その10-2

「女寄越せよ」


 バットを持っている男が首を振る。


「動けよっ」


 ドンッ――とアイラの横にいる男が乱暴にアイラの肩を押し飛ばした。


 廉がアイラの腕をしっかりと掴んでいて、押された反動で前のめりになったアイラを廉が強く引き戻す。


「てめぇ、邪魔なんだよ。ふざけんなっ」


 廉の横にいた男が忌々しげにそれを吐き捨てて、廉の膝後ろを蹴り飛ばした。


「っ……!」


 ガクッと崩れ落ちた廉のすぐ横で、間髪入れずにまたすぐに蹴り上げてきた。


 器用に廉がそれを腕で庇ったが、昨日の傷に当たり、廉の顔が少ししかめられた。


「やめ――」

「お前は、あっちだ」


 廉の前に膝をつきかけたアイラは、また後ろからドンっと乱暴に押され、廉の腕から外れてしまった。


「捕まえれよ、その女」


 その指示を受けて、すぐに後ろに立っていた男の二人が駆け寄ってきて、アイラの腕を両端から掴み上げるようにした。


「大騒ぎしたって、今回は誰も助けには来ないぜぇ」

「そうそう。だから、しっかり俺達の相手するんだな」

「俺のしっかり舐めれよぉ」


 嫌らしく舌をアイラの顔の横で出しまくって、気色悪さに超寒気がしてくる。


「俺達全員相手にするんだからよ、やっぱりそれなりにハイにならないとダメじゃん」

「あっ、それ最高」

「やっぱり、ミックスだぜ。あれは効くしぃ」

「そうそう。ハイが一番、ってな」


 バットを持った男が口を曲げながら、自分のポケットから小さなボトルを取り上げてみせた。


「ヨウ、渡せよ」

「オーケー」


 後ろの男もポケットから小さなビニール袋を取り出して、バットを持っている男にそれを手渡していく。


「これなんだか、知ってるか?ハーイになる、最高のモンだぜ。コレ一口で、天にも昇る気分を味わえれる。俺達相手にして、ハイになるには最高だぜ」

「そうそう。一気に飲んで、全部、忘れろよ」


 バットを持っている男が器用にバットを足で押さえながら、ボトルの中身をその袋の中に空けていき、口を閉じながらシャカシャカと中身を振っていく。


 それが終わり、目を爛々と輝かせて、バットを持ち替えながらアイラの前にゆっくりと近づいてくる。


「さあ、ハイになれよ。俺達の相手して、その後は、他の奴らに売ってやるぜ。売れ残りは高くないけどよ、まあ、タシにはなるだろうぜ」


 グッと肩を動かしても、アイラの両腕をしっかりと押さえつけられて身動きすることもできない。


「お前ら、何やってんだよっ」


 突然、振って沸いた叫び声に、男達がバッと後ろを振り返った。


 その視線の先で――なぜか、龍之介がその出入り口の前に立っていたのだ。


 驚いて瞳を上げるアイラの前で、その場の状況をサッと見て判断した龍之介が、キッと強く睨み付ける。


「お前達、何やってんだよっ! あくどい真似するんじゃねーよ」

「なんだぁ、お前。チビはあっち行ってろよ」


 入り口に立ってる男が、ドンッと龍之介の肩を跳ね飛ばす。


「俺に触るなよ」

「触るな、だぁ? ふざけんなよ。お助けマン参上、ってか? お前みたいなチビに何ができるんだよ。ふざけんなよ」


 ドンッ、と男がまた龍之介の肩を押し飛ばす。


「俺に触るな、と言ったはずだ」

「だったら、何だって言うんだよ」

「おい、邪魔だ。そのガキ、連れてけよ。さっさとぶん殴れば済むだろ」

「わかってるって。邪魔なチビだな」

「チビだ、ガキだって、馬鹿にするんじゃねー!」


 キッ、と男達を睨みつけた龍之介が一歩動いた――同時に、ズダンッ! ――と龍之介の前にいた男が勢いよく地面に投げ飛ばされたのだ。


 さすがのアイラも、一瞬、ポカンと呆気に取られていた。


 グイッ――と腕が力いっぱい引っ張られてバランスを崩しかけたアイラは、その腰に回された腕と一緒に、気がついたら廉の背中の後ろに庇われるように立っていたのだ。


 エイヤっ――!

 ハイヤっ――!


 サッと、廉の肩越しに龍之介を確認したアイラの視界の前で、龍之介が次から次へと、男達を投げ飛ばしていく。おまけに、持っていたカバンで横の男を叩きつけたかと思うと、瞬時にその男の胸倉にスッと入り込んで背負い投げをする。


「――手伝わない、の?」

「いや、龍ちゃんはああ見えても強いから。菊川家って言うのは、古くからあるかなり有名な武道家の家らしい。龍ちゃんは剣道の師範も持ってるし、柔道と空手も黒帯なんだ。居合いもやるらしいし」


 初めて聞く龍之介の事情に、アイラも半ば感心しながら、目の前で繰り広げられる龍之介の一人試合――とでも言おうか、それを眺めてしまっていた。


「ふざんけんなよっ、お前ら!」


 ――と怒涛の攻撃を繰り広げている龍之介を見る限りでは、手伝いは全く必要ないようである。


「龍ちゃんのおじいさんが厳しい人らしくて、受験とかもあんまり賛成してないそうなんだ。それで、龍ちゃんも勉強できる場所が限られてるんで、俺の家に来てることが多い」


 ふうん、とそこら辺の事情も初めて聞いて、アイラは廉の背中越しから龍之介にエールを送る。


「龍ちゃん、ガンバレ~」

「君も、この状況で気が抜けるようなことを――」


 呆れたような廉の下に龍之介が投げ飛ばした一人が、ドンッとぶつかってきた。


「――っふざけんなよ。いい気になりやがって――」


 どうやら、投げ飛ばされても向かっていく元気はまだあるようである。


 スッ、と廉が動いて、素早くその転がっている男の顔を片腕で囲い上げた。


「――うあっ――!」


 いきなり首を引っ張られてガンジ固めにされた男は、無理矢理、首を引き抜こうと大慌てであがき出す。

 グッ、と廉の脇下の辺りでしっかりと羽交い絞めされている男の顔が、苦痛で歪みだしていた。


「組んで襲えば怖いものなしだとイキがっている奴らに限って、一人で戦うことになると、その自信過剰もすっかりなくなってしまうものだが」


 グッ、とさらにきつく絞められて、男が白目を向いて廉の腕の中でへたれてしまった。

 情けもなく、廉がその男をポイッと投げ捨てる。


「龍ちゃんなら手伝いはいらないと思うけど、うるさいのは一応片付けておいた方がいいだろうから」


 龍之介の迫力に押されて廉とアイラには背を向けていた男達の一人を、廉がまた腕を伸ばして羽交い絞めにする。


「ちょっと、そこで押さえててよ」


 少しだけ後ろを向いた廉の前で、アイラがその瞳に不敵な輝きを浮かべてゆっくりと廉の前に歩いてきた。


「随分、したい放題やってくれたじゃない。私に手を出すなんて、100年早いのよ。うちのオニイサマが何て言ってるか知ってる?」


 不気味なほどの薄い微笑を口元にみせていくアイラは、その冴え冴えとした冷たい目で男を見下ろし、


「容赦せずに蹴り飛ばせ、よ」


 それを言い終えるや否や、アイラの足が躊躇いもなく真っ直ぐに目的の一点を思いっきり蹴り上げた。


「@#%★※!▲*?!※□□□□―――」


 悲鳴にならない呻き声が吐き出され、廉の腕の中の男は白目をあげるどころか、口から泡まで吹き出して、グタン――と失神してしまった。


 同情をみせる気は毛頭ないが、それでも、その痛さの極限は、想像しなくても予想ができる。


「ああ、これは回復不可能だな」

「当たり前じゃない。こんなクソ共なんかに回復させてやるほうが間違ってるわ」


 ああスッキリ――とでも言いたげなアイラは、パンパンと埃を払い、わずらわしそうにその髪の毛をかきあげた。


「龍ちゃんも終わったみたいじゃない。やるわね、龍ちゃん」


 サッと辺りを見渡したアイラの前では、龍之介にこてんぱにやられた男達が苦痛の唸りを上げて転がっていた。


 はあはあっ――と肩で呼吸をしている龍之介は、全員が動けない様子を見取って、その転がってる男たちを跨ぐようにして、アイラと廉の所に駆け寄ってきた。


「大丈夫か?」

「そうね。龍ちゃんって、見かけによらず強いのね。感心しちゃった。すごいわね」

「俺は――まあ、腹が立って―――」

「まあ、その気持ちは十分に判るわよ。この程度じゃ、本当は許されないんだけど」


 それで、龍之介はちょっと後ろを見やって、その顔を複雑そうにしかめていく。


「――俺は――こういうこと、やっちゃいけないんだけど……」

「なんで?」

「俺は有段者だから……暴れるのは――故意にやったことにさせられるから……」


「ああ、そんなこと気にしなくても大丈夫よ。女を襲って、バカ放題しまくりのこんなクズ共、同情するほうがおかしいわ」

「でも……」

「気にすることないわよ」


 そう言ったアイラは、サッと制服から自分の携帯を取り上げて、手早くその番号を押していく。


「ちょっと、襲われたわ。――叫ばないでよ。全部、片付けたから、早く現場に来て欲しいんだけど。他のおまわりさんとか来てうるさくなる前に、片付けてよね」


 それだけを言いつけ、そして、端的にここの場所を説明して、アイラは簡単に電話を切ってしまった。


「――誰に、電話したんだ?」

「知り合いよ。ここにいてヤバイなら、トンズラしていいわよ。後は私が処理しとくから」

「柴岬が? なんで? 一人でなんて、危ないよ」

「龍ちゃんが全部片付けてくれたじゃない」


「でも、すぐに気がつくだろうぜ」

「だったら、まとめて縛り付けるしかないけど、縄もないものね。あいつらのバットで見張ってるしかないかしら」


 ヒクリ――と微かに龍之介の顔が引きつりをみせたが、アイラはそんなことおかまいなしに一人の男が握っていた金属バットを取り上げた。


 片方の手で持って、ポンポン、と反対の手に打ち付けているその様子――というか雰囲気が、かなりアブナイ感じが受けるのは龍之介の気のせいなのだろうか。


「柴岬、それ、どうするんだ?」

「決まってるじゃない」


 またも、全くの躊躇もなく、アイラはその金属バットを真っ直ぐ振り落とすようにして、すぐ足元に転がっている男に向かって一撃をかました。


「――うぐぁっ――!」


 腕と腹を抱えていたはずの男は、大声を張り上げて、今度は体を丸めるようにしてその場で激しく揺れていた。


「……柴岬……――それは――やめた方が――」

「ああ、龍ちゃん、今は止めないほうがいいよ。立派なオニイサマが、ああ育て上げたらしいから。――今は、関わらない方が賢明だ」

「立派な――オニイサマ? ――柴岬の? それで――あれ……――あんなに――ああ……、痛いのに……」


「身から出た錆だよ。これで、しばらく当分はこんなくだらないことをしようなど思わないだろう」

「そういう――問題じゃ……」


 ないだろう? ――とかなり顔を引きつらせている龍之介は、バットを片手にそこに立っているアイラを見やりながら、かなり強張った顔をしたままだった。


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