その5-01

「さーて、今日も一日元気だぞー」


 タタッ、と足並みも軽く、軽快なステップで通りを駆け抜けていく龍之介は今日も元気だ。肩にバッグをかけて、手持ちの袋もぶらさげながら、その足が真っ直ぐに駆け抜けて行く。


 土曜の朝は、いつものことながら、廉の家にお邪魔させてもらっている。


 試験間近の大事な時期であるから、どこにいても勉強にせまられている龍之介だったが、それでも、一人暮らしの廉の好意に授かって、土曜はいつもわずらわされることのない廉の家を訪ねていた。


 家で勉強をしても良かったのだが、龍之介の実家――が少々問題で、土曜の朝もうるさく言われるのを避ける為に、龍之介は廉と知り合いになってから、ほぼ毎週、廉のマンションを訪れていた。


「おっはよう!」

「ああ、龍ちゃん。お早う。上がってきていいよ」


 インターホンで元気に挨拶を済ます龍之介に廉は笑っているようだった。向こうでドアのロックが外される音がしたので、早速、龍之介は廉の部屋へと進んで行く。

 エレベーターを降りて、家の前のドアベルを鳴らすと、すぐに中からドアが開いて、廉が顔を出した。


「おっはようさん。今日もよろしく!」

「龍ちゃんはいつものことながら元気だ」


 半ば感心しながら、廉が龍之介を中に入れていく。

 それで、お邪魔しまーす、と軽快に中に入って行き、靴を脱いで、そのまま真っ直ぐに居間に向かい出した。


 だが、その歩調が少しだけ止まって、龍之介のくりくりとした瞳がまた玄関に戻された。


「え? ――もしかして、誰かいるの?」


 見たこともない女性もののパンプスが玄関に並べられていて、龍之介はそれを聞き返しながら、驚いたように目をくりくりとさせていた。


「だったら――俺、帰るよ。邪魔しちゃ悪いから」

「ああ、気にしなくていいよ」

「でも――」

「大丈夫だよ。本人も気にしないだろうから」


 なんだか訳の判らない呟きだったが、廉がさっさと居間に戻って行くので、龍之介はどうしようか躊躇したが、一応、廉の後について居間に入って行った。


 ちらっと中を見渡した龍之介の前で、予想されたような女性が見当たらない。


「龍ちゃんが想像しているようなことじゃないよ」


 なんだかおかしそうに廉が笑っていた。


「そんな――ことは、ないけどさ……」


 バツが悪そうに照れてみせる龍之介は、手に持っていた袋をかかげてみせるようにした。


「これ、朝ご飯。朝早くからお邪魔してるから」

「ああ、いつも悪いね。それ、この間のパン屋さん?」

「そう。おいしい所だから」

「そうだね。毎回、悪いね」


 ううん、と首を振る龍之介から袋を受け取って、廉はゴソゴソと中の包みを取り出した。


 スタスタ――と音はないが、気配だけが近づいて、龍之介は咄嗟にその気配の方を振り返っていた。振り返って―――ポカンとしたように口を大きく開けて、その場で唖然としてしまっていた。


「まだ寝ててもいいんだよ」

「それはどうも」


 スタスタと居間に歩いてきた本人は、わずらわしそうに自分の髪をかきあげ、その場で大きく口を開けて呆然としている龍之介にその視線を向けた。


「龍ちゃんとは、お勉強会なんだ。土曜は大抵ね。朝ご飯の差し入れもあるけど、君は食べる?」

「もらう――わ」

「そう。だったら、コーヒー?」

「コーヒーは飲まないの」


「だったらなに?」

「随分と親切じゃない」

「昨日からずっと親切だったはずだけど? まあ、ここまでコキ使われたから、サービスするならとことんしますけどね」


 アイラはそれを聞いて少し口を曲げているようだった。


「シャワー使うなら使っていいよ」

「それはどうも。遠慮しないで使わせてもらうわ」

「遠慮するの?」


 それで、アイラが廉を振り返った。そして、その瞳を薄く輝かせて、随分と艶かしい微笑を口元に浮かべていく。


「もちろんよ。変態以外は、ね」


 それで、今度は廉の方が嫌そうに眉間を寄せてしまっていた。


「タオルも全部、脱衣所にあるから、勝手に使えばいい」

「それはどうも」


 アイラはそのままスタスタと向こうのバスルームに向かって歩いて行く。


 その去っていく後ろ姿までも、龍之介は目が釘付けのように、じぃっとその視線が追っていく。

 向こうに消えていくその姿が、扉の閉まる音と共に本当に消え去って、龍之介は強張ったようにその眼差しを廉に戻していった。


「あれ――なんで――一緒にいるの? なんで、柴岬が――廉のマンションに? ――泊まったの? なんで――え? もしかして……付き合ってるの? 廉が柴岬と? なんで? ――ええぇ?!」


 困惑と当惑が明らかで、意味不明な質問を繰り返した龍之介だったが、自分が質問した内容を頭で繰り返しながら、その意味が示唆する方向を考えてしまって、いきなりボッと顔を真っ赤に染めてしまった。


「あっ……ごめん……。そんなヤボなこと聞くんじゃなかった――でも、あの――ちょっと……びっくりして……。――だって、廉が――」

「龍ちゃんが想像してるようなことは何もないよ。全然、やましくないんだ。残念なことに」


「残念? ―――本当? やましくない――って、なんで? なんで、柴岬がここに――泊まったんだよな」

「まあ、そういうことになるけど、部屋は別々だよ。ゲストルームがあるから」

「ああ、そっか……」


 一応は納得をしたものの、それでもなぜ?という疑問が判らなくて、その当惑しきった顔を龍之介は廉に向けていた。


「ああ、丁度、会って。それで、昨日は少し遅くなってしまったから、帰るんだったら俺のマンションの方が近くて、泊まっていくことになったんだ」

「え――でも……、なんで? ――付き合ってるのか? 一緒に……泊まるくらいだから…」


「龍ちゃんの想像しているようなことは何もないよ」

「でも――なんで? 普通……だったら、知らない男の家なんかに泊まっていかないと思うぜ」


「うーん、まあ、そこら辺は慣れてるんじゃないかな。その程度には、俺も危険じゃないと判断したんだろうし」

「慣れてる――? 男の家に泊まることが? あの――柴岬が?」


「ああ、そういうんじゃなくて――まあ、日本の習慣じゃなくてね」

「なに――それ?」

「男の家に泊まる――とかじゃなくて、知り合いの部屋に泊まるとか、あとは――共同生活、かな?」

「共同、生活?――廉と柴岬が?なんで――?」


 困惑を極めた、といった風な龍之介は、全く理解ができなくてそこでお手上げ状態だった。


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