Day.44 市長くんだって年頃だもの、神様にも知られたくない話のひとつやふたつ
「自分で夢や目標を設定できて、自分で選んだ道を自信持って突き進めるなんて、それだけで十分すごいじゃないですか。全部、俺にはなかったスキルだ……でも……」
うつむいた少年の若々しいつむじを、
わたしは
叡智を求めた創造主に喚ばれ、務めを果たすべき従者。少年や住民たちに叡智を分け与えるべく、この学校に赴任した教師。
従者として都市の開発を進める使命こそあれど、教師として彼らの教育レベルを向上させる仕事こそあれど──彼ら住民の『
(だってほら、メンタルヘルスもカウンセリングも教師としては完全に業務外。専門科目と関係しない仕事はいたしません、って創造神様には申し上げたいところですけれど……)
今は教室にいない創造主へ、内心でのみ愚痴をこぼす。
「……市長くんは、本当にアルファちゃんが大切なのね」
できるかぎり穏やかな声を繕ったけれど、わたしが次に発した台詞は残念ながら優しい言葉ではなかった。
「市長くんが感じている懸念は、この
「え……?」
「スーは遊びで『先生』やってるわけじゃないんですよ? 分かりますとも」
顔を上げた少年の手のひらを、そっと自身の両手で包み込む。
人間の子どもらしい小さな手。細くも長めの指。
その指先の要所要所に残っている──特徴的なタコの痕。
「すっごく練習したんですね。市長くんのピアノ、スーが教える前から、この学校で誰よりも上手だったもの」
わたしの美貌に頬を染めることも少なくない少年が、今はむしろ、顔を青ざめさせながら身体を強張らせていく。
そんな顔色の変化を見透かすように、わたしは決定的な事実を彼に突きつけた。
おそらく少年がこの都市で、わたしや他の教師、生徒たち、住民たち──
「市長くん。──あなたも『
*****
少年はしばらくの間、目を泳がせたり、唇を引き結んだままあっちへこっちへ顔の向きを変えていた。けれど、いつまで経ってもわたしが手を離してくれないものだから、観念したように正面を向き直して、
「…………お……俺が、目指してたんじゃないです……」
ようやく、閉ざしていた口を開いた。
「俺じゃなくて……その……親父が……」
「あら。お父様?」
「親父が、クラシックのピアニストだから……俺も昔から、ずっとピアノ習わされてきて……」
わたしは相槌を打つ。すごいわね、とか適当に返事しながら。
「市長くんにも同じお仕事に就いてほしいって、お父様が?」
「ま、まあ……最近までは……」
「最近? 今は?」
「…………今は」
微笑みを崩さないわたしに対し、少年の表情は険しくなるばかりだった。それでも、一度開いた口に──開きかけた心に、再び封をすることはなく。
「今っていうか……今まで、自分ではなりたいと思ったことがないっていうか……」
「そうなの? でも、いっぱいピアノの練習したんでしょう」
「練習しないと怒られるんです。都市開発ゲームと同じだ。インフラ整備をサボれば秘書やらアドバイザーやらに怒られるし、住民の要望に応えられなければ最後は
「そうなのね」
「でも楽譜通りに最後までちゃんと弾ければ褒めてくれるし、コンクールで一番取ったら好きなゲーム買ってもらえるから。親父や先生の言う通りに練習すれば……チュートリアル通りに頑張れば、きっとピアニストにも何にでもなれると思って。だから……一度も学校の部活とか入ったことないし……社会見学とか修学旅行とか……授業に関係ない学校行事は、海外行くからって全部休んだし……土日も家で練習してるか、親父の演奏会に付いていくかで……
「そう」
「小学校の合唱発表会だって、卒業式だって……クラスメイトにも担任の先生にも伴奏やってほしいって言われたのに、コンクールの課題曲の練習の方が大事だからって、やらせてもらえなくて……でも……けどっ、中学に上がってからはちっともコンクールで賞が取れなくなっちゃって……練習サボってないのに……言われた通りに練習してたのに本番で思うように弾けなくてっ、親父も、先生も……最初は怒ってたのに、ミスしてもコンクール落ちても、なんにもっ、言わなくなっちゃって……」
「……そう」
「誰も褒めてくれなくなっちゃったし、練習サボっても、一日三十分よりも長くゲームやってても、ご飯食べなくても母ちゃんくらいしか叱ってくれないし……学校だって、友だち全然いないから……もうっ、俺、どうしたら良いのか……わかんなく、なっちゃって…………なんでだろ……なんでなんだろ…………俺……何をミスったんだろう……人生むず過ぎ……ゲームより都市開発より、ずっとずっと無理ゲー……」
途中から、わたしは無心で少年に頷くだけの傀儡と化していた。一方で、次第に声が小さくなり、言葉が途切れ途切れになっていく少年、その心情はおそらく激流がごとしだっただろう。
胸の内を思いつくまま吐き出した少年が、荒ぶっていた両肩から震えを収めつつあった頃合いを見計らい、わたしは再び確認を取った。
「市長くんは、今は
「…………はい……だって、俺も……誰も、なってほしいって思ってないから……」
自分も他人も望まぬ未来。将来の「夢」という名前の希望。
深刻な顔をした少年の前ではさすがに控えるけれど、本当はため息を吐きたい気分だった。
あの神が神なら、この従属も従属だ。
他者から押し付けられた要望を律儀に果たさんとするも、応えることができなかった結果、家からも学校からも居場所を失った少年。
従属であるはずの民を愛しすぎた結果、その愛を受け止めきれなかった彼らに見放され、一度は完全に信仰を失った創造神。
(あ〜あ……愚かしい)
なんと救えぬ、お似合いな「
*****
小さな両手を離さないままで、わたしは少年へ語りかける。
わたしの
「要するに市長くんは、アルファちゃんには自分と同じような悲しい思いをしてほしくないのね?」
「……はい…………」
「できることなら彼女には夢を叶えてほしいし、あるいは、わたしが現時点で
「……ま、まあ、はい……──」
「つまりそれは、彼女の都合ではなく、市長くんの都合ですね?」
わたしは明言した。はっきり告げてあげた。
「私情です。傲慢です。過干渉です。いち生徒、いち住民に過ぎない彼女へ、
握られていない方の腕で濡れた顔を拭っていた少年が、一切の綻びなき微笑みを続けているわたしを、口を半開きにしながら見上げてくる。
──あら、どうしたのかしら市長くん? さっきまで子どもらしく泣きべそかいていたのに、急にそんな豆鉄砲食らったお顔になっちゃって。わたし、何か変なことを言っているかしら? 間違っていないわよね?
「都市の発展に貢献することが市長くんのお仕事で、生徒の
赤く腫れた目元から、今度は白目を剥いた少年が、口を意味もなく開閉させているのにも構わずわたしは教育的指導を続けたのだ。
「
……まあ、もちろん?
(Day.44___The Endless Game...)
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