セカンドキス
蒼之海
セカンドキス
チカチカと瞬く赤いテールランプは列となって、遙か遠くまで伸びている。
土曜の夜九時の首都高は、渋滞とまでは言い切れないものの、多くの車で賑わっていた。
「ねえねえ。今日はどこに連れて行ってくれるの?」
「そうだなぁ。ベイブリッジまで軽く流して、夜景でも見に行こうか」
(———なんてベタなルートなんだよ! どっかの田舎モンか、俺は!?)
考えがまとまらなまま思いついたデートプランなんて、炭酸の抜けたコーラみたいに刺激が足りない。
「うわっ、嬉しい! 今日は晴れてたし、きっと綺麗な夜景が見られるね!」
それでも助手席に座る美香は、両手をペちりと合わせて喜ぶと。
フロントガラスに映り込む屈託のない笑顔を、俺へと向けてくる。
それをチラリと横目で確認して、前を向いたまま引きずられるように、俺も笑顔の偽装を施した。
俺の気持ちは今も尚、ぶらりぶらりと振り子のように揺れている。
たった一本の電話で、こうまで心がかき乱されるとは……。
★☆★☆★☆
当時付き合っていた彼女の二股が発覚し、心に手痛いダメージを負ってからというもの、まともに恋すらしていない。
いや、できなくなっていた。
それからは、心よりも、体のつながりが先の擬似恋愛ばかりだった。
誘ってくるのは大概向こう。俺はそれにただ頷いて、快楽に身を委ねるだけ。
自惚れてはいないけど、まあ悪くない容姿だとは自覚している。
だから、ガールフレンドはそれなりにいた。そのうち半分は一線を越えてしまった大人の関係。相手がいよいよ本気になると、および腰。理由をこじつけて距離をとる。相手の熱が冷めるまで。
どうしたらまた、人を心底好きになれるのか本気で悩んだ。
そんな折、幼稚園から高校までずっと同じ学校だった幼馴染———柿本が、見るに見かねて合コンをセッティングしてくれた。
俺は合コンがあまり好きじゃない。なぜ見ず知らずの人たちと、たいして好きでもない酒を酌み交わさなければいけないのか。それに女子たちの、値踏みするようなあの視線。
だけど柿本の「いい加減、ちゃんと彼女を作れよ」との言葉に押し切られ、断り切れず参加したその合コンで、美香と初めて出会った。
バッチリと戦闘態勢を整えた女子の中で、普段と変わらない服装とメイク。そして何よりも優しい目元とあどけない笑顔に、ごっそり心の芯ごと持っていかれた。
———運命の出会い、なのかもしれない。
幸いなことに美香も同じ気持ちを感じてくれたのか、LINEを交換しあうと、その後は寝る間も惜しんで互いのことを知ろうとした。
LINEの吹き出しが、スタンプが増えていくたびに、会いたい気持ちが「既読」と共に募っていく。
磁石のように惹かれ合う。忘れかけていた、久しぶりのこの感覚。
美香と会うのは、今日で三回目。
正式に「付き合おう」とはまだ言ってない。今日こそはっきり伝えようと、気合に満ちた夕方前。
突然柿本から電話がかかってきた。
『なあ、お前らって、うまくいきそうなんだよな?』
『まーな。今日もデートなんだ。今日こそはっきり付き合おうって言うよ』
『お前の口からそんな言葉を聞くのなんて、いつぶりだろうなぁ』
『ああ、俺もこんな気持ちは久しぶりだ。ありがとな、紹介してくれて』
柿本の声が、急に止まった。
『……なあ、俺はお前のこと親友だと思ってるし、これからもそうありたいと思ってる』
『なんだよ急に。照れくさいこと言うなよな。俺もそう思ってるけど』
『だから、ちゃんと言うわ。……美香は、俺の元カノなんだ』
『え……』
それ以上は、言葉が続かなかった。
柿本は必死に「お前のことが心配で、仕方なく元カノのつてで合コンを急造したんだ」とか、「あの合コンでまさか美香といい雰囲気になるなんて思わなかった」とか、「今まで隠しててゴメン」などの弁明に、俺は適当に相槌を打って電話を切った。
柿本とは本当に長い付き合いだから、痛いほど気持ちが伝わってきた。そしてこんなことで、柿本との付き合いが終わる訳がない。
俺になかなか彼女ができないことを気にしてなのか、柿本も自分の彼女の話はしなかったし、そんな下世話な話をしなくても、柿本といるだけで時間を忘れられる。まるで自分の半身のような存在。
だから、柿本が俺のことを心配して合コンに誘ってくれたことに驚いたし、嬉しくもあった。
だけどまさか……こんなオチがつくなんて。
★☆★☆★☆
俺の気持ちは晴れないまま、車は七色の橋に差し掛かる。
「わぁ! キレイだねぇ!」
美香は助手席から窓の景色を楽しそうに眺めていた。
「美香ちゃん。もっと夜景が綺麗なところに連れてってあげるよ」
「本当っ!? 楽しみ!」
そのまま車を5分ほど走らせて、とあるサービスエリアに入る。
夜景で有名なビュースポット。
車を止めて外に出ると、高さもまちまちに聳え立つ闇夜に塗られたビルには、無数の光が散りばめられていた。
「すごい! とっても綺麗だね!」
「うん。ここは夜景で有名な場所なんだ」
秋の終わりを告げようとする冷たい風が吹き付けて、美香の長い髪がふわりと俺に絡みついてくる。胸の鼓動を悟られないように、髪を優しくすくい上げた。
「ちょっと待ってて。今暖かい飲み物でも買ってくるから。コーヒーでいい?」
「うん。ありがと!」
俺は逃げるように、自販機まで小走りで向かった。小銭を入れて、コーヒーを二本吐き出させる。
(———はぁ……。どうしようかな……)
やっぱり美香が好きだ。もう後戻りできないほどに。
だけど、どうしても柿本の元カノだったことを考えると、黒い気持ちが湧き起こってしまう。
いっそ俺が先に出会っていればよかったのに。
それか元カレが柿本じゃなかったら、どんなによかったか。柿本でさえなければ、例え元カレが知り合いでも、俺は気になんてしなかっただろう。
いつも俺を心配し、一緒に笑ってくれる大切な親友。
相手が柿本だからこそ、こんな憂鬱な気持ちになってしまうのか。
考えがまとまらないまま仕方なく、缶コーヒーを両手に持って美香の元へと戻る。
「お待たせ。無糖と加糖、どっちがいい?」
「んー。甘い方で!」
加糖コーヒーを差し出すと、美香は蕩けた笑顔で受け取った。
互いに缶コーヒーを一口飲む。一緒にコーヒーを飲んでいる。ただそれだけなのに、俺の体は必要以上に温まる。
「ねえ、広志くんって、本当に彼女いないの?」
「うん、いないよ。絶賛募集中なんだけどね。なかなか運命の人に巡り会えなくて」
「へぇー。結構ロマンチストなんですこと」
美香が揶揄したように笑う。目尻が下がって、ただでさえ優しくて可愛い顔が輝きを増した。
(———ああああ! もうそんな顔で見ないでくれぇ! トキメキ過ぎて死んじゃうだろぉ!)
合コンの翌週から二週連続で会っている。しかも仕事が休みの土曜日に。
もうこれはほぼ、成功のシグナルだ。普通の恋愛に疎い俺でも、それくらいは分かる。
いつもなら出会ってその場、もしくは翌週にはホテルに行くパターンだが、美香とは時間をかけて仲良くなりたい。
体の繋がりよりもまず、心を通わせ合いたい。
そう思って、今日は告白だけと決めてた俺のシナリオも、柿本の衝撃の告白ですべてが白紙となってしまった。
俺は、柿本の影を気にしないで、美香と付き合えるのだろうか?
美香は俺と柿本を比べたりしないだろうか?
女々しい気持ちが胸の奥でむくむくと増幅していき、俺を弱気にさせていく。
「ねえ、広志くん」
「う、うん? 何?」
真摯な美香の瞳には、哀れな俺の姿が映っていた。
「私と柿本くんが付き合っていたこと、知っているんでしょ?」
不意を突かれた。
まさか美香のほうからこの話題を振ってくるなんて。
「う、うん。今日、初めて聞いた。アイツから」
「そう……なんだ」
無言になった二人を引き離すように、冷たい風が通り過ぎる。
「俺、美香ちゃんのことが好きだ。これだけは信じて欲しい。今日、本当はちゃんとお付き合いして欲しいっていうつもりだったんだ……けど」
「……けど?」
「正直、テンパってます。まさかアイツの元カノだったんなんて、知らなかったから……」
美香がコーヒーを一口啜った。小さくほぅっと息を吐く。
「広志くんさ、可奈ちゃんって知ってる?」
「か、可奈……? 可奈って、山内可奈ちゃんのこと?」
「うん、そう」
可奈。
もちろん知っている。
俺のガールフレンドの一人だ。それも大人の関係アリのほう。
なんでここで可奈の名前が……。
「私ね、可奈の友達なんだよ」
え? え? ———う、ウソぉぉぉぉぉ! 一体どんなつながりが!
「本当はね、別にこんなこと言うつもりじゃなかったんだけどね。広志くん迷ってるみたいだったから、ちょっとイジワルで言ってみた」
「なんでまた、そんなこと……」
「私は今ね、広志くんのことが好き。現在進行形だよ。過去は過去じゃない。それじゃダメかな?」
「———ははっ、はははははははははは!」
「ど、どうした? 広志くん!?」
俺は何を迷っていたんだろう。
俺と違って。
それにそこら辺のクズ男と付き合っていた過去より、100倍安心できるってもんだ。
「美香ちゃん、ありがとう。過去は過去。当たり前だよね。それに誰にだって過去はある。俺は小さいことにこだわっていたよ」
心のもやが一気に晴れた。
「あ! 大変だ! 美香ちゃん! 俺の缶コーヒー、ちょっと持っててくれない? ……車の鍵、落としちゃったみたいでさ!」
「え、本当にっ!? じゃあ早く探さないと!」
俺は美香の空いた左手に、無糖コーヒーの缶を手渡す。
両手に缶コーヒーを持ちながら、美香は足元に目を走らせた。
俺は両手でポケットをゴソゴソと漁ると。
「———あ、ゴメン。ポケットにあった!」
車のキーをチャラリと美香の頭上で鳴らしてみせた。
「ああ、よかった! ここで鍵なんて落としちゃったら見つからな———!!」
見上げる美香にキスをした。
両手を缶コーヒーで塞がれた美香に、抵抗する術はない。
「イジワルされた、お返し」
「……もう! 不意打ちなんて卑怯だよ!」
「これも立派な策の一つだよ、美香ちゃん。……俺と付き合って」
「……先が思いやられるなぁ。泣かされたりしないかな?」
「大丈夫。きっと幸せにするから」
最後の言葉は美香に言った言葉と同時に。
———俺が幸せにするからな。安心してくれ。
眼下に広がる夜景は今もまだ、夜空に浮かぶ星々よりも煌々と輝いている。
人口的に作られた無数の瞬きが、一歩前へと歩み出した二人を祝福してくれているよう。
俺は自分勝手に、そう感じていた。
セカンドキス 蒼之海 @debu-mickey
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