第102話 リリィの過去2

『……』

『私はフィンリスギルドに所属する冒険者のミナです。お一人、ですか?』

『……ええー』

『お仲間は?』


 ここは、冒険者以外ではまず立ち入らない危険な場所だ。

 そんなところに来ているのだから、彼は冒険者であり、仲間もいるだろう。そうしたミナの考えに、間違いはない。


『…………』

『そう、ですか』


 首を振った男に、ミナの表情が暗く沈んだ。


『私たちと一緒に行きませんか?』

『おいミナ』

『また勝手なことを……』

『じゃあどうするの? この人、一人じゃ帰れないでしょ?』

『まあ、たしかにそうだが……』


 トゥコが顔に不満を浮かべる。しかし、口から反論が出てこない。

 お節介焼きモードになったミナを止めるのは無理だと諦めているのだ。


 困った人を助ける。

 それが猫の手の存在理由なのだから、彼女の行動はごく自然な成り行きだった。


『一緒に、いきませんか?』


 ミナが差し出した手を、男が握った。

 その瞬間だった。男の雰囲気ががらりと変わった。

 ザワッ、とリリィの全身に鳥肌が立つ。


(なに、この感じ……!)


 その変化に気づいたのは、リリィだけではなかった。

 猫の手のメンバー全員が、一斉に戦闘態勢を取った。トゥコがミナを引き寄せ、男から距離を取る。


 男の前に立ったリィグが、低い声で尋ねた。


『お前、何者なんだ? こんな場所に一人でいる、本当の理由を話せ』

『それ、知る必要ありますー?』


 ――これから死ぬ人間に。


 男の言葉が、おぞましく響いた。


 トゥコとリィグが即座に抜剣した。これでも様々な修羅場を切り抜けたBランク冒険者だ。並の相手なら、決して遅れは取らない。


 だが、相手は『並』ではなかった。

 気づくと、相手の姿を見失っていた。


『――ッ!?』

『どこへ行った!』


 こちらが戦闘態勢に入る前に、相手が気配を消すスキルか、魔術を使用したのだ。

 恐るべき早業。

 その手慣れた手腕に、リリィは警戒レベルを最大まで高めた。

 即座に詠唱。ハイドを打ち消す《見通す目ディテクト》を発動する。

 しかし、一歩遅かった。


『どこを見ているんですかー?』

『――カハッ!!』

『トゥコ!?』

『キャァア!!』


 背後に回り込んでいた男が、手にしたナイフでリィグの胸を貫いた。


『あれれー、あんまり強くないんですかねー? ここに来るくらいだから、てっきりAランクくらいの実力があるかと思ってたんですけどー。剣士のあなたはどうですかー?』

『ぐっ! こいつ、強いぞ!!』

『リリィさん!』

『んっ!』

『させませんよー』

『くっ!』


 短剣の攻撃を辛くも躱し、リリィはバックステップ。距離を取って杖を構える。


『おやおやー。どうやらこの中で一番強いのはー、エルフのあなたみたいですねー。丁度良かったですー。この体、あんまり強くないんですよねー』


 男はヒュンと血振るいをし、短剣を前に掲げた。


『その体、魅力的ですねー。なんとしてでも奪いたいですー』


 今は戦っている場合じゃないのに。リリィの気持ちが逸る。

 リィグの傷口を、ミナが回復法術で治癒している。だが、出血が止まらない。このままではリィグは死んでしまうだろう。


 目の前ではトゥコが必死に男の前進を食い止めている。

 男はせいぜい、DからCランク程度の身体能力しかなさそうに見える。しかし、その長剣は決して男に届かない。


 身体能力に比べて、スキルが異様に高いのだ。長い歳月のほとんどを鍛錬に費やし、実戦を行わなかったかつてのエルフリリィと同じだ。


『リィグ! お願い目を覚まして、ねえ、リィグ!!』


 リィグの体から今も血が流れている。だから心臓も動いているはずだ。だが、傷口が塞がらない。


 ――リィグの体にはもう、魂が残っていないのだ。


 奥歯がギリっと音を立てた。

 リリィは杖にマナを込め、素早く魔術をくみ上げる。

 心優しきパーティリーダーを殺した人間に、一切の手加減なしで叩き込む。


『ホーリーレイ』

『あららーそれは悪手ですよー』


 杖の先端から放たれた白い光が、一瞬にして男の頭部を蒸発させた。

 頭を失った男が、ゆっくりと地面に倒れ込んだ。


 リリィは国一番の冒険者(Bランク)に至った魔術士だ。

 実力だけならば、Aランクに匹敵する。その力がひとたび人間に向かえば影すら残らない。


『……』


 リリィは唇を噛みながら、黒マントを見下ろした。

 感情任せに殺してしまったが、この人間を殺したからといって、リィグが生き返るわけではない。


(無駄な殺生だった……)


 自分達の身を守るだけなら、殺す必要はない。手足を奪うだけで良い。少し前のリリィなら、そうしていたはずだ。

 たとえ近くにいる人間が何人殺されようと、心動かされることはなかっただろう。


(……リィグ)


 なのに何故、自分の心はこんなにもざわめくのか?

 どうして胸が苦しいのか?

 何故、涙が溢れて止まらないのか……。


 初めての感覚が一斉に押し寄せて、リリィは戸惑った。しかし状況は、心境が落ち着くのを待ってはくれない。


 今はBランクの魔物が跋扈する危険地帯にいる。盾士のリィグを失った以上、迅速に安全地帯まで待避するべきだ。

 リリィは袖で涙を拭い、振り返った。


『トゥコ、ミナ。一旦街まで戻――』


 戻ろう。そう伝えようとしたリリィは、二人の姿を見て言葉を失った。


 胸から大量の血を流すトゥコ。

 その胸に、ミナが深々と短剣を突き立てていた。

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