第60話 執事との会談

 Dランクに昇級した翌日、透らはフィンリスの中心部にある貴族街へとやってきた。

 向かう先はフィンリスのど真ん中にある、フィンリス侯爵邸である。


 貴族街に入った時から見えてはいたが、近づくと侯爵邸の巨大さがよくわかる。

 一見お城のように見えるが、この邸宅には見張り台や矢狭間などがない。

 ヨーロッパの城のように、防衛戦を想定していないのだ。


 侯爵邸の入口には、衛兵の姿があった。

 その者に、ギルドで貰った招待状を渡す。


「確認いたしますので、少々お待ちください」


 門番は平民の透に対しても、対応が丁寧だった。

 いかな客人にも礼儀を示すよう、教育が行き届いているのだ。


 それだけで、このフィンリス侯爵がどのような人物かが伺える。


 しばし門前で待機していると、屋敷の中から門番ともう一人、上等な服に身を包んだ壮年の男性が現われた。


 その男性が透たちに歩み寄り、軽く腰を曲げた。


「大変お待たせ致しました。私は筆頭執事を務めておりますトマスと申します。トール殿とエステル殿でお間違いありませんでしょうか」

「はい」

「あ、ああ」

「それでは、こちらへどうぞ」


 筆頭執事であるトマスに、透らは邸宅の一室へと通された。

 透は本物の貴族邸を訪れるのは初めての経験だが、日本で大正や明治時代の洋館を見学したことがあるため、気後れはしなかった。


(領主様って、どんな人なんだろう? やっぱり威厳のある人なのかなあ)


 透には、この特別な状況を楽しむ余裕すらあった。


「はわわわ……」


 逆に、エステルはがちがちに緊張してしまっている。

 いつもはゆったり横揺れしているポニーテールも、まるで寒波に曝されたかのようにカチカチに固まっていた。


 案内された部屋は10畳ほどの応接間だった。

 透とエステル、そしてトマスがソファに腰を下ろす。


「先に、フィンリスの防衛に多大に尽力されましたことを、領主ガイオス・フィンリス様に変わり御礼申し上げます」

「ご丁寧にどうも」

「どど、どうも」


「トール殿とエステル殿は、新進気鋭の冒険者と伺っております。遥か格上であるワーウルフを討伐する程の腕前をお持ちのお二方がいらっしゃれば、フィンリスの防衛に一切の不安はないでしょう――」


 トマスの言葉を聞きながら、透は胸に冷たい汗を掻いていた。

 彼の弁は、所謂褒め殺しではない。


『次なにかあっても、勿論フィンリスを守ってくれるんだよねー? それだけ強い力を持ってるんだもん、防衛失敗なんてしないよねー?』という、半分脅しに近い言葉である。


 透がかつて務めていた会社でも、この手の言葉はよく聞かれた。


『水梳君は実力があるから大丈夫だよ!(問題あったらどうなるかわかってるよな?)』


 その度に透は、決してミスが発生しないよう神経をすり潰し、徹夜を繰り返して確認作業を……ああ、胃が痛くなってきた。

 透は昔の記憶を強制シャットアウトする。


「――さて、つきましてはトール殿、エステル殿に、領主ガイオス様より褒美を下賜させて頂きます。褒美の内容につきましてはガイオス様より、お二方の希望を叶えるよう強く申しつけられております。わたくしめに、なんなりとお申し付けください」

「……ええと、一つよろしいですか?」

「どうぞ」


 透は居住まいを正してから、失礼に聞こえないよう注意して口を開いた。


「領主様との面会は?」

「ああ、失礼いたしました。トール殿、エステル殿は、ガイオス様との面会は出来ません」

「えっ……」

「貴族の世界では、同格の相手との面会が基本となります。たとえば当主は当主と、執事は執事との面会となります。それは客人も同様です。今回ですと、トール殿方はDランクの冒険者ですので、筆頭執事のわたくしが担当となりました」


 トマスのその言葉で、透はアロンが言っていた『Eランクのまま領主邸に行ったら、彼らが恥を掻いちゃう』という、言葉の意味がようやく理解出来た。


 トマスが歓待してくれているのは、透がDランクの冒険者だったからだ。

 これがもしEランクのままだった場合どうなるか……。

 それこそ、アロンが言っていたように『恥を掻く』ことになった可能性がある。


「実はガイオス様はこのような儀礼は不要との立場でして、わたくしどもがお止めするのが大変だったのです」

「……なるほど。わかりました」


 内緒の話をするように僅かに声を潜めたトマスを、透は『すごい人だな』と思った。


 平民にとって、貴族の面会対応は理解不能な規則だ。

 そんなこと関係なく普通に会えば良いのに。そう、平民なら誰しも考える。


 領主ガイオスが面会しないことで、透たちが不満を抱いてしまう畏れがある。

 そこでトマスは、『実際はガイオスは会いたがってたけど、自分が止めたんだよ。悪いのは自分だよ』と、主を立てつつ自分を悪役に仕立てているのだ。


 領主に会えないと知って正直、透はがっかりした。

 だが彼の対応の素晴らしさが、落胆をあっさり打ち消した。


 領主への忠義に篤い。

 まさに、筆頭の名にふさわしい人物だ。


「ガイオス様にお会い出来ないことで、不安があるかと思います。そこはどうか、わたくしめを信用して頂ければと存じます」

「わかりました」

「では、なにか欲しいものはございますか? 遠慮は不要でございます」

「じゃあ遠慮無く」


 透はちらり、エステルを見た。

 エステルはいまだにがちがちに固まっていて、頭が働いていないように見える。


(うーん。どうせ二人が欲しがってたものだし、言うだけ言ってみるか)


 そう考え、透は思い切って口を開いた。


「一軒家が欲しいです」


 それは以前より、冒険者の拠点として透とエステル二人が目標に掲げていたものだった。


 Eランクでは不安だった維持費は、Dランクに上がったことでまかなえる算段が付いた。

 あとは冒険者の拠点として相応しい、一軒家を手に入れるだけである。


「一軒家、でございますか」

「はい。そこを今後の拠点にしたいので、出来れば剣術の訓練が出来る中庭付きの一軒家が良いです」

「トール……」


 透の言葉に、やっとエステルの思考が再起動したようだ。

 それは良いなと言うように、ふんふん頷いている。


「他にはなにかございますか?」

「いいえ。なにも」

「トール殿、エステル殿は冒険者です。性能の良い武器はいかがですか?」

「それは、特に欲しいとは思いません」

「では報奨金は?」

「いいえ」


 性能の良い武器ならば既に間に合っている。

 また報奨金ならば、ギルドからワーウルフの素材売却という形で、かなりの額を貰っている。

 透はいずれも、欲しいとは思わなかった。


「ふむ。エステル殿はいかがですか?」

「私も一軒家が良いのだ。トールと私、合せて一つの願いとして聞き届けて頂けないだろうか?」

「……わかりました。では、トール殿、エステル殿の希望をガイオス様にお伝えいたします。この希望が必ず聞き届けられる保証はございません。ガイオス様の判断により変更がかかる場合がありますので、ご了承ください」


 そうして透の、領主ではなく執事との面会がつつがなく終了した。


          ○


「ガイオス様に会えなくて残念だったな」

「うん。でも、トマスさんは良い人そうだったね」


 面会終了後。透たちは邸宅から出て門に向かって歩いていた。


「私たちの願いは聞き届けてくれるだろうか」

「そればっかりは、運かなあ。やっぱり、欲しいって言ってあっさり貰えるほど、一軒家は安くな――んっ?」


 ふと、透の<察知>が覚えのある気配を捉えた。

 その気配がなんだったか?

 答えを思いつく前に、透は【魔剣】を顕現させていた。

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