第131話 停滞からの生還

劣等人の魔剣使い 小説4巻

12月上旬発売予定

何卒、宜しくお願いいたします!



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『逃げるな』


 真っ暗な中、聞こえてきた大声に透は肩をふるわせた。


「あれ? 僕はさっきまで、庭にいたはずじゃ……」

『逃げるな』


 再び聞こえた声とともに、世界に明かりが点った。

 そこは、見覚えのあるフロアだった。透は、クッションが死んだオフィスチェアに座っていた。目の前にあるモニターには文字がびっしり並んでいる。


「ここは……」


 そこは――日本だった。

 なんでここに? 透は首をかしげた時だった。突然、後ろから肩を揺さぶられた。


「おい水梳くん、大丈夫か?」

「えっ、あ、はい」


 肩を揺さぶったのは、会社の上司だった。彼は片手に鞄を持ち、コートを羽織っている。今まさに、帰るところのようだ。


 他の社員も帰っている。残っているのは自分だけだった。いつも通りの光景だ。みんな透に仕事を振って、定時で帰宅する。仕事を振られた透だけが、いつも定時で上がれない。


「居眠りとは余裕があるね」

「す、すみません……」

「徹夜続きで大変なのはわかる。でも、これは君以外の誰にも出来ない案件なんだ」

「……」


「ああ、そうそう。忙しいところ悪いけど、つい今し方急ぎの案件が発生したんだ。明後日までによろしくね」

「あ、あの、さすがに明後日はちょっと――」

「ちょっと……なに?」

「い、いえ」

「出来るよね?」

「……はい」

「じゃあやって」

「……頑張ります」


 デスクに積まれた新たな仕様書を見て、透はがくっと肩を落とした。無理だと思う反面、頭の中ではすでに『寝なきゃ間に合うな』と計算が終わっていた。


 仕事の比重に不満はある。でも、仕事が与えられた以上は、きちんとこなさなくてはいけない。時間がなくても、力が足りなくても、途中で投げ出してはいけない。

 手助けを求めてもいけない。なぜなら――寝なければ間に合う――絶対に出来ないわけじゃないから。


 そういう自分でいなければ――、


『期待しているよ』


 彼らの期待が、一瞬にして裏返る。

 それがなにより、恐ろしかった。

 透は再びデスクに向かった。


 ――逃げるな。


 自分を叱咤する。大丈夫。間に合う。これはいつものことじゃないか、と。自分を励ましながら、キーボードをタップしていた、その時だった。


「逃げてもいいのだ!」


 どこかで聞いた声。この世界にはない、懐かしい声が聞こえた。

 思い出そうとしても、なかなかその声の持ち主の顔が浮かばない。


「無理だよ。仕事があるから逃げられない」

「いいや、逃げてもいいのだ!」

「いやいや、僕が逃げたらこの仕事はどうするの? 出来なかったら、迷惑がかかる」

「迷惑をかければ良いではないか!」

「いやいや。それはさすがに、義務の放棄でしょ……」

「そんな義務はないのだ」

「はっ……?」


 けろりとした声に、透は思わずぽかんと口を開けた。


「冒険者は、人間は、自由ではないか!」

「……」

「辛いなら、苦しいなら、逃げていいのだ!」

「――ッ」

「さあトール。そんな仕事ほっぽり出して、私と冒険に行こう!」


 はつらつとした声とともに、モニターの前に半透明のウインドウが浮かび上がった。


>>...時空法術......解除完了

>>......スキルボード.........再起動!


 突如現れた半透明の手が、透の手を引いた。

 懐かしい感触、懐かしいぬくもり。

 その手が誰のものか、気づいた次の瞬間だった。

 この世界に、白い光が溢れた。



          ○



 抱きしめていたトールの瞳が、突然パチリと開いた。そしてすぐに、苦悶の表情に変わった。


「ととと、トール!? 生き返ったのか!?」

「え、すて、る……ぐるじい!」

「あっ、すす、済まない。強く抱きしめすぎ――」


 トールの顔がとても近い。まるで恋人同士が口づけをするような距離だ。

 カッと顔が熱くなり、エステルは慌てて距離を取る。それはこれまでの人生で最速のバックステップだった。


「いやいや、違うのだ! これには深い訳があってだな! べべ、別に深い意味があって抱いていたわけではないのだ!」

「う、うん。……ねえエステル、助けてくれてありがとう」


「なな、なんの話だ!?」

「なんとなく、エステルに助けられた気がして」

「そ、そうか」


「それと、さっきはごめん。なんか、めちゃくちゃなことをして」

「いや、それはもういいのだ。きちんと自分の気持ちを伝えなかった私も悪かったと思うし……というか、そんなことはどうでもいいのだ! トールはどうして死んでしまっていたのだ!?」

「いや、死んではない……はず。なんか、ルカが現れて法術を――って、そうだ。ルカだ!」


 トールが素早く立ち上がり、魔剣を握りしめた。


「ルカ殿がどうかしたのか?」

「うん。エステル、住民の避難誘導をお願いしていい?」


 緊迫した声に、ようやっとエステルも周囲への警戒を行った。次の瞬間、エステルの体中が粟だった。


「なん、なのだ、この気配は……!?」


 これほどの気配がすぐそばにあるというのに、今の今まで気づかなかった。それほどエステルにとってトールの死が衝撃的だったということだが、あまりに危機意識が低すぎる。


 こんな威圧感のある気配のすぐ傍で無防備を晒すなど、自殺行為である。エステルは慌てて戦闘態勢を取った。


「なにか、すごい相手がいるみたい。ひとまず住民の避難誘導をしよう」

「わ、わかったのだ!」

「あっ、エステル」

「なんだ!?」

「危なくなったら逃げよう――一緒に」

「…………ああっ!」


 エステルは力強く頷くと、住民を救うために即座に動き出すのだった。

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