その4-03
* * *
廉はその派手なネオンのついた看板を見下ろしていた。“Happy Bar”とその名が七色に光って、二時間飲み放題の宣伝もその下に派手に書かれている。
廉はその派手な看板を通り過ぎて、すぐ目の前の階段をゆっくりと下りて行った。
階段上は薄暗く足元がはっきりと見えないが、すぐ目の前の扉はチカチカとまた派手なネオンが瞬いていた。扉を開けなくても、中から聞こえてくるカラオケの騒音が地鳴りのようだった。
廉がゆっくりと扉を開けて中に足を一歩進めると、
「いらっしゃいませー」
と随分明るい声がかけられて、入り口のすぐ傍で廉は一人のホステスに迎えられていた。
「お一人様ですか?」
「ええ、まあ」
「だったら、飲み放題です? それともボックスがいいですか?」
廉はサッと簡単に室内を見渡して、その目的の人物の後ろ姿を確認していた。
「実は、彼女の知り合いなんだけど」
廉の指差す方を追っていったホステスが、ああ、と簡単に納得する。
「いっちゃんのお客さんだったんだ。それなら、こちらにどうぞ。まだ空いてるから、今のうちならいっちゃんと話もできるものね」
どうぞ、と促されてそのホステスの後についていく廉は、丸く囲まれたテーブルの間を通り過ぎて、後ろに大きな鏡のある席に通された。
「今、いっちゃん呼んできますから、ここでお待ちくださいぃ」
明るくその場を去っていくホステスの背を見送って、廉はそのソファーに腰を下ろしていく。
店の中のテーブルはどれも丸型のソファーというか椅子になっていて、その前に小さな丸いテーブルが一つ、二つと置かれていた。
さっきのホステスが向こうで立っていたアイラの肩を叩き、廉の座っている方向を指差した。
少し振り返ったアイラの瞳がほんの少しだけ微かに上がり、すぐにその顔がなんだか廉を睨め付けたように見えた。
キュッと、きつく口を結んだ本人がスタスタ、スタスタと廉のテーブルに向かって歩いてくる。
「何の用?」
「お客なんだけど、歓迎されてないみたいだな」
「何の用よ」
「飲み物はなんだろう?」
飄々としている廉に、アイラが片眉を上げるようにした。
その瞳だけで、はっきりと、廉が邪魔だ、と告げているのである。それをできる器用さに少々感心しながら、廉は少し奥に座るようにして、隣の席を譲ってみせる。
「どうぞ」
キリッと、アイラの眉間が揺れ、アイラはそこで難しい顔をして立っている。
「いっちゃん、おしぼりどうぞ」
さっきのホステスが戻ってきて、廉の前におしぼりと小さなお椀を運んできた。中を見ると、キュウリの酢もののようなものが入っていた。
「ありがとうございます」
「どうぞ、ごゆっくりー」
それで、諦めたように溜め息をついて、アイラは仕方なく廉の隣に座るようにした。
「何の用? 偶然――なんて、言わないわよね」
「さあ。でも、すごい変身だね」
「それは、どうも。あなたも、一介の高校生には見えないわよね」
「まあ、未成年だけど、飲み物を頼まないとダメだろうから、今日は見逃してもらうしかないかな」
「ここで何してるのよ」
「さあ。ネオンがきれいだったから、ちょっと興味があって」
「大ウソつき」
ズバリと、表情も変えずにアイラがそれを叩きつけてきた。
そのアイラを見ている廉は、少しだけ笑むようにした。
「偶然――ではあるけれど、見知った顔がいたんで、つい」
アイラの冷たい眼差しだけが返されて、前のテーブルがあるのに、アイラは簡単にそこで足を組むようにして、それでおまけに腕までも組みだした。
「その短いスカートで足を組んだら、サギだろう?」
「見せる分はきっちり取るからいいのよ。知り合いだろうと、マケないわよ」
「それに、その体も――サギだね」
「じろじろ見ないでよ」
キッ、とアイラが鋭く廉を睨め付けた。
「見せているだろう? それで、見てしまったのは俺の責任じゃない」
「だからって、じろじろ見ないでよ。変態」
きっぱり、すっぱり、はっきりと断言されて、おまけに忌々しげに言い捨てられて、廉は、一瞬、言葉なし。
ここまであからさまな嫌悪を見せられて、変態、だなどと断言されたこともなければ、本人だってそんな形容されるような人格ではないと思っているのだ。
「飲み物、なに頼むの? さっさとしてよ。時間制で売り上げになるんだから」
「――君、それでよく客商売なんてできるんだな」
「あなたには関係ないでしょう。さっさとドリンク頼んでよ」
大威張りされて、おまけに、命令口調で、最初の時の印象と随分かけ離れたそのきつい性格に、廉は少し首を倒しながら、アイラを見返していた。
「二重人格?」
「あなたには関係ないでしょう。さっさとしてよ」
「まあ、君に協力することになるんだったら、仕方がないだろうね」
「なんでよ?」
「ここにいる間は、他の客を相手にしなくて済むだろうから。俺には別にサービスする様子もないしね」
鋭い突っ込みをされて、アイラはまた嫌そうに廉を睨め付ける。だが、まさにそれが論点を突いていたようだった。
「知り合いだろうと、値引きしないわよ。余計なことに首を突っ込んでくるような男が間違ってるわ」
「まだ、突っ込んでないけど」
「だったら、なんでここにいるのよ」
「ただ、興味があったから」
「くだらない興味で女の後を尾けるなんて、いい性格じゃない。ホント、超胡散臭いわね。何者なのよ」
さっきから、きっぱり、すっぱり言い切られて、おまけにそれを隠す態度もなくて、廉はじぃっとそのアイラを見返していた。
「君、日本人?」
アイラの瞳が大きく上がった。
「なんで?」
「態度が日本人らしくないから。それに、その声も、そこらの女の子と違うから」
「私の声?――なにが?」
「俺の周りにいる女の子は、トーンが高い感じだ。平均的に、日本の女の子のトーンは高くて、声が――キンキンして聞こえるかな」
「――あなたも、日本人じゃないの?」
「俺は純日本人だよ。ただ、日本を離れてた方が長いから。君は?」
アイラは少しその場で考えるようにして、一度、口を閉ざしたが、多少はその態度を変えるらしかった。
「クォーターよ」
「どのクォーター?」
「色々ね。その家系をたどっていったら」
「Irish じゃないの?“
「よく知ってること」
「まあ、その名前も、なんとなく日本の名前じゃないんで」
「今の名前だったら、日本人の名前じゃなくてもたくさんあるじゃない」
「そうだけどね」
廉はテーブルに置かれたお絞りを取り上げて、それで自分の手を拭きだした。その様子からいっても、全く動く気はないようだった。
それで、アイラの肩眉がまた少し上がり、
「高校生にしては、随分、肝が据わってるのね」
「そうかな」
「超胡散臭いわ」
「君は、さっきから俺のことを貶してばかりだね。お客なのに」
アイラの口元が上がり、にぃっと妖しげな微笑が浮かんでいく。
「だったら、ボトルでもキープするの?」
「それいくら?」
「さあね。私に協力するんでしょう?くだらないことに首を突っ込むから、自滅するのよ」
アイラはスッと横を向いて、その腕を軽く上げるようにした。
「すみません。ボトルです」
全く言葉を違えず、本気でこの廉にボトルをオーダーさせるようだった。
「覚悟するのね」
あまりに不敵な笑みを投げて廉を見やるアイラを見返しながら、廉の眉間がほんの少しだけ寄せられたが、そこで諦めたように廉は溜め息をついていた。
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