2-6 何かを忘れるために飲んでも、忘れることが出来ないものだ。

 縮こまる姿は、いつもの堂々としたボンテージ姿からは想像がつかないほど弱っている。

 柿が盛られた皿と水を注いだコップをベッド横のテーブルに置き、モーリスが床にどっかり座り込むと、サリーは寝返りを打って毛布から顔を出した。


「とりあえず水分を取れ。むくみと涙で酷い顔だぞ」

「……モーリスっていつもそうよね。デリカシーがなさすぎ」


 唇を尖らせて不満そうな様子だったが、体を起こしたサリーは手にしたコップを秒で空にした。

 口紅が残る濡れた唇からこぼれたのは盛大なため息。

 十数秒の沈黙ののち、サリーはちらりとモーリスを見た。まるで、話を振って頂戴と言わんばかりの上目遣いでだ。それに気づきいたモーリスはテーブルに肘をつくと、望み通りに「何があったんだ?」と尋ねた。

 ややあって、かすれた声が事情を語り始めた。


「セイラちゃんが結婚するの」

「あー、仕立て屋の娘だったか?」

「うん……あたしは、セイラちゃんの弟くんを助けたことがきっかけで、ご家族とも付き合いがあるんだけど」

「ん? まさか、その弟に手を出して訴えられたとか?」


 さらにそれが結婚相手に知られて破談になり、嘆いたうら若き娘が命をなげたのか、賠償問題に発展したのか。そう無理くり事件にしようとすると、腫れぼったい目がぎろりとモーリスを睨みつけた。

 泣き腫らしていても、十分に圧がある視線だった。

 軽く冗談だってと言い、誤魔化すように視線を逸らしたモーリスは乾いた笑いをこぼす。


(少しは元気、出てきたじゃねぇかよ)


 口には出さずとも、揶揄からかう心の声は届いているのか。噛みつきそうな顔で「冗談じゃないわよ!」と怒鳴ったサリーはコップの水を飲み干し──


「そもそも弟くんはまだ初等教育を受けるようなお子様よ。守備範囲外だわ」


 ガサガサの声で捲し立てると、コップをずいっと押し出して水のお替りを要求した。それに大人しく従い、コップに水を注ぎなおして渡したモーリスは、そのままベッドに腰を下ろしてサリーの傍に寄った。

 コップを掴んだ指先のマニキュアが一部欠けているのが眼に入り、ついっと床に視線を向けた。

 まるで散った花弁のように、赤いつけ爪がポツンとあった。

 その辺りは、瓶が散乱していた場所だ。瓶を投げた時にでもはがれたのだろうか。

 サリーが荒れていただろう様子を想像し、モーリスは小さくため息をこぼした。


「昨日、婚約者を連れて挨拶に来てくれたの」

「で、一緒に夜通し祝い酒……て訳じゃなさそうだよな」


 言いながら、モーリスは散らかっていた酒瓶の量を思い出す。

 宿舎に一般人は入れない。つまりあの量を飲んだのはサリーただ一人なのだ。

 そもそも彼は楽しい酒で酔いつぶれるようなタイプじゃない。

 どちらかと言えばアサゴの教官連中は男所帯で酒飲みが多い。何かしら口実をつけて酒盛りをすることもしばしばだ。その筆頭がサリーでもあるが、荒れるような酒飲みに誰かを付き合わせたりはしない。


(何かを忘れたかった……てとこだな)

 

 俺を呼べばいいのにと思いつつ、モーリスは包帯が巻かれる腕に視線を向けた。未だ飲酒を解禁されていなかったことを思い出し、さすがに素面しらふで付き合うのはしんどかっただろうと、心の内で苦笑した。


「外で二人と祝い酒は飲んだわ。セイラちゃんは妹みたいなものだし」

「祝ってやりたい気持ちに嘘はない、と」

「そうよ。そうなんだけど……」


 再びサリーは涙声になる。

 よほどその男に本気だったのかと、だいぶ嫉妬心を感じながらモーリスは彼の泣き顔をじっと見た。


(──嗚呼ああ、また泣くのかよ)


 その涙には弱いんだよなと思いながら、視線をついっと反らす。

 ふと、冷静な部分が思い至った。ドア越しにガサガサの男の声を聞かされた綾乃の心中をはいかばかりだっただろうかと。

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