1-5 看病して欲しいと望んだだけなのに

「失礼します! モーリスが怪我を負ったと聞き……モーリス!」


 声を荒げながら入ってきたのは、鳶色とびいろの髪を高い位置できっちりと結んだ美少女だ。大きな瞳を見開き、モーリスの姿を確認すると安堵したのか、深く息を吐いてその場にしゃがみ込んだ。


「だから、言いましたよね。怪我はしたけど元気だって」


 背後から声をかけ、苦笑を見せたのはサリーだ。彼は美少女の腕をとると引き上げ、ゆっくりと立たせた。


翁川おうかわ中尉、ご心配なく。モーリスの怪我は見た目ほど酷くないですよ。佐里少尉が適切な処置をしていましたので」

「ちょっと、黒須! あたしはサリーって呼んでって言ってるでしょ」

「これは失礼。ファミリーネームで呼ぶ癖がついていましてね」


 サリーの威圧などものともせず、黒須は涼しい顔をしている。

 それが気に入らないとばかりに、サリーはふんっとそっぽを向くと唇を尖らせ、モーリスのことはファーストネームで呼ぶくせにと文句言うこぼす姿を見た美少女──翁川綾乃おうかわあやのは、少しだけ困った顔を見せた。

 円らな瞳の視線に気づいたのだろう。サリーの白い頬が僅かに染まった。


「とにかく、少将ちゃんが血相変える必要はないのよ! モーリスの読みが甘かっただけなんだから」

「事前の調査不足も原因だと思うんです」

「いつも通りの調査だったんでしょ? 森は変わるものよ。突然変化することもあるの」

「ですが、蒼の森は比較的その変化が起こりにくい場所なのを考えると……」

「そもそも! 事前の調査隊は少将ちゃんの管轄じゃないし」

「だからと言って、私に責任がないとは──」

「はいはい、そこまでね」


 熱くなるサリーの肩をぐいっと自分の方へ引っ張ったモーリスは、綾乃に顔を向ける。

 とさっとモーリスの腕の中に納まったサリーは、何するのよと文句を言いかけて彼を見上げた。

 明るい声とは裏腹に、その瞳は微塵も笑っていなかった。


「少将ちゃん、ご心配をおかけしました」


 薄い唇が弧を描き、目が細められた。

 少将ちゃん、と呼ばれた綾乃は一瞬、息を飲んだ。

 その呼び名を始めたのは、他でもないサリーだ。彼にとって綾乃は特別な存在なのだ。そもそも彼が軍人を志したのは、彼女の祖父──翁川宗己おうかわそうき少将に憧れを抱いたからだ。その孫娘である綾乃が魔装具を使う軍人となり、異例の昇級となって上官として現れたことは、サリーにとってまさに好機だった。

 軽い気持ちでつけられたあだ名だったが、今では、アサゴ基地所属の多くの同志が、親愛の念を込めて彼女をそう呼んでいる。


「事前調査に疑問がない訳じゃないですが、とりあえず、改善点を上にあげてもらえればそれで良いです」

「……分かりました」

「しばらく不便をおかけするかと思いますが、俺の代わりはこいつが──」

「何で、あたしなのよ!」

「俺の代わりが勤まるのはお前くらいだろうが」

「それは……でも、あんたのとこは回収特化クラスで、サポート専門のあたしのとことはスタイルが違うでしょ!」

「どうせ一週間かそこらだ。基礎訓練強化にすればいけるだろう」


 腕の中でぎゃんぎゃんと声を上げるサリーに爽やかに微笑んだモーリスは、まだ言い返そうとする彼に「出来ないの?」と、あおるような一言を放った。

 綺麗な顔が耳まで真っ赤に染まる。


「こっちにはこっちの予定があるんだけど!」


 悲鳴に近い怒号が上がった。直後、黒須が堪えきれないとばかりに噴き出して笑い出した。それを見て、綾乃はきょとんとする。


「おい、モーリス……お前はガキか。嫉妬は見苦しいぞ」

「……うるせぇ」

「お前は恋愛と親愛の区別もつかんのか」

「ちょっと、何の話してんのよ?」

「あ? なに、このアホはお前が翁川中尉と話してるのが──」

「あー、あー、とにかく、少将ちゃん! 俺が休んでいる間の仕事はこいつにやらせるってことで!」

「ちょっと、勝手に決めないで! それに、さっきからって何よ、あたしはサリー!」


 突然声を上げたモーリスと、それに反応したサリーの声に黒須の声はかき消された。

 黒須は再びやれやれとため息をつきながら綾乃に視線を向けて「ただの嫉妬ですよ」と呟いた。それを理解するのに数秒を要した綾乃は、目をぱちくりと瞬かせる。

 横ではサリーとモーリスが不毛な言い合いを続けていた。

 ややあって、綾乃が小さく咳払いをすると、サリーはハッとして振り返った。


「サリー、大変でしょうがよろしくお願いします」

「ううっ……少将ちゃんの頼み、あたしが断れると思う?」


 その質問に、綾乃は曖昧あいまいに笑った。

 赤い唇からため息をこぼし、実に不本意と言いたそうな顔をしたサリーは、モーリスの首根っこを掴んだ。


「さっさと治しなさいよ」

「看病してくれるんだろ?」

「恋人にでもお願いしなさい!」

「別れたから、俺、フリーだよ? ほら、遠慮なく、お前も男と別れて来いよ」


 モーリスの軽薄ぶりに顔を引きつらせたサリーは「バカじゃないの!?」と叫びをあげると、その頭を思いっきり拳で殴りつけた。

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