第9話 エステルという女性
<察知>で相手に怪我がないことはわかっていた。それでも念のために、透は尋ねた。
「だ、大丈夫なのだ。あの、貴殿は大丈夫か?」
「僕は大丈夫ですよ。あ、いや……」
緊張の糸が緩んだ透は、思い切り顔をしかめた。
「なにか?」
「返り血が、大丈夫じゃなさそうです」
〝敵〟の血だけではない。体液や内臓などが透の体にべっちゃり付着していて、とても酷い臭気を放っていた。
これは、どれだけ服を洗っても臭いが取れないかもしれない。
顔をしかめた透に、剣士はくすりと笑った。
「服は弁済するぞ。本当に助かった、感謝する」
剣士は美しい動作で頭を下げた。日本ではまずお目にかかれない流麗なお辞儀だった。
その顔が上がった時、透は僅かに驚いた。
ブレストプレートが胸を覆っていたため気づかなかったが、剣士は女性だったのだ。
透は失礼にならない程度に相手を観察する。
長い金色の髪の毛は、後頭部で一本に束ねられている。
十人中九人は振り返るだろう、非常に整った顔をしている。
透は、コスプレ以外で剣士の格好をした女性を見るのは初めてである。だが、コスプレのようにちゃちな雰囲気は感じない。
剣や鎧は、ほどよい使用感があり彼女の体によく馴染んでいた。
「私はエステルだ」
「僕は透です。水梳透。こっちだと透水梳、と名乗るべきなのかな」
「トール・ミナスキ、か。私はフィンリスで冒険者をやっているのだが、失礼ながら貴殿の顔を見たことがない。貴殿はどこの街からやってきた冒険者なのだ?」
「冒険者……。やっぱりあるんだなあ」
「んん?」
「いえ、こっちの話です」
透は頭を振る。冒険者といえばファンタジーの定番職業である。物語の中で冒険者ギルドは、雑用から魔物の討伐まで様々な業務を取り扱っている。
この世界もそうだろうか?
「僕は冒険者じゃないです」
「冒険者ではないのに、その実力なのか!」
てっきり高名な冒険者だとばかり思っていたエステルは、トールの言葉に驚いた。
ならば、トールは騎士なのだろうか?
彼は、どこかの領に在籍する騎士と言われても、不思議ではない実力者である。
エステルが再度問うより早く、トールが口を開いた。
「ええ。一般人なので、この程度です」
「えっ?」
「えっ?」
ゴブリンを容易く掃討したトールの実力が一般人レベルなら、この世から魔物は駆逐されている。
まさか素性を言えない事情があるのか?
エステルは、慎重になって口を開いた。
「本当に一般人……なのだな?」
「そうですけど。もも、もしかして、この敵を一般人が倒したら罪に問われちゃいます!?」
「へっ?」
「……んっ?」
(てっきり殺人罪の追及でも受けると思ったんだけど……)
エステルの反応から、その可能性はなさそうだ。
話が噛み合っていない気がするも、透にはその原因がなにかわからない。
とりあえず人っぽい見た目の〝敵〟を倒したことが罪に問われないならそれで良い。
透は別の話題を振った。
「エステルさんはそのフィンリスの街出身なんですか?」
「エステルで良いぞ」
「いえ、さすがに呼び捨ては……」
リッドは16歳だった。透の精神年齢32歳と比べれば年下だが、リッドの実年齢と比べたら、エステルが年上のように見える。
さん付けしないのはさすがに失礼だと思った。
だがエステルは頭を振る。
「丁寧語で話されるとこそばゆくてな。私は貴族みたいな立場があるわけじゃない。ただの冒険者だ。もっと気軽に話しかけてほしい」
この世界ではそういう考え方が基本なのか。ひとまず、郷には入れば郷に従え。透は彼女の言葉に従うことにした。
「わかりま……わかった。じゃあ僕のことも、透と呼んで欲しい」
「ああ、了解した。私の出身地は他なのだが、現在はフィンリスで活動しているぞ」
「そうなんですね。じゃあ、僕をそのフィンリスまで連れてってもらえるかな? 田舎から出て来たので、道がわからなくて」
「もちろん! これだけのゴブリンを倒したのだからな」
「へぇ。これがゴブリンなんですね」
名前は知っているが、実物を見るのは初めてである。
透は地面にまき散った元ゴブリンを見て顔をしかめた。
「まさか、知らずに倒したのか?」
「うん。一目見て敵だと思ったから」
「正しい判断なのだ」
エステルが笑みを浮かべて頷いた。
「話を戻すが、ゴブリンを倒せばギルドから報酬が貰えるのだ。それに、私も貴殿……ああ、いや、トールに恩を返さねばならないからな。是非フィンリスまで来て欲しいのだ」
「恩返しなんて、いいですよそんな」
「いや! 私はゴブリンに囲まれて、命を落とすかもしれないところだったのだ。これでなにもしなければ、私の気が済まない」
「そ、そうですか」
(フィンリスに連れてってくれるだけでも十分なんだけどなあ……)
そうは思ったが、透は彼女の言葉に甘えることにした。
なにせこの世界に来てまだ1日も経っていないのだ。判らないことがあったときに、気軽に尋ねられる相手は貴重である。
ギルドへの報告用にゴブリンの耳を切り落とし、エステルが持っていた袋に放り込む。
耳を切り落とした後は、ゴブリンの死体を森の中に適当に放り投げた。街道に放置すれば、ゴブリンを好む魔物をおびき寄せかねないためだ。
「こんなものでも、食べる魔物がいるんだね」
「ああ。ほとんどの魔物は食べないが、中には好んで食べる魔物がいるのだ。まあ、森の浅い場所にはいない魔物だから大丈夫だとは思うが、なにかあっては問題だからな」
エステルと話しながら、透はゴブリンを森に運ぶ。
現在の透の膂力であればゴブリン程度、何体だろうと軽々運べる。
だが、血や体液のおかげで酷い臭気を放っているため、大量に抱えるのは気が進まない。
あまり触れないようにと、ゴブリンを森の中にポイポイ放り投げていたら、エステルが隣で呆然としていた。
(いくら魔物とはいえ、死体を乱暴に扱うのはダメだったかな?)
呆然としていたエステルだったが、透を咎めはしない。なら大丈夫だろうと、エステルの様子をスルーして、透は次々と死体を森に放り投げた。
余裕があれば、森に捨てるのも吝かではない。だが如何せん臭気が酷い。
さらには感染症も気になる。
<抵抗力>にポイントを振り分けてはいたが、その効果の程がわからない。
透はなるべく迅速に、血や臓物に触れぬよう処理を終わらせた。
処理に時間がかかったため、太陽は既に茜色に染まっていた。
日本の都会ではまず見られない大きな夕日に、透はしばし心を奪われた。
「ねえエステル。フィンリスまでは、歩いてどれくらいかかるの?」
「大体一時間ほどだが……日が沈むと、フィンリスの正門が閉ざされるのだ」
「あっ、そうなんだ。正門が閉じたら中に入れないとか?」
「そうなのだ。走ればギリギリ間に合うかもしれない。トール、申し訳ないが、少し急いでも良いだろうか?」
「わかった。先導をお願い」
「任せてくれ」
そう言って、エステルが走り出した。
彼女は冒険者だ。自分よりも体力が高いかもしれないと、透は身構える。だが想像に反してエステルの速度は軽いジョギング程度だった。
(よかった。これなら付いていける)
ぴょこぴょこと揺れるポニーテールを眺めながら、透はエステルの後ろにぴたりとくっついて走った。
「ねえエステル。冒険者って誰でもなれるの?」
「ああ。過去に大きな罪を犯してなければ、誰でも冒険者になれるぞ」
罪を犯すという言葉に、透は内心ギクリとした。もしかして、クレマンら三名を崖から落としたことがバレるだろうか? と。
(多分大丈夫だと思うけど……)
まだ誰にも見つかっていないが、もしダメなら別の道を探せば良い。
選ばなければ働き口など沢山あるだろう……と、透は前向きに考える。
今後生きる上で、なにかしら手に職を付けねばならない。
冒険者になれなければ<鍛冶>スキルに頼って、鍛冶屋にでもなれば良い。
それがダメでも――手元にはスキルボードがあるのだ。スキルさえ上げればどんな仕事だろうと、初めからいっぱし以上に働けるはずだ。
今後の生活手段をあれこれ考える透の前で、エステルは慌てていた。
(トールは、ずいぶんと体力があるのだな)
始め、エステルはトールを置いていかない程度で走っていた。だがトールに余裕があったため、エステルは走る速度を引き上げた。
いまではほとんど全力で走っている。
それでもトールは、それこそ鼻歌でも歌い出しそうなほどけろっとした顔で走っていた。
エステルは、そんな彼が一般人だとは到底信じられなかった。
エステルは当初、彼は密命を帯びて身分を隠した騎士なのではと考えた。
だが、彼との会話でそれもどうやら違いそうだということがわかった。
いくら世情に疎い騎士であっても、ゴブリンを知らない者はいないし、ましてや『一般人はゴブリンを倒してはいけない』などという勘違いは起こさない。
(ほんとに、トールは何者なんだ?)
トールの正体にあれこれ想像を膨らませつつ、エステルは息も絶え絶えにフィンリスへと急ぐのだった。
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