その4-01

 キーンコーン、カーンコーンと遠くで終業の鐘が鳴り響いている。

 ガタガタと机が動かされ、生徒達の帰宅の動きで教室内もざわついていた。


「大曽根と井柳院は生徒会役員会だろ?受験なのに、なんでいつまでも生徒会なんだろうな」

「まあ、勉強に差し支えないなら、いつまでも役職に座り込んでていい、ということなんだよ」


 自分達の荷物をまとめて教室を出かける大曽根と井柳院を見送って、龍之介は自分の机の上に座って手間の椅子を足でプラプラと動かしていた。


「龍ちゃんは、お勉強かな?」

「そう。塾の前に廉の所で、勉強させてもらうんだ」

「龍ちゃんは、本当に藤波の所に入り浸りだな」

「そんなことはないぜ。ただ――ちょっと、勉強させてもらってるだけだもんな……」


「俺は気にしてないよ」

「毎回――お邪魔ばっかして、悪いと思ってるけど……」

「俺は気にしてないよ。特別、他に人がいるのでもないから、誰か遊びにくるのは大歓迎だな」

「そっか……。ごめんな、いっつも入り浸って」

「龍ちゃんは差し入れ持ち込みだから、大歓迎だよ」


 そっか、とちょっとだけ嬉しそうに笑んだ龍之介を見やって、ポンポンと大曽根がその頭を撫でていた。


「じゃあ、お勉強がんばりなさい」

「おう、頑張るぜぃ。大曽根も井柳院も勉強しなくていいなんて、いいなぁ」

「俺達も、きちんと勉強はしているんだよ」


「生徒会と勉強の区切りはきちんとしてあるだけだ。だから、勉強しなくていい、なんてそんな夢見たような現実ではないな」

「そうか? まあ、頭がいいからいいよなぁ」

「そう、卑屈にならないで。龍ちゃんも今から頑張ればいいだろう?」


 なんだか、いつもの龍之介らしく愚痴めいたことをこぼすので、廉が、行こう、とその肩を押して歩き出した。


「じゃあな」


 大曽根と井柳院に別れを言って、龍之介は廉と一緒に教室を後にした。


 進学校だけに部活が盛んな学校ではないので、部活をしている生徒も滅多にいない。それで、授業が終わるとほぼほとんどの生徒が帰宅することになる。それで、ザワザワと混雑している廊下を歩いて行きながら、下校する生徒に混じって廉と龍之介は玄関を出ていた。


「龍ちゃん、模試の結果が悪かった?」

「まあ……予想、通りと言えば予想通りだけどさ。でも――哲学部なら合格線って言われても、俺は哲学部なんか行きたくないんだ」


「だったら、今日も頑張って勉強するしかないね。まあ、試験が終わればたくさん遊べるから」

「分かってるけどさ……」


 ぷぅっと、口を膨らませている龍之介は歩きながら、靴の先で地面を蹴り飛ばすようにした。


「英語はどうだった?」

「英語は、まあまあ、かな。廉にも教えてもらってるし。でも、数学がなぁ……。なんで、俺って数学に弱いのかな。化学も生物もすごいイケたのに」

「得意、不得意があるだろうさ」


「そうだけどさ……。男って、結構、数学系が強いはずなのにな」

「それも、人によりけりだろうよ」

「そうだけどさ……」


 益々、落ち込んでいきそうな自分に、龍之介はそこでちょっと長い息を吐き出して、気分一転するように、空を見上げていた。


「さあ、勉強するかなっ!やるぞー」

「その調子」


 学校前から出ている電車に乗って、廉と龍之介はドア側で立っていた。


 下校時間は生徒達が乗り込むので、電車も満員状態に近い。早めに席を取っている生徒で、椅子は埋もれかえっている。都心に出るまでは大抵立っていることが多かった。


「そう言えばさ、俺さ……見たんだ」

「見た?なにを?」

「柴岬」

「あの――女の子?」

「そう。2~3日前だったか、塾の帰りにチラッと見かけて……」


 その口調がやけに神妙で、珍しく龍之介が顔をしかめている様子なので、廉も不思議にその話に乗ってきた。


「それが問題?」

「問題――じゃあないと思うけど……、でも……」

「塾の帰りって、どのくらい?」

「終わったのは9時半過ぎだから、それから家に向かう途中だったから…10時過ぎかなぁ」

「それどこ?」

「渋谷の裏通りを横切ってる時だったんだ。それでさ――チラッと見た感じでは柴岬だったように見えたんだけど……」


 さっきから、龍之介にしては珍しく語調があやふやに濁っている。


「あの女の子じゃなかった?」

「いや――やっぱり、柴岬だったんだけどさ……」

「どうしたんだい? 龍ちゃんらしくないな。なにか問題があったんなら、話してみればいい」


 うーん、とまだ躊躇っているのか、考えている様子だった龍之介はちらっと周囲を見渡して、それから廉に近づくようにその顔をちょっと寄せてきた。


「あのさ……、柴岬かなって思ったんだけど、格好が違ってて最初はさ、気がつかなかったんだ。でも、あの背が高いから――ちょっと振り返ったら、やっぱり柴岬だったんだ。すごい……化粧して、別人みたいに見えたけど」

「女の子はお化粧をすると変わるから」


「そうだよな。それで、最初は気がつかなかったけど、そこでさ――あいつ、危ないことしてるんじゃないかな……」

「危ないこと?」


 その話の先は予想していなかったらしく、廉も少々声を落としてそれを聞き返していた。


「危ないこと? どんな?」

「どんな――って言われても、もしかしたら違うかもしれないんだけどさ……。――でも、なんかぁ…あれって、よくないことしてるような気がするんだ……」

「何を見たんだい? あの女の子が悪いことでもしてたのを、目撃したとか?」


「そういう…んじゃ、ないけどさ――。でも、なんか……ダメだと、思うんだ。俺はああいう奴らは避けてる方だけど、でも、ああいう奴らに関わるのはやめた方がいい」

奴? どんな奴?」


 龍之介はちらっと廉の顔を見上げ、少し顔をしかめたような表情をしてみせた。


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