Day.98 いくら長いものに巻かれようとも切れぬ縁があると心得よ

愛神あいじん』フレイヤは、思いのほかあっさり引き下がった。

 今にもオーディンのもとへ一緒に向かおうと提案してくるか、はたまた、アレスの世界まちへ攻め込んでしまおうとか言い出しやしないか、少年おれはずっとハラハラしていたんだけれど。

 ただ――


「じゃ・あ・ね」


 創造神室を去り際、フレイヤは俺にウインクして、


「坊やもじっくり考えておいて。あんまり焦らされちゃうと、私、我慢できないかも。ていうか……オーディン様が、すべてを終わらせてしまうかも」


 時間の猶予はそれほど残されていない、と。

 暗に主張しながら魔法陣を展開し、つゆとなって消える。

 残された俺と創造神、そしてプリンはしばらく、部屋の気まずい空気感を味わっていた。


「……神様」


 最初に重い口を開いたのはプリンだった。



*****



「ごめんなさい……ボクのリサーチ不足です」


 プリンはどうやら、以前の己が行いにも罪悪感を芽生えさせていたらしい。


「あなたとアレス様とのご関係についてはボクも把握していましたが、まさか、アレス様のほうが、オーディン様へすでに喧嘩を吹っかけていただなんて……」


 かつては創造神とこの世界まちをハメようと画策していた、悪どい天使だ。

 そんな自分がまさか、こんな神様界隈を揺るがすほどの一大スキャンダルを見落としていたなど、観光大使としても小悪魔的天使としても許せなかっただろう。


 ──寝取られNTR、ねえ……。

 やっぱり、色恋沙汰ほど面倒くさくて生産性のない揉め事ってないよなあ。


「別にプリンが謝ることではないが、ん〜……まいったなあ」


 創造神は思いのほか、気の抜けた声を出した。

 わざとらしく首をひねって、


「アレスめ、見境がないにも限度がある」

「ええまったく。よりにもよって、なにも『天神てんじん』から最も近しいと噂の神様が、懇意にしている女エルフに手を出さなくたって──」

「私はてっきり、エルフ族はあいつの趣味には合っていないものだとばかり」


 ……なんだそりゃ?

 アレスは確か、『前世』がアマゾン族だっていう触れ込みだったな。


「ええ〜? そうですかあ?」


 プリンも怪訝そうに首をかしげ返す。


「別に褐色肌しか受け付けないってタイプの男神でもないでしょう? エルフ族なんて、みんな背ぇ高いし、美人多いし、知的だし、胸……は個体差ありますが」

「重要なのは容姿や性格ではなく、種族としてのランクだ」


 創造神はさらりと。


「ちまたで、アマゾン族よりも上位種と見做されている種族には基本的に手を出さない主義なんだよ。主義というか、趣味というか」

「は、はあ……その心は?」

「アレスは結構ごうつくばりというか意地汚いというか、無駄にプライドが高めだからな。自分が一番上の立場でいなければ──その空間で誰よりも偉い種族でいなければ気が気じゃないのさ」


 なるほど、とプリンは創造神の弁が腑に落ちたようだった。

 かくいう俺も思い当たる節がある。

 そういえばアレスは、自分の都市せかいへはアマゾン族しか住まわせていない。

 初めて会った時に俺へ移住の誘いをかけてきたのも、俺自身が人間という最弱種族だったからであって。


 天使族やらエルフ族やら、魔力が自分たちよりも高くて知能も優れた種族なんて、たとえ一夜限りの遊びであっても許されない。

 アレスにとって彼女らは、愛でるどころか嫌悪すべき対象なのだ。


 ……男が持ち得る、悲しいサガだな。

 自分よりもレベルの低い女を故意に選ぶことで、家庭内でも高い立場を維持したいという悲しき考えに、まったく理解が及ばないわけじゃなかったけれど。




 ただ、俺たちが頭を悩ませなきゃならないのは、そんな男のサガとかアレスの悪趣味とかでは断じてない。


「アレスにずいぶんと詳しいんだな、創造神」

「ん? 当然じゃないか」


 創造神はなんでもなさげに答えた。


「『友神ゆうじん』だからな」




 ああ……。これなんだよ。一番の問題は。

 言ってしまえば、これはあくまでもよその神様、よその都市せかいの間で起きているトラブルに過ぎなくて。

 フレイヤはどうもオーディンに肩入れする気満々のようだが、今回、客観的に冷静に考えて、俺たちがもっとも取るべき行動は──


「静観、すべきでしょうね」


 プリンはぽつりと呟く。


「フレイヤ様は今にも、アレス様のもとへ殴り込みそうな勢いであんなことをおっしゃってましたが……ていうか」


 薄々、俺も主張したくて仕方がないことを、プリンが先立って言ってくれる。


「いい加減、

「切る? なにをだ? フレイヤとは今しがた姉妹関係を結んだばかりだろう」


 しかし、創造神のあっけらかんとした反応も、俺にはおおむね予想通りであった。

 腕を組み長い息を吐きがてら、


「オーディンどのに関しては、まあ私は普段から付き合いを持っているわけじゃないし。フレイヤか、スノトラを通してどうにか怒りを鎮めてもらえるよう、話を付ける場が設けられたら良いのだが──」

「だから!」


 そう言い出せば、プリンも堪らず机を両手で叩いた。


「ボクが関係を切れと言っているのはアレス様のほうです! なんでもう早々と、静観どころか、アレス様のフォローに回る気でいちゃってるんですか⁉︎」

「え? だって、本当に色恋のひとつやふたつで戦争されては困るし……」

「こっちの世界まちには『アース十六』が控えているんです! スノトラさんも、他のエルフたちもみんな、実質オーディン様のお膝元なんですよ⁉︎」


 俺も、プリンの言い分に反論らしい反論が浮かんでこない。

 けど創造神はきっと、俺やプリンがどんな助言をしたところで。


「先に手を出したのが、寝取ったのがアレス様なのに、オーディン様の逆襲ざまぁを止めるなんて、あなたやこの世界まちでは不可能です。ましてや、事もあろうにアレス様のほうに助力しようなど……それはもう、あなたまでオーディン様に逆らっていると見做されてもおかしくありません。あなたまで、オーディン様を敵に回すおつもりですか?」


 創造神はきょとんとした。

 いかにも、単純に争いの仲裁を目論んでいるに過ぎない神様の、なにを物騒なことを言っているんだプリンお前はと言いたげな顔だ。



*****



「アレス様の『友神ゆうじん』を名乗るのは、もう──」

「なあ、プリン。創造神」


 プリンの質問を俺は遮った。

 その質問は、わざわざ聞くまでもなく、創造神の表情で答えなんてとうに出ていたからだ。

 それよりも俺が気がかりだったのは──


「もし、仮にこっちが傍観者を決め込もうとしたところでだ」


 俺はたずねてみた。


「まじでオーディンが、アレスと喧嘩する──戦争する、って言い出したら、現実問題どうなる?」

「どうって市長さん……だから、ボクらにはどうすることも」

「『アース十六』だよ。スノトラ先生や、ロヴン先生もそのバトルを各々が請け負ってる世界まちでステイして傍観決め込んで終了──って、本当になるのか?」


 プリンはぐっと言葉を飲み込んだ。

 途端に創造神も、口を閉ざして俺が言わんとしていることを察し始める。


「な、なあ創造神。スノトラ先生は大丈夫だよな? フレイヤみたいなことを……アレスを倒そうだとかオーディンに手を貸そうだとか、スノトラ先生まで物騒なことを俺らへ言い出したりしないよな?」

「……少年」

「スノトラ先生は、今は創造神の従属なんだろ? お前と契約しているんだよな? 『アース十六』がオーディンの娘だかなんだか知らないけどさ。どうなんだよそこんところ。スノトラ先生は……あの人は……」



 その時。

 創造神室のドアが唐突に開いたことで、プリンに続き俺の質問まで遮られてしまう。ドアの向こう側に立っていたのはスノトラだった。

 誰よりも険しい表情を浮かべ、いつもの優しい音楽教師としての顔とは程遠く。


創造神様Cruthaitheoir。──大切なお話がございます」






(Day.98___The Endless Game...)

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