その9-02

「アイラちゃん」


 靖樹の事務所を出てきて、家に帰りがてらのアイラと廉の後ろから声がかかって、二人が振り返ると佐々木がそこに立っていた。


「簡単に諦めるとは思わなかったけど、しつこいのね、佐々木さん。そんなに私が忘れられない?」


 からかうような嫌味を言うアイラに、佐々木はくすっと笑って、

「そうなんだ。アイラちゃんは特別だからね。だから――ちょっともう少しだけ話がしたくて。――そこの彼氏もよかったら一緒に」


 アイラだけに用があるのではなく、どうやら廉にも用があるらしい。


 通りを少し歩るき出しながら、帰宅ラッシュの人込みを避けるように、佐々木が横道に逸れていった。

 1ブロックも歩かない所で、佐々木が足を止め、電話ボックスに寄りかかるようにした。


 それから、ぽつり、ぽつり、とある話をアイラに聞かせ出した。


「カップルを狙うグループがいて―――。ちょっとここ頻繁に、公園内とかで襲ってる事件が相次いでいるんだ。困ったことに……、必ずカップルを標的にして、グループで襲い掛かる残忍な事件が続いているんだ。先週も――あるカップルが襲われてね」


「公園で?」

「そう」

「なんで公園なのよ。デートが公園? そんな所で、イチャつく方もどうかしてるわね」


 冷たくそれを言い捨てるアイラに、佐々木はちょっとだけ苦笑を浮かべてみせる。


「そう――だけど、ね。まあ、デート帰りなのか、公園にちょっと立ち寄って行く――みたいなケースが多いんだけど――」

「まさか、子供が行くような一般的な公園なんかじゃないんでしょう。――なに? 公園がデートスポットなわけ? ラブホテルがある割に、そんなチンケな所でイチャつくなんてねぇ。ポルノじゃあるまいし、見せびらかして興奮する、って言うの?」


 更に鋭く突っ込まれて、佐々木は渋い表情を浮かべてしまう。


「いや……、まあ――人それぞれだからね、それは。ただ――そう言ったカップルが狙われる事件が相次いでいるんだ。たぶん、手口から見ても、同一犯人の仕業だと思っているんだけどね。かなりの広範囲の場所を荒らしているようで、狙われたカップルの所持品とかも事件後に盗まれている」


「それで?」

「それで――今までのパターンから、警察側もある程度の場所をマークしているんだ。それで、婦人警官を立たせて、事件が起こりそうな公園に潜入させる予定にもなっている。その捜査が今夜にもあってね」


 その話を聞き終わり、アイラが無表情に佐々木を見返す。


「――それで? そんな極秘情報を話すくらいだから、まだ裏があるわよねぇ、佐々木さん?まさか、私に囮になれって言ってるんじゃないわよね。こっちの彼氏に昇格した男と」


「そう。アイラちゃんは勘がいいし、機転も早いから、誤魔化してもすぐに見破られるだろうし。それで、正直に話すことにしたんだ。アイラちゃんに囮になって欲しいんだ」

「俺の出番は予定されてなかったようですけど?」


 黙って話を聞いていた廉がそこで口を挟んだ。


「うん、そうだね。アイラちゃんのことは知っているけど、君のことは今日まで知らなかったものだから。本来なら、うちの刑事の一人をアイラちゃんの彼氏に当てて、囮捜査をしなければならないだろうと思ってたんだ」


「なぜ、彼女なんですか?」

「それは、アイラちゃんが特別だから」

「なにが特別なんですか?」


「靖樹の所に来ているのが、アイラちゃんだからだよ。靖樹はね、ああ見えても、かなりの切れ者なんだ。そういう奴が、仕事とは言え、女の子を裏捜査に回したりなんかしないものだ。まして身内なら尚更だ。だけど、アイラちゃんがやって来て、俺も最初は反対したけど、一月もしないうちに、すでに二つの元手からアイラちゃんが薬を手に入れている。その線を追って、俺達もかなり深い線まで入り込むことができてね。靖樹もそれを知っていたから、アイラちゃんを送り込んだんだろう」


「彼女が同意するしないは判りませんが、俺が同意しなかったらどうなるんですか?」

「そうしたら、うちの刑事の一人をアイラちゃんに当てるつもりなんだ。婦人警官ともう一人の刑事も、もう一つのアテの公園を張ることになっている。チームが分散されるけど、それでも、可能性が高い場所を当てるしかないからね」


 それを話し終えて、佐々木はアイラに向いてスッと頭を深く下げた。


「アイラちゃん、無理なことをお願いしているのは百も承知だ。それでも、俺はどうしても君にお願いしたいんだ。事件が重なって――これ以上の被害者を出るのを、黙って見過ごしてはいられないんだ。だから、お願いするよ。どうか、今夜だけでも俺に力を貸して欲しいんだ」


 それを言ったまま、佐々木は頭を上げない。


 廉がアイラを見返し、

「やめた方がいい。刑事が一緒に隠れていようと、危険がないとは言い切れない。もしそのヤマが当たってるなら、とても危険なことを、この人は頼んでいることになる」

「そうね」


「だったら、断る?」

「そうしたいのはヤマヤマだけど、私はね、男に頭まで下げさせて、それを無視するような女じゃないの。プライド捨てて頭下げるんだから、それだけの理由があるんでしょうよ」


 パッと顔を上げた佐々木がアイラを見返して、一瞬、本当に安堵したような顔を浮かべた。


「ありがとう、アイラちゃん」


 そして、その暗黙の視線が静かにアイラの隣に向けられる。


「受験勉強に専念してなさいよ」

「でも、俺は一応付き添いだしね。彼氏に昇格もしたから」

「これは関係ないでしょう」

「そうかな?」


 廉の無言の眼差しが佐々木に投げられて、佐々木はちょっと考えるような素振りをしてみせたが、少しだけ眉根を寄せる。


「関係――ないとは、言い切れないかな。グループがあって、根本的には全部繋がってるだろうと――俺は考えてるから。薬の受け持ち側だろうと、実際に行動する側だろうと、さして違いはないと思う」

「被害者の男はどうしたの?」


 それを聞かれても、佐々木はそれを言うのを躊躇っているようだった。


「そういうことよ。下手に首を突っ込んで、今度はヤケドどころじゃ済まなくなるわよ」

「そのようだね。でも――仕方がないだろう」

「なんでよ」

「女の子の君がやるって言ってるのに、俺が逃げるわけにも行かないだろうし――」



* * *



「寒いわ」


 北風が足元を通り過ぎていくほどに、暗闇が広がる夜は冷え込んできた。動きやすいように、仕方なく、自分のコートを脱いだアイラは嫌そうに文句をこぼす。


「暖めてあげようか?」

「ちょっと、余計な所、触らないでよ」

「まだ、触ってないだろ?」

「まだじゃなくて、いつでもよ」


「君は、本当にシラケさせるようなことしか言わないな。それだと、男も続かないだろう?」

「その程度の男は相手にしないからいいのよ」

「そうですか」


 自信満々に言い切るアイラに、廉もそれ以上の指摘はしない。


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