第5話 名も無き村
洞窟の外は、深い森の中だった。
都会では感じられない濃密な土と木の香りに、透は思わず胸いっぱい空気を吸い込んだ。
草木が繁茂していて、かなり見通しが悪い。
だが透は、自分がどこへ向かえば良いのかなんとなくわかった。
見知らぬ場所なのに、向かう先がなんとなくわかるのは、どうにも不気味な感覚である。
「前の人の記憶かな」
以前の持ち主の記憶がまだ、薄らと残っていたのだ。
試しに透は、その記憶を読み取ってみる。
読み取れる記憶は、僅かなものだった。
ほとんど穴だらけだったし、整合性もない。
根気強く記憶を読み取っていくと、突如透の目から涙がこぼれ落ちた。
「あ……あれ? なんだこれ?」
涙はまるで蛇口が壊れたように、次から次に溢れ出した。
透自身は、感動したり哀しんだりはしていない。
体が、記憶のなにかに反応したのだ。
(こんなに涙を流すなんて。一体、この体の持ち主にどんな悲しいことがあったんだろう……)
涙が止まるのを待って、透は記憶から読み取った情報の整理を行った。
まずこの世界が『エアルガルド』という名前であること。
体の持ち主がリッドという名前だったこと。
リッドが住んでいたのは、名前のない小さな農村であることはわかった。
そして、リッドが死んだ原因だ。
リッドの両親はすでに他界していた。
両親が失われてから、リッドは一人で生きてきた。農家の手伝いをすることもあったが、多くの場合リッドは森で狩りをして糊口を凌いだ。
リッドは村の中で孤立していた。
孤立の原因は見た目だ。
「……忌み子か」
呟きながら、透は自らの前髪に触った。
透の髪の毛は黒かった。また、透には見えないが瞳も黒である。
対して村人の中に、瞳と髪が黒い者は一人として存在しない。
ただ自分たちと瞳と髪の色が違うというだけで、リッドは『忌み子』と呼ばれ、村人から距離を置かれていたのだ。
このまま村に行っても良い予感がしない。
だが、透は現在背中が血まみれだったし、芋虫の体液も付着している。さらには若干空腹を感じ始めてもいた。
ここから別の場所に向かうにしても、着替えと食糧の確保はしておくべきだ。
「まあ、なるようになるさ!」
人生出たとこ勝負だ。
透は不安要素をまる投げし、リッドの故郷である名も無き村に向かった。
歩いて三十分もしない場所に、リッドが暮らした村はあった。
簡単な防護柵に囲まれた村には、中心部に建つ一際大きな家を囲うように、二十軒の家が並んでいた。
家はどれもが木造で、ラグビー選手がタックルを入れれば倒れそうなほどボロボロだ。
村の主な生産品は麦だ。
村人はここで暮らしながら、村の外にある農地へと働きに出る。
現在働き手である男性は村の外にいた。残っているのは女性と子ども、そして手足が動かない老人達である。
その誰もが透の姿をみると、まるで渋柿でもかじったような顔をして視線を逸らした。
村人は透を避けるように、足早に自宅へと戻っていった。
村に入ってからものの1分もせずに、透の見える範囲から人の姿が消えた。
「こりゃ……酷い。リッドはよくここで頑張ってたな」
もうこの世にはいないリッドに向けて、透は敬服の念を抱く。
透がここで暮らしたなら、一週間と経たずに村を出る決心を付ける。
透の足は、迷わずリッドの自宅に向かった。
周りの家よりもさらにオンボロな家に入ると、鉈が一本、それに弓と矢があるのが目に留まった。
家具はないし、布団もない。
生活に必要なものがほとんどないため、まるで空き家のようである。
家の隅っこに、布の切れ端があった。
切れ端はすべて繋がれている。パッチワークにしてはずいぶんとみすぼらしい。
リッドはこのつぎはぎを、布団代わりに使っていたのだ。
「リッド……よく生きてたな……」
不覚にも、少しばかり涙ぐんでしまった。
透は修復跡だらけの桶をもって、村人共用の井戸に向かった。
透が井戸を訪れると、再び外に姿を現していた村人が、逃げるように家の中に駆け込んでいった。
「ここまで来ると、逆に面白いな……」
透がわざと近づいたり離れたりを繰返したら、彼女たちはやはりその都度家を出入りするのだろうか?
だとすればもはやギャグである。
己が想像した酷く滑稽な様子に笑い出しそうになりながら、透は井戸水を汲んだ。
自宅に戻り、その水で体を丹念に洗い、新しい衣服に着替えた。
「ああ……スッキリ」
背部に感じていたベタベタ、パリパリ感がなくなって、透は大きく伸びをした。
まるで生き返った気分だった。
残念ながら、衣服の替えは一つしかなかった。
血に濡れた服をしばし見つめて考えたあと、透はその服を置いて行くことにした。
リッドは狩猟で生活していたため、肉類を備蓄していた。
天井に吊された干し肉を一枚取り、かじる。
「おっ、味はまずまず。胡椒が欲しいけど、まあそれは無理か」
かなり野性味のある味だが、不味くはなかった。
透は干し肉をかじりながら、残りを<異空庫>に放り込んでいく。
さらに弓矢と鉈を放り込む。【魔剣】を持つ透には不要な武器だが、透にはお金がない。もちろんリッドもお金など持っていなかった。
無から金は生み出せない。リッドには悪いが、武器は換金用にする。
売値が二束三文でも、ないよりマシだ。
干し肉を食べ終えて、透は家全体を見回した。そして目を閉じ、祈る。
リッドの代わりに、透は祈った。
リッドの思いを、家と、家を建てたリッド両親に向かって。
「お世話になりました」
○
昼食を取りに畑から戻ってきたクレマンは、見覚えのある黒髪黒目の少年の姿を発見してギョッとした。
「……うそだろ」
その少年は、ここの村人であり、忌み子と呼ばれた男――リッドだった。
彼はクレマンらが今朝、鍾乳洞の崖から突き落とした相手でもある。
高さは十メートルほどあったし、決して這い上がれるような崖ではなかったはずだ。
それに、リッドの頭は落下の衝撃で割れていた。
――少なくともクレマンが見た限りでは致命傷だった。
なのに何故、リッドはこの場所を彷徨いているんだ?
「お、おい、あれってリッドだろ?」
「なんで生きてんだよ……」
クレマンと共に戻ってきたロベールとタックが、それぞれ唇を震わせた。
「あいつ、死んでなかったのか」
「頭から落ちて血ぃ流してたよな?」
「ああ。なのになんで生きてんだ……?」
クレマンらがリッドを崖から突き落としたのは、彼が忌み子だからだ。
黒髪黒目はこの村に、災いをもたらす。そう、村の長が口にしていた。
実際、リッドが生まれてからというもの、村人の中で麦の収量が減った。また村が魔物に襲われる回数も増えているという。
実際のところ、本当に収量が減っているか、魔物に襲われる回数が増えているかなんて、学のないクレマンたちにはわからない。
だが、長がそう口にしたなら、間違いない。
村によくないことが起こるのは、リッドのせいだ。
リッドさえいなくなれば、すべてが上手く行く。
それが、村人の共通認識だった。
クレマンらは、村のために立ち上がった。
まずは、忌み子を産んだリッドの両親を排除した。
忌み子を村にもたらした罪は大きい。
その血と死をもって、リッドの両親には償ってもらうのだ!
クレマンら三人は両親を、精霊が宿ると言われる洞窟におびき寄せ、崖から突き落とした。
クレマンらがリッドの両親に手を掛けたことは、瞬く間に村中に広まった。だが、彼らは一切おとがめを受けなかった。
何故ならそれは、村のためだからだ。
正義は自分達にある。
自分達の行動には、一切間違いはないのだ。
そう、クレマンらは考えた。
両親の殺害が成功した。
あとは、忌み子本人だけである。
クレマンらは同じようにリッドをおびき寄せ、隙を衝いて崖から突き落とした。
リッドは頭から血を流していた。
確実に死んだ、と思った。
だが、彼は現在クレマンらの前に、再び姿を現した。
「……やっぱりあいつ、呪われてんだよ」
三人の誰かが、震える声でそう呟いた。
殺しても死なない。その可能性が、クレマンの心胆を寒からしめた。
「あいつは悪魔だ。生きてて良い存在じゃねぇ」
「ああ、今度こそ確実に殺る!」
「あいつを殺して、村に平和をもたらすんだ!」
クレマンらの気分は、完全に勇者のそれであった。
しかし、口々に殺すと呟く勇者がいるだろうか?
これは本当に正しい行いなのだろうか?
そんな疑問は、胸中から湧き上がる〝声〟にアッという間にかき消された。
クレマンらは敵を定めた。
目を血走らせ、リッドの家に向かう。
扉を一気に開き、中に居るリッドを三人で袋だたきにした。
動かなくなったところで頭に布をかぶせる。
「昼からまた野良仕事がある。さっさと鍾乳洞に捨ててくるぞ」
「ああ」
「おう」
身動きをとらないリッドを、ロベールとタックが抱え、クレマンが先導する。
〝殺せ〟〝殺せ〟〝殺せ〟〝殺せ〟
「殺す、殺す、殺す、殺す、殺す」
駆け足で鍾乳洞に向かうクレマンらの口からは、泡とともにそのような呟きが漏れていた。
だが誰一人、自分が何を呟いているのか気づかない。
そんなことよりも、リッドを確実に殺めることしか考えていなかった。
鍾乳洞の崖の前に到着した。
あとはリッドを落とすだけだ。
そう思ったクレマンの背後から、
「なにをするのかと思えば、また同じ方法での殺害か。学習しないんだね」
リッドの声が聞こえた。
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