第4話 怪盗たちの黄昏
新学期初日は始業式と大掃除、ロングホームルームのみだったので、午前中に放課になった。それを良いことに早く帰宅しようとする生徒もいれば、居残って勉強をしようとする生徒もいた。無論、結城と下山は前者である。
「よしゃ、宍戸。帰ろうぜ」
「ねえ、帰りにスタバ行こうよ。春の新作飲みたいんだ」
「いいねえ。飲もう飲もう」
宍戸が返事をする前から勝手に話が進む。宍戸自身、居残って勉強をするつもりはないのだが、志摩に数学の課題について訊きに行こうと思っていたのだ。
「悪いけど、今日は先に帰ってて。用事があるんだ」
「えー」
と、結城は頬を膨らませる。
あまりの可愛さに後ろ髪を引かれる思いだが、宍戸だって学年一位の優等生を演じなければならない。断らざるを得なかった。
「ごめんな」
「じゃあまた今度だな」
「おう」
宍戸は二人に手を振り、教室を出る。
下山も反対向きに出ようとするが、なぜか結城がその場に立ったままだった。
「どうした結城。バカ同士、二人で帰ろうぜ」
声を掛けても彼女は反応しない。下山は結城の元へ戻り、肩を他叩く。
「なあ気持ちはわかるけど。今日は俺で我慢してくれ」
「ごめん下山。スタバは延期。先に帰ってて」
「おいおい、まさかあの結城様がお勉強にお目覚めか?」
「確かに今までの努力がテストの結果に直結する。そんな勉強と同じね」
振り向きざまにされたウインクに、下山は思わず見惚れる。これでも以前、下山は結城のことが好きだった身だ。もうそのような感情はないとしても今のはときめいた。
硬直した下山を残し、結城は宍戸を追うように教室を出て行った。
宍戸は職員室に向かって廊下を進む。
結城とスタバに行きたかったなと後悔するが、背に腹は変えられない、と気持ちを切り替えた。
毎日三人で帰っていたわけではない。今日がたまたま一緒に帰らない日だっただけだ。
自分に言い聞かせている内に、職員室の前に着く。
今朝とは目的が違うので、特に緊張はしなかった。ためらいもせずに、扉を開ける。
「失礼します」
朝とは打って変わって、職員室には人が多くいた。教員はもちろん、生徒も溢れかえっている。部活の事か、課題の出し忘れか様々な用だろう。
机と人の間を縫って、志摩のデスクに辿り着く。彼は珍しく書類の整理をしていた。
「志摩先生、今お時間ありますか?」
「お、宍戸か。課題の質問か?」
「はい」
「ちょっと待ってな」
志摩は一枚のプリントを引っ張り出すと、内容を軽く読み、立ち上がる。
「これ提出してくるから。十秒くらい待っててくれ」
と、その場を去る。どうやら整理ではなく探し物をしていただけのようだ。その証拠に机の上は変わらず散らかったままだった。
一人残された宍戸は手持ち無沙汰になる。することがなくなると、周りの音がよく耳に聞こえてきた。
「汐崎先生! 生徒が呼んでますよ!」
忌まわしき名前に思わず体が反応してしまう。
「はーい!」と返事をする汐崎が職員室の外へ向かっていた。本当に謎めいた人物だった。なぜ自分の名前を知っていたのか、なぜ投げキッスをしたのか。模範解答盗みを見られたかもしれない以前に、不可解な点が多すぎるのだ。
「悪い。待たせた」
よそ見をしている内に、志摩が戻ってきた。宍戸は予め付箋をつけていたワークのページを開き、志摩に見せる。
学年一位の優等生を演じるのはなかなか難しい。宍戸は元々、勉強ができる方ではなかったので模範解答盗みよりも、この演じる方が骨が折れた。
勉強は出来ずとも、悪知恵が働く程度に自頭は良かったためか、優等生を演じる内に自然と学力が身に付いて行った。全て百点を取れるというわけにはいかないが、高得点を取れるほどにはなっていたのだ。
それでも模範解答盗みを続け、学年一位に君臨する必要がある。ただ優秀なだけでは駄目なのだ。
「……という感じの解き方になるわけだ」
「なるほど。すごくわかりやすかったです。ありがとうございます」
「おう、頑張れよ。それよりもお前、大丈夫か?」
志摩は心配そうに宍戸の顔を覗き込む。今日一日で増えた不安が顔に現れていたのだろうか、と宍戸は自分の頬を両手で叩く。
「大丈夫ですよ」
元気に答え、広げたワークを取ろうとした時に、『数学 模範解答』と書かれたプリントを見つける。
「あ」
志摩も宍戸の目線に気が付いたようで、模範解答を引き出しに隠した。
「見るんじゃないぞ」
「わかってますって」
「ただでさえ、泥棒の噂が広まってんだ。俺たちも厳重にしなきゃな。教頭に怒られてしまう」
「確かに。気をつけないといけませんね」
「おう。ほら、用が済んだなら帰った帰った」
宍戸は志摩にもう一度礼を言うと、出口に向かう。扉を開けようとした瞬間、廊下から汐崎が入ってきた。
「あ、あ、あら! 宍戸君じゃない! もしかして私を探していたのかしら!」
彼女は宍戸を見るや否や、顔を近づけてきた。甘い香水の匂いが漂ってくる。
宍戸は探りを入れようかとも考えたが、この時間の職員室は人が多い。万が一会話が聴かれては不利だと、今日はやめておくことにした。
「違いますよ。志摩先生に用があっただけで。もう帰ります。さようなら」
「そう、それは残念。またおいでね」
今朝と同様に、汐崎は宍戸の両肩を掴んで外へ押し出す。今度は宍戸から逃げるようにして職員室の中へ戻って行った。
不思議な行動に首を傾げながら、宍戸は帰るために階段の方を向く。
職員室とは違い誰もいない廊下と階段。
その階段を駆け降りる女子生徒の頭だけが宍戸には見えた。
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