その2-03

 アイラがトイレに入っている間、その場に残された三人は、ついその視線を廉に向けてしまう。


「なに?」

「女生徒を連れ込むとはいけないな、藤波君」

「君ね、親元離れてるらしいけど、そういった行いはあまり奨励できるものでもないな」


 廉はちょっとだけ口元を上げるようにして、

「まだ、手を出してないんですけどね」

「まだ――って、手出すつもりなの? 廉って、その顔のまんま、手が早いんだな」

「その顔の? ――それは?」


 廉の顔が少々複雑そうに、ひくり、と引きつっていた。


「廉ってさ、遊んでなさそうな顔だけど、でも、裏で女いっぱいいそうな感じだもんな」

「どうして?」

「だって、女慣れしてる感じするしさ。いつも、女子が寄ってきても、全然、動じてないじゃん」


 そういう問題ではないだろう――と廉が言い返そうとしたが、あまりに無邪気にそれを口に出している龍之介は、廉が遊んでいる――と疑いもせずに信じているようだった。


 訂正するにも、あまりに無邪気なその様子を見ていると、溜め息だけがこぼれてしまう。





「――ねえ、あんた、もう大丈夫なの?」


 居間に戻ってきたアイラに、龍之介が聞いた。だが、その瞳は興味津々といった感じがありありである。

 なにが珍しいのかは知らないが、その瞳を丸くして、随分、あからさまにアイラを凝視してくる少年である。


「ええ、まあ――」


 それに答えるアイラだったが、またじぃっと龍之介がそのアイラを観察している。


 トイレで確認したアイラは、自分の顔がかなり青ざめていることに気がついていた。その顔色を見ている限りでは、到底、大丈夫の部類に入るはずもないのは百も承知である。


 嘘八百――があまりにしらけているので、アイラは仕方なく藤波という青年に向いて、

「私の――ブレザー、どこですか?」

「ああ、あれね――」

「ここにあるよ。俺の横にちゃんとあるぜ」


 アイラのブレザーを取り上げて龍之介が座っている場からそれを持ち上げて見せた。


「それは、どうも――」


 さっさと龍之介からそのブレザーを受け取って、アイラはポケットを探ってみる。携帯を取り上げて、皆の前で勝手に電話をかけ出してしまった。


 その光景を全員が黙って眺めている。


「――迎えに来て」


 相手が電話口に出るなり、アイラの簡潔な一言が出されていた。電話の向こう側で文句を言っているが、アイラはそれを無視して、

「ここどこですか?住所は?」


 つっけんどんに問い返されて、廉はそのアイラをじぃっと見返してはいたが、一応、それを説明するらしい。


「六本木―――サンライトマンション305号室」


 説明されたままを電話の向こうに繰り返し、

「学校の生徒が運んでくれたみたい。だから、迎えに来て」


 グッ、と向こうで詰まっている様子は伺えたが、アイラはそれで会話を終えて、さっさと携帯を切ってしまった。


 その様子も、そこの男達がなんとなくじぃっと観察しているのである。


「――迎え、来るの?」

「ええ。お世話になりました」

「それは――いいけど。――いつ来るの?」

「30~40分くらいだと、思います」

「だったら――まあ、そこに座って。立ってるのもなんだから。――えーと……?」


 名前を言う気はなかったのだが、どうもそっちに会話が向けられて、アイラはどうしようか迷っている。


 その奇妙な沈黙が降りて、また全員が首をかしげるようにした。


「あんた――名前、なんて言うの?」

「――アイラ」

「あいら? ――どんな字?」


 アイラの反応が、なにか一拍変な間があったようで、益々、そこの男達は不思議そうな顔をしてみせた。


「ひらがな――です」

「平仮名なの? だったら、名字はなに?あんたさ、二年だろ? 袖が青だからさ。なんで、廉を知ってるんだ?」


 立て続けに質問をされて、アイラは微かに眉間を寄せたまま何も言わない。


「龍ちゃん、そうやって質問攻めしたら、びっくりするじゃないか。――まあ、君も、まだ具合が悪そうだから、そっちに座るといいよ」


 生徒会長の大曽根がその場を取り成して、アイラはもう何も言わず、言われるままそのソファーに勝手に腰を下ろして行った。


 ストン、と龍之介の前に座ったアイラに、龍之介はまだシャープペンを持ったまま、少し前に乗り出してきた。


「ねえ、学校に転校してきたのか?」

「なぜ――です?」

「え? だって、見かけないって言ってたから。転校生なの?」

「そう――です」

「いつ?」


 まさか、この少年に詰問されるとは予想もしていず、おまけに、そこで静かに控えている残りの三人は、どうやらこの少年にアイラの質問攻めを任せて、自分達は口を挟まずに話を聞く様子のようで、余計にアイラの警戒が強まってしまった。


「――受験、勉強?」

「うん? ――ああ、そう。判らないトコ教えてもらいに。一人で勉強してもつまらないし。大曽根と井柳院は頭のデキが違うから、別にここにいなくてもいいんだけど、まあ、塾の前に暇つぶしだろうしさ。その点、俺は塾の前も勉強しないといけないから」


 気兼ねなく、アイラに警戒も寄せず、気軽になんでも説明してくれるようである。それなら、話は簡単になってくる。


「大変そうですね。それ――英語でしょう? リーダーとかって、頭痛くなりますよね」

「そうそう。読んでるだけで、もうギブアップだよな」


 ええまあ、とそんな相槌を返すアイラの前で、龍之介はその面立ちの通りの素直な少年で、アイラはラッキーな状況に拍手をあげたい気分だった。


 それからしばらくして、迎えに来たと言う男性がやってきて、アイラに言われて廉にタクシー代を払って、アイラが世話になりました――と二人は消えてしまった。


「――新顔だ」

「そうだな。二年だから、山川に聞けば分るだろう」

「そうだな」

「なんだよ。また、二人揃って、探るようなことしてるのか?やめろよな、それ。生徒会だからって、一々、生徒全員のことなんか管理しなくてもいいんだろ?」

「そうだね。でも、知らない生徒がいるのも寂しいからね。せっかく、短い三年の間に知り合うんだから、少し名前くらいは知っておかないと――とか、思わないかい、龍ちゃんは」


 もっともらしい理屈を持ち出されて、龍之介はちょっと口をすぼめてみせた。


「そう……だけどさ」

「そうだろう?」

「でも、あいら、って言ってたじゃん」

「そうだね。可愛い名前だね」

「本当に」


 龍之介を除いて、そこの三人は、三人揃って同じことを考えていたのだった。


 あいら――名前だけを口にする女生徒も滅多にいるものじゃないが、と。


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