2-7 そんなお前だから好きなんだ

 今時期は、流行り風邪が出回っている。それを心配して来てみれば、酔いどれのわがままで追い返されてしまったのだ。逆切れして文句を言っても誰も怒らないだろうに。それでも、綾乃はこのどうしようもない大人を、今も心配しているのだろう。


(これ、どう報告しろって言うんだ?)


 蓋を開ければただの大人の情事の問題。それを報告するのは、ケイの問題以上に厄介だと思い、モーリスは盛大なため息をつきかけた。


(……何だ、アサゴは結婚ラッシュか?)


 ふと疑問が浮かび、モーリスは昨夜の話を思い出したが、それをさえぎるように甘柿を齧る音がカリッと響いた。さらには鼻をすする音までもが考えを邪魔し始める。

 横を見れば、涙と鼻水で汚れたサリーがティッシュの箱に手を伸ばしていた。


「ね、誰を連れてきたと思う?」

「さぁな。誰だっていいよ」


 その婚約者とやらが付き合っていた男なのだろう。軍人なのか非戦闘員なのかまでは分からないが、そこは大して重要に思えなかった。それよりも何かもっと、重要なことを見逃しているような気がして、モーリスはじっとサリーを見つめた。

 その視線に気づいたのか、サリーは居心地悪そうに身じろぐと尖らせた唇からため息をこぼした。分かってるわよ、と言わんばかりに。


「二股されてたことに気づかないなんて、バカだと思う……でも、本気だったんだから。本気で好きだから……」


 ティッシュで何度も涙をぬぐい、鼻をかみ、大きく息を吸う。


「ちゃんと笑顔でおめでとうって言ったんだよ」


 偉いでしょ。頑張ったでしょ。そうガサガサの声が訴えた。

 泣くその姿に、幼かったころの姿が重なり、モーリスは考えようとしていたことが綺麗に頭からすっぽ抜けた。


「昔っから、お前は泣き虫だよな」

 

 大切な人形が壊されたと言って泣いていたあの頃と、何も変わっていないのかもしれない。

 サリーの頭に手を伸ばしたモーリスは、腕の中に静かに抱き寄せた。まるで宝物を抱えるように、そっと優しく。


「人形が壊された、髪飾りを川に投げられたってよく泣いてさ」

「……急に何言いだすの」

「お前が泣くたびに、相手ボコりに行ったら、なんで喧嘩するんだって、また泣いて怒ってよ」

「だって、あんた怪我ばっかりして……」

「今回だってそうだ。お前泣かした男、ボコりに行ったら怒るだろ?」

「当たり前でしょ! 非戦闘員にケガさせたら減給どころじゃ済まないわよ。バカ!」

「お前こそバカだろ。少しは自分を労われよ」


 頭を撫でると、サリーは顔を赤らめてモーリスを睨みつけた。

 そうか相手は非戦闘員か。仕立て屋の娘ならそれなりに財力もあるいいとこの坊ちゃんなのだろう。そんなことを推測しながら、彼の男の見る目のなさにモーリスは呆れた。

 膝を抱え「好きだから迷惑かけたくない」と消えそうな声をこぼされ、いたたまれなくなる。


(筋金入りのバカだよ、お前は)


 裏切られたことを泣いて恨み言の一つでも言えばいい。言う権利はあるだろう。他人がいくらそう思ったとしても、サリーは明日になったら、何事もなかった顔をして笑うのだろう。

 本心は未練たらたらだと言うのに、大人であろうとしている姿が痛々しくもあった。

 モーリスはそれを受け止められるところにいるのに、何もしてやれない自分をただ歯痒く思いつつ、彼にここまで愛される男にくすぶる嫉妬心を、腹の奥でねじ伏せた。

 

「──その女の前で腰砕けるくらいのキス、見せつけとけばよかったんだよ」

「冗談じゃないわよ。セイラちゃん、良い子なんだから。本当に、祝福、してるんだから」


 泣き腫らした顔で言われても説得力がない。しかし、その矛盾だらけの言葉が全て本心だということも、モーリスは十分に理解していた。


(なんて厄介なんだ。だけどそれが……俺の好きな愛翔だ)


 これが佐里愛翔という男の生き方であり、魅力でもあり、この長い腐れ縁をモーリスが切れない一つの理由でもあった。

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