Day.70 性格に裏表あるのはむしろ平常運転(特に女)

『ユグドラシル』という巨大樹がある。


 根元では何頭もの馬がひなたぼっこをし、枝葉をくぐりながらエルフたちが軽やかなダンスを踊る。

 その幻想的な光景を悠々と見下ろすように『詩神しじん』オーディンは巨大樹の頂点で座していた。頂点から見える遥か彼方には泉も広がっている。


「施政は順調のようだね、賢明なるスノトラ」

「はい」


 オーディンの足元で膝を付く、二人の女エルフ。うち長髪のほうが顔を上げないままで応じた。


創造神Cruthaitheoirと契約した当初こそ従来よりも大幅な産業面の遅れが目立ちましたが、住民の補充と教育機関の設立により大筋は改善が為されたことでしょう。昨今では魔力マナが潤沢な種を取り込んだことで、信仰力も『無限のそら』が想定していた値まで伸びたと存じております」

「よろしい。引き続き任務をまっとうするように。……対するは……」


 オーディンは盃を片手に、微笑みをスノトラからもう一人のエルフへと移す。


「穏やかなるロヴン。きみのほうは、権威者同士の連携があまり上手くいっていないらしい」


 ロヴンはすぐに返事はせず、うつむいたまま内巻きの髪を指でいじる。指を離してから苦みに耐えるような声で弁明を始めた。


「最近棲みついた天使族がたいへん厄介で……よその神や有力者に無用な手出しをしておきながら、トラブルの後始末をあたしに押し付けてくる毎日でして……」

「その天使は確かに興味深い存在だけれど、ロヴン。至らない住民を教育するのも、諍う住民同士を諫めるのも『アース十六』の大事な務めだよ?」

「……は、い……」


 途端にロヴンは顔を歪めた。ぎぎと首を動かし、すぐ隣りでかしこまっているスノトラの表情を伺っていると、


そらに存在するすべての生命は、等しく終わりなき隷属だ」


 そう言ってオーディンが立ち上がる。風が急に吹いたかと思えば、彼らの髪をひゅうと大きくたなびかせる。


「神も決して例外ではない。もちろん、この私も」

「おっしゃる通りにございます」

「だが必ず我々は最後に会得する。天を自らの意思で掌握し、すべての理を操縦するすべを、力を、そして知識を」


 スノトラとロヴンは顔を上げた。

 見上げた彼女らの父は、微笑みの奥で底知れぬ野心を赤い瞳にのぞかせている。


「……ああ。夢心地だ」


 空を仰いだままオーディンは告げた。


「スノトラ、ロヴン。愛しい我が子どもたちよ。我々半神はんしんが永劫に夢見てきた悲願のため、引き続き使命に励みなさい」



*****






 オーディンへの近況報告を終えれば、ロヴンはまもなく自身が担当している都市せかいに戻ってくる。


「おかえりなさいっ、ロヴン先生!」


 ロヴンの姿を見つけるなり、羽根をぱたつかせながら笑顔で飛び込んできたのは妖精シータだ。黒のロングヘアをひとつに束ねたシータは軽装と濡れた姿から察するに、仲間の妖精たちと川で仲良く水浴びしていたらしい。


「今日はどこへおでかけしてたのお?」

「ただいま〜☆ 今日はねえ、行きつけの服屋さんで新作をチェックしてきたんだよ〜☆」

「まあっ、お洋服! 良いなあ。わたしも新しい靴が欲しいなあ〜」

「じゃあシータちゃん☆ 今度は先生と一緒にショッピングでも繰り出しちゃう?」

「うん、繰り出しちゃう! 約束っ!」


 シータは大きく手を振ってからロヴンの元を離れていく。他の妖精たちと合流したのを見届けるなり、ロヴンは両肩を落とし、はあ〜と大きなため息を吐いた。

 自分の家を目指してしばらく歩いていくと、今のロヴンが誰よりも会いたくなかった一人の少女と出くわす。


「今日もお父様と面会ですか? ロヴンさんっ!」


 その名も『権天使プリンシパリティ』。略してプリン。

 大嫌いなスノトラの目前で恥をかく羽目になった、すべての元凶。


「皆さん本当に親孝行なエルフですよね〜『アース十六』は。ボクなんか自分の先代おやは代替わりするとすぐ死んじゃうから一度も会ったことないのに……ん? なんですか?」


 ロヴンに無言で手招きされて、プリンはきょとんと首を傾げる。そのままロヴンが自分の家へ進んでいくのでプリンも後を追いかけた。

 玄関をくぐり、プリンも「おじゃましま〜す」と中へ入った瞬間、ロヴンは玄関の扉を即座に閉めるなり鍵をかけた。


 次の瞬間。

 プリンは背後で閉まった扉が、自身ごと消し炭と化す幻覚を見た。


「……………………ひ、えぇっ!?」


 ロヴンの右拳がプリンの頬を掠め、扉に深くめり込む。拳からあふれ出ていたのは膨大な魔力マナを帯びたとぐろとぐろしい漆黒だ。


「ロヴンさんっ、まさかの闇属性ぃ!?」

「殺すぞ」

「しかも直球ぅ!?」

「舐めてんのか? あたしが穏やかなるロヴンだからって優しくしてれば図に乗りやがって……てめえのおかげで、一番嫌いな女に頭下げる羽目になったじゃねえか」


 穏やかさのかけらもない、静かでもどすの利いた声でプリンを威圧する。


「だいたいてめえ、やることが半端なんだよ。どうせちょっかいかけるなら世界まちごとスノトラ潰せよ。ああん?」

「おおお穏やかじゃないですねえロヴンさん! 潰すだなんてそんな……ボクはただ、少しでも皆さんのお力になればと思ってですね?」

「白々しいこと言ってんじゃねえよ、てめえの利益しか考えてないくせに。けどやるならやるで、せめて利益が出るような立ち回りしろっつってんだよ、ど三流」


 拳を下ろせばロヴンは両腕を組み、だらんと壁に寄りかかる。内巻きの髪を指先でいじる姿は可憐でありながらも、相手を凄んでいるようにも見えてなお恐ろしい。


「スノトラんとこで市長やってんのは人間の餓鬼でしょ? どこで手こずってんだよ小娘。男坊主なんて、ちょっと色目かければイチコロだろうが」

「あはは……ロヴンさんと比べたらボクの色気が足りないのは重々承知してますけど。残念ながらあの市長さんは、色欲とか権威による恩恵なんか、ちっとも施政の原動力にしていないんですよ」


 プリンはしばらく頬をかいていたが、何かを思いついたようにお団子ヘアを揺らす。その笑顔は明らかに、悪さを企んだいたずらっ子のものだ。


「潰すとか崩すって話なら、むしろ神のほうがチャンスありますよ?」

「……は?」

「『軍神ぐんしん』はご存知です? ボクが集めた噂によると、彼ら二人にはただならない因縁があるみたいで」

「……」

「それこそ女好きで有名な男神ですし? あちらさんを上手いことけしかければ、あの世界まちの情勢を傾けるのは容易いんじゃ──」

「浅はかね」


 壁から背中を離し、ロヴンはひどく冷たい声を放つ。

 ロヴンの表情からは怒りを通り越し、懸命に策を巡らせるプリンに対する憐れみの感情をもにじみかけていた。


「やっぱりあんたのすることはとことん愚策だわ。自称神の使い風情が他人を、いや他神たしんを駒みたいに扱う手口は諸刃にもほどがある」

「うーん、そうですか?」

「しかも事もあろうに『軍神』? あんたは情勢のどこを見て各所を回ってるわけ? ……いえ。とにかく、絶対に手ぇ出すんじゃないわよ」


 プリンの背後で鍵の開く音がする。

 勝手に扉が開かれたかと思えば、プリンの体が突然宙を舞う。


「うわっ!?」


 玄関の外へ放り出され、ごろんと華奢な体躯が地面で一回転した。室内からプリンを見下ろしたロヴンが、最後に忠告の言葉を述べれば扉は乱暴に閉じられる。


「もう余計なことすんな、大人しく寝てろクソ餓鬼。でなきゃ、ただでさえ短いあんたの寿命をさらに縮めることになるわよ」


 プリンは尻餅ついたまま扉越しのロヴンを眺めていたが、やがて立ち上がり、尻の砂をぱっぱと払いのける。

 お気に入りの白スニーカーが軽く汚れてしまったのを嘆きつつ、すぐに笑顔を戻すなり踵を返した。


(大人しく寝てるわけにはいかないんですよ、ロヴンさん)


 心中で。

 プリンは静かにつぶやく。


(ボクだって……ボクには、どうしても叶えたい夢があるんだ……!)






(Day.70___The Endless Game...)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る