第61話 陰謀、暗殺
「と、トール!?」
即座に弓へと形態変化。
考える間もなく、透の体は弦を素早く引き絞り、放った。
――ガッ!!
透が放った黒い矢が、侯爵邸の石壁をものともせず貫いた。
「い、一体なにをしているのだトール! ここは侯爵邸なのだぞ!!」
「エステル、行こう」
その気配の正体に気づいた透は、低い声でエステルを促した。
「い、行こうって、どこへ……」
「敵が居る場所まで」
○
冒険者たちとの面会後。トマスは執務室に向かって歩いていた。
先ほど会った冒険者は、褒美にとんでもないものを口にした。
「よりにもよって、一軒家とは……」
現在のフィンリスは、魔物の襲撃と火災の直後ということもあって、空き家が不足している。
そのため商人たちは家の値段をつり上げた。
以前ならば(最低ランクの家なら)金貨10枚あれば購入出来た。
その程度の褒賞ならば、出せないこともない。
しかし、現在の最低価格は金貨40枚ほどまで跳ね上がっている。
商人とは、なんとがめつい生き物か!
おまけに現在、フィンリスは色々と金が入り用だ。
遺族への見舞金や、家を失った者への一時金、税金免除や公共道の修繕などなど、金庫からお金が出ていくばかりである。
そんな中での金貨40枚もの支出は、筆頭執事として出来れば避けたかった。
そして――これがもっとも重要だ。
トマスが事前に内偵した情報によれば、トールは劣等人だった。
ギルドの情報を疑うつもりは毛頭ないが、トマスには劣等人ごときがワーウルフを倒せるとは心底考えられなかった。
きっと騒乱のどさくさに紛れて、運良くワーウルフの亡骸を手に入れたのだろうと、トマスは考えている。
火事場泥棒のような手合いに、過分な褒美を渡すわけにはいかない。
「ガイオス様に進言しても、きっと聞いてくださらないでしょうからねぇ」
ガイオスは民に甘い。
特に成果を出した民には、めっぽう甘くなる。
たとえ相手が劣等人であろうとも、だ。
そこが良いところでもあり、悪いところでもある。
主として最良の人物ではあるが、財政を預かるものとしては頭痛の種である。
「……仕方ない。こちらで少々、意見を丸めますか」
彼らは一軒家が欲しいと言ったが、劣等人には過ぎた褒美だ。
ここは一つ、希望に添えなかったという筋書きにして収めよう。
(さて、では彼らにはどんな代わりを用意すべきか……?)
トマスが執務室に入った時だった。
丁度、トマスが使用している執務机の上に、一人の女性が座っていた。
女性は白い衣服を身に纏い、腰から小ぶりの短剣を下げていた。
顔は初めて見るが、トマスはその女性の名を知っていた。
「――反逆者ルカ!?」
「あらー。バレバレでしたかー」
今回のフィンリス襲撃の詳細が、冒険者ギルドのトップと領主、その他ごくごく一部には伝えられていた。
冒険者ルカが魔物を使役し、フィンリスに解き放った。
現在彼女は逃亡中……と。
彼女の実力について、トマスは重々理解している。
ルカは冒険者Cランクであり、〝血塗れ〟という二つ名を戴いている。
そんなルカと密室に二人きり。この意味するところも……。
トマスは自らの背中に冷たい汗が流れるのを意識しながら、努めて冷静に振る舞った。
「……一体、どうやってここに入ったんですか?」
「侵入方法なら、いくらでもありますよー。たとえばー、内部の職員に手引きしてもらったとかー」
「――ッ!?」
(そんな馬鹿な。侯爵邸で働く者の中に、ルカと通じた者がいるだとっ!?)
侯爵邸で働く職員は、定期的に内偵が行われる。
それはトマスも例外ではない。
その内偵をくぐり抜けてルカと通じた者がいるとは、トマスには考えられなかった。
「あはー。混乱してますねー。びっくりしましたかー? 職員に手引きしてもらったっていうのは、嘘ですよ嘘-。わたしが入り込んだ手管を、素直に教えるはずないじゃないですかー」
トマスを馬鹿にするように、ルカが机の上で足をばたばたさせた。
彼女を捕らえたら、机は新調しよう。怒りに震えるトマスは、そう心に誓った。
「……ふぅ。ここがどこだか判らない阿呆ではあるまい。侯爵邸には常時、精鋭兵が警備している。もう逃げられないぞ」
「さてー、それはどうでしょうねー」
ルカは相変わらず気が抜けた様子のまま、短剣に手を添えた。
次の瞬間、トマスは扉に走った。
扉さえ開けば。大声さえ出せば。
誰かがこの場にやってくる。
それで、ルカは終わりだ!
扉まで1メートル。
たった1メートルだった。
なのに、
「では、さようならー」
トマスは、ドアノブが掴めなかった。
恐るべき速度で接近したルカに肩を掴まれ、無理矢理仰け反らされる。
――刺される!
背中の激痛を予感したトマスだったが、次の瞬間。
「うぐっ!」
くぐもったルカの声とともに、トマスは肩を解放された。
(一体、なんだ、どうしたんだ!?)
本来ならば、トマスはすぐにでも警備兵を呼ぶべきだった。
しかし彼はそのとき、ルカの異変に強く興味が惹かれた。
あと少しでトマスを刺し殺せた。
そのチャンスを、彼女は何故逃したのか?
振り返ったトマスは、ルカの肩に刺さる漆黒の矢が目に入った。
先ほどまで、そのようなものは付いていなかった。
現在の状況的に、トマスが襲われたタイミングで矢が彼女に刺さった、と考えるのが妥当だ。
だが、その矢はどこから放たれたものか?
――ここは密室だ。ガラスが割れてないことから、部屋の中から放たれたように思えた。
また、その矢は誰が放ったものか?
――弓矢を使う衛兵は、屋敷内にはいなかった。
何れの問いも、トマスにはわからなかった。
「あはっ。この距離で私の殺気に感づきましたかー。いやー、野生動物以上の感覚ですねー。失敗失敗ー」
「……?」
ルカは自らに刺さった矢を抜き、肩を押さえて薄ら笑いを浮かべた。
彼女が口にした言葉の意味がわからず、トマスは首を傾げた。
「さてさてー。邪魔が入ったので、今日はこの辺でお暇しますねー」
「なっ、ちょ、ちょっと待て! 貴様は――」
「見逃してあげるって言ってるんですよ?」
「――ッ!!」
突如ルカが笑みを消してトマスを見た。
その瞳にはなんの感情も浮かんでいない。
あたかも人を呑み込む底の無い闇をのぞき込んだかのように錯覚し、トマスは背筋を震わせた。
腰が砕けて落ちてしまいそうになったが、トマスは筆頭執事の矜持だけで持ちこたえる。
「それじゃーまたー。もう二度と会うことはないでしょうけどねー」
再び薄ら笑いを顔に貼付けて、ルカが執務室の窓からひらりと飛び出した。
執務室の窓は中庭に繋がっている。そこから逃げても袋の鼠だ。
窓から顔を出しルカの背中を探したトマスだったが、しかし彼女はまるで幻だったかのように忽然と姿を消したのだった。
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