人魚姫の甘い記憶

mw(ムゥ)

第1話人魚姫の甘い記憶

僅かに開いた換気窓から、やたらと甘ったるい匂いが漂ってくる。


恐らく外では色んな『愛』と共に、様々なお菓子が捧げられているのだろう。


こんな日は、いつもよりも多くの人が、人魚を愛でに来る。


捧げられる『愛』も無く、周りの雰囲気にも馴染めず、でも諦められず、


縋るように幻想郷を訪れる。


人魚はいつものように、いつもの水辺で濡れそぼった髪をかきあげ、


訪れた人々に幻の『愛』を振りまいていく。


外の雰囲気に充てられてか、今日はやたらと捧げ物が多い。


装飾品、花束、衣服、金。


そしてチョコレート。


周りから「人の贈り物には往々にして悪意が込められている。特に食べ物は絶対口にしてはいけない。」と教えられている為、口にはしなかった。


本人達にも食べられない旨は伝えたが、「こういうのは気分だから」と半ば無理やり押し付けていった。


勿体ないと思ったが、自分も参加したという何が欲しかったのだろうと納得する事にした。


夜の帳が下りる頃、喧騒が落ち着いたらしい外の様子が気になり陸に上がる。


人魚は気が向いた時、陸に上がっては声を掛けられるままに陸の遊びを楽しんだ。


時には食べ、


時には飲み、


時には歌い、


時には踊り、


そして、遊びの終わりには、楽しかった時間の対価として腰を振った。


ベッドや、車、人気の無い路地裏などで行なうそれは、水辺で行なうそれと変わりなかったが、人魚は何となく非日常な気がして嫌いではなかった。


いつものように声をかけられるのを待ったが、日が日な為か声をかけられることは無く、持て余した人魚は携帯を取り出し、めぼしい所に電話をかける。


「もしもし」


取られた電話の先であくびをかみ殺している気配がした。


要件を伝えると、30分待つように言われ待っていると、遠くから走ってくるのが見えた。


肩で息をしながら「おまたせ」と言われ、少しだけいい気分になりながら男が落ち着くのを待って歩き出す。


男は陸で人魚の正体を知っているただ1人の人だった。


そして嘗て人魚がにんげんだった頃を知るただ1人の人だった。


人魚にとって男は1番会うのが辛く、然し1番安らげる、そんな存在だった。


とりあえず歩きながら酒でも飲もうという事になり、近くのコンビニに入るととても懐かしい物が目に入った。


それは昔に流行った指輪の形のキャンディだった。


指輪の宝石にあたる部分がキャンディになっており、指に嵌めたまま舐められるというものだった。


皆がお姫様ごっこをしながら美味しそうに舐めてるのを、毎日ただ眺めているしか無かった。


そんなある日、突然1人の男の子が何かを投げつけてきた。


見るとそれは羨ましげに眺めているしか無かった指輪の形のキャンディだった。


「お前のためにわざわざ取ってきてやったんだぞ!うれしいだろ!よろこべ!」


驚いたが何となく事情を察し 、投げて寄越されたそれと投げて寄越した男の子の腕を掴み、取ってきたであろう店へ向かった。


店のおばさんに事情を話すと「このバカ息子が!」と男の子にゲンコツを食らわせた。


目の前で繰り広げられる出来事に戸惑っていると、おばさんがこちらに来て「息子が迷惑かけたね」とそっと指輪の形のキャンディを渡してくれた。


それは陸で唯一の暖かい思い出となった。


コンビニを出て買ったお酒を飲みながら、甘い空気が薄らいだ街をブラブラ歩き、そろそろ帰ろうという時、男に向かってコンビニで見かけた指輪の形のキャンディを投げて渡した。


HappyValentine


顔を真っ赤に染めながら「覚えてろよ!」と何処ぞの悪党みたいな台詞を吐いて帰って行く男を笑いながら見送った。


数週間が経ち、人魚はいつものように、いつもの水辺で濡れそぼった髪をかきあげ、訪れた人々に幻の『愛』を振りまいていると、ポロポロと見返りを望む人達が現れ,そういえばそんなのだったと思い出す。


それから数日後、水辺に招かれざる客がやって来た。


絶対水辺に来て欲しくなかった。


水辺に佇む人魚の姿を見られたくなかった。


この人だけはそんな事はしないと願ってやまなかった。


全身で怒りを露わにする人魚の事など気にもしないように、男は片膝をつき、小さな箱を突き出し、パカッと開けて見せた。


中にはあの日、男に投げて渡した指輪の形のキャンディと同じ色の宝石をあしらった指輪があった。


更に指輪にはメッセージタグが付いていた。


Happy White Day


「そろそろ陸で暮らせよ、お姫様。」と言いながら、あの日指輪の形のキャンディを投げつけた時と全く同じ顔を見せた男に、あの日のおばさんと同じようにゲンコツを食らわせた。




『お母さん』


『お母さん』


『お母さーーん』


響き渡る大声の元に目を向けると、娘が苛立ちながらこちらを睨みつけている。


『早くして、チョコ固まっちゃう!』


娘の手には、湯煎が終わり、あとは型へ流すだけのチョコがあった。


『何ニヤニヤしながら遠く見てんの!』


『ちょっとね、昔人魚姫に指輪の形のキャンディ捧げた王子様の話思い出して』


『なんかよくわかんないけど、キモい事だけはわかった♡』


満面の笑みで荒々しくチョコを型に流し込む娘を横目に、夫に投げつける指輪の形のキャンディを作る為、宝石の形の型に溶けた飴を流し込む。


甘ったるい匂いと、あの頃の人魚姫にとって想像も出来ない日常が漂っている。


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