第10話 フィンリスという名の街へ

 フィンリスに到着したのは、日が落ちる少し前だった。

 ギリギリのタイミングで滑り込むように入口に向かう。


「よおエステル。今日は帰ってこないと思ってたぞ」


 門に立っていた衛兵らしき男性が、軽い調子でエステルに話しかけた。


「はぁ……はぁ……私も、間に合わないかと、諦めそうになったのだ」


「ずいぶん走ってきたんだな……って、なんだよその坊主は。ひでぇ見た目だな。どうしたんだ?」

「ゴブリンにな」

「殺されそうだったのか」

「私がな」

「えっ、ん? エステルがか!?」


 エステルの言葉に、衛兵が目を丸くした。彼はエステルが、ゴブリンごときに負けるとは思ってもみなかったようだ。


(エステルって、それだけ強い冒険者なんだなあ)


 今回ゴブリンに後れを取ったのは、相手が大群だったからだ。

 量は質を圧倒する。それは地球であろうとエアルガルドであろうと同じなのだ。


「一体、何があったんだ?」

「ちょっと、な。まずは中に入れて貰えるだろうか。さすがにクタクタなのだ」

「ああ、気づかず悪かった。じゃあギルドカードを出してくれ」


 エステルは鉄製の胸当ての横から手を入れ、中から名刺サイズの銀色のカードを取り出した。


「確認した。そっちのは?」

「そうだ。トールはギルドに所属してないのだったな。トール、なにか身元を証明するものはあるか?」

「名前もない村から着の身着のまま出て来たから、証明するものはなにも」

「身元の証明書がなかったら、通行料大銅貨1枚だ」


 そう言って、衛兵が手を差し出した。

 そのジェスチャが大銅貨1枚を支払えという意味なのはわかる。

 だが現在、トールは素寒貧だ。


(通行料が払えなければ野宿か? こんな酷いなりで?)


 嫌な想像に冷たい汗が浮かぶ。そんなトールの内心を知ってか知らずか、エステルは流れるような手つきで大銅貨を一枚衛兵の手に落とした。


「大銅貨一枚、丁度だな。よし、通って良いぞ」


 衛兵が銅貨を握りしめ、道を空ける。

 足早に門の中に入るエステルを見て、透は慌てて後を追った。


「おお……」


 フィンリスの街並みを見た透は、思わず感嘆の声を上げた。


 門に入ってすぐ、二階建ての木造住宅がびっしりと奥まで連なっていた。

 法律に規定があるのか、外壁は白く塗られ、屋根の色はすべて茜色だ。


 道には石が綺麗に敷かれている。その道の脇には、雨水が流れるための側溝が設けられていた。


(文化レベル、結構高いなあ……)


 中世ヨーロッパを想像していた透は、フィンリスの技術水準の高さに目を丸くした。


 メイン通りには活気が溢れていた。

 通り沿いに屋台が並び、店主が声を上げて客引きをしている。

 カラフルな野菜や、大皿に盛り付けられた調理済みの料理などが並んだ屋台の前に、フィンリス民がごった返している。


 どこかから、肉の脂が焦げる良い匂いが漂ってきた。


(このまま見て回りたい! 食べ歩きしたい!!)


 一体どんなものが並んでいるのか、どんな食べ物があるのか、透は気になった。

 だがいま自由に動いては、エステルに迷惑がかかる。


 透はウズウズする好奇心をぐっと抑え込んだ。


「エステル。入門のお金だけど、あとでちゃんと返すね」

「気にするな。大銅貨一枚くらい、なんてことはないぞ」

「そう、なの?」


 透は首を傾げる。


「あー、そういえばトールは田舎の出身だと言ってたな。お金を見たことはあるか?」

「えーと……」


 透はまだこの世界のお金を見たことがない。だがそれを口にしたら、透がこの世界の住人ではないことがバレてしまうのではないか。

 透は慎重に口を開いた。


「それが、その……、まだお金は見たことがないんだ」

「まあ小さい村で暮らしていればお金を使うことはまずないからな。見たことがなくてもおかしくはないのだ」

「……そ、そっか。そうだね」


 よかった。妙だと思われなかった。

 透は胸をなで下ろす。


「ねえエステル。冒険者ギルドってどこにあるの?」

「もう少し先だぞ」

「じゃあ歩く間に、お金について少し教えてもらえるかな」

「了解した」


 エステルは頷き、胸当ての隙間から巾着袋を取り出した。

 彼女は中から三種類の硬貨を取り出し、手の平に載せた。


「お金の単位はガルドだ。銅貨が1ガルド、大銅貨が10ガルド、銀貨が100ガルド。この上に1万ガルドの金貨と、100万ガルドの白金貨があるが、上級冒険者や商人、貴族でもない限り使うことはないぞ。他には賤貨もあるが、こちらは主に子どものお駄賃用で、大した価値はない」


「なるほど。銅貨1枚でなにが買えるの?」

「1ガルドだと、丁度そこの肉串が一本買えるぞ」


 エステルの視線の先に、肉を焼く屋台があった。その屋台の看板には、透は見たことのない字で『肉串1本銅貨1枚』と書かれていた。


(おっ、<言語>スキルは会話だけじゃなくて、文字も読めるようになるんだな)


<言語>スキルのありがたみをひしひしと感じる。

 肉串の見た目は焼き鳥に近い。透ならば3口で食べきれるサイズである。


(となると、1ガルドは大体100円くらいかな)


 銅貨は100円、大銅貨は1000円。銀貨は1万円と、透はエアルガルドの貨幣価値を理解した。


 平民が1ヶ月の生活に必要なお金が銀貨5枚から。

 武器は最低でも銀貨10枚から。

 衣服は古着が銅貨3枚からで、新品なら銀貨1枚から。


 エステルからこの世界の物価を聞きながら歩いていると、透がふと見上げた先に大きな建物を発見した。


 木造の建物の屋根から、石造りの三角屋根がぴょんと顔を覗かせている。


「ねえエステル、あの建物はなに?」

「あれはフォルセルス教の教会だな」

「へえ……」


(この世界にも宗教があるのか。……もしかしてあの自称神は、フォルセルスっていう名前だったのかな?)


 透は屋根をまじまじと眺めた。

 あの神に繋がる手がかりはないかと眺めるも、それらしい共通点は見つからなかった。


「トールはフォルセルス教の信者なのか?」

「いや、違うよ」


 たぶん、と心の中で付け加える。

 リッドの記憶に尋ねても反応がないので、リッドは信者ではなかったようだ。


「じゃあ、他の神か?」

「他?」

「ふふ、エアルガルドに6柱いる神の加護と威光も、トールの村までは届いていないようだな」


 透の反応に、エステルが楽しそうに鼻を鳴らした。

 しばらくすると、メイン通りに周りよりも少し大きな建物を発見した。


「着いたぞトール。ここがフィンリスの冒険者ギルドだ」

「結構、大きいんだね」


 フィンリスの冒険者ギルドは、コンサートホールほどの大きさがあった。

 一階部分は石造りで、二階部分が木造と、他の建物よりも豪華な造りだ。


「フィンリスはこの地域では一番大きな街なのだ。必然、冒険者も依頼の数も多い。すべてを処理するには、これくらいの建物が必要なのだ」


 話ながら、エステルは冒険者ギルドに入って行く。

 機嫌良さそうに揺れるエステルのポニーテールを眺めながら、透も冒険者ギルドに踏み入った。


「おおー」


 冒険者ギルド一階は、ホテルのフロントのようだった。受付カウンターがあり、依頼が張り出されている掲示板があった。


 カウンターから離れた場所に、バーも併設されていた。そこでは既に宴会を始めている冒険者の姿がチラホラ確認出来た。


(やっぱり冒険者といえば、酒場なんだなぁ)


 キョロキョロとバーを覗き見ていると、バーにいた冒険者達が透の姿を見るなり目を見開いた。中には飲んだ酒を吹き出しむせかえっている者もいる。


 そんな冒険者たちの姿を尻目に、透はエステルの後ろを付いて歩く。


「あらエステルさん、お帰りなさい」


 カウンターにたどり着くと、ギルドの受付嬢がにっこりと微笑んだ。

 殺伐とした討伐依頼を終えた冒険者にとって、この笑顔はなによりのご褒美に違いない。実に花のある女性だった。


「……エステルさん、その子は?」


 受付嬢のマリィは、現われたエステルを前に必死に表情を取り繕う。


 受付嬢となってから数年。マリィは様々な冒険者を観察してきた。

 その経験から、見ただけで相手の実力がそれとなくわかるようになっている。


 新人冒険者のエステルが引き連れている少年は、マリィが見た限り、明らかに強者の雰囲気を纏っていた。


 返り血を浴びた風貌も相まって、戦う力の無いマリィは、うっかり腰が砕けそうになったほどだ。

 表情には出していないが、足は完全に震えている。


「ああ、ちょっとな。依頼は完遂したのだが、問題があったのだ」

「問題……」


 一体なにがあった?

 殺人か? 大量殺人なのか!?


 マリィは内心混乱した。

 だがその内面を、受付嬢としてのプライドで隠し通す。


「……その子絡みですか」

「いや、実は――」

「おやぁ、エステルさん。お早いお戻りでしたねぇ」


 説明しようとしていたエステルの言葉を遮り、カウンターの奥から粘っこい男性の声が聞こえてきた。

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