第45話 悪魔の石けん

(――もしかしてこれ、石けんなんじゃ!?)


 透はゴブリンを焼いた。

 ゴブリンを焼く時、透は丸太を用いて火を大きくした。


 石けんを作るのに最低限必要なものは、木の灰と動物性脂肪。

 ――必要なものは、揃っている。


 しかし、しかしだ……。

 透の中に小指の先ほどはある良心が警鐘を鳴らす。


『それ、本当に綺麗になるのか?』


 逆にゴブリン臭をまき散らす悪魔の石けんであれば、害以外のなにものでもない。なにも見なかったことにして、すぐさま埋めてしまうべきである。


「ねえ、エステル。フィンリスには石けんって売ってる?」

「石けん……。ああ、貴族向けの商品にそのようなものがあったな」

「へえ……。高級なの?」

「1つ銀貨5枚からだった気がするぞ」

「……」


 銀貨5枚――ただの石けんが、5万円……。

 ……確認せずに埋めるのはもったいない!


 日本人特有のもったいない精神を発揮した透は、素早く穴の下に降り立った。

 木で突き、臭いを嗅ぐ。


「……んー、香り付けしてない石けんっぽい匂いだな」


 香りはやや酸化した油っぽい。

 日本で使っていたものと比べると質は悪い。

 だが、原材料はゴブリンだ。

 ゴブリン臭くないだけで十分である。


「あとは、どれだけ汚れを落とすかかなあ」


 透は魔剣で石けんを切り分け、<異空庫>に放り込んだ。

 その後、穴を埋めて一段落ついた透は、エステルをマジマジと眺めた。


 彼女は戦闘後ということもあってしっとり汗を掻いているが、あまり返り血に濡れていない。

 対して透は、返り血でびちょびちょだ。前回と同様に、血液以外のなんだかよくわからないし、考えたくもない物質まで付いている。


「……ねえ、エステルはどうしてそんなに綺麗なの?」

「なっ!? ばっ、馬鹿、トール。いきなりなんてことを言うのだ!!」


 透の言葉に、エステルのポニーテールがピョコンと真上に飛び上がった。

 彼女は頬を赤らめ、右に左に視線を彷徨わせる。


「ゴブリンの返り血を全く浴びてないからさ。どういう仕掛けなのかなぁって」

「……えっ? あー、なんだ、そんなことか……はぁ」


 エステルががっくり肩を落とし、大きなため息を吐いた。


「魔物の返り血を浴びないのは、斬り方や立ち位置を考えているからだぞ。むしろ、私からはトールほどの剣の使い手が、何故そこまで血塗れになっているのか不思議なくらいだ」


 エステルがそのような疑問を抱くのも無理はない。

 透はイチから実力を伸ばしてきたわけではなく、てっとり早くスキルボードで技術を底上げした。


 その影響が、こうして『本来備わるはずの知恵がすっぽ抜けている』状態に繋がっていた。


「てっきり、魔物を沢山倒したらその分だけ血に濡れるのだとばかり思ってたけど、違うんだね」

「返り血を浴びれば手が滑るし、目に入れば視界が潰れる。戦場ではあまり血に濡れないが良いのだぞ。ただ……」


 エステルは一度言葉を切って、難しい表情を浮かべた。


「あえて血に塗れる上級冒険者が、フィンリスに一人いてな。その冒険者の得物はメイスだ。トールとはそもそも戦い方が違うから、血に濡れるところだけ真似をしなくても良いぞ」


 メイスは棍棒のような打撃系武器の名称だ。

 たしかに打撃系武器ならば、返り血を回避するのは難しい。

 力が強ければ強いほど、直撃した部位が〝爆ぜる〟ためだ。


「その辺りも含めて、今後の課題だなあ」


 さすがに魔物と戦うたびに血濡れになっていては、衣服がいくらあっても足りない。

 また透は決して不衛生な状態が我慢出来るタイプではない。日本で暮らしていた頃から、社会人として一定の清潔さを意識していた。


 透は魔物との戦いで返り血を浴びるのは仕方ない、と考えていたが、そうでないのなら出来れば浴びたくはなかった。

 これからは戦闘時の立ち回りについて、少しずつ考えていこうと心に誓った。


          ○


 ギルド併設のバーで冒険者の男がエールを飲んでいると、ギルドの入口から冒険者二人組が現われた。

 片方はすこぶる美人であり、それに若い。男ならば誰しもお近づきになりたいと思うほどの女性だった。


 対してもう一人は少年だった。


「――ぶっ!」


 その少年を見た途端に、男はエールを盛大に拭いた。

 少年はなんと、大量の返り血に塗れてトマトのようになっているではないか。


 その異様な姿に、バーで飲んでいた他の冒険者たちも気がついた。

 ざわざわ、と冒険者たちの動揺が広がっていく。


「あのガキ、この前の――」

「ああ、たしか調子に乗った――」

「――の劣等人だったよな確か」


 なんだ、劣等人か……。

 聞こえてきた冒険者たちの言葉に、男は歪な笑いを浮かべた。


 男はてっきり、〝血濡れの〟冒険者を思い出して、あの少年もとんでもない化物だと想像したのだ。

 しかし劣等人ならば、怖れることはない。


 劣等人は、大した戦闘力のない人種である。

 冒険者として活動しているのなら、その隣にいる女性の支えがあってこそだろう。

 エールのジョッキを置いて、男はすくっと立ち上がった。


 劣等人なぞよりも、自分のほうがあの美女に相応しい男である。

 あの美女は、何故少年とともにいるのか不明だが、きっと適当につるんでいるだけだろう。

 ならば、思い知らせてやれば良い。


 強い冒険者と共にチームを組むことが、どれほど素晴らしいのかを……。


「おい、そこのガキ」


 男はトマトのような少年に声をかけた。

 だが少年はちらりともこちらを見ない。完全無視だ。


 その態度に、男の頭に血が上る。

 いくら低級だといえ、男はEランク――いっぱしの冒険者である。

 劣等人なんぞに無視されるほど落ちぶれてはいない。


(やはり、力尽くで立場ってもんを判らせてやらなきゃダメらしいな!)


 男は奥歯を噛みしめ、少年の背後から全力で拳を振り抜いた。

 次の瞬間、


「――へっ?」


 ビターン、と男は背中から床に叩きつけられていた。

 じんわりと、背中に痛みが広がっていく。


 まさか劣等人ごときに、自分の襲撃が躱されたのだとは、ちっとも考えられない。

 では、一体……。


 自分の身に何が起こったのか、男にはさっぱりわからなかった。

 しばし呆然としていた男の耳に、


「ギルド内でなにやってんだ」


 肝を縮こまらせるほどの、低い声が届いた。

 冒険者ギルド所属訓練官、元Cランク冒険者グラーフの声だ。


 その声が聞こえると同時に、男は素早く立ち上がる。

 多少背中が痛いだけで、幸い男は大きな怪我を負っていなかった。


 立ち上がった男を、グラーフが睨み付けた。


「……テメェが下手人だな」

「えっ? いや、俺はなにも――」

「ギルド内で他の冒険者に襲いかかっておいて、言い訳か? ふんっ、いっぺんその性根を叩き潰してやらなきゃならんみてぇだな」

「いや、えっ、ちょ、まって――」

「うるせぇ! 黙って付いてこい!!」


 鬼のような形相を浮かべたグラーフに、男は訳がわからないまま抵抗も出来ず、ただ引きずられていくのだった。

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