三 狩人殺しと呼ばれた獣(一)

 最初の記憶は、母の乳を吸いながら、母の身体が冷えて行くのを感じたことだ。

 満腹にはなったが、長く生き延びることはできないかも知れないとぼんやり理解した。


「爺様、いくらなんでも魔獣の仔だぞ、本気か?!」

「わしらは、獣を獲らねば生きていけん。獲り過ぎれば、自分の首を絞める。だから、仔連れと腹ぼての牝は出来るだけ避ける。だが、この冬はそうもいかんかった。この魔獣のお陰で、わしらは生き延びられる。産み落としたこれの命くらいはせめて春に繋いでやろう。猟犬や鷹の代りになるかもしれんし、人に慣れなければ山に離す」

 自分を抱き上げた老いた人間が、鳥や獣を狩る猟師で母を殺したのだと言うことも理解した。

 何かの毛皮で包まれ、その人間の懐に押し込まれると、いくらかは寒さが和らぎ、そのまま眠りに落ちて行った。




 老猟師は村でも尊敬されているらしく、懐から魔獣の仔が顔を出しても、眉をひそめこそすれ、それを咎める者はいなかった。


 むしろ、村総出で久しぶりの獲物の解体が始まり、あっという間に、母であったモノは、最早地面の血の染みだけになった。

 魔獣の素材は高値が付くらしく、内臓まできれいに仕分けられ、村人が食べる僅かな肉だけが小屋の中へ運ばれ、残りは様々な容器に詰められ、梱包されて大きな木箱五つ程になり、商人達が来るのを待つばかりになっていた。



 若い猟師が街まで走り、買取りの商人を連れて来るのに往復で丸三日は掛かるという村長の口振りだったが、獲物が獲物だけに翌日の夕方には商人達の馬車が麓に着き、村まで上がって来た。



鷲獅子グリフォンというのは、獣なのかね、鳥なのかね」

 世間話のつもりか、値踏みを読まれないためか、老獪そうな商人は様々な話を絶え間なく喋り続ける。


鷲竜ドラグリフだ。鷲獅子グリフォンの中でも珍しい種で、王鷲獅子キンググリフォンとも呼ばれる。魔獣は、鳥でも、獣でも、蟲でもあり、どれでもない、君臨するモノだ」

 老猟師は、静かに言う。

「この冬の異常な寒さと獣の少なさがなければ、腹を空かせた鷲竜ドラグリフも我等の狩場へ降りて来なかっただろうし、我等も魔獣を狩ろうとはそもそも思わない。そういう代物だよ。鷲獅子グリフォンの倍以上の魔力を普通なら備えていて、魔法も使う。仔を孕み、飢えていて力も十分に出せなかったから獲れた」

 わずかな悔いの滲む物言いで、続けた。

「これは、わしらの村への天の恵みだから、値切ろうとするなら罰が当たるし、わしらは、この冬の飢えを天候のせいと言うより、あんたに値切られたせいだと記憶することになるだろう」

 老猟師は村長の後ろで淡々と言い、鋭い眼光で商人一行を見渡した。


 魔獣の中でも希少な素材を独占するべく、昼夜構わず馬車を走らせて来たのだろう、馬車を曳く馬の替えばかりではなく、護衛の傭兵達まで替えの馬を連れている。

 しっかり元手をかけている分、この取引の価値も弁えているだろうが、困窮する村の状況につけ込むようなら今後の取引は無い。


「値切るだなんて人聞きの悪い。少しでもいい商いを、と常に思っているだけでね」

 商人が使用人と傭兵に目で合図すると、馬車の後ろの扉を開いて、中くらいの木箱をいくつかと大きな袋を下ろし始める。 

「流石にこの量の王鷲獅子の素材を一括払いと言う金額は、昨日一日では私でも工面できなかった。そこで、モノは相談なんだが」

 木箱を開け、中を見せる。

「木箱の瓶は酒と油で二箱づつ、魚の干物と干し果物と乾酪を詰めたのが一箱づつで計七箱。袋の方は小麦と豆がとりあえず三袋づつ。小さい袋は塩だ」


 村長は唖然としていたが、老猟師は頷く。

「確かに、金を貰って街へ買い物に人を遣る手間は省けるな」

 何人かを買い出しに行かせるとしても、宿代や食費はかかるし、その間を食い繋ぐことを考えれば運び賃を上乗せされても、この食糧は確保したい。


「では」

 商人は買い取るモノと量の一覧を書き出して、買値を付けて行く。

 文字や数字が読めて計算が出来るのは村長なので、村長は読み上げて老猟師に値付けが妥当か確認する。

 続けて、商品を一覧にして売値を付けて行く。足元を見て値を吊り上げるような真似はしなかった。運んだ手間を考えれば妥当というより良心的なくらいだ。

「商品の分を引いて、残りの六割を今現金で、四割を一ケ月後の手形で渡す。この手形は、ウチの商会に持ち込んで貰えば、現金でも食糧でも好きな形で支払う。同じ運び賃で村まで運んでもいい。この条件でいいか?」


 猟師村にとっては、実にいい取引になった。


 商人も、一部は手形払いだし、食料品は別の商人からの掛買いなので、資金が尽きる前に、素材を独占して販路に流す時間が稼げる。

 何より、近隣で名を馳せている老猟師の信用が勝ち取れたなら、商売は先々に繋がって行く。村の若い猟師達も、老猟師から薫陶を受けているのだろう、いい面構えをしていた。投資としても、申し分ない。


 名付けられていない鷲竜の仔は、生後三日目にして思考回路の異なる人間の心と知識を覗いて、人の世界の複雑さと奥行きに思考を走らせる。


 母の消え去る命から受けた乳と記憶は、生き抜くに十分なモノでは無かった。その不足分を、人間達から得なくてはならない。

 だが、今のところ、駆け引きだの鷲竜や小麦や豆の相場だの、役にはあまり立ちそうにない知識しか増えていない。

 ただ、馬という生き物を間近に見られたのは、良かった。母の、種族の記憶によれば、美味くて量があって、人間の領域には必ず居るが、人間の財産でもあるので、手を出せば人間を相手にすることになる。

 その味は、人間達をモノともしない強さを得た、成獣の証と言ってもいい。

 母であれば、上空を舞っただけで馬達を狂騒状態パニックにさせたのだろうが、今の自分では、いくら凝視したにらんだところで、馬達の鼻息一つで終わりだ。


「どうした、ガランサス? 馬が食いたいのか? 小さくても、鷲獅子グリフォンの王だな」

「爺様、そのガランなんとかって、コレの名か?」

「そうだ、春になったら、飼うか放すか決めるつもりだと、言ったろ。待雪草ガランサスの咲く頃までに慣れねば、仕方ないからな」


 ソレとかコレとか魔獣の仔とか呼ばれていた自分は、最初にガランサスと名付けられた。










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