずかに隙間が届いており、黒い紫色のような奇妙な空が広がった。さらには雨までもが降り始め、教室の窓を叩きつけた。


「あれ、宍戸に汐崎先生。こんなところで何をしているの?」


 ただでさえ教室内は暗くなったというのに、結城の目はさらに深く暗かった。頬は紅潮し、口角も上がっている。まるでこの状況に興奮しているかのような顔つきに汐崎だけでなく宍戸までも恐れ慄く。


「……いえ、こんな芝居がかったことをする必要はもうないわね。汐崎先生、やっぱり裏切っていたのね」


 結城の人差し指が汐崎を鋭く指す。汐崎は顔を真っ青にして、脚も震えていた。それでも宍戸の前に立ち、結城に刃向かった。


「結城さん! こんなことしていいと思ってるの? そもそもこの学校もおかしい!」


 汐崎は宍戸が持っていた封筒を取り上げ、ヒールを鳴らしながら結城に近づく。彼女の前に着くと、封筒を結城の胸に突きつけた。


「お金は全て返す! あなたのことも知らなかったことにしてあげるから、もうやめなさい!」


 しかし、結城も負けていない。突きつけられた封筒を投げ捨て、


「やめないわ! お金も受け取らない! あなたの処分はまた考えるわ。今は黙ってなさい!」


 と言い放つと、汐崎を勢いに乗せて突き飛ばした。


「きゃっ」


 かなり力が強かったため、汐崎の体は大きな音を立てて床に叩きつけられる。うめき声をあげる汐崎に宍戸は急いで駆け寄った。


「汐崎先生! おい結城、お前何してんだよ!」


 結城は声が裏返るほど高らかな声を上げて笑った。


 今までの可愛らしい結城の姿はもうなかった。そこにいるのは恐ろしい人間の形をした何かだった。


「何してる? 愚問ね。模範解答に頼ってきただけあって、中途半端に馬鹿よね、宍戸は」

「……え?」


 結城は宍戸と目の高さを合わせるために屈み込む。彼女のひんやりとした冷たく柔らかい手が宍戸の顎を撫でた。


 血の気のない笑顔を浮かべて静かに笑う。


「でも顔は私のタイプよ。気に入らなかったのは模範生徒を気取ってるあなた。なんとしてでも私好みにしたかった」


 宍戸はただただこの結城が恐ろしかった。止めどなく溢れる結城の言葉に狂気を感じた。


「何言ってんだよ……。俺の知ってる結城はどこに言ったんだ!」


 顎に当てられていた手の人差し指が宍戸の唇に当てられる。


「何を言ってもだめ。私は結城沙月。これは紛れもない事実。今回の計画は大変だったわ。裏切りもあったけど、結果的には上手く行きそう。時間をかけた甲斐があったわ」

「どういうことだよ」


 今すぐこの場から逃げ出したい気持ちを抑え、宍戸は変わってしまった結城に尋ねた。


「せっかくだから説明してあげる。志摩先生には模範解答を隠してもらい、汐崎先生には解答を探す宍戸を発見してもらうように私が頼んだよ。汐崎先生には追加で大人の色気を使って宍戸を誘うようにも頼んだ。下山にも協力してもらって、その相談を私たちにさせるよう宍戸に仕向けた」


 彼女の説明に宍戸は合点がいったと手を叩く。


「それで汐崎先生があんな感じだったのか」


 汐崎を見るが彼女はまだ痛そうにしており、目を開かないままだ。


「でも宍戸は全然私たちに相談しようとしてくれない!」


 結城の顔が笑顔から突然に悲壮な顔に変わったかと思うと、両手でBの形を作る。


「ここで予め用意しておいたプランB。学年2位の白鳥君に私が流しておいた泥棒の噂の正体を宍戸だと言うようにお願いした。宍戸を焦らせるためよ。それでも駄目だった。だから次は押して駄目なら引いてみろってやつ。泥棒は実は女だったっていう嘘をついて、安心させてみた。でも効果なしね。宍戸は私にとって一番の強敵だった」


 結城の両手が伸びてくる。その手は宍戸の肩を押し、床に押し付けられる。結城は動けなくなった宍戸に馬乗りになり、彼女が宍戸と汐崎を見下ろす形になった。


「でも汐崎先生が裏切ってくれたおかげで、こうして宍戸に急接近することができた。感謝しますよ汐崎先生」

「……結城さん、本当にとんでもない子ね」


 ようやく目を開いた汐崎が答えるが、まだ痛みがあるようで起き上がることはできなかった。


 宍戸は自分の両肩を押さえつける両手を掴む。


「……何でだよ。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ……。俺、結城のこと好きだったのに……」

「あれ、私のこと好きだったの?」


 この状況での思わぬ告白に結城は目を見開いて驚いた。


「そうだよ! 初めて見た時! 素敵な女性だと思ってたのに! 結城だって俺の好意に気がついてない馬鹿じゃないか!」


 宍戸がどれだけ声を荒げようと、結城は冷静だった。


「知ってるわ。私は勉強できないもの。だから言ったじゃない。悪い男が好きって。模範生徒のあなたは好きじゃない。そんなあなたを私好みにする」


 結城と宍戸の額がぶつかりあう。


 至近距離で結城の顔を見るのは初めてではないはずなのに、初めての気分だった。


 いつもなら照れてしまうような距離。これだけ密着しているのに恐怖が勝ってしまう。恐ろしくてしょうがない。


「結城好みって、何をする気だよ……」

「心配しなくてもすぐ終わるわ! ああ嬉しい。宍戸が私のこと好きだったなんて。しかもそんな人を今から私好みにできる!  ぞくぞくするわ! 今まで何度も気に入った子を調教してきたけど、あなたが一番楽しみ!」


 結城は自分の上唇を舌で舐めがらら、宍戸の顔を見つめた。


「結城、お前一体何者なんだ」


 自分の声が引き攣っているのがわかった。もうここまでか、とも感じる。


 雨足が強くなってきていた。


 教室内は完全に結城の独壇場だった。


 誰も彼女を止められない。


「そうか。宍戸は知らなかったよね。私のこと。さっき学校にいる泥棒の正体は女だって言ったわよね? あれね、あながち嘘じゃないのよ。だって私も泥棒だもん。でも盗むものはあなたと違って、実物じゃないの。私が盗むのは、気にった生徒の模範性。……巷ではこう呼ばれてるわ」


 決め台詞を言う悪役のように、結城は間を取る。


「結城、まさか!」


 雷が落ちる。教室は揺れ、不気味な青白い光が恍惚とした結城の顔を照らした。


 動く結城の唇がスローモーションで見えた。


「模範を盗む怪盗、『模範怪盗』って」

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