その3-01

柴岬しばざき藍羅あいら。先月に転校してきて、現在、二年七組」

「字はどう書くんだ?」

「柴田の“柴”に岬で、柴岬しばざき。それから、藍色の“藍”に、羅生門の“羅”。藍羅あいら。青森公立高校から転校して来たそうだ。特別編入でもなく、普通の転校手続きで入学して来ている」

「ふうん、青森からね。――まあ、簡単な説明だが、どう思う?」


 ガヤガヤと生徒達で溢れかえる食堂の一角。お弁当ではなく食堂のランチを食べにきている大曽根と井柳院の前に廉が座っている。


 廉は動かしている箸を止めて、その二人を見返した。


「どうして、俺にそれを聞くのかな? 龍ちゃんがいないのに、俺だけ最初に説明を聞いたら、龍ちゃんも悔しがると思うんだけどね」

「龍ちゃんには後で説明すればいいさ。でも、藤波、君は興味があるんだろう?」


「身分調査は頼んでませんがねえ」

「まあ、それは俺達のちょっとした趣味だな」

「それも、否定はしませんけど」


 超進学校をトップでいく二人ではあるが、頭の切れが鋭いだけに、そこら辺の感性が鋭敏に磨かれている傾向がある。育った環境の影響もあったのだろうが、若いながらに二人はかなり人を見る目に長けていた。


 実は、廉も転校組みで三年になってきてから暁星学園にやってきた生徒だった。三年の受験が始まる時期になっての暁星学園への転入はかなり珍しいものであるので、もちろん、生徒会でもすぐにその話題が上がっていた。


 別に、素行調査をするのではないが、それでも、生徒会で今度やってきた転校生の素性程度はすぐに教師から話されていて、実は、龍之介は知らないだろうが、廉は転勤の多い両親に伴って海外生活が長く、日本で生活した時間の方が短いであろうというほどの、留学生扱いだったのだ。


 それでも、この暁星学園に転入してくるのだから、ある程度の成績を持ち合わせていなければならないのであって、それでその器がどれくらいのものであるのか、生徒会――会長と副会長の興味が注がれていたのだった。


 本人は畏まった感じで、特別、害もなく派手でもなくて、それで、まあまあの成績をこなしているあたりは、至極普通の青年だった。

 だが、その妙に落ち着いた態度や、飄々としていそうで、以外に抜け目がなく鋭いところから見ても、一筋縄ではいかない男――と大曽根と井柳院は判断していたのだった。


 龍之介は素直であまり人を疑うことをしない――というか、知らないというか――それで、廉の本性――とでもいうようなものを見極めていないのかもしれなかったが、大曽根と井柳院は、廉をただの普通の生徒、としては扱わない。


「なんだろうな」

「怪しいな」

「二人の結論はそれですか?」


 廉はちょっと大仰におどけてみせた。

 二人はその廉を無視して、ふーむ、と考え込んでいる。


「怪しいな」

「怪しいな」

「なぜ?」


「名前が、、だし。名字を言わなくて。青森の公立から転校してきた割に、青森弁もないな」

「方言くらい直すのは簡単でしょう?」

「まあ、そうだが」


「でも、俺は、怪しい方に乗るな。知らない男の家にいるあの動作が、女子高生の割には反応が薄いな。ああいう反応をするのは、珍しいほうだ」

「二人はおモテになりますからね」


 からかったように言った廉の前で、二人は澄ました顔である。さすがに、進学高校のトップをいき、トップを収めていて、容姿も悪くはなくて――実は家柄も悪くはなくて――となれば、花形スター並に人気はあるのである。


「生徒会に目をつけられたら、この学校でも生き伸びられないでしょう」

「俺達はそこまでひどくないんだが。ただ、学校内の運営を任されているから、ちょっと気になることは気をつけていたほうがいいな、とね」


 大曽根の横で井柳院が少し自分の眼鏡をかけ直しながら、ふと思い出したように向こうの方を見やった。


「菊川はどこまで行ったんだ? もう、食べ終わるんだがな」

「龍ちゃんは寄り道が好きだからねえ。あの子も、困ったものだね」



* * *



 昼食を買いに来ていたアイラは、そこらの団体を見て、一瞬、怯んでしまっていた。

 食堂は混雑していることが多いので、食堂を避けてパンを買いにやって来たはいいが、そこでも、生徒達が連なって、固まって、あれやこれやと争奪戦が繰り広げられているのである。


 満員電車もそうだが、昼の買い出しまでも混雑と喧騒に囲まれて、その輪に無理矢理押し進んでいく勇気もなければ、やる気もなくて、アイラは怯んだままその場で立ち尽くしていた。


 ふと、その争奪戦が繰り広げられる輪から、一人の少年が出てきて、その腕の中にかなりたくさんのパンを抱え込んでいた。


 相手も目の前に立っているアイラに気がついて、あれ? とその首を傾げてみせる。


「あんたさ――元気になったの?」

「ええ、まあ」

「そっか、良かったな。具合悪そうだったもんな」


 はあ、と曖昧な返事をするアイラだったが、この目の前の龍之介は会った時からそうだったが、感情の素直な、そしてそのままに感情を見せる少年だった。


 だから、にこっと、笑った本人も、アイラが元気になって良かったな、と本当に思っているようである。


 毒気も抜かれて、警戒する気も失せてくるというものである。


「あんたさ――って呼ぶの、あんまり好きじゃないんだ。“あいら”って呼び捨てするのも変だろ? 名字、なんて言うの?」

「柴岬」

「じゃあ、シバザキさ、パン買いに来たんじゃないのか? 早くしないとなくなるぜ」


 はあ、と曖昧な返事を返すアイラは、スッとその視線を目の前の塊に向けてみた。


 おばちゃん――これが、あれが――と普段は騒ぎもしない生徒達が鷹のように群がっている。


 はあぁ……、と自然、溜め息がこぼれてしまった。


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